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第10夜 六
lll いってらっしゃい…… lll



 アメルが倒れた後、何がどうなったのか、はよく覚えていない。
 倒れてしまった彼女のために、ルウが一晩の宿を提供してくれることになって……頷いて。
 それから?

 それからなにがあって、あたしはいま、こんな夜に風にふきっさらされつつ、リューグと向かい合っているのでしょうか……?

 たしか、とりあえずごたごたは明日になってからということになったはずだ。
 それから湯浴みさせてもらって、髪が乾きだした頃だった。
 濡れたままの髪で外に出たらば、風邪をひく可能性がどーんとはねあがるだけに、濡れ具合を気にするのは当然。
 その頃ぼうっとしていたら、窓がコンコンと叩かれた。
 で、外に立っていたのがリューグ。
 部屋数の関係で一緒の部屋に寝せていた、アメルを起こさないように気を付けて、は云われるがままに外へ出た。
 玄関にまわるのがめんどくさかったので、いつぞやの夜を髣髴とさせつつ窓を乗り越えたりなんかして。

 いやいや、問題はここにいたる経緯でなくて、そのあとのリューグの発言である。
「……今なんて仰いましたリューグさん」
 予想外すぎて聞き返すことしか出来ないのことばに、けれどリューグは親切に繰り返してくれた。

「ジジイを探しに行く」

「……それはまた……いきなりっスね」

 他に何の云いようもなく、おちゃらけた返事を返してしまったことに自分で情けなくなってしまった。
 それを見て、リューグがふっと笑う。
 けれど次の瞬間、それが幻のように、表情を厳しいものに変えた。
「とにかくジジイを見つけて、なんで嘘なんかつきやがったのか、問い詰める」
 物騒だな、触覚弟。いやしつこいか。
「でも、もしかしたら、村は他の場所にあるかもしれないよ? ちょっとずらして覚えてたとか……」
 だから、明日みんなでもう一度森を調べてみようってことになったじゃない。
 だが、のそんな提案を、
「ハッ!」
 リューグは一言で跳ね除けた。
「おまえだって見ただろ! あの森の、ここ以外のどこに人が住んでる気配があったよ!?」
「しーっ!!」
 激した感情のままに怒鳴るリューグの口を、あわてて押さえる。
 なにせ、こっそり出てきているのだ。
 安全を考えて、ふたりはルウの家からそう離れていない、ていうか殆ど間近にいる。
 大声を出せば、まだ中にいる人間に聞こえるかもしれなかった。第一、今とて全員が寝ているわけでもないのだから。
「……悪ィ」
 一応こそこそしている自覚はあるのか、あってくれないと困るが、リューグが声を抑えたので、も手を放す。
 そのままふたりとも黙ってしまったので、ふと流れる沈黙。
 話のネタはないかと、しばし視線を彷徨わせ、今更ながらには気がついた。
 リューグの足元に転がっているのは、彼の荷袋と斧だ。
 準備万端整えて、もう行く寸前になってリューグはに伝えにきたのだという、そんな簡単なことに、遅まきながら、気がついた。
 ……それに。
 それを、感じていないと云ったら嘘になる。
 村という……大勢の人々が生活しているという空気を、この森に、は感じられないでいる。
 それでも信じたいと思うのは、ただの弱さなのだろうか。
 物云いたげにリューグを見上げると、返ってくるのは小さな苦笑。
「……ま、そういうワケだ」
「あたしが何答えても行く気満々だったわけね……」
 ちょっとだけ呆れた。でも、彼らしいなと思った。
 だけど、気にかかる。
「アメルがあんなのに、行っちゃうの? 何も云わないで行くの?」
 あなたはきっと誰よりも、アメルのことを大切にしてるのに。
 そして今、アメルには支えてあげる人が、きっと必要なのだろうに。

 行くの?

 そう云うと、リューグはちょっとだけ、悔しそうな顔をした。
「俺が今のままじゃ、アメルを守れないしな」
「……なんで? そんなことないよ」
 知ってるから。
 双子と一緒にいるときのアメルが、どんなに心安らいだ表情を見せているか、は知っている。
 だからそう告げたのだけれど、そうじゃねえよ、とリューグは笑う。
「慰めるなら、兄貴だけでも充分だ。でもそれじゃ、いったんは安心しても結局、何の解決にもならねえだろ」
「でも、それでアメルの気持ちが元気になるなら」
 リューグの手のひらが、の頭をなでるように動いたせいで、思わずその先のことばを飲み込んでしまった。
 聞き分けのないこどもをなだめるような、だけどとても優しい感じ。

「なんでアメルにああ云ったのか知らねえし、正直、村の件も嘘なのかどうかまだはっきりしねえが……」
 俺は、この森には村なんかないと思うけどな。
「ジジイは間違いなく何かを知ってると、俺は思う。それに……」

「それに?」
 きょとんとして見上げるの頭を、ぐしゃっとかきみだして。
 文句を云いつつ繰り出されるパンチを、リューグは笑いながら受ける。
「それに、今回とは別件で訊きたいことがある」
 こんなときでもなければ。
 自ら意識して、兄とアメルから離れているときでなければ、きっと訊けないこと。
 それは、目の前で両親がはぐれに殺されたときの。記憶。
 答えたそれは、半分ほんとう半分嘘。
 残り半分のほんとうは、

 ……少しひとりで考えたいことも、あった。

 ――あんたにゃ、一番肝心なものが欠けてる。
 ――八つ当たりで稽古を重ねたって、本当に強くなんかなれっこないさ。

 思い出すのはつい先日、浜でモーリンに云われたそのことば。
 強くなりたい。ただそれだけなのに、強くなんかなれないと云われて憤った。
 これまでに何度か死線を越えて、戦いの腕は上がったけれど、その答えを自分は知らない。
 少し、彼らと距離を置くべきではないかと、思ったのだ。
 自分を見つめなおしてみなければいけないのではないかと、思ったのだ。
 ……強くなりたい。
 望むのはそれだけだ。だから。
 ……強くなりたい。
 アメルを守るため。それだけのために。
 だから、
「アメルを守るために……?」
 心に浮かんだそれを、同時にが口にしたことに、少し驚いた。
「ああ」
「……じゃあ」

 その先は? 問おうと思って、だけどは口を閉ざす。
 だって、アメルを守るために強くなりたいって云うのなら、もしもアメルが守られなくてもだいじょうぶなように、強くなったら。
 ……あなたの、強さを求める理由は、どこに行くの?
 口を閉ざす。
 不思議そうにを見てくるリューグに、なんでもない、と首を振った。
 まだ……それは、自分が云うべきことじゃない気がした。
 いつかモーリンが云ったように、リューグが自身で辿り着かなければいけないことなのだ、きっと。
 仮に誰かがそれを告げるにしても、それはではないと思ったから。

 黙ったままのの頭を、また、リューグが軽く叩いた。
「おまえを放り出して行くのは、悪いと思ってるけどな……」
 最初に拾った責任もあるし、何より記憶をなくす間接的な原因をつくったのは自分だから、と。暗に自嘲しているような声。
 だから笑う。
 そんなこと気にする必要ないよ、そう告げたくて。
「もー、何云ってるかな。むしろみんなに逢うことできて、あたしはリューグに感謝したい気持ちですよ?」
 何をなくしても何がなくても、胸に抱いてる気持ちがたしかにある。
 アメルを守りたくて、みんなが好きで、黒の旅団も好き。
 それだけでいいと何度も思ったし、不安だったけど、それを思えば心があったまるから。
 だからあたしはだいじょうぶ。
 ……うん、
 そうだ、

 あたしは、だいじょうぶ。

「あ」
「ん?」
 怪訝な顔になるリューグを前に、首の後ろに手をまわす。
 チャリ、と音をたてて、はペンダントをはずした。いつか、ファナンで、メイメイという占い師からもらったものだ。
 いきなり何をしだすのかと問いたげなリューグに、ずいっとそれを押し付ける。
 こんな真似、二度としないだろうなと思いつつ、無理矢理その手に握らせた。
「なんだ、これ?」
「首飾り」

 見りゃ判る。

「もらい物だけど。ご利益あるかどうか謎だけど、貸してあげる。……まあその、端的にはおまもり」

 ファナン周辺の黒の旅団は、ファミィ・マーンが追い払ってくれたそうだけど、レルム村のあたりまで行けばどうだか判らないし。
 こんなのただの気休めで、もしかしなくても、迷惑以外のなんでもないのかもしれないんだけど。

「あたしがそうしたいから、借りてください。お願いぷりーず」

 何語だ。

 リューグは、それを手にして、少しなにかを考えているようだった。
 けれどその時間は案外短く、彼はふっと真面目な顔になって、の方に向き直る。
「……もらい物って……男か?」
「気にする場所がちがうでしょうがリューグさん? えぇ?」
 ドスを効かせてねめつけるものの、リューグの表情は揺るがない。
「で、どうなんだ?」
 ……根負けしたのはだった。
「だから気にする箇所がですね……? うぅ、ファナンで御世話になったメイメイさんと仰る美人の占い師さんですよぅ」
 男の人からの贈り物なんて、まあ、ちょっと興味がないわけじゃないけど、相手もいないあたしが持ってるわけないじゃいね。――ははははは、うわあい自爆思考。
「なんだ、そうか」
「どうせどうせどうせ」
 気の抜けた声を出すリューグに背を向けて、はその場にうずくまった。
 膝を抱えて背中を丸め、いじけモード突入完了――しかけたとき、

「ありがとな」

 声と同時に、肩に重みがかかる。
 振り返らなくても、なんとなく判った。リューグが膝立ちになって、の肩に頭を乗せている。
 夜風はあいかわらず肌に冷たいけれど、そこだけが、ほんのりとした温かみを持つ。
 どうしようかな、と少しだけ迷って、とりあえず足を伸ばしてちゃんと座る。腕を後ろにまわし、さっきしてくれたように、ぽんぽんとリューグの頭を叩いた。
「……アグラお爺さん見つかるまでだから」
 見つけたら、返してね。ちゃんと帰って来て返すんだよ。
「判ってるよ」
 くつくつ、リューグが喉を鳴らして笑う。
 地面に置いていた手を、上から包み込むように、ぎゅぅとつかまれた。
 大きな手だ。
 の手をすっぽり包み込んでしまうくらいの、男の人の手だ。
 それから……ちょっとだけ吐息のかかるくすぐったさをともなった、優しい声が聞こえる。

「誰にも云わねぇつもりだったんだけどさ……おまえには、云って行こうと思ったんだ」
「……ほんとに黙って行ってたら、それこそ、戻ってきたときにみんなから半殺しだよ」
 特にロッカあたりが笑顔で槍を繰り出す光景が容易に想像できて、は笑った。
「まて。それは笑い事じゃねえ」
 ひきつるリューグの様子がおかしくて、また笑う。
 そんなの様子に、彼が呆れているのが如実に伝わってきたけれど。肩にかけられたままの重みは、ただ心地好い。
 そうして、ふたりはしばらく、訪れた沈黙に身をひたしていたけれど。

 ふと、リューグがを呼んだ。
「何?」
 応じれば、返されることば。
「帰ってきたら……気持ちに整理がついたら」
「うん」

 云いかけて。どうしようか迷った。
 今の自分に云えることばかどうか、判らなかった。
 だから。

「まぁいいか」
 笑いに紛らせて、立ち上がる。
 不意の行動に目を白黒させているの手をとって、同じように立ち上がらせた。

「とりあえず、バカ兄貴には注意しとけ」

 …………なにを?




「うあぁ、冷えた冷えた〜」

 窓から部屋に戻ってみると、じんわりと、部屋のあたたかさが身体にしみこんでくる。
 けっこう冷えたんだなぁと他人事みたいに考えて、寝ているアメルをまず見やった。
 どんな夢を見ているんだろう。
 少し眉をひそめて、哀しそうな苦しそうな。

 だけど。
「……だいじょうぶだよ」

 自然と笑みが浮かんだ。

 だいじょうぶ。がんばるから。
 あなただけが、そんな悲しい思いをすること、ないから。

 そうして、苦笑い。
「……しっかし、……明日なんて云うべきかなぁ……」

 きっと、最初にロッカが気がついて。それからみんなが騒ぎ出す。
 それまでに、リューグのコトをどう話したものか、考えておかないと。

 ……でも。でもね。

 とりあえず寝るかと気を取り直したは、自分のベッドではなく、隣のアメルのベッドにもぐりこんだ。
 安心させるように彼女の手をにぎりしめて、ごそごそと身を寄せる。
 ちょっとだけ、アメルの表情が楽になったように見えて、はもういちど微笑んだ。

 とりあえず、ね。今はただ、寝ましょうか。

 夜道を歩いているだろう、リューグのことを考える。激励のことばをそっとつむぐ。
「がんばれ、リューグ……待ってるから」
 届くことはないだろうけど、そう、一度だけ、小さな声でつぶやいた。


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