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第8夜 弐
lll 君の笑顔に大漁御礼 lll



 モーリンの家は道場も広いが、庭も広い。
 その一角を貸してもらって、はロッカに簡単な棒術の型を教わっていた。
 ちなみにリューグからは体術の類。斧も使える上にそこそこ体術も出来るあたりかなり器用だ、触覚弟。
 フォルテが云っていたのもあって、どうやら人様よりは抜きん出てるらしい敏捷力を生かすことに決定。あえて、無理して力にはこだわらないことにした。
 そのほうがなんとなく、合っているような気もしたし。
 今日は、トリスたちが金の派閥から帰ってきたらすぐに出発する予定なので、あまり根を詰めてはやれない。
 そして、稽古の最中に話題になるのは、さっきとても深刻な顔をしていたリューグのことだった。

「あまり気にする必要はないと思います」

 どんな様子だったかを聞いて、すぐに理由を察したロッカは、あっさりに告げた。
「きっと、戸惑ってるんじゃないでしょうか」
 さんと一緒にいると、どうしても穏やかな気持ちになりますから。

 そう分析しながらも、自分もそうだろうに、と、どこか他人事のように考えた。けれど、そんな自嘲は心のなかでだけ。


 付け加えられたそのひとことに、は、目を数度またたかせる。
 なんのことだと正直思う。
「穏やか……って。何故また」
 真面目に訊いているのに、それを聞いたロッカはまた、くすくす笑い出す。
「鏡見たことありますか? さん」
「あるよ、それくらい」
 朝顔を洗うときとか。髪を梳かすときとか。
 そりゃあ世の中のお嬢様方のように、お化粧とかはまだまだ範疇外だけど。
 だって身なりには気を遣うし、そうである以上鏡を見ないなんてことは、まずないし。
「でも、自分がどんな風に笑うかって、あまり判りませんよね」
「うーん、鏡の前で笑ったコトはないかも」
「でしょう?」
 むしろそっちの方がよほど穏やかなんですけど、とがつっこみたくなるやわらかい笑顔を浮かべて、ロッカが云う。

「僕はさんの笑った顔、好きですよ」

「……はい?」

 何の殺し文句でしょうかロッカさん。
 ていうかにこにこ邪気のない笑顔で云わないで下さい、それこそ自覚なしですか?
 今の発言、すごくすごく恥ずかしいんですけど。

 の困惑もなんのその、何かを思い出しているのか、懐かしい目でロッカはなおも続けた。
「いつだったかな。ギブソンさんの家をイオスたちが襲ってきたことあったでしょう」
「あ、うん」
 はっきり云って話の展開が読めないのだが、としてはうなずく以外すべがない。
「そのあと、意見を衝突させてた僕たちを怒ったでしょう?」
 もう一度うなずく。
 たしかにあった。
 倒れ込んで寝ているときに、隣の部屋でこの双子が大喧嘩して、うるさくてうるさくて。
 そのあまりのうるささに、半ばキレかけて怒鳴りこんだあのときだ。
「……ありました……」
 別の意味での恥ずかしさから、思わず小さくなって答えるの頭を、ロッカは笑いながらなでる。
「そのとき、最後に笑ったの覚えてますか?」
「え?」
 思考熟考長考。
 沈黙。

「……覚えてないんですね?」
「はい……」

 苦笑混じりの問いに、ほろりと泣く真似をしつつ応じる
 しつこいようだが、あのときは半分キレていた。
 おまけにその後はまた頭痛がぶり返してマグナに運ばれてベッドにUターン、即眠りに落ちたのだから覚えているほうが不思議だ、むしろ。
「見た瞬間、昂ってた気持ちがすぅっと落ち着いたんです。たぶんリューグもそうだったと思います」
「それはもう、そういう区切りだったんじゃないの?」
「いえ、あのままだったら、行きつくところまで行ってたような気がしますから……」
 いつかアメルが云っていたように、どちらかが飛び出してしまうところまで。
 そう云われて、いまさらだけど、どきっとする。
 でも、結果としてそうはならなかった。だから彼らはここにいる。それは、嬉しいことだ。
「なら、良かった」
 だから、自然と顔がほころんだ。


 ほんとうにこの人は自覚がないんだな、と思って、またこぼれかけた苦笑を留める。
 判っていないからこそ、こんなふうに微笑えるんだろうか。
 でも。世間知らずの人間がよく見せる、何も知らない笑みじゃない。
 だけど。何もかもを悟りきった、強い人間の笑みじゃない。
 ただ笑う。この人が笑う。
 その瞬間が、何故か、好き。

 理由なんか訊かれてもきっと困る。
 ただあのとき。ぶつかっていた自分たちの心に声が聞こえた。
 ……ごめんね、って。
 あなたの声が聞こえたのが。理由というなら、理由。

 ――いつの間にか。こんなにも。

「……そういえば」

 そうしてふと思い出した。
 あの夜。
 ゼラムから、アメルの云う祖母の住んでいる森に向かおうとしていたあの夜のことだ。

 あのとき泣いていたを、思い出した。
 正確には、その直後のこの人を――アメルを連れ去ろうとしていたルヴァイドに向けて、強い感情を叩きつけていた、あの瞬間を。
 あの時は、アメルを連れて行かれそうになったのがショックだったのだと思っていたけれど。
 そのあとの表情を、今、不意に思い出した。
 兜をリューグに飛ばされて、吼えていたルヴァイドを見ていた、の表情。
 ロッカ以外、誰もそれに気づかなかった。彼はそのとき一番傍にいたから、だから、たぶん気がつけた。

 ……微笑っていたのだ。彼女は。――とても安心したような顔で。
 ルヴァイドを見て、笑っていた。
 敵なのに。仇なのに。
 なのに――この人を責める気になれない。なれないまま、こうして今も、他愛なく向かい合いつづけてる。
 なぜかと問われれば、それは、きっと、透明な笑みだったからだ。

 とてもとても純粋な、何かを感じたからだ。

「どうして……」
「はい?」
「どうしてルヴァイドを見て、笑ったんです?」

「――――」

 そのことばは、けっして、ルヴァイドを莫迦にしていたとか、そういう含みのものじゃない。
 『笑う』純粋なその行動を、何故敵である彼に向けたのか。それを問われているんだと判った。
 ……云うべきだろうか。
 記憶がなくても尚、何故かあの人たちに感じる思慕を。告げるべきだろうか、この人に。今?
「……え、と……」
 逡巡して。迷って。けれど何か云わなければと思って。口を開いた。

 その瞬間。


「大漁御礼――――――――!!!」

 ばさあぁ!!

「とっ、投網!!??」

 謎な掛け声がどこからともなくしたかと思うと、いきなり空が暗くなる。何事かと思って見上げた先にはでっかい投網。
 そう、よく海で使われるアレだ。
 ロッカはすかさず避けていたが、は避ける間もなく、その網の下敷きになってしまう。
「ななななななな、何これっ!!?」
さん!?」
 あわててロッカが槍で網を引きちぎろうと動くが、

 ぶわっさぁぁぁぁ!

「きにゃああぁぁぁぁぁあっ!?!?」
 タッチの差で網は一気にを包み込み、結論としては、まったく色気のない悲鳴とともに空中に舞うことになった。
 空中に舞う=重力の法則が働く=……地面に当たる!
 襲いくる衝撃を覚悟して目を閉じたが、けれど着地したのはやわらかい場所。
 なにやら大きな荷車のようなものの上に、クッションが大量に敷き詰められていて、その上に落とされたらしい。
 誰だか知らないが投網を投げた相手はたいした腕前である。

 感心してるんじゃない、そこ。

 とりあえず網から出ようとじたばたもがいてみるものの、余計にからまって出られない。
 ロッカが追いかけてきているのがちらりと見えたが、すでに荷車は動き出していた。
「ちょっ……何がどうなってるのか判らないんだけど誰か――――!!」
 半泣きで、が叫んだ瞬間。
 ぷしゅっと間抜けな音がして、目の前にピンク色の霧が吹き付けられる。
 それを吸い込んだ瞬間強烈な眠気に包み込まれ、はそのまま意識を手放してしまったのである。



 ガラガラガラガラッ!

 すさまじい音を立てて、数匹の召喚獣が引く荷車はファナンの街を疾走してゆく。
 もちろん、クッションの敷き詰められた荷台には、網にからまったまま眠りこけているが、転がっていた。
 なかなか間抜けな光景である。
 そしてその御者席には、3人の人物が座っていた。
 真ん中に腰かけていた、他のふたりよりも背の低い一人が、手にしていた缶をもてあそんでいる。
「さすがヒポスの催眠ガスはよく効くわよねー♪ キャハハハハ♪」
「うむ、携帯用でも威力は衰えておらんな……カーッカッカッカ!」
 満足そうにうなずくのは、そのとなりの痩躯の男。
「せっかくですので、機会があったら量産を考えてみましょう…クックック」
 反対隣で召喚獣を操りながら含み笑いをしているのは、妙に口調の丁寧な男。
 まったくバラバラの外見の3人だが、共通しているのは、尋常でないレベルで顔色が悪いということだった。
 ぶっちゃけ、土気色を通り越して死人色だ。通りすがりの小さな子供が、怯えて泣き出した。犬がワンワン吠えている。
「――うるっさいなァ!」
「キャウン!」
 一睨みで犬を黙らせたビーニャがくるりと振り返り、荷台のが勢いで放り出されていないかどうか確かめる。

 ――どうしたのポチ!?
 ――おかーさん、ポチの尻尾が石みたいになってるー!

 どこからか聞こえる悲鳴など、彼女の耳には入ってない。
 荷台に転がる少女の寝顔を見て、ビーニャはご機嫌に笑った。
「でもなんかひさしぶり〜♪ ちゃん相変わらずかわいい寝顔〜♪ キャハハハッ」
「しかし、いきなりを連れてこいと云われたときには何かと思いましたな」
 中間管理職の哀しさをどことなく背負いながら、キュラーがつぶやいた。
「しかしどうする? あのニンゲンの男に見られてしまったぞ」
 気づかれないようにと云うことだったが、これで御不興を買うことはあるまいな?
 上司の怒りが恐ろしいのか、声を潜めてガレアノ。

 だったらそもそも目立ちまくりの投網なんぞ使うなよ。

「まぁ、レイム様にしても、もうずいぶんとの顔を生で見ていないため。禁断症状が出たのでしょうなぁ」

 禁断症状ってなんだ。

「写真みんな真っ赤だもんねー。キャハハハハハ」

 人様の写真に何をしてるレイム。

「とにかく、このまま引き離してしまえば、問題ありますまい」
「そうだな。とにかく手はずどおりに……ハイヨー、シルバー!!」

 ぴしぃ! ガラガラガラガラガラガラガラ…………

 シルバーと名づけられたカバのような魔獣のひく荷車が、ファナンの街を疾走していった。


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