「…………くそっ」
気が優れない。
のめりこむように稽古に集中しても、今ひとつ腕がふるわない。
汗をふきながら、リューグはひとつ舌打ちして浜辺に座りこんだ。
「……強くならなきゃいけねぇんだ……」
守れるくらい。
守りたいものを、この手で守れるくらい、強く強く。
兄貴よりも黒騎士よりも。
ガラガラガラガラガラガラガラガラ…………
「ん……? 何の音――――」、
妙にけたたましい音を耳にしたリューグは、何の気なしにそちらを振り返り、
「げぼッ」
口に運んでいた水を、砂浜に撒き散らした。
彼が見たのは、砂浜のすぐ傍を疾走していく、カバのような召喚獣にひかれた荷車。
その異様にシュールな光景に、呆然としていたのも束の間。
荷車が通り過ぎてからしばらくして、ロッカが走ってくるのが目に入る。
「おい、何してんだ!?」
変なところで間抜けな兄のことだから、ひったくりにでもあったのかと思って呼びかけてみれば。
声に気づいたロッカは振り返ろうともせず、たった一言、
「さんが投網で連れ去られたんだ!!」
そう云ってまた、わき目も振らずに走っていってしまった。
「…………投網…………」
ちらりと、浜辺の一箇所に山のように積み上げられている、それらに目をやった。
そういえばさっき、点検かなにかにきていた漁師の一団が数が足りないとかわめいていたような気もするが……
…………………………って。
「おいまて!? って云ったかバカ兄貴ッ!?」
気づくのが遅い。
金の派閥の本部にてファミィ・マーンとの会見を終わらせたトリスたちは、疲れきった顔で派閥を後にしていた。
「うぅ、まだ電撃が残ってるような気が……」
ペンダントをなくしたお仕置きをくらいかけたミニスをかばって、代わりに『カミナリどかーん』を受けたマグナが、肩をこきこき云わせている。
「ごめんね、だいじょうぶ?」
「大丈夫よ、兄さんこれくらいじゃ死なないから!」
申し訳そうなミニスに、気楽に云ってのけるトリス。
「いや、俺は一瞬覚悟したね」
心なし遠くを眺めながら、マグナはぽつりとつぶやいた。
お仕置きをしかけた本人はあれでも手加減しまくりだったのかもしれないが、くらったこちらの衝撃はすさまじいったらありゃしなかった。
……あの人が本気で術放ったらどうなるんだろうな……
見たいような見たくないような、それ以前にどうしても想像出来ない光景を、頭ひとつ振って、痺れと一緒に振り払う。
とりあえずお許しはいただいたわけだし、おまけにファナン周辺の黒の旅団は追い払ってくれるというありがたいお土産ももらったことだし。
とりとめのないことを話しながら、彼らが道場へ帰ろうとしたとき。
「……?」
「あれぇ?」
ハサハとレシィが、同時に耳をぴくりとさせた。
「どうした? 何か聞こえるのか?」
護衛獣であるからか知らないが、彼らは人間よりも聴力が発達しているようだ。
今回も、それでマグナたちには聴こえない何かを察したのだろうか。
音の出所を確かめようと、目を閉じて方向を測っているレシィとハサハを待って、マグナ、トリス、ミニスも足を止める。
「……リューグお兄ちゃんとロッカお兄ちゃんの声がしたの」
「それから、馬車が全力疾走しているような……」
いまいち確信が持てないらしく、首を傾げつつも、音について話すふたり。
双子の声はまあ判るが、馬車っていうのは何のコトだと、一様に3人が首を傾げたその瞬間。
ガラガラガラガラガラガラガラガラ……
召喚獣らしきカ(中略)が、一行の目の前をすばらしいスピードで走り抜けていった。
「……馬車だな」
「馬車って云うより召喚獣車?」
街中どころか街道でさえ見かけられるかどうかってな珍妙きわまりない光景に、一瞬、脳みそが理解を拒んだようである。
っていうか召喚獣にひかせるより馬を使え馬を。
そんなまっとうなツッコミさえも浮かばず、ただあっけにとられていた彼らの前に、もう一つの音の主たちがこれまた全力疾走してやってきた。
「おい! 今の荷車どこ行きやがった!?」
「リュ、リューグ? ロッカまで……どうしたんだよ?」
「二人仲良く競走?」
「誰がするか!!」
「とにかく教えてください! 荷車は……!」
「え、あ、あっち」
かなり走ってきたらしい、相当に息のあがっている双子は、それでもトリスの指差した方向にまた走り出す。
「ちょ、ちょっと何があったのよ!?」
さすがに放っておけずに、走り去るふたりに向けてトリスが叫んだ。
そして返ってくる答え。
「「(さん)が投網で連れ去られたんだ(です)!!」」
ファナンの街を全力疾走する人間は4人に増えた。
夢をみる。暖かい、やわらかい夢を見る。
優しい遠い、夢を見る。
それはなくしてしまったむかし、遥かな遠いあの日の記憶。
……笑いあっていた大切な日々。
あなたと。あたしが。
あなたと。わたしが。
ごめん ね
――――許し乞う嘆きの声もまだ、深遠から浮かぶことなく。
「……う〜」
目がしぱしぱして、頭がいたい。無理矢理眠らされたのだから、身体が変調をきたして当然。
「……さん」
「……うぅ……」
もう少しだけ眠っていたいような気もするけれど、自分は何者かにさらわれて……
だから、さっさと起きて、状況を確認しなければいけないのだけど……
「さん」
「……あれ?」
思い切って目をあけると、やっぱり一気に視界が揺れた。
もともと寝かせられていたので、倒れてどこかをぶつけるようなことにならなかったのが不幸中の幸い。
仰向けに寝ていたせいもあって、真っ先に視界に入ったのは青い空だった。それから、自分を覗きこんでいる銀髪の……銀髪?
そんな人、うちの仲間にいたっけ?
「気がつかれましたか?」
ようやくの焦点があったことを確認したその人は、微笑みながら問うてきた。
「レイムさんっ!?」
叫んでがばりと身を起こす。
「かふっ」
「あ、すみません!」
あまりに唐突に起き上がったものだから、頭がレイムの顎にクリーンヒット。
「だ、だいじょうぶですか……?」
「ええ、平気です」
ちょっと赤くなった顎を軽くなでて、それでもレイムは爽やかに笑ってみせる。歯を白く輝かせて。
それから、心配そうな表情になると、再びを覗き込んできた。
一瞬どきりとしたけれど、そのレイムの様子には、いつかゼラムで感じた寒気のようなものはまったく覚えなかった。
ただそのときも感じた、不思議な懐かしい気持ちがあるだけになる。
「それよりも、さんはだいじょうぶですか?」
「へ? あ、はい、平気……ですけど」
投網でさらわれたなんて間抜けなことは云えるわけなく、はことばを濁してうつむいた。
だから、レイムが悦った表情を浮かべたことをは知らない。
知らぬが仏。
いつもの柔らかい微笑みに戻ったレイムが、ぽん、との肩を軽く叩く。
「安心してください」
「え?」
「あなたをさらった者たちは、もうこの場にはいませんから」
と、いうことは。
「レイムさんが助けてくださったんですか?」
その問いに答えはなく、レイムはただにっこり微笑んだだけだったけれど。
周りに人はいないし荷車を引いていたカバらしき物体も逃げ出したのか姿はないし、どう考えてもそうとしか思えないし。
「……ありがとうございます」
人間感謝の意を示すときには、笑顔になるのが普通である。
そういう点では、は素直に普通で良い子だった。
にっこり。
「あふっ」
クリティカルヒット。
奇妙な声を発して上体を傾がせるレイム。
「……どうかしたんですか?」
「いえ、少々持病の貧血が」
「そうですか……」
この人も色白だもんなあ。苦労してるのかもなあ。
しなくてもいい同情をするだった。
パシャパシャパシャッ
何か音が連続して鳴り響いてるなぁ、と思ったのもつかの間。ぎゅうっといきなり抱きしめられて、は目を丸くする。
「レイムさん?」
頬に銀の髪がかかるくすぐったさに、ちょっとだけ目を細めた。
それでも驚いたのはほんとうだから、それは声音にしっかりにじみ出る。
「また逢えてよかった……」
そんな声音には気づかなかったのか、なにやらくぐもった声で、レイムが告げた。
鼻血をおさえているせいだなんて、に想像できるだろうか。いやできまい。
それよりも、いきなり抱きしめられたことに対する驚きのほうが、よほど大きい。
結果。
「はなしてください〜〜!!」
じたばたじたばた。
頬を紅くしたは、解放を求めて身じろいだ。
パシャッ
「はい、交換交換〜」
手にしたカメラ――ロレイラルから密輸した一級品である――から使用済みフィルムを放り出して、ビーニャが新しいものを込めなおす。
それを待機しているキュラーが受け取ると、続いてガレアノが、同じようにカメラをビーニャに渡している。
パシャパシャパシャパシャ
レイムの云ったことばに間違いはないが、すぐ傍の茂みに隠れられてるとゆーのは『この場にはいない』ことになるんだろうか。
「それにしても……」
シャッターを連続して切りつつ、ガレアノがぼやく。
「そろそろスルゼン砦に行って計画にとりかかりたいんだが、ワシは」
「私も、トライドラに向かいませんと……」
「アタシも早くルヴァイドちゃんたちおちょくりにいかないとー」
まてや。
「あぁん、あのクソ真面目な顔がクソ真面目に苦悩する様の観賞って、他に変えられない誘惑ゥ〜」
ダブルツッコミも何処吹く風。あくまで職務忠実なほかのふたりに比べて、どこまでもお気楽っぽいビーニャ。
それを見て『こいつほんとに同僚か』と疑いの眼差しを向けるガレアノとキュラー。
「なによぉ? 文句あるわけぇ?」
ビーニャが、なにやら構えを見せる。
「こんなところで召喚術を使うなッ!」
「――ちぇ」
「ちぇ、じゃありません」
冷や汗流して、キュラーは、ビーニャの手から紫色の石を取り上げた。
こんなところで召喚術など発動させたら、まず間違いなくに気づかれる。
先刻の誘拐劇では顔を見られていないと断言できるが、それでもレイムが不機嫌になることは間違いない。
そうなったらビーニャの魔獣以上の恐怖が彼らに襲いかかる。これは予想ではない。決定だ。
それを思って身を震わせたキュラーの耳に、撮影対象になっている少女の名を呼ぶ声が聞こえてきた。
「ー!!」
「どこー!?」
部下が、茂みの向こうで何やらジェスチャーをしていることに、レイムも気がついた。
両手をぶんぶん振り回し、ある方向を指差し、何かを叫ぶように口元に手を当て――
何が云いたいのか判りませんよ、キュラー……?
……判って下さい!
アイコンタクトが出来ても、仕草の意味が読めないのでは意味がなかった。
それでもやはり、近づいてきているのであれば、そのうち声は聞こえだすわけで。
「レイムさん?」
さんざ暴れられても腕を放さなかったのを急に解放したせいか、逆に不思議そうな顔になって、がレイムを見上げてくる。
「どうやらお別れの時間のようです」
「え?」
やっぱり唐突なことばに、の目がさらに丸くなった。
いや、たしかにあのまま抱きしめられてたら心臓的にやばかったですけど、この展開も何がなんだか?
ついていけていないの耳に、自分の名前を呼ぶ声が聞こえた。
「あ、みんなだ!」
自然と、安心がわきあがる。
それから、そこまでの安心をあの人たちに感じるようになっていたんだと、ふと気づいて驚いた。
「さん」
立ち上がったの横に、レイムが立った。
「あ、レイムさん。よかったらみんなに逢っていきません? お礼もしたいし」
それはとしては、しごく当然のことばだったのだけど、レイムは首を横に振る。
「いいえ、残念ですが私も行かなくてはいけないようです」
こんなに可愛らしい貴女を置いて去るのは、とてもとてもとても!! 心苦しいのですが!!
……はぁ。さいですか。
さっきまでの安心感を打ち砕くようなそれに、は知らず後ずさる。
やっぱりこの人、どこか変だ。
「またいつかお逢いすることもあるでしょう。どうかそのときまでお元気で、さん」
「あ、はい。レイムさんも」
「…………では」
ジュ・テーム……
だから何語だそれは。
足早に去ってゆくレイムが最後につぶやいたセリフに、ことばにならないツッコミを入れつつ、どうしたもんかと立ち尽くし、
「……っていうか」
完全に、銀髪の詩人の姿が見えなくなったあと、ぽつりとはつぶやいた。
「……あたしはいったい、何のために投網なんぞ投げかけられたのですか……?」
当然、それに答え得る者はすでに、この場を後にしていたのだった。
もちろん、久しく目に出来なかったあなたの姿をこの瞳に焼き付けるためです!!!
ついでに写真を撮らせて頂きましたので、寂しい夜のおともに……ッ!
――なーんて煩悩、聞こえなくて正解だったかもしれないが。