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第9夜 四
lll ふたつの光 lll



「……お見事です」
 にっこりと、微笑んで、パッフェルが告げた。
 水溜りに突っ込んだ足が、じんわりと体温を失っていくのを感じながら、それでもは動かない。
 いや、動けない。
 パッフェルの放つ殺気は本物だと、身体が感じている。
 寸たりとも動くなら、その瞬間にこの人は自分に向かってくる。
 ――何故?
 どうしてこの人は、あたしにかかってくるの?
 何故?
 どうしてあたしは、こんなふうに戦えるの?
 戦いの経験がないのだと、いつか双子に告げたことは間違いじゃない。
 間違いではないけれど――それは、もしかして。
 経験でなく、記憶?
 これまで。記憶をなくしてから、これまで。
 まともに武器を握って戦ったコトは? なかった。――うん、なかった。出来るかどうかも、あたしは、知らないままなんだ。

 護身用に持たされていた、腰の短剣の重みを、そこで思い出す。自然と、それに手をかけた。
 動作に気づいたパッフェルが、にっこりと微笑む。
「それで宜しいんです」
「……?」

 見せていただけますね?

「参ります!」
 先刻の動きもまだ加減していたのだろうか、パッフェルが比にならないスピードで突っ込んでくる。
 避ける? だめだ――浮かんだ選択を、すぐさま否定。だって、避けきれるような速度じゃない!
 ならば、

 ――迎え撃つ!

 決断は一瞬行動は刹那。そうして世界がそれに応じる。



「……聞かせて、ください」
「はい?」
 短剣を喉元に突きつけられて、は云った。
 糸のような光をからめさせた自分の手を、視界の端にとらえながら。そして、その手に握られた短剣にも、やはり、光。
 パッフェルの眉間で寸止めしていたそれを、慎重に下ろしながら、問う。
 さっきまでの殺気もなんのその、パッフェルはにこやかに、に応じた。
「あなたも、あたしを知ってるんですか?」
「ええ」
「あたしがなんでこんなことが出来るのかも?」
 云って、手を示す。短剣に視線を送る。
 まとわりついているのは、糸のような光だった。か細く、だけども掠れて消えることもなく、淡く輝くひかり。
 それはが攻撃に転じる瞬間、どこからともなく現れて彼女の手に、握った剣にまといついた。
 光のかすった石畳に、亀裂が入るのを横目で見ながら、はパッフェルから視線をそらさない。
「……いいえ」
「ほんとうに?」
「ええ、ほんとうに」
「そうですか……」
 それ以上を訊くつもりはなかったから、口を閉じた。
 第一、それくらいなら、あの日。すべてが燃えたあの夜に連れて行かれたあの場所で、彼らにきっと尋ねていたし。

 ルヴァイドとイオスの表情を思い出す。
 ゼルフィルドの姿を思い出す。

 云わないでくれたのは、彼らなりの思い故だろう。
 それを、無駄にはしたくなかった。
 の考えを読んだわけでもないのだろうが、パッフェルもそれ以上話そうとはしない。けれど、謝罪をするでもなしに、口を閉ざす。
 奇妙な沈黙が、しばしの間、舞い下りた。

 閉ざした唇の奥で、パッフェルは、小さくつぶやいた。
 やはり、幻ではなかったのですね。
 ――ひかり。
 あの夜も同じように、自分を切り裂こうとしたひかり。
 改めて目の当たりにしてしまえば、それに対して、畏怖と同時に云い知れない感情も覚えていることに気づいた。
 ――失っていないんですね。あの夜の輝き。
 ――失われていないんですね。操り得る手。
 口には出さずに語りかける。
 記憶をなくして、それでもなお。ひかりを。
 ならば、あなたは、あの夜のあなたのままなのでしょう。
 私が見たあの夜のあなたは、あなたの一部分に過ぎなかった。
 春を思わせる今の在り様も、あの夜、闇さえも従えかねそうな強い光を抱いていた在り様も。きっと。
 全部があなた。あなたの本質は変わっていない。

「いくつか、お教えしましょうか」

 いくつかの条件と引き換えに、ですけれど。
 ことさらにゆっくりと、パッフェルは告げた。
「条件?」
 用心深くならなければならない相手だと認識されたのか、はすぐに食いつくことはせず、後半のことばの方に反応を示す。
「ええ」
 短剣は、とっくに鞘に収めて隠し場所にしまいこんだ。
 肩をすくめ、両手を広げて、パッフェルは告げる。
 本来この砦に潜り込んでいたのは、デグレアがトライドラを侵略すると云う噂の是非を探るためだった。
 それが、こんな状態になってしまったけれど、それはそれでパッフェルの報告すべきことはいくらでもある。
 そのいくつかを、いくつかの条件と引き換えに告げようというのだ。
 何故そうしようと思ったのか判らない。
 強いて云うなら、ただの気まぐれ。いや、無条件の好意。
 ……だって、見せてくれたから。懐かしいどこかを思わせる、輝きを。
「まず、私がこんな危ないメイドさんだってことは秘密になさっていただけますか? この場で起こったことも」
「……いいよ」
「そのひかりのことも、しばらく内緒にしていただけますか?」
「説明できないコトは、ほったらかしとく主義……だと思うから。うん」

 いいのかそれで。

 ともあれは、条件を飲んだ。
 これまで見ている間に、この少女は交わした約束は守る人間だとパッフェルは知っている。
 ……守っているつもりで守っていないパターンは、この際おいておこう。
 不意打ちで飛び出されて、目を丸くしていた彼女の仲間を、ふと思いだす。
 こんな性格なのだから、周りはそうとう苦労していそうだ。

「では……」
 そう切り出して、パッフェルはいくつかの手札をにさらすことにした。

 砦の外に倒れていた旅人の死体を埋葬していた途中、突然それが生き返ったこと。
 暴れだしたソレに殺された者も、同じように生ける屍になったこと。
 瞬く間に死体が死体を増やし、あっという間に砦は壊滅したこと。
 それを成す術を俗に『憑依召喚術』と云い、派閥などからは忌み嫌われている邪術であること――

 奇しくもそれは、トリスたちが遭遇した男の話したことと、ほぼ同じ内容だった。


 聞いているうちに、まるで胸やけのような感覚がを襲う。
 死者を冒涜する。
 そんな術、忌み嫌われて当然だと思う。
 誰だって静かに眠っていたいだろうに。生きるということを終えたら、いつか魂が輪廻に戻るまでは、眠っていたいのだろうに。
 それを――
「そんなの…………」
 許せない、と、そうつぶやこうとしたとき。

 ガァンガァンガァァン!!!

 銃声が――どこか遠くから、連続して鳴り響いた。
「っ!?」
「戦いが、始まったようですね……」
 眼光も鋭く、パッフェルがつぶやいた。
 すぃ、と身体をかしがせると、彼女は一蹴りで宙に舞い、離れた城壁の一角へとその身を運ぶ。
「パッフェルさん!」
 名を叫ぶに、パッフェルは一度だけ微笑んで見せて。
「お約束、お守りくださいますようお願いいたしますね」
 そのまま、姿を消した。
 ――皆様のところに戻られるのでしたら、なるべく目立たないよう、細い道をお行きください。死者がまた、蠢きだしていますから
 彼女にとって、せめてもの心遣いだったのだろうか。そんな、ひとことを残して。


 そしては混乱していた。

 あぁ、もう。もうっ、もうったらもうっ!!!
 いきなりパッフェルさんには攻撃されるし、対抗しようとしたらわけのわからない光は出てくるし、おまけに死人を操る術ですか!?
 そんないきなりいっぺんに起こっても、あたしの頭は追いつかないんだーっ!!

 心のなかで、さんざん、さんざんわめきながらも、は銃声のしたほうへ――もとい、皆を置いてきた場所を目指して疾走する。



「タイムアウトだぜ」

 死者を操っていたガレアノという男を追い詰めて、先ほど戻ってくるトリスたちと共に加勢にきた、レナードが告げる。
 いきなり起き上がって襲いかかってきた死者たちは、操っている本人がおさえられたせいか、それ以上の動きを見せないでいた。
 そのことに安心しながらも、リューグは不安なままだ。
 
 あのバカ、なんで周りの声も聞こえないで、とっとと走っていっちまうんだよ?
 戻ってきたトリスたちが、見失ったと告げたときには、入れ替わりに自分が探しに出ようと思ったが、そのときすでに死者に囲まれていたため、それはかなわなかった。
 その代わり、その分、焦りがつのる。

 何してる、
 早く……早く戻って来い。

 まさか――と、嫌な考えがよぎるが、頭を振って振り払った。
「カッカッカ……」
 リューグの不安を見透かすように、男が――ガレアノが笑う。
 異常なほどに蒼白い顔をした、痩躯の召喚師。この場にいきなり現れた、意志を持って動く三人目。
「この程度で我が魔力が尽きたとでも思ったか!」
「なっ!?」
 驚愕の声を、誰かが発した。
 ガレアノが、何かをつぶやく。禍々しいことばの群れ――呪文。
 そうして、むくり。またひとつ、むくり。起き上がる。今まで崩れ落ちていた死体たちがまた、動き出した。

「カーッカッカッカ!!! おまえたちも屍人となり、ワシの手ゴマになれッ!!」

 ――畜生!!
 罵声を押し殺し、再び戦いに身を投じるべく、リューグは斧を握る手に力をこめた。


 聞こえる。
 声が聞こえる。
 泣いている。眠っていたいと泣いている。

 哀しい。いたい。つらい。苦しい。
 眠らせて、眠らせて。ワタシの身体を使わないで。

「だめ……」

 屍人使いと名乗ったガレアノを。彼に操られる死者たちを。見つづけるアメルの瞳に、涙が浮かぶ。
 だめ。
 これ以上この人たちを苦しませないで。
 眠らせてあげて。
 声が聞こえる。
 嘆き続ける死者の声。死してなお、第三者にいいように身体を操られている、死者の悲痛な叫び。
「だめ…………っ」
 こんなことに聖女の力を使ったことはない。
 これまではこんなに強く、この力を欲したことはない。
 だけど。
 だけど今だけは。
 判るの。この力は、あなたたちを眠らせてあげられるちからだって――
 判るの。このままじゃ、
「駄目……!!」
 だいじょうぶ。
 そう、声が聞こえた。耳でなくこの心に、たしかに。


 声が聞こえた。嘆く声と、癒す声。
 出来るのかと震える声。
 だから、知らぬうちに告げていた。

 だいじょうぶ。

 だいじょうぶだから、と。
 そう、さっきこぶしにひかりをまといつかせたときと。いつかの大平原でひかりをこの手に抱いたときと。同じ感覚を覚えながら。
 つぶやいていた、知らず。

 ……だいじょうぶ。

 そして、ぱちりとまたたきひとつ。
「光……!?」
 進行方向に光を発見して、は走る勢いをあげた。


 光が満ちる。その空間に。

「アメルっ……!?」
 急にその身に光をまとい、身体を重力の支配から解き放った少女を、全員が驚愕とともに振り返った。
 光を浴びた死者たちが、ひとり、またひとりと崩折れる。
 刃で倒されたときのように身体が残ることはなく、それはすべて砕け散る。
 土に。還るとでもいうのか。

「ぐああああああぁぁぁぁぁぁ!!!」

 光を浴びたガレアノが、苦悶の響きとともに身悶える。
 マグナたちには何の影響もないその光は、まるで咎人を裁くような凄烈さで以って、ガレアノを照らし出している。
 裁いているとでもいうのか。このひかりが、あの男を。
「こ、この力っ……! やはりそこの娘はあの方の求める……!!」
 それでもなお。
 光輝をまとって浮かぶアメルに、何を感じたというのか。
 苦悶の表情をさらしつつも、ガレアノはアメルを捕らえようと手を伸ばし――

「みんなっ!!」

 声が聞こえた。
 の声。

 全員が――アメルも、そしてガレアノも、いっせいにそちらを振り仰いだ。
 そしてレナードは、その隙を見逃さなかった。

「くたばりやがれっ、この外道がッ!!」

 ガアアァァァァン……!!
「ぐおぉぉぉぉ!?」
 銃弾の威力に貫かれ、ガレアノの身体は遥か下の大地に叩き付けられるべく、宙を飛び――

 城壁の上には、ぜぇぜぇと息をきらせたが、たたずんでいたのだった。



 手向けとして、土くれとなった死者達を、彼らは砦の傍に埋葬した。
 その折、皆が戦っていたというガレアノという屍人使いの遺体も捜したのだが見つからず、それが不安に拍車をかける。
 だが、当面に迫る危機はなく――なにより、アメルが倒れてしまったこともあり、ひとまずはファナンに戻ることで話はついた。
 ……ひと悶着、あったけれど。

 はいい加減疲れた喉を振り絞って、困ったように紫煙をくゆらせている男性をビシッと指差した。
「だから!! あたしとこの人がぱっと下りて見てくる! それで話は早いでしょう!?」
「だから!! 俺も行くって云ってるだろうが!!」
 がなると同じ接続詞を使って、に食いつくリューグ。
 城壁から、遥か崖の下へと転げ落ちた、ガレアノと名乗った召喚師。砦をこんなふうにした、張本人。
 状況が状況だ、絶命していると考えるのが妥当だったけれど、それでもかすかな不安は消えずに、は自ら捜索に名乗りを上げた。
 だが、
「リューグはアメルをみてやっててっば!」
「じゃあおまえもここに残れッ!」
「あたしが云いだしっぺなんだからあたしが行かなくてどうするのっ!」
「だったら俺も行く!」
「だぁかぁらぁ!!」
 これだ。この盛大な妨害工作。
「ははは。まったく……リューグ、いい加減にしろ」
「いてッ!?」
 ――ロッカが笑いながらリューグをどついて止めてくれなければ、どれくらい云い争っていたか判らない。
 鳩尾をおさえて悶える弟を一瞥し、ロッカは朗らかな笑顔のまま、に向き直った。
「リューグも心配なんですよ。自分が拾ったからって」
「あたしは犬猫か」
「よけいなこと云ってるんじゃねぇ、バカ兄貴!!」
 とたんにそれかけた会話に、周りの数人が脱力していた。
 もっとも、そのスキをついたが、半ば逃亡のようにレナードの手を引き崖の下に向かったときには、さすがのロッカもあわてた様子でこちらの名を呼んでいたけど。

 手早くあたりを調べたものの、前述のとおりガレアノの死体はなかった。
 それを報告して、改めて、一同はファナンへの帰途についたのだ。


 男性陣が交代でアメルをおぶりつつ、疲労を隠せない帰り道になった。
 はリューグと云い争ったときの勢いを完全に引っ込ませて、妙に気まずく、身体を小さくちぢこませていた。
 それは当然だろう。
 なにせ思い返して見れば、一時の感情で場を離れ、さんざん他の仲間に心配をかけたのだから。
 特に、昨日の今日で約束を破られた形になったトリスとマグナなぞ、実はさっきから口も利いてくれない。
「……えっと。トリス、マグナ」
「心配した」
「すごくすごく心配した」
 返答より先に、すぱっ、と投げられる棒読みの声。
「うっ……」
「おまけに自分から崖の下に行くとか云って。全然こりてないし」
「ううぅっ……」
 救いを求めて、すぐ横を歩いているネスティやレルム村の双子に視線を送るが、彼らも彼らで呆れているのか怒っているのか反応なし。
 最後の頼みの綱である護衛獣は、主人の怒りには逆らえないのか、しれっと目をそらすし。
 ――いや、どこぞの羽と尻尾の生えた悪魔くんは楽しそうだけど。

 ……だけど。
 皆から離れていた間、何をしていたのかとの問いへの解答は、疑われずに済んだと思う。
 結局パッフェルは見つからず、帰り道も判らなくて砦をさまよっていたら、銃声がしたので駆けつけた――
 なりゆきとはいえ、自分はちゃんと彼女と約束したのだから、それは守らねばと思ったのだ。
 だから。
 反対に約束を破ってしまった、トリスとマグナに対しては、とてもとても後ろめたい、わけで。
「ごめんなさい」
 だから、謝るしかない。
 ふたりに聞こえるように、何度でも。謝るしかなくて。
「崖の下騒動はともかくだけど、勝手に動いたのだけは、ごめん」
 ちらり、とリューグがこちらを複雑な表情で見る。彼に対してすまないという気持ちだって、当然ある。
 けれど、まず約束してたのは、マグナとトリスだったのだから、
「ごめん……っ」

 ふわり。

 不意に、頭に何かがかぶせられた。
 夜の闇でもよく判る――暗い赤い色のそれは、ネスティのマントの色だ。
 マントをの頭にかぶせて、その上から彼女の頭に手を乗せて。ネスティが、弟弟子と妹弟子に告げる。
「いいかげんにしろ。だって、こうして反省しているだろう」
 そのことばに、ふたりが振り返る。表情は険しい。
「だって、ほんとに心配したんだぜ? はひとりで行っちゃったし、」
「死人たちは動き出すし! ひとりでだいじょうぶかって、」

 すごくすごくっ、心配したんだから!!

 怒った口調。強い声音。
 だけどこめられているのは、とてもと優しい気持ちだった。

 だから、
「―――マグナ。トリス」
 笑えたのだと、思う。
 だから云えたのだと思う。
「ほんとうに、ごめんねっ……」
 それから、
「ありがとう」
 深々と下げたの頭に、ぽんぽん、と、二人分の手がおかれた。
「反省した?」
「した」
「うん、じゃあ仲直りね!」

 そんなふうに、やっと仲直りした3人を見て、ネスティが小さくため息をついた。

 と、リューグとロッカがをネスティのマントから引きずり出す。
さん、僕たちにも」
「約束してもらおうか」
「え、えっ?」
 両側から色違いの双子に迫られて、
「人が止めてんのを押し切って逃げ出すような真似、二度とするんじゃねえ」
「わりと大きい声で呼んでたんですから、聞く余裕くらい残しておいてください」
「え――え、えっと……」
 ほっとしたのもつかの間、また冷や汗だらだらの

 結局、今度がそれぞれに何かをおごるということで話がついたのは、まぁ、平和的解決だったといえるのかいえないのか。

 ていうか、お金って、野盗とかが襲ってきたのを返り討ちにして、お役所からもらった報奨金を、みんなと分けてるからおごるもなにも……?
 いやいや、そのへんは気持ちの問題で。


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