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第60夜【磨鑛】 四
lll きっかけのひとつ lll




 振り返ったレイムの表情は、意外にもかわいげがあった。
 まさか、たちがここまで追ってくるとは思っていなかったのだろう。
 それから、人数が増えたことへの驚きも少し、混じっていたのかもしれない。
 だけど次の瞬間、目を丸くするのはたちの番だった。
「おやおや……これは皆さんおそろいで」

 まさか、誓約者まで連れてくるとは思いませんでしたよ。

 あれ? と、まずは、首を傾げた。
 それから、急ぎ、記憶をひっくり返す。
 だけどどうしても、アヤやハヤトとレイムを結びつけるものは、見つからなかった。
「……知り合い?」
 結局匙を投げてそう訊いたら、サイジェントからの人たちは一様にかぶりを振る。
 じゃあ何か。
 関係者以外にはかなりの秘密事項であるはずの『誓約者』は、もしかして結構有名人なのか?
 そう、思ったときだ。

「メルギトス!!」

 のんきに首を傾げたままのの横をすり抜けて、接近戦組がレイムに切りかかる!
 っていきなりですかいあんたら!?
「ちょっ、みんな……!」
 慌てて声をかけようとしたけれど、時既に遅し。というか完全に出遅れ。
 気がつけば、サイジェント組を除く自分以外の全員が、とっくの昔に臨戦体制になっていた事実が、目の前にあった。
 真っ先に接近したルヴァイドが、大きく剣を振りかぶる。
 レイムの姿を見て怒りが沸騰したのか、目の前の存在を攻撃することだけに意識を傾けているようだった。
 ――当然、そんな大ぶりな攻撃など、むしろ、レイムにとってはもってこいの状況だ。
 赤い、昏い、淀みがレイムを取り巻くように噴き上がった。
 防御など殆ど考えていないルヴァイドの腹を狙って放つ気らしく、手のひらにそれが収束する。
「そうくると思ったわ!!」
 しかし、それを読んでいたケイナがルヴァイドのすぐ横の空間を縫うようにして、矢を放った。
 そうしてその矢には、バルレルがガルマザリアの力を宿らせている。
 結果、矢のまとった魔力と中和される形で、レイムの手のひらにわだかまろうとしていた闇は、四散までとはいかなくても、半分以上の力を削がれたようだった。
 けれどレイムは、お構いなしにそれをルヴァイドに叩きつける。
「ぐ……ッ!」
 大きく威力の減じた闇は、それでもルヴァイドに充分すぎるほどの衝撃を与えていた。
 全力で叩きつけられるはずだっただろう剣の軌跡は逸れ、銀色の髪をひと房、宙に舞わせるだけで終わる。

 魔力をぶつけられた衝撃の受け流しも兼ねてか、そのまま後退するルヴァイドに、レイムは追い打ちをかけなかった。
「突然襲い掛かるなんて乱暴ですねぇ」
 などと云いながら、ついてもいない埃をはたく振りをして、「そうそう」と、たちに向き直る。
「誓約者の皆さんですが」、
 さきほどが問うたことへの、答え。
「実は、私が一方的に知っているだけなんですよ。――何しろ、そちらの無色の派閥の方々には、いくら礼を云っても足りないほどですからね」
 ちょうど、季節一巡りほど昔のことでしたっけ。
「……!?」
 クスクス笑いながら告げるレイムのことばに、ぎょっ、とした顔になったのは、ソルやキールだけではない。
 アヤにハヤト、バノッサ。それに、サイジェントで一連のあらましを聞かされていたとバルレルも――また。
 季節、ひとめぐりほど、前。
 無色の派閥。
 誓約者。
 そのことばたちから、導き出せるものは、ひとつしかない。
 ネスティが、厳しい声で、問いとも確認ともつかぬことばを投げかける。
「……無色の派閥の乱、か?」
「ああ、たしか貴方がたはそう云っているのでしたね」
 そのとおりです。
 ゆっくりと、レイムは頷いた。
 誰かが、ごくりと喉を鳴らした。
「私の願いがこんなに早く叶うことになったのも、かの派閥の長、オルドレイク・セルボルト殿……それにその子である貴方がたが行った、儀式のおかげなんですから」
「……あァ? なんだそりゃ。勝手にいちゃもんつけてんじゃねぇぞ手前ェ」
 遠まわしな揶揄だが、ここまで続けばさすがに気づきもするか、バノッサが攻撃的な意志を見せた。
 けれど。
 その兄弟である、ソルとキールは、目を見開いたまま血の気を引かせている。
「ソルさん? キールさん?」
 心配そうなアヤやカイナの声が発されるけれど、ふたりは、それさえも聞こえていないらしい。
 そんなやりとりを一瞥して、レイムはバノッサに笑みかけた。
「ああ、いえいえ。貴方の関わった儀式ではありませんよ? ――その前。サプレスのエルゴが隠れ、その守護者が消滅するきっかけになった、最初の儀式のことですから」
「……ッ!!」
「あの儀式のおかげで、サプレスの力が大量にリィンバウムに流れ込んだ……その結果」、
 ちらり、視線を向けられた先は――
「天使の魂が触発されたのでしょうね」
 アメル。豊饒の天使、その魂の欠片。
「聖女としての力が表面に現れ、デグレアに噂が届くようになって」、
 そうだ。
 その噂のために、デグレアは、国境を侵犯して偵察兵を派遣した。そうして――
「あ……」
 レイムのことばに思い当たる節があるのか、アメルが口元を押さえた。
 アグラバインが、小さなうめきを漏らす。
「たしかに……アメルの力が表立ったのは、一年ほど前……」
「そのとおりです、獅子将軍殿」
 そうして、私もそれまでの比でない力を得るに至りました。
 胸元に手を当て、そこに力が宿るのだとでも云いたげに、レイムは喜色を満面にたたえる。
「なんとなれば、計画の実行に差し障りのない――いえ、むしろここで実行せねば無意味と思えるほどに、舞台は整えられたのですから」

 ふらり、と。

 の斜め前に立っていた、キールの身体が傾ぐ。
「キールさん!」
 巻き込まれてふたり一緒に倒れるのだけは避けたいと、は咄嗟に手を伸ばした。
 けれど、さすがに相手も細身とは云え、男性の身体をひとりで支えきれるほど、は力持ちさんではない。
「う、わわわ!」
 あわや――というか結局倒れかけたが、横から伸びてきた腕が、ごとキールの身体を支えてそれを防いだ。
「バカか手前ェは」
 あからさまに呆れてるその様子に、正直、ちょっぴしムッとした。
 けれど、は何も云わずに視線を戻す。今は、そんなのより、気になることがあるからだ。
 の声もバノッサの声も、きっと聞こえていないんだろう小刻みに震える――キールと、そして、ソル。
「……こんな……ところにまで……」
「僕たちが……」
 ――何を云いたいのか。どんな慙愧の念が襲いかかっているのか。
 詳しく知らないにも予想はついたし、事情を知るアヤとハヤトは、なお痛々しい表情で彼らを見つめた。

「ええ、貴方たちのおかげで――」
「やっかましい」

 そうしてなお、二人を追い詰めようとしたレイムのことばは、のことばで遮られたのである。そりゃあもぉ不機嫌極まりない声音でもって。
 呆然と、レイムやサイジェント組を見ていた一同の視線が、今度はに集まった。
「…………?」
 ちょっぴし引きつった声でもって、おそるおそる声をかけるトリスには、だいじょうぶだよと笑いかける。
 それから、再度レイムへと向き直った。
「レイムさん。謎解きはおしまいだって、自分で云ったじゃないですか」
 悪魔は、きょとんと首を傾げる。
「ええ、たしかに申しましたが?」
「じゃあもういいでしょう。一年前の事件がなんだの云っても、今まで散々どたばたやってきたこと思い出させても、結局」、
 息を吸って、吐いて。
 覚悟は決まったか?
 ――うん、もう決まっている。

「ここで。歌の結末をつくるんでしょう?」

 それがどんな終わりであれ。

 ふと。レイムが口を閉ざした間を見逃さず、はキールとソルの腕を掴んで、自分の方に向き直らせた。
 大きな動揺に揺れる双眸は、それでも、引っ張ったをしっかり映している。ああ、それならだいじょうぶ。
 眼差しを確認して、は云う。
「ソルさんも。キールさんも。一年前やっちゃったことはしょうがないですから。もう過ぎたことですから」
 あたしは、その件に関して許すの許さないの云える、資格なんて持ってないけれど。――ないからこそ。

「……ぶっちゃけ。そんなんどーでもいいですから、頑張ってここ乗り切りましょう」

 どうでもいいって、オイ。

 アヤとハヤトとバノッサの、無言のツッコミがひしひしと背中に突き刺さる。
 だけど、思わぬところから援軍が現れた。
「……そうだな。どうでもいいことだ」
「ネス……」
 戸惑いも露なマグナの呼びかけに、ネスティが返した表情は、苦笑。――ひどく、暖かいものをたたえた。
 その双眸が、鋭い色をもってレイムを睨みつける。

「ここであいつを倒せば、僕たちは、道が開ける。それだけのことだろう」

 それだけを。判っていれば、やることなど決まっている。

 ふぅ、と、これ見よがしにレイムが息をついた。
 ぽかんとしてのことばを聞いたソルとキールの、血色が戻ったことに対してか。
 ネスティのことばが響いた瞬間、己に向けて再び噴き上がった戦いの意識に対してか。
「……理解できませんね」
 先刻、あれほどの力の差を見せつけられて。
「敵わぬと判っていて――なお。どうして、貴方たちは私に挑むのです?」
 同じ死ぬにしても、戦い苦しんで果てるよりは、一瞬にして絶命したほうが楽に逝けると思わないのですか?

「死ぬつもり、ないですから」
 貴方の思い通りに、壊れてあげるつもりもないですから。

 それから――

 ことばの先は、今は口にせず。
 くつくつ、笑い出したレイムを見た。
「貴女にそのつもりがなくても、私のほうは、どうでしょうね?」
 やはり理解できません。
 みすみす、私に殺してくれと云っているようなものではないですか。

 挑発に――応じたのはではなかった。

「……たぶん、おまえには判らないよ」

 人間のことを何も知らないおまえには、きっと、その問いの答えはつかめない。

 静かに、彼はそう云った。
 そのときばかりは、レイムに向けていた怒気も、殺気も、綺麗さっぱり消し去って。
 例えるなら、森の奥。
 静寂のなかに梢の揺れる音が時折舞い下りるくらいの、澄み渡った湖。
 そんな、しんとした空気をまとって。
 マグナが、静かにそう云った。

 それが気に障ったのだろうか。
 笑みを消し、レイムはマグナを睨めつけ――けれどすぐに、口の端を吊り上げた。
 嗤う――先刻の微笑とはけた違いの凄絶さを見せる、それを笑みと云うならば。
「この私が、ニンゲンのことを判っていないと仰る?」

 ならば貴方は、何をわかっているというのですか――

 その問いに答える者はいなかった。
 答えを、もう、誰もがきっと持っていた。
 誰も何も云わなかったのは、きっと、その証明。
 尤も、レイムはその反応を、答えに窮したためと思ったらしい。
 それとも、先刻から叩きつけられる闘気に、己も感情の昂ぶりを覚えたのだろうか。
 なんにせよ。

「いいでしょう! そうまでして死にたいのなら、望みどおりにしてさしあげますよ!!」

 そのことばで、戦いの火蓋は切って落とされたのだから――


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