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第11夜 四
lll 消えることのない記憶 lll



 …………まだ。
 まだだいじょうぶだろうと心のどこかで願っている。
 本来なら結界の存在などに安心せず、早めに引き上げたかった。けれど、とうとう折れてしまった。
 ……まだ、だいじょうぶ。だいじょうぶで、あってほしい。
 何もないと判れば彼らだって引き返す。
 禁忌の森は禁忌の記憶。
 罪と裏切りの記憶。
 そうして、弟妹弟子の運命の眠る場所。
 ……まだ、だいじょうぶ。
 だいじょうぶであってくれ……これ以上は――

「ネスティさん?」

「……、か。なんだ?」
 いつの間にか考え込んでいたらしかった。
 話がまとまったとたん、全員動き出したらしく、もう居間にはと自分しか残っていない。
「あたしたち、一度ファナンに買いだしに行ってくるけど、ネスティさんもくる?」
「……いや、遠慮しておく」
 あっけらかんと訊いてくる、に苦笑して答えた。
 どれだけ暗い表情をしていたのか気づかなかったわけではなかろうに、こうしていつもどおりに話しかけてきてくれる。
 配慮に慣れているのかただの天然なのか……
 おそらく後者だ、と、断言してしまう自分が、少し滑稽だ。
 それでも、その在り様に、救われている気持ちがある。
「気分が悪いなら、何かすっきりするもの買ってこようか」
「いや、いい。すぐ治るさ」
「ほんとに?」
 やんわり断ってみたが、どうにもは信用できないようで。
「ネスティさんて、やせ我慢とか得意そうだから……ほんとうに平気?」
 がこだわっているのは、いつぞやファナンに着いたばかりのとき、モーリンのストラで治療された足の件のせいだろう。
 それ以外では、特に怪我などしなかったし。
 戦いでも、たいてい先陣を切るのは直接攻撃に秀でたメンバーばかりだから、怪我を負うような場面に出くわしたことも、あまりない。
 それに……あれは、別にやせ我慢をしているわけではなかったのだし。
 ストラでの治療だから良かったようなものの、万一肌を皆の目にさらすようなことになっていたら、と。
 そう考えて、また、背中が寒くなる。

「ほら、やっぱり顔色悪い!」

 けれど。またの声が、ネスティの意識を引き戻す。
 そうして視線を戻した先には、右手を自分の額に当てて、左手を伸ばしているの姿。
 手が。
 こちらに伸ばされる。
「熱でもあるんじゃな……い?」
 とっさに。
「…………っ」
 払いのけていた。

 触られたくない。
 ――知られたくない。

 融機人だということ。機械と人間が融合した、異質なる存在だということ。
 知られたら、何もかもなくしてしまうような気がしていた。もうずっと、長い間。
 だから、弟妹弟子にも、隠しつづけてきたのだ。
 養父と、派閥の上層部しか知らない事実。禁じられた真実とともに。

 ……知られたくない。
 知ったらきっと、もう、こんなふうに優しく伸ばされる手を見ることはないだろう。
 ……だから、今。触れられたくない。容易に悟られることではないだろうが、用心しておくにこしたことはない。
 こんなふうに拒むのも、そのせい。
 それで嫌われることになっても、まだ、相手は自分を人間だと思ったままでいてくれる――

 なのに。

 どうしたものかという顔をして、所在なげに手をひらひらさせていた、が、
「うわっ!?」
 ぎゅむ、と。
 一瞬気を抜いたネスティの額に、遠慮会釈なく手のひらをおしつけてきた。払いのける間もなく。
 驚きで硬直したままのネスティと、自分の体温を比べるように、しばらくそのままの姿勢を保ったのち、
「うん、熱はないね!」
 そう判断したらしく、彼女はあっさりにっこりと微笑んで、そう云った。
「君は……」
 いっそ、さっきの時点で気に障ってどこかに行ってくれていれば、まだ予想の範疇だったのに。
 急な展開に何も云えないネスティをどう思ったのやら、けれどはまだ笑っている。……変わらずに。
「あのね、ネスティさん。あたしは、あなたが何を怖がってるのか判らない」
「……何を、って……」
 あの話の流れで、悪魔を恐れている以外の受け止め方があるとでもいうのだろうか。
 慎重にことばを選ぼうとすると、自然口数が減る。
 リィンバウムの常識も危うい、記憶喪失中の相手だけれど、要らない情報を与えずにすむなら、それにこしたことはない。
 が、はこちらの気などとんと知らずに、あっけらかんとしたまま。
 そしてあっけらかんと、

「悪魔もそうだけど、他の何かも怖いように見えるよ?」


 それはただの勘であり、予想とか予感とかそんな高度なものじゃない。
 なんとなくそう思ったことを云った、ただそれだけにすぎない。
 ……だから。
 ネスティが、それまで無表情に近かった顔つきを一変させて、肩をすごい力で掴んできたときには、は正直、これまででいちばん驚いた。
「……痛い」
 何を云ったものかと思って、結局口からこぼれたのは、そんな単純なこと。
 だけどそれを聞いて、まるで憑き物が落ちたように、ネスティははっとして、すぐに手を放す。
「すまない。……だが何故そう思う?」
「あー……別に理由はないですが」
 ぽりぽり頬をかきながら、云う、だけどそれが真実だ。
「ただ、そう思っただけ」
 ネスティの肩が、わずかに下がるのが見えた。脱力したらしい。
「いやその……だから、心配になっただけ。早い話が、自己満足かと」
「…………」
 黙ったままのネスティと、視線を合わせた。
 ……だって、見えるものはしょうがない。
 鋼色の瞳の奥に揺れている、何かとても遠くて近い、恐怖にも似た嘆きにも似た。

「だけど、まぁ、ひとつだけ。知らないから云えるセリフかもしれないけど」、

 だから、その奥の何かを、安心させてあげれたらと。
 自分を安心させてる、ことばで。

「……だいじょうぶ」

 そうして、どこまでもあっけらかんと。告げるを目の前にして。
 反応することすら忘れたように、ネスティは動きを止めていた。
「だいじょうぶ」
 繰り返される。ことばに。
 ひどく安心する自分がいた。
 そのことばを、信じてしまいそうな自分がいた。

「だいじょうぶって思ってるうちはだいじょうぶ! 何があっても、いや、もとい何がなくても何をこれからなくすにしても!」

 大丈夫って思える気持ちがあるうちはきっと。だから。
 無理してでもだいじょうぶって思おう!

「それはすでにだいじょうぶじゃないんじゃないか」
「それもまただいじょうぶと思えばだいじょうぶ!」

 もはや詭弁だ。
 ――だが。詭弁ではないと云いきれば、それも詭弁ではなくなるのだろうか。

 だいじょうぶ。が何度も自分に云い聞かせることば。
 記憶がなくてもだいじょうぶ。
 何も持たなくてもだいじょうぶ。
 だってあたしはここにいる。
 みんなと一緒にここにいる。
 自分が選んだこの道に、みんなと一緒に立っている。

 …………手を放したあの人たちとも、同じ世界に立っている。

 だから、
「ほらネスティさんも! 景気づけにせーので『だいじょうぶ』と」
 とどめとばかりにが両手を振り上げてそう云ったとき、不意に、ネスティが口元を手で押さえた。
 やはり、あまりにもノーテンキな発言にすぎて、神経よけいささくれ立たせてしまったろうかと。
 思ったのも束の間。
「…………は」
「ネスティさん?」
「っく……はは……あははははははははっ!」
 おかしくてたまらないといった表情。
 さっきまであった悲壮さの欠片も見せず――いや、まだ残滓は残っているけれど、それもわずか。
 身体をくの字に曲げて、ネスティは大笑いしていた。
 当然、は初めて目にするネスティのその姿に呆然とする。

 やっぱ、もしかして、あんまりすっとんきょうなコト聞かされて脳みそ逝っちゃったとか……?

 失礼なことを考えてる間に、なんだなんだと、奥で支度にとりかかっていた者や、買いだしに出ようとしていた数人が居間を覗きこんできた。
 そうして、ほぼ全員が目を丸くする。
 沈着冷静なネスティがここまで笑うのは、やはり珍しいことらしく、マグナとトリスも驚いた表情。
 そんななか、ようやく笑いをおさめたネスティが、目じりに涙さえにじませて、を振り返る。
「つくづく……トリスたちより能天気だな君は」
「「「どういう意味だ(よ)」」」
 引き合いに出された兄妹との合唱になるが、さすが兄弟子気にもしていません。
 ふ、と。そのネスティが、刹那。
 正面にいたにだけ見える程度の、わずかな。本当にわずかな――とても優しい笑みを浮かべた。

「……そうだな。参考にはさせてもらうよ」

 罪の意識も裏切りの記憶もけして薄らぐことはないけれど。 
 少しだけ、君のことばで気が楽になったから。
 そして思う。そういえば、前にもいつか、似たようなことがあったような気がする、と。
 この子のことばはどうして、こんなに素直に心に届くのかと、そのときもやっぱり思っていた。
 だから、つい、同じようにしてしまったのかもしれない。

 ぽす。……なでなでなで。

 ネスティの手が伸ばされて。の髪に触れる。頭をなでる。
 その気持ち良さに、条件反射で目を細め、和んでしてしまっただけれど、
「そういえば……。昨日、僕を呼び捨てたか?」
 とのことばに、ぎくりと身をちぢこませた。
 云われてみれば、と、記憶を掘り起こす。
 ルウのシャインセイバーがネスティを直撃しかけたときだ。たしかに敬称略って呼んだ覚えがあるようなないような。
「いやあのそれは咄嗟のことで……すみません」
 とりあえず謝ってみたけれど、帰ってきたのは疑問符のまぶされた返答。
「どうして謝る?」
「嫌だったかと思って」
「嫌じゃないさ」
 なでなでなで。
 他の仲間たちが見ているというのに、ネスティは一向に気にする様子もなく、楽しそうにの頭をなでていた。
「そう呼んでくれるほうが、僕も嬉しい――ような気がするんだ」
 そうして、それは小声でささやかれる。
 他の誰の耳にも入らないくらいの、傍のに聞こえる程度の。
 驚いて……思わず見上げたその先。ネスティは、穏やかに笑っていた。

 薄らぐことのない罪の意識。消えることない裏切りの記憶。
 だけど……少しだけ、君のことばでそれが軽くなった気がしたんだ。


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