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第10夜 参
lll 今は、そう信じてた lll



 思わず足を止めた三人を、声はさらに射抜く。

「そう、あなたたちですわ! あのチビジャリと一緒にゼラムにいましたわねっ!?」

「……この声は……」
 振り返れば、やっぱり予想通り。
 金の髪に、胸元の空いた服。でっかいガントレットが相変わらず健在の年……禁句だ。
 ケルマ・ウォーデン。
 ゼラムにいたころ、ミニスのペンダントをつけ狙っていた金の派閥の召喚師。
 初対面のレシィはきょとんとしているが、ケルマは自己紹介するつもりはないらしい。
「あ、ケルマさん、おひさしぶりです」
 とりあえず、は笑顔でとぼけてみることにした。
「あら、いいえ、お構いなく――」、
 わりとノリのいいらしいケルマ、とたんに淑女風の素振りをつくってそう答えかけ、
「違いますわッ!!」
 口元に持っていきかけた手を横に一閃、そう叫ぶ。
 その変貌っぷりに、レシィが身を震わせた。
 そして、ケルマはやっぱりそんなの知ったことじゃない様子で、左手のガントレットも雄々しくたちに詰め寄ってくる。
「あなたたちがいると云うことは、やっぱりあの小娘もこの街にいるんですわねっ!?」
「は? はぁ、まぁ」
 返事がうやむやになってしまうのも、ケルマの気迫に飲まれたせいである。
「うふふ……今日こそ! 今日こそ決着をつけてさしあげますわよ! ミニス・マーン!!」
「――あ」

 礼ぐらい云ってから走り去ってください、貴族の当主様。

「……じゃなくてっ!! またミニスちゃん狙いですかケルマさ――――ん!?」

 たちも走り出した。ただし、レシィだけは何がなんだか判らない表情で。


 出てきたときには、ミニスはまだ道場にいたはずだったと記憶をたどる。
 走りぬける道にいた人々が呆然としていたのは、先にあのケルマが通り抜けたせいだろう。
 誰ともなしに『金の派閥の……』『ウォーデン家』『……増』とささやいていたのが聞き取れて、はこんな場合だというのに頭を抱えたくなった。
 というか、ケルマはそもそもミニスの居場所を知っているのだろうか。
 この街にきているのを確信していたくらいだから、知っていても不思議はないのだろうけど……
 考えてみたら金の派閥の本部があるのだし、情報が流れている可能性もある。

 ミニスとケルマが再会すれば、また騒ぎが起こるだろう。
 旅立ちを控えている身としては、あまり歓迎したくない出来事であったので、出来ればケルマが道場に着く前に押さえたかった。
 けれど、

「……って。待って、

「アメルっ!?」

 病み上がりのアメルが、とうとう息を切らして座りこんだ。
 彼女の体調のことを忘れていた自分に嫌悪を感じながら、も足を止める。
 どうしようかと自分を見上げているレシィに向けて、
「ミニスちゃんとケルマさんのこと、頼んでいい?」
 真摯な表情で、告げた。
 こっくり、うなずくレシィ。
 いつものようにおびえるかと思っていたけれど、メトラルの少年はすぐさま、道場に向けて走っていった。

 ……まぁ、レシィが行ったところで何の解決になるのかという疑問はあるが。ごめんレシィ。君に彼女らが止められるとは思えないんだけど、期待してないわけじゃあないから!

 アメルの息が落ち着くのを待つ間、は、近くの屋台で飲み物を買った。もちろん、二人分。
 一度モーリンと街を見ているときに買ってもらったことのある、甘くてさっぱりして後味も良い、フルーツのジュース。
 往来の邪魔にならないように、道の端のひっこんだところに設置してあるベンチに腰かけて、まず一口。
 そうしてアメルが、申し訳なさそうにを見た。
「ごめんなさい……あたしが足引っ張って」
「うぅん。アメルの体調考えてなかった、あたしが莫迦だった」
 まだ顔の火照っているアメルの背を、そっとなでる。
 常よりも早い鼓動が手のひらに伝わって、ほんとうに申し訳なくなった。

 いつもこう。
 何かひとつのことが気になると、自分は他のことを放り出してしまう。
 あの炎の夜も。
 湿原に出かけたときも。
 スルゼン砦のことも。
 心を占める大きなことが一つ出来ると、それしか見えなくなってしまう。
 皆が心配してくれているのは判るのに、忘れてそのまま動いてしまう。
 そうして心を痛めさせてしまうのを、申し訳なく感じてしまうのに、こりもせず繰り返してる。
 ……今も。
 記憶をなくす前の自分もこんなだったとしたら、さぞや周りの人たちに迷惑をかけていたに違いない。

 重症ではないけれど、それなりの自己嫌悪に沈み込みかけるの耳に、ぽつりとアメルの声が届いた。
「……いつもそう」
 それは、の心と同じことば。
「え?」
 声の方を振り返るけど、アメルはを見ていなかった。
 両手でジュースの容器を包み込み、視線は真っ直ぐ、目の前の道に向けて。でも何を見ているのか判らない。

「あたしはいつも守られてばっかり……」

 強くなろうと決めたのに、いつまでも守られてばかり。迷惑かけてばかり。

「湿原で、がくれた気持ちが嬉しかった。リューグやロッカが一生懸命に稽古してるのを見てた。……強くなろうって思えた」

 だけど。

「結局あたしは、何も変わってないのかもしれない……」
「そんなことないよっ!」

 隣に座っていた少女の大きな声に、アメルはびっくりしたけれど。声を出したも、自分の声の大きさに驚いているようだった。
 それから、昂った気持ちを恥ずかしく思ったのか、身体を縮めて座りなおしてる。
 それからは、つつっ、とアメルに身を寄せてきた。
 先ほどとは正反対に、気を抜いたら聞き逃してしまいそうなで、
「アメルは強いよ?」
 たった一言、そう、云ってくれた。
「――――」
 ほんとうにそう思ってくれているのが判ったから、よけいに哀しい。
「だって、あたし……」
 力もない。なにかの状況を切り抜けるだけの経験も足りない。
 あるのはこの、聖女としての力だけ。
 そうして敵は、それこそを、狙っているというのに。

 だけど、それを云っても。は笑って。

「そう思うってことは、アメルは弱いままでいたくないんでしょう? 強くなろうって思ってるでしょ?」

 だったらアメルは弱くなんかない。
 先に進むことを望めるのは、強さの証拠。
「ほんとうに弱い人だったら、守られる状態から抜け出したくないって思うはずだもん」
 強くなろうと願うのは、弱いままの自分を見つめることができる証。

 だから、アメルはきっと強い人。あたしが保証する。

 あたしなんかの保証じゃ逆に不安増大って感じかなー、と。とぼけて笑う、に抱きついた。
 驚いているのも気にしないで、ぎゅぅっと抱きついた。
「あのね」
 胸にわだかまる不安や不満。
 彼らが好きだから、表に出せなかった嫌な気持ち。
 今なら云える気がして。なら聞いてくれそうに思えて。
「あたし、怖い……」
 不意に宿った聖女の力もそうだけれど、何故それを狙われるかと考えることが。
 そうしてそのために、大切な人たちが傷ついてしまうのが。
 何より、これから進む先のことを思うときが。
 それに、今、いちばんの不安は。
 これから向かおうとしている、アグラバインが話してくれた、アメルの祖母の住むという村のこと。
 逢ったことなどない孫を、果たして受け入れてくれるのか。
 いきなり行って、迷惑に思われないだろうか。

 そこまで話したとき、それまで黙って抱き返していてくれていたが、腕の力を緩めたことにびくりとする。
 けれど、すぐに、それは消えた。
 頭を優しくなでてくれる、その手の感触に安らいだ。
「……だいじょうぶ」
 顔をあげれば、にっこり笑うの顔。
 安心してしまう……笑顔。
「アグラおじいさんとは事情があって暮らせなかったかもしれないけど、アメルにとってたったひとりのお祖母さん。でしょ?」
 こくり。頷く。
「逢いたいって、思ってたんでしょ?」
 こくり。
「……だいじょうぶ」
 繰り返される、のことば。優しく心に染みとおる。
「お祖母さんだってきっとそうだよ。たったひとりの孫だもん。逢いたいって思ってくれてるよ」

 だから、逢いに行こう。
 アメルの元気な笑顔を、お祖母さんに見せてあげに行こう。

 微笑む
 記憶をなくして、家族さえもいるかどうか判らないのに、自分を元気付けようと笑って答えてくれる
 ……なんて幸せなんだろう。あたしは。
 思ってくれる人がいる。不安なときには力づけてくれる人がいる。
……」
「何?」
 だけじゃない。リューグもロッカも。
 トリスやマグナ、フォルテにケイナ、それに護衛獣のこどもたち。モーリンやカザミネ、レナードも。
 みんながいる。ひとりじゃない。
 だから、
「うん……だいじょうぶ、ですよね」
 きょとんとした表情をしただったけれど、そのアメルのことばを聞いたとき、満面の笑みを返してくれた。
「うん! きっとね!」

 うん。だいじょうぶ。

 そう思う先の道を、まだ彼女は知らないけれど。今は。――今だけは、そう信じて。


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