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第60夜【磨鑛】 弐
lll 調律者の名において lll




 ぎり、ぎりっ……

 起き上がろうと力を入れるたびに、身体中が軋んで悲鳴をあげる。
 メルギトス――レイムの残していった絶対的な重圧は、彼の姿が遺跡に消えてもなお、一同の身体をその場に抑えつけていた。
「……お……重い〜……潰れる〜敷物になる〜」
 どれくらい時間が経ったのだろう?
 おそらく数分程度だろうが、もう何時間もこうしているような気さえしていた。
「云うこたぁ気楽だな……テメエ……」
 起き上がろうと歯を食いしばっているらしい、バルレルの、うめきにも似た声。
「いや、全然楽じゃないんだけどね……」
「早くしなきゃっ……遺跡が……っ」
 これで気分まで重くしてたら、よけいに圧死が早まりそうだし。と、他の人たちが脱力しそうなことをぬかすの傍らでは、トリスが懸命に身体を起こそうとしていた。
 けれど、ことはそう簡単じゃない。力自慢のアグラバインたちでさえ、上体を数センチ起こすのがやっと、というありさまなのだ。
 ――ふと。は視線を転じ、前方を見る。
 メルギトスが消えて以降、しん、と、遺跡は静まり返ったままだ。
 それは、彼がまだ行動を起こしていないことを示しているが、だからこそこの静寂が恐ろしい。
 嵐の前の静けさ、なんていう諺を、思い出す。

 そのときだ。

 ――バサァッ、と、何かの羽ばたく音がしたのは。

 ただでさえ日の光の届きにくいその場所を、さらに影で覆ったそれは、見慣れた光を発して姿を消す。
 その数秒後、着地する軽い足音が幾つか。
 未だ地面に押さえつけられたままの身体では、遥か後方のその足音の主を確かめるために、振り返ることも出来ないけれど。
 答えは、向こうからやってきた。

ちゃん! 皆さん!?」

 ――声と同時、その姿と驚いてるだろう表情までもが、鮮明に予想できた。そして彼女の名前も、口からこぼれる。

「……綾姉ちゃん……!?」

「……何してやがんだ、手前ェら」
「おい、どうしたんだ、これは!?」

 アヤの声に続いて、何度か聞いた覚えのある声が複数。
 そのどれもこれも、今のたちの状態に驚きを隠せずにいる。
 語尾が消えるや否やの間から、たたたっ、と、駆け寄ってくる軽い足音。
 軋んでいた身体のうえに、そっ、と。手のひらが添えられる感触。それと同時、

 ――バチン、

 バネでも外したような音。軽い衝撃。
 それまでの過重がまるで幻だったとでもいうかのようだ。身体が、その一瞬で軽くなる。
 そのことを身体が知ったとたん、意識が自覚するのも待たずには跳ね起きて、手の主を振り返った。
 黒い長い髪、赤い服。心配そうに下げられた眦。
「……綾姉ちゃん……どうして!?」
「エルジン君たちからお話を聞いて、こちらに加勢に来たんです」
 云いながら、アヤはの身体に異常がないことを確かめると、他の人たちを助けに走った。
 膨大な魔力でもってかけられていた圧力は、誓約者たちが手を添えるだけで、あっという間に中和されていく。
「そしたら、なんか大ボスがここにいるんだって? 追いかけてきたら、こんなだしさ」
 イオスやルヴァイドの魔力を断ち切っていたハヤトが、こちらに顔を向けて云った。
「……おまえは……」
「先日はどうも、バノッサに負けてない美白兄さん」
「なっ……!」
 あからさまに挑発のつもりなんだろう、ちょっと茶化すように云ったソルのことばに、けれどイオスは簡単に乗せられたようだ。
 けれど、初対面時にイオスがとった行動からすれば、彼の対応も、ちょっとだけ気持ちが判らないでもない。なにせいきなり目の前で、同伴者かっさらっていったのだ。その相手の第一印象は、良好とはいかないだろう。
 それをイオスも察しているのか、ばつの悪い顔になって、それ以上は何も云わないでいる。
「誰が美白だ、手前ェ」
 で、別方面で怒りをかきたてられたらしいバノッサが、ずんずんこっちにやってきた。が、ソルは恐れ気もなく、少し人の悪い笑みを浮かべ、
「白いだろう実際」
「うん、白い白い」
「キング・オブ・美白」
「そしたらイオスはプリンス・オブ・美白」
「手前ェら、そこになおれ!!」
……君だけは信じてたのに……」
 横から茶化しに入った一行に、ズラッと腰の二刀を引き抜き、バノッサががなった。イオスはというと、隙間からさらに追い打ちかけたの所業に、ショックを隠せぬ模様。
 しかし事実は事実だ。
 ――とかなんとか。
「そんなことしてる場合じゃないっ!」
 切羽詰ったマグナの叫びに、全員が……それこそ、誓約者、護界召喚師、元魔王までもが振り返った。
「急がないと、機械遺跡があいつに乗っ取られるっ!!」
「たしかに」頷いて、ソル。「いまいち事情はつかめていないが、説明してもらう暇もなさそうだな」
「……そうですね」
「要は、この奥のヤツをこてんぱんにすればいいんだろ?」
「……あいかわらず大味ですねえ、みなさん」
 頼もしいんだかなんなんだか、と言外ににじませ、シオンがそんな苦笑をこぼす。
 チ、と舌打ちして、バノッサが剣をしまった。
 起き上がった各自も、それぞれの武器を一応点検する。
 それを手早く終えて立ち上がったマグナとトリスは、遺跡を真っ直ぐに見つめていた。


 ドクンドクンと。響く鼓動は、だんだん大きくなる。
 比例して、手足の震えも大きくなる。
 じんわりにじむ冷や汗が、握りしめた指と手のひらを接着剤みたいに貼り付けて開かせてくれない。

 入るのだ。このなかに。
 自分たちの血に刻まれた罪が眠る、このなかに。

 壊れそうなほどの絶望をくれた、この機械遺跡のなかに、再び、足を踏み入れるのだ。……自分たちの意志で。

 気づけば、隣にネスティが立っていた。彼もまた、ぎゅ、と唇を引き結んでいる。
 ……今なら、あのときの彼の気持ちが判るような気がした。
 どんなに怖かっただろう。恐ろしかっただろう。
 ましてや、あのときの彼は、ひとりで抱え込んでいたのだ。クレスメントの罪もライルの罪も。

 ……怖かったね。逃げ出したかったね。

 今も、そんな気持ちがないと云えば嘘になる。
 ……だけど。

 つと、アメルがやってきた。
 少し遅れて来たが、数歩後ろに立つのが判った。

 ……だけど もう怖くはない。もう孤独はない。
 一緒に歩いていく、ひとたちがいる。

 このひとたちと一緒に、自分たちは歩いていくから。歩いていくんだ。

 そのために、そのなかへと、足を踏み出す。
 そうさせる、ちから。その名前。――誰もがきっと、知っている。抱いている。

 強く願う、ただひとつ。
 得るための、意志。

 いつだって願ってる。
 今日がいやな日だったら、明日いい日になりますように。
 今日がいい日だったら、明日はもっといい日になりますように。
 ささやかで、大切な、未来への祈り。

 いつだって祈ってる。
 いつだって望んでる。

 たったひとつ、誰もが笑って過ごせる明日を。


 ――それは、何かを犠牲にしなければならないような、そんな重さではないはずだ。なのに、どうして彼は、鎖を壊さなければいけないと、頑なに思っているのだろう。
 鎖があるかぎり、彼女は自由になれないと、遠いあの日に思い込んでしまったのだろうか。

  そんなことは、なかったのに

 うん、そうだね。
 奥の声に小さく頷いて、は、一歩前に出た。
 ちょうど、マグナやトリスの肩に手を伸ばして届く位置。

 ぽんっ

 思ったより軽い音を立てて、の手のひらは、ふたりの肩を叩いた。
 振り返ったふたり、それから一拍遅れて視線を向けてきたネスティとアメルに、にっこりと笑いかける。

「みんな、準備出来たみたいだよ」

 行こう。

 マグナとトリスが、一同を見る。
 向けられる視線に答えて、次々と頷く皆。
 この土壇場で増えたアヤたちも、大きく頷いた。――バノッサだけは、ちょっと不機嫌そうにそっぽを向いたけれど。

 ネスティとアメルが、軽く、口の端を持ち上げて頷いた。
 それを最後に、マグナとトリスは、再び遺跡に向き直る。
 も、皆も、同じようにその遺跡を振り仰いだ。

 声が響いた。
 遺跡の発動を促す声。

 正真正銘の継承者――調律者。クレスメント、その末裔の声が。

「調律者の末裔、クレスメントの名において!」

 遺跡は応え――そうして、ひかりが、降って来た。


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