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第9夜 弐
lll 雨の中辿り着いた先 lll



 しばらくはそのまま、他愛のない会話が続く道中だった。
 黒の旅団が活動を開始した理由というのが、先刻のレイムのことばで説明されると云われてそうかと思ったり、
 フォルテが当のトライドラで剣を習ったという、驚きの事実が発覚したり。
「騎士の家かもって……そうは見えないよね」
「見えないわよねぇ」
「たしかに俺は一介の冒険者だがよ……おまえらそこまでしみじみ云うかッ!?」
 なんてのんきな一幕もあったり、したのだけれど。


 どざー。
 ザァザァザァザァザァ…………

「あははは。盛大に降りますねー」
「笑ってる場合か!」

 ザァザァザァ……
 バタバタバタバタバタ…………

 いきなり降りだした、叩きつけるような雨の音に足音さえもかき消されながら、たちは走っていた。
 もう、さっきまでのゆったりした歩みなぞ欠片も残ってない。
 小雨程度なら、マントやら何やらで防げたのかもしれないが、今の雨は、まるでバケツをひっくり返したような土砂降りだ。
「ううっ、このままじゃカゼひいちゃう〜」
 最年少のミニスが真っ先に音を上げた。
 見ればもう、頭からつま先までびしょぬれ。
 それは他の全員も似たようなものだが、体力のない分影響が大きいのかもしれない。
 唇など、すでに紫色。
「さすがにキツイな、この降りじゃあ」
 めったなことでは弱音など吐かないリューグも、いい加減うんざりしているようだ。
 けれど、あいにくゼラムの近くでなら見かけられた街道沿いの休憩所も、影ひとつだって見当たらない。
 ファナンに戻ろうにも、もうずいぶんと離れている。
 さてどうしたものかと話していると、ふっとケイナが一方を指差した。

「ねえ、あれ。向こうに見えるのって建物じゃないかしら?」

 さすが弓使い。視力抜群。
 いつぞや夜逃げのときも、夜目が利く上に地獄耳、なんてフォルテに云われて(その後どついて)いたくらいだし。
「そういえば、トライドラの砦のひとつが、このあたりにあったな」
 聖王国周辺の地図は頭に叩き込んでいるらしいネスティが、手をかざしてケイナの指した方を見ながら頷く。
「じゃあ、あそこで雨宿りさせてもらお!!」
 トリスのことばに反対する者はなく、いったん足を止めた一行は、くるりと方向転換してまた全力疾走を開始した。



 ほどなくして目的地に辿り着いた頃には、全員びしょぬれだった。
 予想していたことでは、あったが。
「ううぅ、服がべたべたするよ気持ち悪いよー」
 門の、少し屋根になったところに入り込んで、一同、ほっと息をつく。おかげでこれ以上濡れることだけはないものの、あいにくこれまで濡れた分がある。
「荷物は濡れてないよね? 着替えちゃわない?」
 耐水性の荷袋でよかった、としみじみ思いながらは云った。
「そーそー、それがいい。ぜひ、そうしたまえ!」
「云っとくけど、こっち見たら容赦なくぶっとばすわよ?」

 やっぱりケイナ姐さん強し。


 当然、男性陣は回れ右。
 そしてフォルテは悩んでいた。
 今、たった今。
 現在進行形で繰り広げられているめくるめく楽園を手に入れるか、はたまた自分の命を大事にするか。
「俺は一生に一度の難問にぶつかっている……」
 しごく真面目な顔で悩んでいると、
「…………フォルテ」
 にーっこり。
 いつもにこにこしているマグナが、いつも以上にニコニコして、がっしとフォルテの腕をつかむ。
「まぁ、当然だな」
 仏頂面のリューグが、反対側の腕をつかむ。
「そういうことですから」
 怖くて顔は見れないが、首を動かせないように押さえ込んできたのはロッカだと判った。
 3人とも、なんだか怖いくらいに気合が入っている。
「おまえら……男のロマンってもんが判らねぇのか!?」

 情けない、情けないぞ俺は!!
 今背後に展開されているパラダイスを!
 おまえらはなんとも思わないのか!!??

 拳握って、首動かせないもんだからどことも知れぬ虚空を見つめて雄叫ぶフォルテに返された反応は、
「それより命が惜しい」
 という、生物としてしごく当然の本能だった。

「……てめーら……ッ」

 同士(と勝手に認めている)の非情な反応に、思わず涙するフォルテ。
 だが、
「うぅむ、たしかに男の浪漫ではござるが」
 いかにもなしかめっつらをして、ぽつりとつぶやいた男がいる。
 それは、少し離れた場所でやはり女性陣に背を向けて立っていた、見た目ストイックなシルターンの剣客。
「カザミネの旦那! そうか判ってくれたか!!!」
 心の同士を発見したよろこびに、フォルテの胸に大きな歓喜が訪れる。
 だがしかし。
 彼は肝心なことを忘れていた。
 着替えている女性たちのすぐ傍で、こんなふうに騒いでいれば、いかに雨音が大きかろうと、聞こえないわけがないのだ。
 つまり。

「アンタはーッ!!!」 
「うわああぁぁぁ、待て待て待て、話せば判る!!!」
「問答無用!!」

「……まぁ、目に見えてた結末よね」
「トリス? もう着替えたのか?」
「もういいよ、兄さん」
「ミニスちゃん、もう寒くない?」
「大丈夫、もう平気よ」

 そんな平和な会話を背景に、フォルテとケイナの繰り広げる攻防戦を、は笑いながら生ぬるく暖かく、見守っていたのだった。


 そうして、最初にそれに気がついたのは誰だっただろう。
 誰ともなく、あたりを見渡し始めていた。
 なんだろう。妙な違和感。
 なんだろう。この感覚。

 なんだろう――静かすぎる……?

 考えて。そうなんだ、と思った。
 静か過ぎるんだ。人の話し声がしない。生活の音がしない。砦というからには、人が大勢いるはずなのに。
 聞こえるのは雨の音。自分たちの会話。ただそれだけ。
「……おい、なんか変だぞ」
 ぽつり、リューグがつぶやく。声音に緊張感。
 それが伝わったのか、もともと違和感を感じていたのか、ネスティも硬い声で。
「人の気配がしない……それに、雨だと云っても入り口の見張りくらいはしてしかるべきなのに……」
 そうだ。
 ここを訪れたときから、自分たちは、自分たち以外の人間に、逢っていない。
 それが最初の違和感だった。
 じわり、雨のせいではない寒気。嫌な予感?
「そうだよなぁ……ってうわっ!?」
「マグナ!?」
 門にもたれかかろうとしたマグナが、足をすべらせて転びかける。
 あわてて手で支えて立とうとしていたが、門が内側に開いてしまったため、そのまま、背中から地面に激突。

 ばっしゃーん。盛大な水音。

 その行動に、笑おうとして気がついた。
 開いた? 門が?
 普段なら真っ先に指差して笑うはずのフォルテも、笑っていない。それどころか厳しい表情。
「門に鍵がかかっていない? バカなっ……」
 門番がいないことも信じられないが、仮にこれで正しいのだとしても。鍵さえもかけないなど無用心すぎる。
 それくらい、記憶喪失中のだって想像がつく。
「……それどころじゃないぜ」
 突っ伏してしまったマグナを乗り越えて、さっさと中に入ったフォルテが、血の気の引いた顔でたちを振り返った。

 ――死体だ。
 見た瞬間、何故か真っ先にそう思った。
 あちこちに。
 門を入ったすぐ右に、正面の井戸の傍に、左手の奥に、建物の前に。
 あちこちに。
 水溜りが赤く染まっている理由なんて考えたくもない。
 ただようこのにおいのもとは何かなんて、知りたくもない。
「ひっ……!」
 ミニスが、喉のひきつれたような悲鳴をあげた。
「いったい何が起きたっていうの……」
 さすがに刺激が強すぎる。そう判断したのか、ケイナがミニスの向きを変えさせ、抱きしめている。
 死体。死んだ人。
 知らず、身体が震えるだした。胃の奥から、熱いものがせりあがってくる。

 不意にリューグが腕を引っ張って、を胸の中に抱え込んだ。
 見させないようにとの配慮だろう。固まっていた身体の強張りが、少しだけ解ける。……安心。
 なのにどうして。それを冷静に見ていた自分がいるのだろう。

 ――敵陣側から真っ直ぐ突っ切ってきただって!? いくら急を要する偵察だからって、無茶を……!
 ――身体が冷えている。あたためてやれ。死体の群れを見てきて、ショックを起こしたのだろう。

 ……見たことがある? 知っている?
 一度や二度じゃない、あたしは――殺された人を 見たことがあった?
 いや、見ただけじゃない。あたしは。あたしのこの手は――
 なんだろう。これ、記憶?
 もう少しで手が届く。もう少しでこの手にとれる。――届かない。
「……おかしいでござるな」
 カザミネのいぶかしげな声がして、の思考はそこで打ち切られた。
 リューグに礼を云って、向きを戻す。
 死体を視界に入れないように無駄な努力をしつつ見れば、剣客だけあって見慣れているのだろうか、しげしげと死体のひとつを眺めている姿があって。
「どうしたの?」
「この者たち……傷から判断すると、互いに殺しあったようにしか思えないのでござる」


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