「…………え…………」
やはり、起き抜けに告げたのはまずかったかもしれない。
けれど朝食の席で皆と一緒のときに云って、全員から質問攻めになったとしたら、アメルにきちんと説明してやれないから。
だから、昨日からショック続きの彼女にこんなこと云うべきかどうか、迷った。
迷ったけれど――云わなければと思ったから。
呆然として、アメルはを見上げてくる。
昨日より回復したのか、さっきまでは顔色がよかったのに、また少し血の気が引いている。
「リューグが……おじいさんを捜しに行ったの?」
「うん」
他に何を云うすべもないから、ただうなずいた。
「どうして…………!?」
それから先はことばにならないのか、ただただ目を見開いて、アメルは口を開いては閉じ、開いては閉じ。
アグラお爺さんが、どうしてここに村があるなんて嘘をついたのか聞き出すため。
そう、正直に告げるのはためらわれた。
だって、アメルはまだ信じてる。
この森に祖母が居る、その期待を捨てきれてない。
「……アグラお爺さんを捜して、訊きたいことがあるって云ってた」
……うん。嘘じゃない。完全な本当でもないけど。
だけど、こんなときに出て行ったのだ。アメルだって感じているんだろう。納得した素振りの欠片も見られない。
どうしよう。
ゆうべ、リューグに安請け合いしたのを、かなり後悔しだしてる。
黙って行かせるべきではなかったと、今更になって思い始める。
……もう遅いけど。
どうしようもこうしようも、ないな。
何を云っても傷つけそう。
だとしたら――うん、せめて、あたしは。ちゃんと、あたしはアメルのことばを聞かなくちゃ。
だけど。
アメルがやっと発したことばは、予想していたそれとは全然違うものだった。
「…………何も云わないで行っちゃったのね」
膝の上においた両手を、強く握り締めて。
掠れた、しぼりだすような声。
「いつもいつも……あたしの知らない処で、みんな動くんですね……」
「アメル……」
「今度のリューグだってそう。には云って行ったのに、あたしには何も云わないで」
「それは、云ったらきっと、アメルが心配して」
「するにきまってるじゃないですか!!」
叩き付けるようなことば。
普段怒鳴ったりするコトのない人がそうするというのは、とても心に痛い。それを実感した。
「するけど……最初から云ってくれたら、あたしだって……!」
しまった、と思ったのが本音。
自分はアメルの何を見てたんだ、という苦い気持ち。
守られるだけの状態から、ゆりかごに抱かれたままの状態から。抜け出ることを、何より望んでいるアメルに。
ひとりで立てるようになりたいんだと、そう云っていたアメルに。
……だけど。やっぱり、リューグはアメルに告げるわけにはいかなかったんだとも思う。いや、向き合えなかったんだと思う。
リューグは迷ってた。
自分が今の自分のままで、アメルを守り続けられるのか迷ってた。
だから、今、彼らのもとを離れて、ひとり考えようとしていたのだと……そこまで彼は云わなかったけれど。なんとなく判ったから。
それはきっと、モーリンがいつか云っていたのがきっかけの気持ち。
そしてリューグは、そんな自分の弱いところをアメルに見られるのを、きっと良しとしない。
……逢うわけにはいかなかったんだ。
アメルはリューグの守りたい人だから。弱みを見せられないと思ってしまう相手だから。リューグは、アメルに向かい合ってそれを見られたくなかったんだ。
……痛いな。
ため息が、知らずこぼれた。
お互いがお互いを思っているのに、どうしてすれ違ってしまうんだろう。
「……アメル」
黙ったままの彼女の名を呼ぶ。
「…………」
アメルは答えない。
黙って、手のひらを握り締めたまま、膝に視線を落としていた。
ぽた、と。こぼれたばかりの雫が、そこに落ちた。
「アメル」
「…………」
二度目の呼びかけにも、答える素振りを見せずに。声も出さずに。アメルは泣く。
震える肩が、とても痛々しい。
だけど。
「アメル」
膝立ちになって、下から視線をあわせようとしても、アメルはうつむいたまま顔をそらす。
ぐい、と。肩をつかんだ。
振り払おうとするアメルの動きを、半ば力ずくで抑えつけて。
こんなふうに強く出るは初めてだったせいか、アメルが驚いた顔でこちらを見た。
「リューグがひとりで行くって云ったとき、あたしは止めなかった。だから、怒って。なじって。それでもって、ひっぱたいたりするのも、十分アメルの権利だよ」
この優しい人は、絶対にそうしないだろうけれど、あえてそう云った。
予想どおり、アメルはますます驚いた顔になる。
「でも信じて。リューグはアメルのことをどうでもいいなんて思ってるから、黙って行ったわけじゃない」
そんなの、あなたはきっと判ってるだろうけど。
「リューグはリューグの気持ちで、今、アメルたちから、ちょっと離れただけだから」
だからそれを受け入れてあげて。
「……でも……」
「帰ってきたら、アメルも、自分の気持ちぶつければいい」
口ごもったアメルに、最後のことばを渡す。
「……」
「だから、まず、あたしに云ってみて。アメルが、出したい気持ち全部」
真っ直ぐにアメルの目を見て、は云う。
その場しのぎだとか、ごまかしだとか、それでうやむやにしようとか。そんなことは一切考えなかった。
ただそう云うのがいちばん良いと思ったから。告げた。
「…………」
沈黙。重苦しいそれが、不意に質を変える。
「……、ずるい」
不意に、アメルが微笑んだ――そう、思った瞬間。
ふわりと空気が凪いで、それから身体にかかる重み。女の子ひとり分の。
そのままベッドから滑り落ちたアメルが、首の後ろに腕をまわして抱き付いてきた。
「ずるい、ばっかり」
「……うん」
「ばっかり、リューグのこと判ってるみたいで、悔しい。あたしのほうが、よりずっと長く一緒にいたのに」
「判ってないよ」
「嘘ばっかり」
「……判ってないよ」
さっきもロッカに云ったことばを、繰り返す。
判ってるように見えるというなら、それは、判ってないから判っているようなことを云えたんだ。
こうしてアメルを守りたいと思いながら、黒の旅団の彼らに対する気持ちも抱いたまま。
矛盾する気持ちを、ずっとずっと抱いたまま。
欲張りな自分。
こんな自分が、他人の何を判ってあげられるんだろう。
自分のことしか結局考えてない。
アメルを守ろうと思うのも、何故そう思うか、自分を知りたいからだ。
……どこまでも自分勝手で欲張りで、わがままで。……自己嫌悪。
「……帰ってきたら、怒ってやるんだから」
にしがみついたまま、アメルが小さくつぶやいた。
だけど声音に強さが戻ってきているコトに、気づいて。知らず、破顔する。
この人たちを好きだと思う気持ちは嘘じゃない。あの人たちに感じる思慕も間違ってない。
……だから、まだこうしていられる。
「それから」
「それで?」
「ご飯抜きにして」
「蹴って?」
「もう、! あたしそんなことしませんっ!」
わざと茶化すと、とうとうアメルは笑い出した。目じりはまだ濡れていたけれど。
「それからね」、
「うん」
「心配したんだって云うの。どうせ心配かけるんなら、ひとこと云ってから出て行きなさいって云うの」
「…………そだね」
そのころにはリューグも、アメルに向かい合えるようになってるといいね。
ことばにはしない気持ちを、心の中だけでつぶやいた。
さてはて。
アメルとは対象的に、他の皆さんの反応はしごくあっさりとしていた。
「まぁ、リューグならそこらの野盗には負けないだろうしな」
「そうねぇ……黙って行ったのはちょっと問題だけど、あの子なりに考えがあったんでしょうしね」
微妙に差異はあったものの、殆どの意見は今のフォルテとケイナのそれのようにほぼ好意的。
それはリューグを見放してるという類のものじゃなく、逆に信頼している気持ちが見えるものだった。
だからと云って、けっしてアメルが彼を信用してないわけではないのだけど。
アメルの場合は心配する気持ちの方が遥かに大きく、強かっただけなのだな、要は。
「そういえば、アメルは?」
問いには、ロッカが答える。
はアメルが落ち着いたあと、頃合を見てやってきたロッカと交代していた。
だって、お腹すいてたし……?
「さんのおかげで落ち着いてますけど、まだ本調子ではないようで。あとで僕から伝えておきますよ」
一同が頷きあっているのを横目で見ながら、バルレルが口を開く。
「ていうか、いざとなりゃテメエらの触覚で電波通信できるんじゃねーの? ケケッ」
できるかそんなこと。
トリスが無言で席を立ち、やはり無言でバルレルのこめかみに『ぐりぐり』を仕掛けるのを、全員が暖かい目で見守った。
「トリスさん、あとでそこの護衛獣君貸してくれませんか」
「うん、いいよいくらでも」
おいおい、ロッカさんトリスさん。
バルレルが、滅多に見れないひきつった表情をしているぞ?
「さて……それにしてもこれからどうするでござる?」
刀の手入れをしながら、カザミネが云った。
そのことばに全員が、和やかにバルレルをぐりぐりっていたトリスも含め、動きを止めて考え込む。
マグナが少し考える素振りをして、
「俺は、もう少し森を調べてみたいな。もしかしたら、ルウの知らない村があるかもしれないだろ?」
アグラ爺さんが嘘ついてたとは思えないし、もしかしたらだけど、そこにアメルのおばあさんが住んでる可能性はあるかもしれないし。
「そうだねぇ……どうだい、ルウ。その可能性はあるのかい?」
モーリンのことばに、ルウはちょっと首を傾げてみせた。
うーん、とうなりながらだけど、頷きを返す。
「ルウもこの森のことを全部知ってるわけじゃないから……新しい村が出来たのなら、知らないかもしれない」
「うん! それならやっぱり、少し森の方を捜してみようっ!」
「そうだねっ!」
元気なトリスの声に、もつられるようにことばを返した。
けれど、続くネスティの発言に、すぐさま、思いっきり眉をしかめる。
「僕は反対だ」
「……ネスティさん」
「悪魔の軍勢が封じられている森なんだぞ? 一刻も早く離れるべきだと僕は思う」
の睨みもなんのその、ネスティは続けてそう告げる。
それはたしかに正論だと判るけど、感情的には賛成できない正論だ。
なんだって、この兄弟子さんはこうも堅物なんだろか……
そう思うが、今回はなんだか、それ以外の感情が含まれているように思えてしょうがない。
だからかどうかは謎だが、なんとなく、強く出るのをためらわされてしまうような。
なんだろう?
気になって、鋼色の瞳をじっと見ていたら、視線をそらされてしまった。