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第8夜 壱
lll 忘れられないし忘れない lll



「いや〜〜〜〜っ! 私、私! 絶対に行かない――――っ!!」

 今朝何度目かのミニスの叫びが、家中に響いて、鼓膜を震わせる。
「……まだごねてるのか、あのガキ……」
 呆れた調子でつぶやくことで、リューグが全員の意見を代表した。

 海賊騒ぎの翌日。
 金の派閥の議長、ファミィ・マーンに招待されたこともあり、結局出発の予定を取りやめて再びモーリンの家に泊り込んで。
 その際、カザミネとモーリンが今後の旅に同行してくれることになった一幕もあったりした。
 モーリンと別れるのを寂しがったやアメルたちは大喜び。
 それにカザミネは、たちの話すルヴァイドの腕を是非この目で確かめたいと云って。


 そうして一晩眠ってすっきり爽快。
 蒼の派閥の代表として、マグナとトリスが、ミニスを連れて金の派閥本部まで行くことになったのだが――

「いやいやいや! ぜ〜ったいにイヤっ!」

 ……これである。

「優しそうなお母さんだったけどねぇ……」
 ぱりぱり、お煎餅を食しながらはぽつりとつぶやいた。
 たしかに一瞬、何か得体の知れないものを感じたが、それ以外は普通の、ごくおしとやかな女性に見えたし。
 耳をすませば、マグナとトリスが必死にミニスをなだめているのが聞こえる。
 午前のおやつのBGMとしては、少々うるさいかもしれないなぁ、とのんきなコトを考えて、次のお煎餅に手を伸ばし――
「……バルレルくん〜」
 最後の一枚だったのになんてことするのか君は!
 恨めしげに見やる、の視線の先には、トリスの護衛獣バルレルが、今まさに手を伸ばした煎餅を横取りして立っていた。
「ヒヒヒッ」
 と、小憎たらしいやら生意気やらのいつもの笑いを返した小悪魔、ぽいっと、煎餅を口に放り込む。

 ――があぁぁぁぁぁ……ん

 の頭上に、巨大な金ダライが落ちて消えた。
「ああぁぁぁあぁぁぁぁあぁぁ――――っ!!」
「そ、そこまで慌てることかッ!?」
 の嘆きように、むしろバルレルのほうが慌てだした。
「だってだってだって!! 最後の一枚って格別なんだよっ! そりゃあもう楽しみにとっといたのに――――っ!!!」
「それを早く云え!!」
 売り言葉に買い言葉というか、そんな調子で発されたバルレルのことばを聞いたは、そりゃあ胡散臭いものを見る目で問うた。

「云ってたら食べなかった……?」
「いや食った」

 ぼすッ!

 宙を舞うクッション。
 そして響く絶叫が――二乗。
「バルレル君のばかああぁぁぁぁっ!!!!」
「私、派閥の本部になんか、行かないんだから――――!!」
 の嘆きとミニスの悲鳴。
 モーリンの道場は、賑やかな少女たちの大合唱に包まれたのだった。



 それでも結局、マグナとトリスが「一緒に謝ってあげるから」と説得したコトで、ミニスはしぶしぶ、派閥の本部へ行くコトに同意したらしい。
 どこかおぼつかない足取りで、どんよりとしたオーラを発しながら道場を出ていくところが、たちのいる場所から見える。
 窓から身を乗り出して見送っていたアメルが、ふと、困った顔で笑いながら、部屋のなかに視線を戻した。
「…………」
「…………」
 レオルドの陰に座りこんで、じーっとバルレルを睨んでいる
 そのの視線に冷や汗を流しながら、それでも謝ろうとしないバルレル。
 それを呆れた顔で眺める一同。
 後ろに隠れられているのをレオルドはどう思っているのか、それとも我関せずを決め込むつもりか、微動だにしない。
 レシィとハサハは、トリス&マグナ組についていったのでこの場にはいなかった。
「……でも、って、バルレルくんにはあんまり人見知りしませんよね」
「え?」
 アメルのことばに、きょとんとが顔をあげる。
 ほんとうのところは、もうあんまり怒ってもいなかったのだろう。すでにいつものの顔。

「ううん、違うかな。バルレルくんには、けっこう我侭云ってますよね」
 今みたいに。

 補足のように付けたされたアメルのことばに、もう一度、はきょとんとした。
 そうかなぁ? 考えてみて。
 そのまま、ふっ、とバルレルの方に目を映す。
 と、決まり悪げにこちらを見ていたバルレルと、ばっちり目があった。
「そうかなぁ?」
「オレに訊くな!」
 思ったそのまま口にすると、吊り目を半眼にして睨まれるが、ちびっこな外見のおかげかまったく怖くない。
 ……そうかもしれない。ふと思う。
 なんとなく。バルレルだけでなく、護衛獣の彼らに対しては、初対面のときからあまり緊張しなかった。
 記憶喪失中なこともあって、初めて逢う人間には必要以上に警戒してしまいがちな自覚は、あるんだけれど。

 どうしてだろう?

 こどもの姿だから、とかそういうんじゃなく。
 なんだか、安心できるというか、心のどこかが共振を覚えると云うか――
 改めて説明しようとすると判らなくなってしまいそうな、あやふやな感覚を。持っていたように思う。逢ったときから。今も。

「どうでもいいけどよ、いつまでもふたりして見つめあってんじゃねえ」
 ぼそりとリューグが突っ込んだ。
「誰が見つめあうか! 気色悪ィこと云うんじゃねぇよ触覚二号!!」

 触覚!?

 はっとして、リューグの頭を見れば、たしかに。
 ぴょんと跳ねたひとふさの髪が、触覚に見えないこともない。

「……じゃあ、触角一号って……」
「アイツに決まってんだろ」
 おそるおそる発された誰かの問いに、バルレルは迷いなくロッカを指さした。

「「……なっ……」」

 硬直した双子を中心に、奇妙な沈黙が舞い下りる。
 そして次の瞬間。

『あはははははははははははははははは!!!!!!!』

 合唱が――ミニスとの時以上にでっかい笑い声が、それこそ道場震わせて、響き渡ったのであった。



「ごーめーん、ごめんってばー」
 とてとて、とてとて。
 一生懸命に自分を追いかけて謝ってくるを、リューグはわざと無視して歩く。
「笑ってごめんなさいー、って。ねぇ、ほんとにもう怒っちゃった?」

 すたすたすた。

「ねぇってば!」
「うわっ!?」
 急に裾をつかまれて、危うくバランスを崩す。
 なんとか踏みとどまって振り返ると、リューグを転ばせかけた犯人は、それはにっこり笑っていた。ちょっとだけすまなさそうに。
 ……はぁ、と、ため息をつく。
 それを見て、はぴくりと身体を震わせるものの、すぐにふくれっつらになった。
「もう、ロッカはすぐに許してくれたのに……」

 あれは諦めが多大に入ってたぞ。

 大笑いしたことを謝るたちに笑って応じていた、けれどかなり哀愁の混じった双子の兄の背中を思い出し、もう一度ため息。
「……まぁ、いいけどよ」
「えへへ、ごめんねー」
 なんだかんだ云いながら、こうやって笑いかけてくるの笑顔が好きな自分がいる。
 記憶をなくさせておいて何を云っていると思わなくもないけれど、しょうがない。ついてくるな、と、ただそのひとことが口に出来ないのも、きっとそのせい。
 最初に出逢ったからかなんだか知らないが、他の連中よりは馴染んでくれていると思うし。
 ただ、そんなことが、何故か無性にうれしくいのだ。
 の前にいると、なんとなく気を緩めてしまう。
 嫌なこともすべて、忘れそうになってしまって――
「…………!」
 何気なく思ったその感覚に、心臓が凍りそうになった。

 忘れそうになる?

 ――忘れてはいけないのに。

 あの炎の記憶を。人の燃える嫌なにおいを。そうして数度相対した、あの黒騎士への憎しみを。
 を見る。
 リューグの抱いた黒いものを、消し去ってしまいそうなほど穏やかに笑っている少女。
 どうしてそんなふうに笑える? おまえもあれを見ただろうに。あの無残な村の光景を見ただろうに。
 俺は忘れてないのに。
 忘れるわけにはいかないのに。

「……リューグ?」

 急に変貌する表情を目の当たりにして、は驚いた。
 断じて、さっきの件が原因ではないと思えるけれど、では、何故?
「…………悪ィ」
「え?」
 ぎゅっと目を閉じて、何かをこらえるようなリューグの声に、ただならぬものを感じた。
「今日の稽古は兄貴としてくれ。……俺はひとりでやってくる」
「リューグ!?」
「悪いな、また今度」
 の手を、それでも優しくのけて早足に去ったリューグを、追いかけられなかった。
 その後ろ姿が、すべてを拒んでいたように見えて。


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