店を出ると、まだ、太陽はようやく傾きかけたところ。
「やれやれ、それにしてもずいぶん泣きはらしちまって……」
「あぅぅ、云わないでくださいよぅ〜」
モーリンのからかいに、も笑って返すことが出来るようになるほどには、回復完了。
けれど、真っ赤な目のまま戻ると、よけいに心配かけてしまいそうな予感がしたため、ちょっと歩く速度を落として、帰り道ついでにファナンの街を案内してもらうことになった。
「……あれ?」
「あぁ、そっちは行かないほうがいいよ? 裏路地には危ないヤツがたまにいるんだ」
わき道にそれようとしたを、モーリンが引き止める。
そんな予感はしたのだが、あえてそちらに踏み込もうとしたのには理由があった。
見覚えのある子の後ろ姿を、見たような気がしたのだ。
そう云うと、モーリンは難しい顔で、
「でも、あんまり近寄らないほうがいい場所なのは、ほんとうなんだよ。その子も、もう路地は抜けちまってるんじゃないかい?」
「……そうですねぇ」
いつかゼラムで、泥棒をしていたところをマグナたちが助けた少女。
たしか、名前はユエルといっていた。
「見間違いじゃないなら、また今度にでも逢えるかもしれないよ?」
笑うモーリンのことばに、も笑顔になる。
「そうですねっ!」
そうして、ふたり、わいわいと。
モーリンの家までもうそろそろ、という辺りにさしかかったときだった。
がっしゃあああぁぁぁん!!
大きな音が、飲食店街に響く。
何事かと視線を転じれば、なにやら因縁をつけられているっぽい店のご主人と、因縁つけている側らしい、柄の悪い男たち。
「あっちゃぁ、またアイツらかい」
モーリンは呆れた調子でそう云うと、をそこに立たせ、慣れた様子で騒ぎの中心へずかずかと歩いて行った。
「アンタたち、また騒ぎ起こしてるのかい? いいかげんにおしよ!」
「何をしてるんだ、無抵抗の人たちに!!」
「「……え?」」
モーリンとロッカの声が、きれいに重なった。
「「……あ」」
ロッカは、モーリンの後ろにを。
モーリンは、ロッカの後ろにトリスとマグナとレシィを。
見つけて、またきれいに声を重ならせる。
そして。
「「「「!!」」」」
4人がきれいに合唱した。
心の準備が出来ていなかったは、それはもう驚いた。
思わず、後ずさり――
「いてぇっ!」
「あ。」
振り返って見れば、すぐに暴れていた連中の仲間だと判る格好をした(要するに因縁つけてる奴ら、みんな似たような格好なのだ)男がひとり。
で、足の下にはなにやら柔らかい感触。
「いてェなオイ、骨が折れたじゃねぇかよ!」
うああぁぁぁ、お約束――――
がしっ、と肩を捕まれる。
港街特有の潮のにおい、しかもそこはかとなく汗のかほりと混じったものが漂ってきて、は思わず顔をしかめ――それがますます、相手のお気に召さなかったらしい。
「人の足踏んでおいて、いい度胸じゃねーか! あぁ!?」
けれど、も、それでむっときた。
さんざん泣いてた。さんざん迷ってた。
さんざん考えてた。
メイメイに逢ってモーリンが迎えにきてくれて、かなり気分は上昇していたのだけど――実はの線は、このとき臨界点寸前だったのだ。
「これはもう治療費20000バームくらい払ってもらわねーとな…………おぶぅ!?」
げしぃ!!
「うるっさぁい!!」
よって。
目の前の男の理不尽な態度は、それをぶち切ってしまうには充分すぎるものであった。
アッパーの要領で男の顎をのけぞらせ、肩をつかんでいた腕の力が緩んだ瞬間に距離をとる。
そのままモーリンやリューグのところまで駆け寄って、まず。
「ごめんなさいトリス!!」
勢いを殺さずに、彼女に抱きついた。
「ごめんなさいっ!」
繰り返す。
あんなことするつもりなかったとか、自分でもびっくりしたとか、そんなこと云ってもしょうがないから、ただ謝った。
だから。
トリスが間もおかず、の身体に腕をまわしてくれたときは、ほんとうにうれしかった。
「……うん」
身体を離してトリスを見ると、彼女はにっこり笑っていて。
うれしくなって。も笑った。
ぎゅ。
「……何してるの兄さん」
トリスの反対側、つまりの背中に立って、を抱きしめるマグナに、トリスが呆れた顔で云う。
「いや、トリスばっかりずるいなーって」
「そういう問題じゃないでしょっ!?」
「ほんとうに、今は、そういう問題じゃないんですけど」
べりっとマグナをから引き剥がしたのは、トリスではなくロッカ。なんとなく笑顔に凄みがあるような。
そして笑顔のままロッカが指差した先には。
「やっちまえー!!」
どこから仲間を呼んだのか、集団で襲いかかってくる暴漢の皆さんがいらっしゃった。
とりあえず構えた一同の前に、けれどモーリンが立ちふさがる。
「ちょいと待ちなっ! こんなところじゃ思いっきりやれないだろう!? 浜の方で思う存分やろうじゃないか!?」
「望むところだ!!」
もしもしモーリンさん。こっちの意見は聞かないんですか?
乱闘はあっという間に終わった。
暴漢たちは数こそ多かったものの、やはりモーリンやロッカに比べると腕が見劣りしまくりだ。
レシィも、あの気弱な感じからは想像もつかないほど器用に立ち回っていた。「うわああぁぁぁん!!」のおまけ付で。
「覚えてろ――――!!」
登場もお約束なら、退場の仕方もお約束な彼らを見送って、たちはその場で息をつく。
「まったく、あの海賊ども……」
そういえばアンタたち、どうしてあんなところに?
服についた砂やらを払いながらモーリンがそう云うと、トリスとマグナがぺろっと舌を出した。
「いえ……待ってるって云ったものの、がやっぱり心配で」
「ご主人様たちの案で、何人かに分かれて探しに出たんです」
「おいおいおい……あんたら、ファナンの道も判らないのによくまぁ……」
しょうがないね、と云いながらモーリンも笑っている。
「さん、だいじょうぶですか?」
会話している3人の間を縫って、ロッカがのほうにやってきた。
「……うん、平気。心配かけちゃった……」
道も判らない街に、探しに出てくれるなんて思わなかった。
ひとりで勝手に出て行ったのに、みんなそれぞれ自分の未来に不安だろうに。
なのに、それをおしてまでのために動いてくれたことが、ただただ、ありがたく、うれしい。
の頬を濡らすものに気づいて、表情を硬くするロッカに向けて、にっこりと微笑んだ。
「ありがとう……」
ことばは自然に出てた。
ロッカも「どういたしまして」と笑って、をすっと引き寄せると、頬をぬぐってくれる。
「あーあー! そういえばさ、!!」
まるでさっきのやり返しのように、がばっとロッカとの間にマグナが割り込んできた。
「さっきさ、ここにすげぇ変な人がいたんだぜ?」
「あ、そうそう! 魚釣りしてたんだけどね、ぜんぜん釣れなくて! 地元の人が通りかかってこの時期釣れないこと教えなかったら、ずっとそうしてたんじゃないかなぁ」
さらにマグナの隣へ出現し、付け加えるトリス。
「……そういえば、そんな人もいましたね。カザミネさんでしたっけ」
さっきとは全然質の違う微笑を浮かべながら、とりあえずとでも云いたげに話題に乗るロッカ。
さりげなく、を自分のところに引き寄せたりなんぞしながら。
とはいえ、引っ張られたの方は、判らずに従っただけだが。
「ご主人様たち、かわいそうだからってお金渡してあげたんですよね〜」
対照的に無邪気な笑みを浮かべながら、レシィも話に混じってくる。
「そりゃあ、いいことというかお人好しっていうか……」
くすくすと、モーリンが笑う。
まったく変わらない彼らの在り様に、もまた、笑みがこぼれるのを抑えられなかった。
そして今。緊張して、は目の前の扉を眺めている。
無事にモーリンの道場に戻り、心配していたみんなから、怒られたり優しく迎えてもらったりした、その後だ。
部屋に戻ったというネスティときちんと話をつけるべく、こうしてやってきたのだが……
「……また怒鳴られたらどうしよう」
うぅ、と頭を抱えて息をつく。
まずは、いきなり逃げ出したことを謝って。
それから、力の説明がつけられないことをちゃんと云って。
あわよくば召喚術が使えるかどうか見てもらおう。このままじゃ足手まといまくりだし。
いや、パンチとキックで充分だろ。――頭のどっかで響く、赤い髪した誰かの声は、この場合黙殺。
こんこん。心を決めつつも、遠慮がちに扉を叩く。
室内で誰かが動く気配。
「……誰だ?」
「あたしです。」
誰何の声に、そう答えると。
がたがたがたっ、だん! がららららっっ!!!
「!?」
いったい何をしたのかすさまじい音を立てて引き戸を開け、ネスティが姿を見せた。
「……よかった……」
の姿を視界にとらえた瞬間、例えようないほど、安心した光がネスティの目に宿る。
普段の彼からは想像出来ないくらい、真っ直ぐな、強い好意。まさかと思ったのが半分以上で、それが少し後ろめたくなって直視できず、は思わず視線をそらした。
けれどネスティはそれを別の意味に解釈したのだろう、改まった声で、
「その……昼間はすまなかった」
唐突な謝罪のことばに、のほうが目を丸くする。
自分が謝ろうと思っていたのに、これでは逆だ。
「いえあのっ、あたしも、判らないからって逃げたりしてごめんなさい!」
でも、一応自分なりに考えてみたんですけどやっぱり判らなくて……
「いや、記憶がないのにしつこく訊いた僕が悪い」
「でもあたしがちゃんと答えられたらネスティさんも怒鳴らないで済んだし」
「…………」
必死に、原因が自分にあるのだから、と説きかけたのことばを遮って、ネスティが小さく苦笑する。
「はい?」
何か機嫌を損ねたかと顔を上げると、ネスティの笑みは、予想に反してやわらかだった。
そのまま見上げていると、彼の腕が伸ばされて。ふわり、をそのなかに閉じ込めた。
それは、とても優しい気持ち。あたたかい懐かしさ。――そして、ネスティの気持ち、そのものだったのかもしれない。
「……すまなかった、本当に。……心配したんだ……」
頭に回した手で、の髪を梳きながらネスティは云う。
はかりようのないちからを目の前に、動転していた自分に、彼は腹が立っていた。
感情を乱したまま投げつけたことばで、目の前の少女を泣かせてしまった。
透明な雫を見た瞬間、自分がどんなことをしたかようやく判ったというのは、遅きにすぎるかもしれないけれど。
それでもただ、謝りたかったのだ。
「えぇと……」
腕のなかの少女が、戸惑ったような声を出す。
つ、との腕がネスティの身体を押し返してきたものだから、拒まれたかと少し不安になった。
だけど。
「あたしも、ごめんなさい」
そう云って微笑うを見た瞬間。
「――――」
どうして弟弟子と妹弟子が、こんなにこの子を慕っているのか判ったような、唐突な感覚がネスティを襲った。
まるで、春の花が咲くようにこの子は笑う。
抱えている不安の欠片も見せずに、は笑うから。
「あたし、たしかに自分のこと、まだ判らない。でもいつか、絶対に説明できるようになるから」
だから、待ってて。
細められた、黒い瞳の奥にたしかに見える強い想い。
強く――願う。気持ちが見える。
泣きたくなるほど切ない、たったひとつの。彼女にとっての真実。
「…………ああ。気長に待たせてもらうよ」
自然とネスティも微笑んで、もう一度、の頭をなでた。
それを心地よさそうに笑うの笑顔に、自分の心も優しく凪いでいくのを感じながら。