見つけた。やっと見つけた。
スピードの差から見失った、奇怪ななりの荷車の行方を訊きまくって探しまくって、それでやっと。
――やっと、見つけた――!
「ーっ!!」
大声で。その背中に向けて、名前を呼んだ。
ふっと振り返った彼女は、視線を自分たちに固定させると、とてもとてもうれしそうに笑ってくれた。
「トリス、マグナーっっ!」
ここだよーっ!!
手を振ってくれる。自分たちを迎えてくれる。
「っ!!」
「うきゃ!?」
勢いのままに抱きつくと、どさりとバランスを崩して、ふたりとも倒れ込んでしまった。
「ト、トリス〜? ちょっと痛いぞ今のは」
「心配したんだよー! いきなりさらわれたって聞いたから!!」
「こら、こっちの話を聞きなさいって」
立っていたのは砂浜だったから、そんなに衝撃はいかなかったはずなのだけど、いたずらっぽく笑っては云う。
どうしてだろう。
その笑顔にとても安心を覚えて、なおさらぎゅぅっと抱きついた。
「……トリス?」
自分を呼んでくれる。
抱き返してくれる。
ねえ。あたし、あなたが初めてなんだよ。
兄以外で、養父以外で、ネスティ以外で。蒼の派閥以外で。
こうして抱きしめて、抱きしめ返してくれる存在は、あなたが初めてだったんだよ――
暖かい腕。優しい鼓動。
「……」
子猫が親猫になつくように、ただ無条件にすりよった。頬を寄せた。
いなくならないで。
こんなふうに突然に、姿を消してしまったりなんか、しないで。だって、今日のこれだけでも、こんなに心臓がどきどき云ってた。
「いなくならないで……ね」
いなくならないで。
どうしてだろう、そのひとことが、とても大きくの心に響く。
「トリス?」
「いなくなっちゃ、やだ」
胸に頭をおしつけているトリスの表情は見えないけれど、その声音は、つついたらひび割れてしまいそうに危うかった。
「……怖かったんだからね〜」
甘えてくるその姿は、まるで小さなこどもみたいだ。
どうしようかと、追いついてきたマグナを見ると、マグナもにっこり笑ってうなずいた。
「俺も。お願い。いなくならないで、」
いなくならないで。。
真っ黒い衝動が、俺の心のなかで、ぐるぐる渦巻いてる。
こんなの、誰に見せるわけにもいかない。笑うこと出来るから、それで隠せてはいるけれど。
――けれど。
自分たちから少し離れた場所にある、投網のからまった荷車。あれがを取っていったんだと思うと、街中だって判ってるはずなのに、衝動が、ぐるぐるぐる。
……壊して消してしまいたい。あんなもの。
トリスが先に抱きつかなかったら、きっと自分が抱きついてたし。
ぎゅっとして、その暖かさをたしかめて。そうしなきゃ、きっとこの心のぐるぐるはおさまらない。
ラウル師範も優しかった。ネスティもなんだかんだ云いながら、自分たちのことを考えてくれてるって知ってる。
でも。
「…………うん」
戸惑ったような笑みだけど、が笑って、肯定の返事が返ってきて。
たったそれだけなのにどうして、こんなにうれしいんだろう。
たったひとことなのに、そのことばがとてもおおきくひびくのは、どうしてなんだろう。
誰か教えて?
とさり、砂浜に膝をついて。ぽすん、と、の肩に頭を乗せた。
「マグナ?」
は不思議そうに名前を呼んできたけれど。黙っていたら、優しく、頭をなでてくれた。
反応しないのが心配なのか、そのままでいたら、ずぅっとなでていてくれた。
……もう少し。もう少しだけ。
君に触れられるのは、とても気持ちいいから。
「…………ねえ」
ぽつり、がつぶやいた。
きょろきょろ、と、あたりを見渡して。
「トリスとマグナって、たしか、ミニスちゃんとレシィくんとハサハちゃんと一緒に、派閥本部に行ったんだよね……?」
3人はどうしたの? その問いに、トリスとマグナは、顔を見合わせた。「…………あ」
そしてたらりと冷や汗一筋。
おいこら。
大慌てのマグナとトリスに手を引っ張られ、とりあえずと彼らが走り出した場所に戻ってみれば、さんざん待たされて我慢限界のミニスの雷が待っていた。
「もー!! あなたたちの全力疾走に追いつけるわけないじゃないっ!!」
「ごっ、ごめんねミニス!!」
「ったく、人騒がせな奴だぜ……」
「投網を使っていたということは、先日の海賊の残党でしょうか? 警備兵に、一応話はしてきましたが……」
マグナたちとは逆方向に走って行った双子とも合流できたので、そのままぞろぞろと道場に帰ることで一同同意。
てゆーかロッカ、その懸念は必要ないし。
一生判らないであろう何者かの動機を、これ以上考えてみてもしょうがない。
も無事だったということで、その件はすぐに忘れ去られたのだけど。
逆に、忘れられない件も、あるにはあるわけで。
「……えっと、ロッカ」
ミニス以上に待ちくたびれてしまったのか、眠っている護衛獣たちを背負って先に行くマグナたちの背中を見ながら、どうしたものかと思いつつも、は切り出した。
「はい?」
先を行く彼らに追いつこうと足を速めかけたロッカが、歩く速度をに合わせなおす。
誰もこちらの会話を聞いていないのをたしかめてから、それでも声を潜め、はことばを探しつつ、云う。
いや、云おうとした。
「今朝の件なんだけど……」
「ああ、いいです」
「……は?」
あっさり、さらりと云われたことばに、ぽかんと口が半開き。
それでいいのかと、思ったことは思ったけれど、そんなのほうを見て、ロッカは穏やかに笑っていた。
「今聞くのは、怖いんです」
笑みを少しだけ苦いものに変えて、ロッカは云った。
「聞いてしまったら、僕のなかでのあなたの立ち位置が変わってしまいそうで――それに、あなた自身も消えてしまいそうで」
それが怖いんです。
「弱いでしょう?」
「……そんなことないよ」
だって、それはそれだけ、のことを心に入れてくれているということだ。
何も判らない知らないで通すを、信用してくれているということだ。
大切なものほど失うのは怖いし、そんなときがきてほしくないと思う。
自分の大切にしていたものは、遠い記憶の彼方だけれど、その感覚はなんとなく判るから。
「ありがとう」
だから、告げた。
今はこれだけしか云えないけれど。
「……絶対に話すから」
どうしてそう思うのか判らないまま、この気持ちを話すということは出来ないけど。
そう思う理由を。過去を。
取り戻したらきっと話せる。
どんな非難や罵倒を受けるようなことになっても、絶対に話すと。そう。そうしようと、心に決めた。
「何、ふたりで笑ってんだよ」
そこにかかる、唐突な声。
先を歩いていたリューグが、追いついてこないふたりを不思議に思ったのだろうか、足を止めていた。
それを見て、はロッカと顔を見合わせて笑う。
「ちょっとロッカに甘えてたー」
「というわけだ、リューグ」
ことばどおりの意味ではなくて、それはロッカの信頼に甘えてしまうということだったのだけど、そんなことリューグには判らない。
彼らのことばにむっとした顔を見せる彼がおかしくて、ふたりはまた笑う。
そうしたら。
「、行くぞ!」
リューグはいきなりずかずかと歩いてくると、強くの腕をつかんで歩き出した。
「……今朝は悪かったな」
そう、小さく耳元でささやいて。
憎しみも怒りも忘れない。忘れてはいけないものだ。それは強くなる糧。
だけどおまえの笑った顔を見ていると、なんとなく心が落ち着くから。
突き放したあと後悔したし、いなくなったって聞いて正直、心底驚いた。それから……たぶん怖れた。
だから。それくらいなら。
ちょっとだけなら、それもいいかなと思ったんだ。
おまえが笑う顔。見れなくなるくらいなら。……ちょっとくらいの譲歩だったら、この気持ち、出来てしまいそうだから。
うれしいな、と、または思う。
なんだかんだ云っても信用してくれてるんだと、判ったからだ。
だけど。だから、たまに不安。
なくした記憶の彼方、霞む霧の向こうの過去が、あたしを思ってくれるあなたたちを裏切ることになるかもしれない。
そんな不安が、最近、ちょっとずつふくらんでる。
……もしもそのときがきたら、あたしは迷わずに、告げることができるんだろうか。
答えは未来にしかないと判っていても、そう考えずにはいられない。
思わずにはいられない。
あなたたちは、あたしの素性がどんなであっても、受け入れてくれるんだろうかと。思わないではいられないんだ――――
「……ほう? それで?」
「あたしたち、お昼からずぅっと待ってたんですけど」
「……ゴメンナサイ」
「すみません」
「悪かった」
出発が延びてしまったのをちくちく遠まわしにいぢめてくるネスティとアメルに平謝っている一同の微笑ましい光景が、その日の午後モーリン宅で見られたとか。
未来より目の前の現実のが深刻でした……あのふたりの笑顔はコワイです。いやホント。