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第7夜 四
lll 返されるひとつの鍵 lll



「……え?」

 まさか今の状態の自分に声をかけられるとは思ってなかっただけに、の声は奇妙に上ずった。
 けれどそれ以上に上ずった……というか、上機嫌というか。そんな感じで声をかけてきたのは。
「……酔っ払い?」
「にゃはははは〜♪ 当たり〜♪」
 紅い衣装と結わえた茶色の髪。丸メガネ。
 手には酒瓶を持っていて、頬が服と同じくらいには赤くなっている。
 どうしようかと迷ったけれど、話しかけられた以上無視も出来ない。
 はくるりと振り返り、その女性の方へ向き直った。
「はいはい、泣かないの。近くにお店があるから、いらっしゃいな? お茶くらいなら出して上げるわよ〜」
 優しく頬に手を添えて、視線を合わせて見つめるその目は、とても暖かくて優しい。そして懐かしい?
 そんな眼差しに誘われるように、は小さくうなずいた。



 空気が重い。それはそれは重い。
 道場に集まった全員が、一箇所に視線を集めてあげくに対象を睨みつけていれば当然だろう。
 ……睨まれているのはネスティである。
 もちろん、さっきを怒鳴りつけて泣かせてしまったことが原因だ。
 モーリンの姿がないのは、を探しに出かけたせい。
 この街に着いたばかりの彼らでは、探しに行って逆に迷子になるのがオチだから、待ってるのがいちばんだ、と。
 もしすれ違いで帰ってきたときに誰もいなかったら寂しいだろ? とも。
 で、こうして一同、ミニスとトリスとマグナから事情を聞かされ――

 いっせいに、ネスティを睨みつけていたのであった。

「……悪かった。非があるのは、感情に走りすぎた僕だ」
 小さく手を上げて、ネスティは一同に告げる。
 沈黙の重石を自分から打ち破るのには度胸が要ったが、そんなものかまってもられまい。
 本当にそう思っていることに、間違いはないのだし。
「……私――私は、もうずいぶんになるわ。だから実はこのままでもいいかなって、思ってる部分がないでもないんだけど」
 それに反応したわけではないだろうが、と同じく記憶喪失中のケイナがぽつりとつぶやく。
「最初は怖かった……誰のことも知らないし、誰も私を知らないし。よく、自暴自棄にならなかった、ものよね」
「まぁそれは、俺がいたからだがな」
 珍しく、ケイナのこぶしが飛ばない。
 覚悟して構えていたフォルテも、きょとんとして彼女を見る。
「ある程度は事実ですからね」
 にっこり笑って答え、ケイナは、ふとレルム村の3人に目を移した。
もそうならなかったのは、きっとあなたたちが見つけてあげたからね」
「……」
 ロッカとアメルはうれしそうに顔をほころばせたが、リューグの表情は硬い。
 なにせ元凶が自分なのだから。
「……俺のせいだ」
 ぎり、と唇を噛みしめて、こぶしを握り締める。
「こんな戦いに、何も知らないアイツを巻き込んじまったのは、俺が――」
 それでも。
 危険だからと思っても。
 どうして、ただひとこと『もう、ついてくるな』と。
 どうして。それが、云えない?
「それでもは、アメルを守ろうって一生懸命だわ」
 ケイナが、リューグへと小さく微笑みかけ、そう云った。

 きっとそれは、すべてがあやふやな彼女のなかで唯一、確固として存在している想い。

「今はそれでいいと思う。急に引き出そうとしても無理な相談だもの」
 だから。
「ネスティの云ってる、あの子の不思議な力も。きっといつか、判るときがくる。それを待ちましょう」
 他の誰が云っても、それは記憶をなくすということを知らない人間の想像でしか、なかったけれど。
 同じように記憶をなくしているケイナだからこそ、きっと、出たことば。
「……もし、そのときがこなかったら?」
 つぶやいたミニスのことばに、ケイナはちょっと苦笑した。

「火事場の馬鹿力ってことにしておきましょうか」

 一同崩れ落ちた。

「それでいいんですか!?」
「良くないけど、説明の付けようがない以上、しょうがないじゃない。ねぇ?」

 それとも、何か反対意見はある?

 そう云って、にっこり微笑むケイナに対抗できる者はいなかったのである。




 が連れてこられたのは、ファナンの街のほぼ中央にある、こぢんまりした占い屋だった。
 道すがら自己紹介しあい、メイメイと名乗った女性は、表にかけてあった『営業中』の看板をひっくり返すと、を促して店内に入る。
「い、いいんですか?」
「いいのよ〜、どうせお客さんなんてめったにこないんだから♪」
「は、はぁ……」
 本来は占いに使うらしい、ふたり向き合う形のテーブルに腰を下ろして待つことしばし。
 奥にひっこんでいたメイメイが、ホットミルク片手に戻ってきた。
 厚手のカップに満たされた、乳白色の液体。ほかほかと湯気が立っている。
「おまちどうさま〜」
「あ、ありがとうございます」
 カップを両手で受け取るを、メイメイは、ひどくご機嫌そうに笑って眺めた。
「もう涙はおさまったみたいね?」
「はい……すみません、恥ずかしいところを」
 頭も冷えた今、何を街の真ん中でわめいていたんだと自嘲中のの頭を、メイメイは「にゃはははは♪」と笑いながらなでる。
 気持ちいいなぁ、と、思った。
 どうしてか判らないけど、ずっと昔から、こういうの好きだったような気がする。
 目を細めているを見て、メイメイは気を良くしたのか、がさごそと何かをとりだした。
「じゃーん♪」
「なんですか? これ」
 12個のマスがあって、それぞれに銀箔だかが貼られている、の手のひらより一回り大きな……カード?
「これはねぇ、運試しなの♪ にゃはっ♪」
 ……ごしごしごし。
 取り出したバーム硬貨で、メイメイが銀箔をこすると、下からなにやらのマークが現れた。
「お日様……」
「そ、お日様♪ あと二箇所こすってみて、もう一個同じマークが出たら、良いモノあげるわよ〜♪」
「は、はい」
 うなずいて、バーム硬貨を貸してもらう。
 考えてみたらルヴァイドたちのところに夜逃げしようにも、移動のための金銭すらもってこなかったことに今更気づく。
 アホかあたしは。

 ……気を取り直して、ごしごしごし。

「あら! 大当たり!!」

 メイメイが大げさに叫んで、テーブルに手をついて立ち上がった。
 適当にこすったそこには、さっきメイメイが出したのと同じ、太陽のマークが鎮座ましましている。
「……当たっちゃった」
 自分でも信じられなくて、呆然とつぶやくの手に、メイメイが何かを乗せた。
「おめでとー! じゃあはい、コレが“約束”の景品♪」

「首飾り……?」

 乗せられたそれは、銀の緻密な細工を施されたペンダントだった。
 シンプルで、宝石などついているわけでもないが、その意匠の細かさから、相当の芸術品であることが知れる。
「いいんですか? こんな高価そうなもの」
「いいのいいの、にゃははは〜♪ あたしがちゃんにあげたいのよ♪」
 そう思うなら、最初から運試しとか云わずに素直に渡せばよさそうなものだが。
 ちゃり、と音を立てながら、首にかけてみる。
 ひんやりとした感触が、火照っていた肌に心地よかった。
「どう? ちょっとは気分晴れたかな?」
 覗きこんでくるメイメイに、我ながら現金だなぁと思いながら、はにかんだ笑顔でうなずいてみせる。
 そうして、お礼を云おうと、口を開きかけたとき。

「ごめんよ! こっちにって女の子が…………!」

「モーリン!」
 盛大な音たてて扉を開け、駆け込んできたのはモーリンだった。
 よほどあちこち走り回ったのだろうか、顔が上気していて、息も荒い。
 それでもを認めた瞬間、モーリンは、見ているほうがはっとするような、盛大な安堵の表情を浮かべた。
「まったく、心配したんだよ? いきなり出て行ったって聞いたから!」
 街中聞きまわって、アンタがここの店主に連れられて歩いてたってようやく突き止めたんだから。
「……ごめんなさい」
「まぁ、無事だったんだからいいさ。帰ろうか?」
「……でも、あたし…………」
 トリスにひどいことをした。
 じわりと涙を浮かべるを、モーリンはその腕に抱きしめて頭をなでる。
「だいじょうぶ! 謝ればいいじゃないか!」
「そぉそぉ♪ 何したのか知らないけど、案外あっさり許してくれるかもよぉ? にゃは♪」
 メイメイが、ひょい、と気楽な表情と声で、付け足してくれる。
 遅まきながら彼女に気づいたモーリンが、頭を下げた。
「この子が世話になったね、ありがとう」
「お安い御用よ♪ またいらっしゃい、ちゃん♪」
「はい……ありがとうございました!」
 どこまでも楽天的なメイメイと、闊達なモーリンの雰囲気に、の気分も少しずつ、上昇をはじめていた。
 そのままモーリンと手を繋いで、はメイメイの店をあとにしたのである。

 見送りのために外へ出たメイメイは、入り口に背をもたれて立ち、去っていくとモーリンの背中を見つめ、ほう、と息をついていた。
 そしてつぶやく。
「返せてよかったわ〜……♪」
 ――約束、だったものね……
 それは誰の耳にも届くことなく、風にふわりと溶け消えた。


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