TOP


第10夜 四
lll 知らぬ故郷を知る人 lll



 しばらく休んだ後、やっぱりケルマとミニスが気になって道場に帰った頃には、なんだかすでにすべては終わっていたらしかった。
「ミニスとケルマが悪口合戦してカザミネさんが惚れられた?????」
 かいつまんで説明してもらったはいいものの、どうにも理解不能な状況に、頭を悩ませる羽目に陥る
 どうやらカザミネとともに、決闘の立会人として彼女たちに同行していたらしいマグナとトリスが、それを見て実に複雑な笑みを見せる。
「……とりあえず、ケルマさんもしばらくはおとなしくしてるはずだよ」
「と、思う」
 実に不安充分な発言だが、それならそれで問題なし。

 ……だと思いたい。希望的観測だが。

 必死に自分を納得させようとしているの耳に、風に乗ってどこからともなく聞こえた声も……気のせいだと思いたい。希望的観測というか、現実逃避だが。

「カザミネさまぁぁぁ〜〜〜〜〜〜〜〜!」
「け、ケルマ殿、いいかげんにいたすでござる〜〜〜〜〜〜!!!」

 ……気のせい、気のせい。




 ――その夜。
 夜の潮風というのは、なにやら妙に物悲しい気分になってしまう感じ。
 昼間走り回って疲れていたのだけれど、眠るべきなのだけど、はふらふらと外に出て、庭に座り込んでいた。
 レルムの村で気がついてから、もう随分になるけれど、相変わらず記憶の欠片さえ戻ってこないコトを考えていたら、要らん不安が出来てしまったせいでもある。
 振り切ろうと、考えるまいとしているのだけど、一度考え出すとしばらくの間おさまってくれないのだ。このもやもやは。
「だいじょうぶだいじょうぶだいじょうぶ。うん、だいじょうぶ。絶対だいじょうぶ」
 呪文のように繰り返す。
 気休め程度だと自覚はあるけど、今は名前以外に、自分が自分である自信を持てる根拠はないから、気休めだとしても云わずにはいれない。

「だいじょう…………げほげほげへ」

 なおもつぶやいていると、急に空気の質が変わった。
 もとい、風に乗って流れてきたのは、空気ではなく煙。
「おお、すまんすまん。嬢ちゃんタバコはだめか」
 全然すまなくなさそうに、ちょっと離れた場所から声をかけられる。
「レナードさん……」
「ははは、どうにも眠れなくてなぁ。ちと気晴らしにな」
「タバコが気晴らし? あたしだったら絶対嫌ですー」
「ははははは、若い女の子ってのはみんなそんなか? 俺様の娘もタバコはイヤだとさ」
 笑いながらも、気を遣ってくれているのか、レナードはタバコを地面に押し付けて消すと、持参していたらしい空きカンに放り込む。
「娘さん、いらっしゃるんですか」
 そういえば、パッフェルがそんなことを云っていたような気もする。
「おうよ。おまえさんに負けないくらい可愛い娘だぜ」
「わぁ、自慢のお子さんなんですね……」
 逢ってみたいなぁ、そう云いかけてあわてて口を閉じた。
 だって、ネスティやマグナが云っていた。
 召喚された者は召喚した者しか元の世界に戻せないと。そして、レナードを召喚した術者は砦で――
「ん? どうした?」
 いきなり貝になったをどう思ったのか、レナードが覗き込んでくるけれど。とても顔が上げられない。
「はっはっは、もしかして俺様に気を遣ってんのか?」
 しばらくそうしていると、いきなり笑われた。
 不意の笑い声に、思わず顔を上げて見れば、レナードはニヒルな感じに口の端を持ち上げてた。
 が顔を上げたのがおかしいのだろうか、さらに笑みを深めると、今度は頭に手を置いてくる。
 ――ぐしゃぐしゃ。
 そんな擬音がピッタリないきおいで、たぶん、本人なでたつもりなんだろう。
 豪快な、でも、優しい手のひら。
「俺様の事情で、いい若いもんがふさぎこむんじゃねぇよ。な?」
「で、でも……」
 帰れないということは。
 逢えないということで。
 に似ているという可愛いこどもにも、大事な人生の伴侶にも。
 ……逢えないということで。

「だいじょうぶだ」

 さっきから何度も繰り返していたことばが降ってきて、はっとした。
「人間、生きてりゃなんとかなるもんさ。逆に云えば死んじまったらおしまいだがな」
 だが俺様はここにこうして生きているわけだ。あの胸くそ悪ィ砦の真っ只中を潜り抜けて。

 不敵に笑うレナードを見ているうちに、
「……」
 ふわりと、気持ちが軽くなった。
 虚勢なんかでなしに、彼がそう思ってるのだと判ったからだ。
「……あたしが慰められちゃいましたね」
「ははは、若者は大人に迷惑かけて、堂々とふんぞり返ってりゃいいんだよ」
「もー、そんなコトしませんっ」
 やっぱり口寂しくなったのか、新しいタバコを口に運んだレナードは、だけど火は付けないまま笑う。
 その笑みにつられて、も笑った。


 そうしてしばらくの間、ふたりは他愛もない会話で盛り上がっていたけれど、ふと、レナードが何かを思い出した表情になる。
「そういや、おまえさんの名前は、、とか云ったな?」
「あ、ハイそうです。もしかしたら知り合いの名前かも知れないんですけど、思い出した名前らしい名前がそれだから」
 アメルに最初に見てもらったとき、彼女が拾えた単語がそれだったらしい。
 感覚的にしっくりきたものだから自分の名前だと思ったし、それは今も変わらないのだけど。
 もしかして、友達の名前とかだったら間抜けだなぁ、と考える今日この頃。
「うーん、じゃあ、いや、確率は低いが……うぅむ」
 何か云いかけては止まるレナード。
「どうしたんです? レナードさん、あたしのコト知ってるんですか?」
 そんなわけ、ないけれど。だってこの人はは異世界の人で……

 ……ちょっと待て?

 ルヴァイドやイオスがこっちのコトを知ってる素振りだったから、は端的に、自分はココの世界出身だと思っていたのだが。
 ……ちょっと待て。
 現にカザミネのように、召喚されてきてこの世界で暮らしてる人もいたわけで。
 ……………………
 今さらながら――実に、今さらながら。 
 自分がこの世界の出身である保証とゆーものすらないコトに。今さらながらに気がつかされた。

 ……やば……ッ!
 たらり、背中を冷たい汗が伝った。

 そこらへんからすでにあいまいなのか、あたしの存在っていうのは。

 そうこうしてが悩んでいる間に、レナードは話す決心がついたらしい。
「うーん。いやな、俺様が、ステイツ……ユナイテッド・ステイツ・オブ・アメリカの刑事だってぇのは知ってるな?」
「……けーじ?」
「まぁ、色々だ。犯罪者をひっ捕まえたり、行方不明の人間の捜査をしたりな」
「ああ、騎士団みたいな?」
 王都で見かけた、ユエルのことを思い出しながら訊いた。
 あのとき出逢った肉屋のおじさんは、ユエルを犯罪者だから騎士団に突き出すと云っていたし。
 ……そういえば、ユエルどうしてるんだろ……
 いつか路地裏で見かけたのが気になって、街を歩くときには注意しているつもりなのだけど、あれ以来全然姿を見ないでいる。
「そんな立派なもんじゃあねえがな。で、だ。そういう仕事してる以上、他の国の同業者の話ってのも聞く機会があるんだが」
「レナードさんの国も、いくつかの国があるんですか?」
「おうとも。40以上はあるぜ。……そのうちのひとつの国の友人がいてな。そいつから、『カミカクシ』の話を聞いてたのを、今思い出したのさ」
 カミカクシ、っていうのは、まぁ、行方不明のことなんだがな。

 ――行方不明。
 もしが召喚されてココにきていたのだとしたら。
 当然、元いた世界では行方不明扱い、なのだろう。

、って云うんだよ。その話に出た、『カミカクシ』に遭ったっていう奴の名前も」

「――」

 開いた口がふさがらなかった。
 
 ……自分のなまえ。
「そうだな、ざっと5年以上前になるのかな?」
 友人を思いだしているのか、ふと空を見上げてレナードがつぶやいている。
 ――5年以上前。
 もしその子が自分だったら…………そのとき、たぶん、10歳くらい?
 ――10歳。……たんじょうび……?

「……ッ」
「おい、どうした?」

 指先に、それはかすかに触れた。
 その記憶の引き出しを、こじ開けようとした瞬間――云い知れぬ頭痛に襲われる。
 うめいて、頭を抱えた。
「あたま、いたい」
 我侭なこどものように、単語だけで自分の状態を説明する。
「何か心当たりでも思い出したのか?」
「……ううん」
 思い出せない。思い出そうとすると、何か大きな壁が邪魔をしてるみたいで。
 そう――鍵を、かけられたような。
 符合する鍵を見つけない限り、ここから先には進めないんだと。阻まれているような。
「まぁ、そう焦るな」
 なおも頭を押さえていると、また、髪をぐしゃぐしゃにされる。
 優しい手。暖かい手。
 まるで自分のこどもに対するような、大きな――不器用な優しさ。
 ――知っている気がするのに。この感覚を。
 ずぅっとずぅっと……遠い昔にこうしてなでてくれた人がいたはずなのに。

 おとうさん? おかあさん?
 ……知らない。
 いるだろうと思う。父親と母親がいて、初めて人は生を受けるのだから。

 でも……知らない。
 あたしは、あたしを生み出してくれた人たちを――知らない。

「レナードさん……」
 すがりつくように、見上げた。もしかしたら同じ故郷をその心に抱いているのかもしれない、異邦人の男性を。
「その、国は――なんて云う国なんですか?」

 あたしのことは判らなくても。もしかしたら。

 同じ名前だと云うことを、偶然ですませたくなかった。
 もしかしたら、ひょっとして、たぶん、きっと。自分のコトなんて、どうせ全部そんな曖昧なんだから。
 予想材料に。ひとつくらい、増えたって良いと思った。

 レナードは、やっと顔を上げたを、また、なでる。
 そうして教えてくれた。その国の名前を。

「ジャパン――いや、あっちの云い方だと、『ニホン』か?」

 ――カチリ。
 符号。小さな小さな、記憶の符号。
 まるでパズルのピースがはまったよう。

「……『日本』……」

 あまりにも、それは小さすぎて。が、自覚するまでにはいたらなかったけれど。
 ふわり。心が浮き立つ。
 どうしてか、とても安心できたような。そんな感覚。

 表情の明るくなったを見て、それからふと月の位置を確かめて。レナードが立ち上がる。
「ほれほれ、もうこんな時間だぜ。ちったぁ眠くなったろ? 明日は体力事なんだからもう寝るぞ」
「はいっ!」
 ぱたぱたと、小走りに。
 知らない同郷の、レナードを追いかけた。
 知らないけど。まだ何も判らないけど。


 ――ありがとうございます。


←第10夜 参  - TOP -  第10夜 伍→