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第60夜【破鏡】 七
lll 決するは、その心 lll




 先頭を走るのは、体力的にほぼ満タンに近い
 遅れてなるものかと、マグナとトリス。その周囲を固める人たちが、上下左右から襲いかかる光弾やら触手やらを弾き飛ばす。
 元々、の立っていた位置は、メルギトスの本体の至近だった。
 ものの数秒もせずに、一行はその真正面に踊り出――
 本体を中心に凝縮しだした、金色の死んだような色をした、光が。
 その刹那、の双眸に映し出される。
 それは、真っ直ぐにを狙っていた。規模からして、向かってくる人間すべてが射程内だろう。
 同時に、もうひとつ。
 先刻の攻撃で、イオスがこじあけ、シャムロックたちがさらに広げた、障壁の穴も見えた。
 そう。狙うのはその一点。
 策とも呼べぬ策もまた、ひとつ。剣を突き立てると同時に、腕にまとう焔を、剣を介して内部に叩き込む。それだけだ。
 外郭はさすがに硬いようだが、内部はそこまでの強度はないだろう。
 ……それに。今のメルギトスの身体は、リィンバウムでつくられたものだ。
 世界自体の力を引き込んだのが、この白い陽炎――いまや焔とも呼べるほど猛る、光の正体なら。干渉次第では、それだけで必殺の可能性はある。

 だが、物事はいつだって、そう簡単にはいかないものだ。
 ほんの少しだけ、光の発射のほうが早い――思えたそれは、事実。
 相打ちの覚悟を、決めざるを得ないかと。だから、そう、考えた。

 ……けれど。

「雷撃の網持つ機界の六芒!!」

 ばしゅうッ!

 熱した鉄板に氷を置いて蒸発させたような、すさまじい音。それとともに起こる反応――臨界まで達していた、メルギトスの光が砕け散った。
「――ネス!!」
 トリスが振り返り、叫んだ。
 結界から飛び出し、すでに尽きていたはずの魔力を搾り出したネスティが、がくりと片膝をつくところだった。
 そうしてその声に思わず、も足を止めかけた。
 けれど、させじと響く声。
「行け!!」
 これで終わらせろ……!
 その。ことばに。強く、背を押す意志宿す声に。
 ゆるみかけた足が、再び力を取り戻す。
 が、今度は、四方八方あらゆる方向から、魔力とも淀みともつかないものをまといつかせた触手が迫りきた。
 だけども、それは、決してにまで届くことはない。
 防衛すら考えず、振り返ることさえもしなかったけれど、判っていた。
 迫るそれらを、皆が食い止めてくれているということが。
「ご主人様、いっちゃえ――――!!」
「ここで外したら、テメエら一生笑いモンにしてやるからな!!」
「おにいちゃんたち、がんばって!」
「コチラハ気ニナサラズニ……!!」
 護衛獣たちの声が、少し離れた後方から聞こえた。
 触手との攻防をかいくぐって、マグナとトリスがに追いつく。

 光が、再び正面に凝縮しようとするのが見える。
 でも今度は。自分たちの方が早い!

「うおおおおおおおおッ!!」
 咆哮とともに、マグナが剣を叩きつけた。
 ぼろり、と、メルギトスの外郭が崩れ落ちる。
 こそげたその部分から、柔らかい内部が明らかになった。
「ツヴァイレライ――――!!」
 トリスの放った召喚術が、その穴をさらに広げてこじ開ける。

「バかな……ッ、バカな、ばかナ―――ニンゲンのっ……分際デ……!?」

 破られることなどないはずだった装甲の砕け散る様に、メルギトスが咆哮した。
 彼の漂わせる光はまだ、時間が足りなかったのか、先に比べると遥かに小さい。しかし、正面のひとりなら、おそらく瞬時に灼き尽くせるだろう。
 そうしてメルギトスは誰かの予想したそのとおりに、淀んだ光を発射しようとした。
 ――けれど。けれども――


  レイム……!!


「レイム――――!!」


 叫び、呼んだ。
 彼女の声。


 ……メルギトスの動きが、止まる。


  ――メルギトスなんて、そんな怖い名前、わたしは呼びたくありません。

 思い出す。
 それは、遠い遠い記憶。
 優しく懐かしく……微笑みあっていた、あの頃のやりとり。
 ニンゲンと、悪魔の、会話。

  ――え? そうねぇ、わたしだったら……

 ……思い出す?
 そんなことは、ないはずだのに。
 いつから……そんな奥深くへ、しまいこんでいたのだろう?

  ――レイム。うん、レイムってどうかな――


『決まってる』

 声がした。
『それが、あの方の真実の名前……』
 少し甲高い、気分屋の女性を思わせる声。
『あの子がそう、名付けたから、レイム様はそれを選ばれたんだもの……』

  ……ビーニャ

 一瞬、ほんの一瞬。
 剣をメルギトスに叩きつける、そのほんの刹那。
 いつかどこかで交わされた、トリスの問いへ対するビーニャの回答が、風のように場を通り抜けた。


 光は、そこにわだかまったままだった。
 その横をかすめ、の剣が翻る。
 鈍い音を立てて、剣は殆ど柄までもが、その身体へめり込んだ。
 同時に。
 の身体を覆うようにあった白い陽炎が、一気に二本の腕へと収束する。
 そこで留まらず、剣を伝ってメルギトスの内部へ潜り込む。


 ――いつかどこかで。
 調律者のかけた誓約を弾き飛ばした焔は、究極ともいえる機械と悪魔王の融合体でさえも――弾き飛ばしていた。



 内部からの衝撃を止めきれず、吹き飛んだメルギトスの部位が、壁や床にぶつかり、または落ちる。
 崩壊はそれだけで終わらず、吹き飛ばなかった部分も徐々に、ぐずぐずと崩れ始めていた。
「バカな……ッ!?」
 ほんの僅かの、静止と静寂。
 それを引きちぎり、メルギトスは叫ぶ。
「こノ私ガ、倒さレる……!? 絶対の力ヲ手に入れた私が、ニンゲンごとキに、倒さレルといウノカ……ッ!?」
「……だから、云っただろ?」
 腰が抜けたのだろうか。
 召喚術を放ったあと、その場に座ってしまったトリスを支え起こし、肩を貸しながら、
「おまえは、人間のことを何も判ってない、って」
 ゆっくりと――マグナが告げた。
 だけどね。そう、トリスがつづける。
「……それは、あたしたちだって変わらないんだよ」
 だって、生きているだれかのことを、全部、完璧に、判ることは、きっとないから。ぽつり、と小さな声で。だけど、揺るがぬものなのだと、はっきりと。
 その後方――身を起こしたネスティが、つぶやく。
「人間の心は、ことばや数式なんかで表せるものじゃない。……本人でさえ、解らないままに、身体を動かすことだって、ある」
「だから……予想も出来ない奇跡を起こす、力なんです」
 そうでしょう、レイムさん。
 アヤたちに、支えられ。決戦へと駆けた彼らの後方から、すべてを見ていたアメルが、云った。

 ……見ていたのだ。
 のことばに反応し、動きを止めた、メルギトスの姿を……アメルは、見ていた。
 だから。
「強い願いと、祈りは……運命さえ変えてしまえるんですよ」
「――ココロ……でスか」
 ぽつり。
 それまでの狂乱が嘘のように、静かな声で、メルギトスはつぶやいた。

「そんナものガ、運命ヲ変えルト……」

 変えて、しまったと。
 この私の定めた因果を、覆した、と。

「ふっ……ふフふフフふ、は、あーっはハッはっハ!!!」
「レイムさん……?」
「そうでスか! 今度ハ私が滅ぼさレル……まタ彼女を得ること叶わぬままに、私一人が!!」

 世界を壊すことも、彼女のくびきを解き放つことも。
 出来ないままに、この魂は終わりを迎えると。

 そういうことか……――!


 ……声もなく座り込み、肩で荒い息を繰り返していたは、不意に響いた哄笑と、傍を薙いでいった風に、びくりと身を震わせ、顔を上げた。
「その風にさわってはなりませんっ!!」
 同時に、鋭いカイナの声が飛ぶ。
 風の進行方向にいた一団は、そのことばに、重い身体を引きずりつつも、ばらばらに飛び散った。
 ごう、と、黒い風がそこを吹き抜ける。
「な……何!? 今の!?」
「……原罪だ……!」
 同郷の因縁でか、バルレルが真っ先にその正体を見破った。
「カスラ……?」
 それは一体――
 そう誰かが問うよりも先に、くくくくっ、と、しわがれた笑い声がメルギトスから降る。

「その昔、楽園だったリィンバウムが争いの絶えない世界に変わったのは、こいつのせいですよ」
 この世界を狙って攻め込んだ悪魔たちのもたらした、贈り物。

 ……かつて彼女を壊した。その力も同じ。

 さあ、それではまた、壊してしまおう。

 世界も彼女も得られぬのなら。
 穢してしまえ、壊してしまえ。
 一度は壊したこの力で、もはや。今度こそ――何もかもを。

「さあ、広がるがいい! 私の身体に蓄積された黒き原罪よ!!」

 我が命と引き替えに――!


 ――その姿など、どこにもないというのに。
 銀の音色が 原罪の風に重ねて 小さく小さく ないていた――


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