「その気持ちは判るけど、ちょっと警戒しすぎじゃない?」
「そうよ、結界があるんでしょ? だったら怖がることないんじゃないの?」
……ん?
ふと、首を傾げる。そういえば、昨日から気になっていたこと。
結界がある。あるということは誰かがそれを張ったということだ。
「ねえ」
くいくい、とルウの袖を引っ張る。
「誰が結界を張ったの?」
「……知らないの? アルミネの伝説」
おとぎ話という形でだが、ミニスでさえ知っていたくらいだから、その話は有名なのかもしれないがあいにくさん記憶喪失中である。
こっくり頷いたのために、ルウの口から改めてその伝説が語られることになった。
「ずっと、ずっと昔の話よ。この世界、リィンバウムは異世界からやってくる敵たちに侵略されていたの」
「どうして?」
「この世界は、とても魔力にあふれているから。他の世界からすれば、楽園に思えたのかもしれないわ」
魔力と云われても、召喚術の使えないにはとんと判らない話だ。
いや、たしかにいつぞやの夜逃げで、暴走しかけたトリスの召喚術を抑えこんだ実績があるらしいが、自覚というものはないし。
……何か暖かい場所にいたような気はするんだけどねー
現に召喚術をいくつか習ってみたのだけれど、メイトルパのテテと誓約済みのサモナイト石で、何故か槍を呼び出す始末。
本職剣士のフォルテでも使えるというのに、これは才能以前に適性がないのではないかと落ち込んだのを覚えている。
まぁ、その槍はけっこうよいものだそうなので、ついでにと数本喚んだ挙句、バルレルやロッカにあげて味方の戦力アップにはなったけど。
「でもね、異世界からきたのは敵だけじゃない。味方もいたわ」
「サプレスの天使たちや、シルターンの龍神たちだな」
「そう……彼らは、この世界の人間の友として、力を貸してくれたの」
「だけどそれは、失われた……」
いつの間にか全員が、ルウの話に参加していた。
聞き手であるは、黙ってそれに耳を傾ける。
異世界から召喚されてきたばかりのレナードも、紫煙をくゆらせながら話を聞いていた。
うーん、やっぱりこのおじさん他人って気がしないわ……
知っている気がするんだ。この感じ。
こんなふうにタバコを吸う、誰かを知ってるんだ。
また別の方向に考えが飛びかけたのを、あわてて引き戻す。今はルウの話を聞くべきであって、自分の記憶を考察する時間じゃない。
……だけど。
ふと、それは自分の知らない話だと感覚の奥が告げていた。
記憶がどうだとか云う以前に、今の自分は、この意志は、その話を知らないのだと。
「それは、人間が召喚術という力におぼれたから。だから彼らは、人間を見限って、それぞれの世界に帰ってしまったの」
なんとなく判る気がして、はうなずいた。
友と云う存在に対して使うには、召喚術はあまりにも強制力に溢れている。
バルレルやレシィ、ハサハにレオルドにしても――今でこそ護衛獣としてトリスやマグナについてくれているけれど、喚び出されたときは強制だったはず。
どんな気持ちだったんだろうと思った。
大平原の夜を思い出す。
泣き喚いていた、レシィであった魔力の流れを思い出す。
あんなふうに怖かったのかな、と考える。
「当然、悪魔や鬼たちは、それを見逃さなかった」
「狡猾な大悪魔のひとりが、軍勢を引きいてリィンバウムに総攻撃を仕掛けてきたの」
「それが、あの森に封じられてるって悪魔たち?」
そうよ、とルウは頷いた。
それからまた、話の続きに戻る。
「でもね、たったひとりだけ、それでも人間を助けてくれた天使がいた」
「天使……」
どうしてか、アメルを思い出した。
慈愛の聖女と云われる、優しい女の子を思い出した。
おかしなコトを、と振り払う。
不思議な力を持っていようとなんだろうと、アメルは人間だというのに。
「それが、豊穣の天使アルミネ。その天使は、大悪魔に一騎打ちを挑んで、自分の命と引き替えに結界を張り、大悪魔とその軍勢を封じたと伝わってるわ」
「私の知ってるおとぎ話じゃ、そのへんのことは詳しく書いてなかったわ……」
ミニスが、感心したように云った。
「まぁ、おとぎ話だからな。そんなもんだろ」
フォルテがわざと茶化すように云い、ケイナに軽くどつかれている。
そんな光景もすでに日常になってしまって、みんないちいち驚かなくなっていたりする。むしろほのぼのだ和みだ癒しだ。
フォルテは辛いだろうが。いや、楽しんでそうだけど。
「……悪魔というのは、狡猾で、残虐で。自分の望みのためならどんな手段もいとわない。加えて戦闘能力も高い。そんな相手が、森のなかにごろごろしていると考えてみろ」
表情を緩めていた、それにトリスやマグナに向けてよこされる、不意のネスティのことば。
聞いただけでも、かなりお目にかかりたくない光景なことに間違いはない。
想像して、3人顔を見合わせたときには、全員が渋さ全開。
間違いはないけれど……
ちらり。
先ほどまでトリスにぐりぐりされていた、バルレルに、一瞬にして視線が集中した。
「狡猾残虐、手段をいとわない?」
「テメエらやっぱ今のうちに殺ル」
「あたし殺したら帰れなくなるよ、バルレル?」
とぼけた表情でツッコミ入れるトリスを、バルレルは、仇でも見るような目で睨みつけた。
「ッチ!」
盛大な舌打ち。
「だいたいなぁっ! そこのニンゲンに、その誓約で縛られてっから! 本来の姿と力じゃねえんだよ!!」
「……そうなんだ」
「な、なんだよ……?」
急に立ち上がってわめくバルレルに、殆どの人間は呆れたため息をもらしている。それはいい。
だが唯一、だけは静かに彼を見ていたから、彼は、ちょっとどきりとした。
最初から、何か違和感を感じていた相手。
黒い瞳が自分を見ているとき、視線が合うとき、何故かそのまま引きこまれそうな感覚を覚える相手。
誓約を交わしたわけでなく、召喚師でもない小娘に、どうしてそんな感じを覚えるのか判らなかった。
今もそうだ。
黙って自分を見ている、。
――何が云いたい? そう云いたいのに、何故か云えずに。
不意に、がくすっと笑った。
「バルレルくんの本当の姿かあ……いつか見てみたいよね」
「ちょっと、それって誓約を解いたときしか見れないんだけど」
半眼になったトリスの裏拳が、の胸に軽く炸裂する。
当のはきょとんと、
「解けないの?」
「解いたら最後、バルレルなら――」
「おうよ、こんな世界ぶち壊してサプレスに帰ってやらぁ!!!」
フン! と鼻息荒く宣言したが最後、
「……だーめー」
「ひへへへへー!!」
顔だけは笑いながら、むにーっと、がバルレルの頬を左右に引っ張る。
「あー、、あたしの仕事とったー」
仕事かよ。
無言のツッコミが周囲に生まれる。
そんななか、はうれしそうに、横取りしたトリスの仕事をつづけていた。
「うーん、伸ばし甲斐のあるほっぺで嬉しい」
などとふざけたことをほざきながら。
「ふれひひのはへへへふぁへは……ッ!!」
怒りに震えるバルレルの脳裏からは、さっき感じた戸惑いなど、とうの昔に消えていた。
「で、どうすんだい、結局?」
ふぃー、と紫煙を吐き出しながら、レナードが会話の軌道修正に入ったころには、とバルレルのタイマンも佳境を迎えていた。
迎えるな。
本来の会話目的を思い出し、バルレルの頬から手を放して、はネスティに向き直る。
トリスとマグナがその横に並ぶ。ミニスがその後ろ。
ケイナやフォルテ、モーリンやカザミネの大人組はそこまでしないものの、最後の難関にやはり視線を向けていて。
数の暴力に呆れた素振りさえみせながら、けれど、ネスティは首を縦に振ろうとはしない。
「君たちは、悪魔の恐ろしさを判っていないんだ」
苦渋をにじませた顔で告げられる。
……恐ろしさ……
「しつけぇ!」
紅くなった頬を少し涙目でさすりつつ、それでも眼光だけは衰えないバルレルが、集まった視線を跳ね除けた。
「ネスティさんのことばも、もっともだと思うけど」
戻した目をひとりに固定して、は云う。
「だけど、このまま帰っちゃったら、アメルはどうなるの?」
こくこくこく、と、両側で派閥の兄妹が全力でうなずいている。
アメルのことを持ち出されては、さすがに強硬に反発するわけにもいかなくなったのか、ネスティが少しひるんだ。
「少しでも可能性が残ってるなら、納得行くまで調べてみたいって思うのは、いけないこと?」
「……だが、リューグはそう思っていたから、アグラバインさんを捜すほうに出たんじゃないか?」
あいた。
痛いトコ突きますねお兄さん。
だけどここで引き下がるわけにはいかないから。
は全力で頭を回転させ――る必要はなかった。幸い。
なんとなれば、今までじっと会話を聞いていた、ロッカがとうとう参戦したからだ。
「僕は、そうは思いませんよ」
「ロッカ……」
「本当に可能性がないんだと思っていたら、リューグだってひとりで行かなかったはずです」
だって、どうせ森を出るのならその足でアグラお爺さんを捜しに行ってもよかったのだから。
そうしなかったのは、彼もやはり、アグラバインが完全に嘘をついていたと考えられなかったのだと思うから。
……自分たちがその望みを頼りに、森を捜すだろうと、きっとリューグは考えていたろうから。
「――――」
ネスティが唇を引き結ぶ。
双子の弟の行動は、双子の兄のことばで補足された。
あとは理論的な根拠に基づくか、感情的な根拠に基づくか。
殆どの人間は、もう決めていた。
無言で、全員が残りのひとりを見る。
…………ふぅ、と。
目を伏せて心持ちうつむいて、ネスティはため息ひとつ。
「そこまで云うなら、好きにすればいいさ……どうなっても、僕は知らんぞ」
投げやり気味なそのひとことに、けれど、たちはあからさまに大喜び。
気分の悪いアメルを慮って大声ではないけれど、バチンっ、と両手を打ち合わせたりVサインしたり。
だから、気づかなかった。
彼らを見て苦笑しているネスティの目に揺れた不安に、殆ど。誰も気づかないでいた。