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第9夜 壱
lll 噂をすればなんとやら? lll



 結局、出発は翌日に繰越になった。
 連れ去られたが帰ってきたのがもう夕方近くだったせいと、捜索して街中駆け回った4人が疲れ果てていたせいだ。
 実際夕食をとったあと、待っていたミニスとレシィとハサハはともかく、トリスとマグナとリューグ、ロッカは早々に寝室へと引き上げていった。
 賑やかなモーリンの家だけど、今日だけは妙に静かな夜。
「オイ、天然」
「てっ……!?」
 自分も寝ようと寝室に歩いていたら、いきなりバルレルから呼びとめられた。
 しかも、何故か、レシィもいるし。
 主人のトコにいなくってもいいんですか、あなたたち……?
 まあ、一緒の家のなかなのだから、そうそうベタベタしているというのもまたアレなのだが。特に片方は。
 とりあえず足を止めたに、バルレルが何かを放った。
「?」
 反射的に受け取って――
「……お煎餅?」
 朝、が最後の一枚をとられてさんざいじけた、件のお煎餅である。
 きょとんと戸惑っているを見て、バルレルが声を少しだけ荒げた。
「要らねーなら返せ。オレが食う!」
「いや、それじゃ意味ないし!?」
 いやいや、だって。その前に。
 けっこう我侭、けっこう自分気ままの君が。
 まさか、今朝いじけさせたお詫び(のつもりなのかどうかは謎だけど)に買い直してくれたりするなんて、思わなかった。期待なんて全然してなかったよ?
「……ありがとー」
 ほんわか。ふわふわ。
 幸せなココロ。
 その心のまま、すたすたとバルレルのところまで歩いて。

 なでなでなで。むにー。

「はひひやはるー!!!」
「あはは、バルレルくん、よく伸びるー」

 放しやがれ!!
 あははははははー。

 いつも自分を蹴るバルレルのほっぺを伸ばしまくるという偉業を成し遂げているに、レシィが尊敬のまなざしを向けている。
さん……すごいです……ッ!」
「あはは、そぉ? 照れるなぁ」
「そんなことないです、ボク尊敬ですー!!」
 何気に本気でそう思っているらしいあたり、素直というかなんというか。
「テメエ……覚えてろ……」
 ようやく解放されたバルレルに睨まれて、びくっとしているあたり小心者というかなんというか。

 どっちも当たってるよネ。

 ちょっぴり赤くなった頬をさすりつつ、バルレルは、レシィをじっとりと睨みつけていたけれど、不意にまた、の方を振り向いた。
「テメエ、アイツに逢っただろ」
「え?」
 いきなりの展開に、話の先が読めなかった。
「あのけったくそ悪い――吟遊詩人だ」
「あ、ああ……レイムさん? よく判ったね」
 なんだかんだでうやむやになって、結局誰が助けてくれたのかは、は誰にも云っていない。
 それに、あんまり云いたいものでもなかったし。
 助けてくれたのは良いけど、そのあとに抱擁されたとか危ない人である確信を深めさせられたとか。本人の名誉のためにも。
 などとちょっぴり遠いところを見ていると、また、バルレルの声が飛んだ。
「オレは、アイツに近づくなって云ったろうがよ」
「で、でも、助けてくれたんだよ? 良い人だよ?」
 ちょっとアッチ系っぽかったけど。

「……なんで記憶ないのにアッチ系とか知ってんだよ」
「いやそのへんは常識ですか?」
「どこの世界の常識だ、そりゃ」

 レイムを知らないレシィは、話についていけずにおたおたしている……かと思いきや、「ん」と拳を握りしめ、とバルレルの間に割り込んできた。
「あの、でも、なんだかあんまり良い感じがしないんです」
 そうして、バルレルの援護をするように、詩人に対して否定的な意見を告げる。
 でも君は逢ったことないでしょう? と云ってみたら、
「においが……」
 との、おことばで。
 何かにおいが移ったのかなぁ、と、腕を鼻に近づけてみたものの、考えてみればすでに入浴済みなので石鹸のにおいしかしなかった。
 返事に迷って立っていると、レシィがとことこと歩いてきた。
 ぎゅぅっとにしがみつく。
 緑色のふわふわの髪が、服に押し付けられてちょっとくしゃっとなる。
「ボク、あなたの声、覚えてます」

「……え?」

 それは夜の大平原で。
 質の違う魔力によって召喚されて怖かったあのとき。何もかもが怖かった、出たくなかったでも出たかった。
 壊れそうで。自分が自分でなくなりそうで。
 でも出て行かないと確実に、自分という存在は、粉々になって消えてただろう。
 そんな矛盾を抱えていたとき。
 だいじょうぶだよ と。
 君は君になれる と。
 この人が喚びかけてくれたから、前に出ようと思えたのだ。自分は自分のままでこの世界に現れることができたのだ。

 優しい声。懐かしい声。

 それなのに今日、いなくなって見つかったとき。残り香のように、この人の優しい感覚を濁すように――こびりついていた、黒くてコワイにおいがあった。

 ……これ以上、そんなにおいを放つ相手の傍に行かせちゃいけない。きっといけない。

 だから。そう思う一心で、だから、レシィはに願う。
「気をつけてください、ね。ボク、ご主人様も好きですけど、さんもすごく好きですから」
 ね、バルレルくん。
 くるり、と、もうひとりの護衛獣を振り返る。
 レシィとしてはしごく当然の行為だったのだが、同意を求めた相手が悪かった。

 げしげしげしげしげしげし!!

「俺にいちいち聞くんじゃねぇ!」
「うわああぁぁぁぁあんっ!!」

 …………このふたりの護衛獣を抱えているトリスの苦労がちょっとだけ判った、の旅立ち前夜。




 起きたときは、それなりにいい天気だった。
 今度こそ何もありませんようにと身支度して、街を出たときもいい天気だった。
 なので。
 街道を歩き出してしばらくするうちに、お空がどんよりと曇ってきたときには、ちょっとお天気の神様を恨みたくなった。

 どうせなら朝から曇っといてくれれば雨天時の用意もしたってのにさ。

 いつ降るかな、いつ降るかなと思いつつ、街道に沿って進む。
 と、街道がいくつかに分かれた場所に差しかかったとき、その人を見つけたのはアメルだった。
「ねえ、あそこから来るのってもしかして……」
 誰に云うともなしにつぶやかれたことばに反応して、おおよそ全員が、アメルの指差した方向に目を移す。

 …………って。
 その人物を目にして、は思わず脱力した。
 まさか翌日にまたお逢いすることになろうとは思いませんでしたレイムさん。

 そう。
 街道を彼らと別方向から歩いてきたのは、ゼラムで逢って先日だけはまた逢った、銀の髪のハート服着た吟遊詩人。
「レイムさん、こんにちは」
 そんなことは知らないトリスとアメルが、にこにこと挨拶している。
 とは云っても、今この場で彼を知っているのはトリス、マグナ、アメル。あとはバルレルとハサハ。でもって
「おい、誰だこいつ?」
 リューグのそんな質問が飛び出すのも、無理のないことである。
「前に話さなかったか? 王都で逢った吟遊詩人のレイムさんだよ」
 問いに答えるのはマグナ。
「レイムと申します、以後お見知りおきを……」
 優雅に一礼するレイムに、皆、わらわらと頭を下げる。
 ケイナやフォルテは「へー」という顔で見ているし、ロッカは人当たりのいい笑みを浮かべて、静観することにしたようだ。
 モーリンやカザミネなど、初対面ということもあるのか、あまり興味がわかないのか、礼をしたあとは積極的に何かを話そうという気はないようで。
 護衛獣たちは……というと、
「……あんたら」
 いつかのゼラムと同じように、バルレルもハサハも一定以上に近寄ろうとしない。レシィも同じ。
 っていうかレオルド、さりげなく銃の安全装置を解除するんじゃありません。
 さんざん彼らに云われてはいるのだけど、何がそんなに危ないのやら、にはさっぱり判らない。だから、別にそのまま立って、彼らの会話を眺めていた。

 別の意味でなら危ないと思うが。

 そうこうしている間にも、トリスたちとレイムを中心に、穏やかな会話が展開されている。
「お探しの歌は見つかりました?」
 ああそういえばそんなコトを云っていたな、と、はゼラムでの遭遇を思い返す。
 あのトキもけったいな歌を歌ってたよな、この人。
 記憶がないせいで脳の容量があまっているのか、妙に物覚えの良いこのごろ。いや今は別にどうでもいいが。
「いいえ……まだまだですよ」
 そう簡単に、真実の歌なるものが見つかるわけもない。予想に反せず、レイムの答えは否定的なものだった。
「ですが、気になる話を聞きまして……」
 ん? と、も、興味なさげにしていた人間も、そのことばに耳を傾ける。
「三砦都市トライドラの名はご存知ですか?」

 ご存知じゃないです。

 そう云いたかったが、話の腰を折るのもなんなので、は口をつぐんだまま、成り行きをうかがった。
 だからというわけでもないのだろうが、ネスティが自分の記憶を確かめるように、トライドラについて答えている。
 曰く、
「3つの砦を保有する、騎士たちの国家だな。聖王都を外敵から守る要であり、大絶壁を挟んだ隣国のデグレアを見張る役目を担ってもいる」
 そのとおりです、と、レイムが満足そうに頷いて。
「そのデグレアが、とうとう本格的に戦争を始めるらしいんです」
 ぴくり、と、肩がひきつるのを感じた。
 ゼラムから一緒だった人間は、みな一様に固い顔になる。
 それはそうだ。自分たちはそのことを知っている。
 彼らに狙われているアメルは、ここにいるのだから。デグレアが黒騎士ルヴァイド率いる黒の旅団を派遣したのは、彼女を得るためなのだから。
 相変わらず、アメルにいったい何の価値を見出してそうまで固執しているのか、それは判らずじまいなのだけれど。
「なんだか私は、そのことが気になってしまって……確かめてみようと、トライドラまで向かう途中なんですよ」
「でも、わざわざ危険かも知れない場所に行くなんて……」
 どうして自分の命を顧みないような真似をするのか、判らないといった感じのミニスが云うが、レイムはレイムでにっこり微笑みを絶やさないまま、
「吟遊詩人というのは、そうした噂の真偽を知りたがってしまうものなんですよね」
 さらり、そう云ってくれる始末。

 っていうかそんなこと云ったら、答えようがないというか……身も蓋もないよな。


 それからしばらく、レイムとトリスたちは雑談などして、参加していない数人は、それを眺めていたわけなのだけれど。
 とうとうネスティが痺れを切らしたらしい。
「いつまで世間話をしているつもりだ? そろそろ出発するぞ」
 そう云うと、地面に置いていた自分の荷物を持ち上げ、さっさと歩き出してしまう。
 実は退屈していたも、内心ほっとしながら立ち上がった。
 レイムは何度かこちらに話しかけようとしていたのだが、警戒心だしまくりの護衛獣たちがとの間に陣取っていたので、こちらとしては気まずいやらどうしていいやら。
 っていうか護衛獣ならちゃんとご主人のトコにいなさい、とは云えなかった。だって、レイムを嫌っているらしい彼らに、そのレイムと談笑しているトリスたちの処に行けと云うのは、要するに同じ意味だ。
 それは、あまりにも酷というものだろう。
「じゃあレイムさん、また」
 ぺこりと頭を下げて、歩き出す。
 昨日みたいな変なコトされないかと覚悟はしていたものの、幸いそんなことはなかった。
「何やら雲行きがおかしいようですから、お気をつけて。ひと雨、くるかもしれませんから」
 そう云って、レイムもまた、にっこり微笑んで彼らに背を向け、振り返ることなく歩き去る。

 地面に数滴、なんぞやの染みがあったが。それはすぐに、自然現象によって隠滅される運命だった。


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