風が吹き抜ける。
銀が鳴るような、涼やかな音と共に。
黒い風を打ち払い、澄み渡った風が吹く。
黒い淀みをかき消して、白銀の光が降り注ぐ。
世界中に均等に降り注ぐ光は、この場だけには膨大な量が姿を見せていた。
それゆえに、誰の視界にも、始めは白銀しか映らなかった。
だが、徐々に――徐々に。
黒い風と淀みが薄れるにつれ、光の量も、他の場所と変わらない程度におさまっていく。
そうしてやっと、彼らは、彼らの前にそびえるものを、目にすることが出来た。
「……わあ……っ」
レシィとハサハが声をあげ、それを見上げる。
機械遺跡と呼ばれた旧時代の建造物はすでになく、そこに在るのは一本の樹。普通に成長するならば、何百年となく時を要するだろう大きさの、どこか神々しささえたたえる巨木だった。
「……あの遺跡が、そのまま樹になったのか?」
云っている自分自身がが信じられないような表情で、フォルテがつぶやいた。
呆然としたままの一行のなか、けれど、ミニスがぱっとその樹を指差して声を張り上げる。
「見てっ! この樹の葉っぱが黒い風をどんどん吸い込んでる!!」
「それだけじゃない……」
この光の雫も、あの樹から降り注いでるんだ……
半ば放心状態でつぶやく兄の横で、リューグが、はっと目を見開いた。
「そんなことより、あいつらは!?」
「……ここにいる」
「あたしも……無事、です……」
「ネス! アメル!!」
樹を見つけた彼ら以上に放心した声は、少し離れた場所から聞こえた。
揃って地面に座り込んでいた声の主――ネスティとアメルは、転がるように駆けていったマグナとトリスのタックルを、どうにかこうにか受け止める。
そうして、続いて駆け寄ってきた双子や仲間たちを、ぽかんとしたまま見渡し、云った。
「……だけど、どうして」「僕たちは、ここにいるんだ?」
つぶやいて。ふたりは、お互い、顔を見合わせた。
悪意の源であるメルギトスに、アクセスという手段を用いて直に接触した。
すでに失われかけている天使の力を、限界を超えて引き出した。
……この命がついえることを、たしかに自分たちは覚悟していたのに。
――何故。
「いいじゃん! 無事なら!!」
だけど、そんなこととはつゆ知らぬマグナのことばに、ネスティは苦笑をこぼし、
「そうよ! 生きて帰ってこれたんだから結果オーライよ!」
嬉し泣きに近い顔でまくしたてるトリスに、アメルも表情をほころばせる。
だけど。
アヤが、搾り出すようにつぶやいた。
決して大きくないそれは、喧騒に包まれた一帯に、不自然なほどにはっきりと響く。
「ちゃんは……?」
そしてそのことばだけで、瞬時に場は凍りつく。
そこにいた全員が、一斉に視線をめぐらせた。
立ち上がり、周辺へと駆け出す者もいる。
……収穫を得られずに、その全員が戻ってきたけれど。
「ネス……アメル……」
「……、は?」
マグナとトリスが、呆然と。
最後まであの場に残った、ふたりに問うた。
問いに、ネスティとアメルは再び顔を見合わせる。
誰に云うでもなしに。
とつとつ、と、ことばがその口からこぼれた。
皆が避難したあとから、3人がメルギトスに相対している間のことを、途切れ途切れに。
……けれど。
最後の最後、白い焔がすべてを覆った瞬間までしか、ふたりは語ることが出来なかった。
「――後は……気がついたら、ここにいたんだ」
そう、締めくくったネスティのことばが最後。
重い……呼吸さえ苦しくなるような沈黙が、その場を覆い尽くした。
そのときだ。
リィン、
涼やかな――場違いに済んだ音が、全員の耳を打ったのは。
「……?」
のろのろと、音の発生源を見上げた者たちは、一斉に目を見張る。
リィン――リィン……
光の雫を降らせている、大樹の幹を伝うように。
時々跳ねて、銀の音を響かせながら。
「……の……!」
誰かのことばと同時、翼を羽ばたかせて飛び上がったバルレルが、空中でそれを受け止める。
それは、銀を材質とした、精緻な細工の施されたペンダント。
ついこの間まで、の首にかかっていた、そのものだった。
たしかその後、メルギトスに奪われて――そう、たしかこの戦いの途中まで、彼の手首で泣いていた。
そして。
この場ではバルレルたちしか知らない、『彼女』のものだった。
舞い下りてきたバルレルの手元を、我先にと全員が覗き込もうとする。
「……マジかよ……?」
なんとも云いようのない顔になって、堪えきれなくなったらしく、フォルテがそうこぼす。
ケイナが無言で、大樹を見上げた。
双眸から溢れる雫を止めきれなくなったミニスとユエルを、ルウが抱え込む。彼女も似たようなものであったけれど。
「やだ……やだ、やだぁ……っ!!」
「なんで……ッ」
トリスを抱いてやっている、マグナの震えも止まらない。
――ドスッ、と、鈍い音がした。
「……ルヴァイド様……」
はらはらと、明るい緑の葉が、光に混じって降り注いだ。
大樹を力任せに殴りつけたルヴァイドの、握りしめられた手のひらから、ぽたぽたと赤い雫が零れ落ちる。
――誰もが声もなく、立ち尽くしていた。
白銀と緑に覆われた世界のなか、鮮やかな赤を双眸に映したまま。
ただ――立ち尽くしていた。
立ち尽くすことしか、出来なかった――――
――おとうさん、おかあさん――
そうして前触れもなく。それは、ルヴァイドの脳裏によみがえる。
遠いいつか。出逢ったいちばん最初の日。
――ただ、両親を呼ばわって泣くことしか出来なかった、小さな小さな子の姿。
だけど、どうしてだろう。
それはすぐに、しあわせそうに笑うあの子の表情にとって変わっていた。