またたきするかしないかの間に、一同を取り巻く景色は一変する。
灰色の、無機質な機械に囲まれていたはずのその場所は、赤黒く淀んだ、不気味に脈動する何かに取って代わられていた。
壁も、床も、天井も。
重力を無視して、機械の断片がそこかしこに浮かび上がる。
中には、蠢く壁にめりこんだものもある。
「……ッ!」
生理的嫌悪感をもよおしたか、数人が、口元をおさえた。
だけど。
「! 返事して! !!」
悲痛なアメルの叫びが、そんなもの吹き飛ばした。
もっともゆがみの激しい場所、もっとも侵蝕の大きな場所。
その間近に倒れる少女は、先刻の叫びを最後に伏したまま、微動だにしない。
「……!」
「ふふ……ははははは……ひゃーっはっはっはっはァ!!」
その叫びを打ち消して、メルギトスの嗤いが響く。
「メルギトス――!!」
「ヒヒヒヒ……これガ、私ノ新たな肉体ですよ。この空間そのものが、私ノ血肉であり部品デあるワケです」
人間の負の感情を欲望に変えて永久に活動する存在なのだと、それは云った。
「機械魔めるぎとす、そうトでも名乗っテさしあげましょうかねぇ? ヒゃーっはっハっはっハっは!!」
「呼び名なんかどうでもいいッ!!」
メルギトスの哄笑が終わるよりも先に、マグナが叫ぶ。
「貴様、何故!」
何故を傷つけた!?
それにかぶせて、イオスの怒声。
「おや、おかしなことヲ仰る。……これハ、さんの意志でモあるのデすよ?」
「あんなのどこが、の意志だっていうのよ!?」
悲鳴にも似た絶叫は、だが、メルギトスを揺らがせることもない。諭すように、かつての悪魔王は云った。
「さんハね、彼女ヲ私に返してくれルと仰ったのデすよ?」
ですから、
「……を……壊すほどの衝撃……?」
機械遺跡に突入する前。
レイムのつぶやいたことばを思い出したトリスが、ぽつり、零した。それが引き金になったか、どこか呆然とした彼女の表情はすぐに、激しい怒りに彩られる。
けれど、トリスよりも先に、叫んだのはソルだった。
「ふざけるな!! 壊すほどだと!?」
ほど、なら。
壊しては――ないはずだ。なのに。
「なんで、あいつは動かない――!!」
動かない。
呼びかけに、応えない。
倒れたまま。
それは、もう――
「……そうデすねぇ。もうそろそろ、絶命ナさるころデしょウか」
あくまでも悠然と、メルギトスは、それに答えた。
「バカなことを……ッ!」
「ふざけるな! 貴様――」
あがる幾つもの咆哮を遮り、メルギトスは云いきる。
「バカなものデすか。これガ私の望み。そして彼女の選択」
絶対なる力を手に入れた。
もうすぐ彼女も手に入る。
――さあ、歌の終焉が間近に迫る。
――さあ、仕上げに世界を壊そうか。
……ゆらり。
倒れたままのの身体から、白い白い、陽炎が浮かび上がろうとした。
いや、浮かび上がろうとしているのではない。離されようとしているように、それは見えた。
「だめ――!!」
アメルが叫んだ。
白い羽を背に生やし、一瞬にして空を駆け、の傍に膝をつく。かざそうと持ち上げる手のひらには、やわらかな癒しの光。
「余計ナことをするナァッ!!」
当然それは、メルギトスにとっては邪魔な行為以外のなにものでもないだろう。その咆哮が響くと同時、正面の壁がぐにゃりと歪んだ。
生き物の頭部と思われる部位を形作る――おそらくそれこそが、メルギトスの本体なのだろう。
そうしてそれを中心として、膨大な魔力が収束し、放たれる。
向かう先は、の傷をふさぐべく、集中しているアメル――
「させるかよ!!」
飛び出したバルレルが、魔力をまといつかせた槍で軌道を逸らした。
標的を失った光弾は、壁にぶつかり四散する。
「おいオンナ! は!!」
「生きてますッ! まだ……まだだいじょうぶ! まだ息はありますッ!!」
受け流しきれなかった衝撃に体勢を崩しながらも、どうにか着地するやいなや。ほとんど怒鳴り声に近く問うたバルレルの声に、アメルが必死の形相で返した。
そのやりとり。アメルの断言。
かすかな安堵が、一同の間に流れた。
けれど、それも一瞬。
「メルギトス――!!」
怒りに任せて放ったネスティの召喚術が、の血がこびりついたままの触手を狙って放たれる。
衝撃を受けた触手は、一瞬先端を丸く膨らませたかと思うと、次には、意外なほど呆気なく弾け飛んだ。
それが皮切り。
マグナが、トリスが、――全員が。その場に続く道を、駆け上る。
進攻を阻もうというのか、召喚兵器が数体降ってくるが、常になく威力を増した彼らの攻撃によって蹴散らされる。数度繰り返される光景は、見れば、補充よりも消耗の方が大きいのは明らかだった。
だが、それを見ても悔しがる様子のひとつもなく、メルギトスは咆哮した。
「あくまデ抵抗しようというノですか? 愚かなり、調律者よ! 運命を律する糸は既に、貴様らノ手から離れたノだッ!!」
因果の律は今や、我がメルギトスの手に。
「いくらあがこうとも無駄だッ!! 運命によって貴様らは、敗北するノだアァッ!!」
――膨大な量の光弾が、走る一同目掛けて降り注ぐ。
だが、それが着弾するよりも先に、ルヴァイドが先頭に踊り出た。
ギャイイィィィィッ!
耳障りな音を立てて、光弾のすべてとはいかないまでも、大半の軌道が逸らされる。
「俺の運命を、貴様などに定められる謂れはないわッ!!」
大剣を遥かに超える強大な光――刃。それはおそらく、ジェネレーターの機能を限界まで引き出した結果だ。……剣を開発したかの地の誰も。このように自在に扱う者はいなかったと――漆黒の機械兵士がいたらば、語っただろうか?
だが、あの姿はここにはない。ジェネレイターを用いて光弾のことごとくを防いだルヴァイドは、メルギトスに向け、強い怒りの声を放つ。
「誰の運命も、他人に決めてもらうほど安いものじゃありません!!」
「まして、おまえみたいな奴になんか好き勝手されてたまるか!!」
アヤとハヤトが繰り出した召喚術は、横手から襲い掛かろうとした触手をちりぢりにした。
やはり一瞬球状に膨らんだ触手が、ぱあんと粉々になって、散る。
空に舞うその破片の間を縫い、マグナが、本体と思われる部位に剣を突き立てる。
その背中を狙って新たに生み出された触手の攻撃は、兄の後ろについていたトリスが、杖に絡めとって動きを止めた。
「運命なんか、おまえに――誰にも! 決めてもらう筋合いはない!」
おまえの云う運命が、それでもなお、俺たちを滅ぼそうと云うのなら。
「メルギトス……あなたが、その糸を操ると云うのなら」
大切な人を奪う未来を、用意しているというのなら。
望みつづける明日への道を、閉ざしてしまおうというのなら。
そのもたらす因果が、滅びへとしか向いていないというのなら。
「そんな運命、超えてみせる!!」
因果の律など超えてみせる。
『調律者』の名など要らない。
その名をおまえが奪い取り、そして自分たちを滅ぼそうと云うのなら。
運命を律する力など、もうこの身には必要ない。
調律者の称号など、熨斗つけておまえにくれてやる。
「――絶対に、おまえはここで倒す!!」
調律者ではなく、超律者として。
自分たちは、自分たちの望む明日を掴みとる!
それはクレスメントの一族。彼らだけの持った力ではない。
それは、きっと、生きる者、誰もが持ち得る可能性の名だ。
「絶対……絶対だ! 俺は――!!」
――最後まで、あきらめたりしない!!
「ほざけェェェェ!!!」
なお力をこめて抉ろうとしたマグナの背に、触手との攻防で力負けしたトリスがぶつかった。
そのままふたりは前に倒れこもうとしたが、そこにモーリンが飛び込んで支える。ユエルも加勢して、彼らはいっせいに、迫ろうとしていた光弾から距離をとった。
乱舞し、床に着弾する光弾の衝撃は、の治療に精一杯なアメルのいる場所まで及ぼうとしていた。
が、それはレオルドが自ら身体を割り入れて、受け止める。
「コノ場ハ危険デス……移動サセラレマセンカ?」
「……だめ」、本当はどれだけそうしたいか。苦渋を滲ませ、アメルはかぶりを振る、「今はまだ……でも、もう少しなんです……!」
「心配するな。君は治療に専念していればいい」
「そう。ここは俺たちに任せろ」
ソルとキール。
「……ちゃんとアメルさんは、わたしたちが守ります」
「なんたって、誓約者と護界召喚師の防御壁だぞ。折り紙付だから、後ろは気にするな」
アヤ、ハヤト。
彼ら4人が、とアメルを囲むように、その周囲に立った。
彼らを基点にして、ちょうど円を描くように光が浮き上がる。淡い、薄い……だけれど強靭な魔力の壁が、そこに生じた。
それを見てとったメルギトスの攻撃が、これまで以上に勢いを増して、繰り出される。
「――グっ……!?」
だが、容易に削れぬ壁を目の当たりに、かすかな驚愕が機械魔メルギトスから零れた。