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第60夜【十三夜】 壱
lll 黒い風が吹く lll




 黒い黒い、風が吹く。


 黒い淀みが、吹きつける。
 ただでさえ良いとは云い難かった空模様だったが、それが途端に暗雲に包まれだす。
「……な、なにこれ……?」
「気持ちが悪いな……、なんだこれは……」

「ふたりとも、危ない!!」

 怪訝な顔で空を見上げるトウヤとカシスに、鋭いミモザの声が飛んだ。

「シャアアァァァァアァッ!」

「っと!?」
 剣を構えて、屍兵が突っ込んでくる。それまでの、主不在の心なし鈍重な動きとは打って変わった素早さだった。
 すんでのところで身を躱したトウヤは、横薙ぎにそれを斬り払う。
 上半身と下半身が泣き別れになったそれは、しばらくの間、地面でじたばたともがきつづけ、やがて果てる。
「気をつけろ! 化け物たちの勢いが、さっきより激しくなっているぞ!」
 少し離れた場所で、やはり屍人のひとりを葬ったギブソンが、表情も険しく叫んだ。



 黒い、悪意が吹き抜ける。
 サイジェントの中庭で、急にぐずりだしたラミをなだめていたフィズやアルバが、外が怖いと云ってフラットの中に避難してきた、そのすぐ後。
 いったいどうしたのだろう、と外へ出てみたクラレットとナツミは、呆然と、頭上を吹き抜ける暗雲と、黒い風を見ることになった。
 同じように出てこようとしたリプレを、慌ててふたりがかりで中に押し込める。
 こんな淀みまくった空気に、普通の人間があたって平常でいられるわけがない。
「なんなのかしら、これ……」
 そう、クラレットがつぶやいたときだ。
 ……ガタッ、と、門のところで物音がした。
「カノン!? どうしたの!?」
「……す、すいません……しばらく、お邪魔させてくださ……っ、この風は、ボクには辛――」
「カノン? カノン!!」
 シルターンの鬼神の血をひく少年は、気を失う寸前、たしかに、暴走一歩手前の様相を呈していた――



「どういうことですの!?」
 ケルマが叫ぶ。
「味方の兵士たちが、お互いに殺し合いはじめるなんて……!」
「慌てないで。動ける部隊に、止めさせるよう指示を出したわ」
 信じられないと云いたげな表情の彼女とは対照的に、ファミィは落ち着いた様子だった。
 けれど、その表情は常からは考えられないほどに険しいものだ。
「……この風のせいね……」
 すさまじい悪意が、負の感情が、黒い風となって、世界に叩きつけられている。
 召喚師としての感性以上に、人間としての本能が、その脅威を怖れていた。だからこそ、彼女の声も表情に比例して硬いものとなっている。
「間違いない、これは原罪だ」
「エクス総帥……」
「悪魔がもたらす、人間を堕落させる黒い力……」
 平然と話しているように見えながら、彼らもまた、風によって膨張しようとしている、普段なら目も向けないほど奥深い部分の感情の勢いに飲まれぬよう、必死に抗していた。
 ファミィもケルマも、そしてエクスもグラムスも。

 けれど、いくら自分たちが耐え抜いた所で、この世界中に吹きつける原罪を防ぐすべはない。

「まずい……!」
 ぎりっ、と、歯を噛みしめ、エクスが空を仰いだ。

「このままでは、世界中の生物が欲望のままに狂ってしまう……!!」


 ――黒い黒い、澱んだ風が。世界中を、侵蝕せんと吹き渡る。


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