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第60夜【朔】 六
lll そのために lll




 ……正に。たった今。
 そのひとは、警備システムを沈黙させたところだったらしい。
 数体ほど、彼を迎撃しようとして逆に破壊された召喚兵器の残骸がある。
「おやおや――」、
 ゆっくりと振り返ったそのひとは、
「……よく、私の狙いがここだと気づきましたね?」
 よく出来ました、とでも云いそうな、優しい笑みを浮かべてにそう云った。それから、ちょっと首を傾げる。
「後ろからくる騒がしい気配は、皆さんですか?」
「……」
 応え、こくり、と、頷く。
 その拍子に、彼の手首に揺れる銀細工が目に入った。
 時折吹く風に揺れて、それはかすかな音を立てている。
 りぃん、りぃん、と。
 響く音は、ひどく哀しげ。泣いているよう。
「レイムさん」
 呼びかける。
「……その名で呼ぶのは、おやめなさい?」
 やはり、優しく微笑んで。返る応え。

「どうにも、昔のデグレアでのほのかな甘い初恋の香りを思い出して、押し倒したくなりますし」
「……………………」

 ……云ってることは奇天烈極まりないが。

 はあ。
 ことさらに大きな息をつき、はレイムを見据えた。
「初恋じゃないでしょ?」
 ここで彼のペースに巻き込まれるわけにいかない。
 云うべきことがある。
 告げなければいけないこと、成さねばならないことがある。

 あのとき、まだ自分が生まれる前。
 嘆く迷い子の魂に、一緒に行こうと手を伸ばした。

 あたしは、彼女に手を伸ばした。

 彼女は、それに応えた。

 の発したことばに、ふとレイムの目が見張られたようだった。
 それから彼は、にっこりと微笑う。
「そうですか」
 頷いて。
「返していただけるのですか?」
 頷いた。
「そのために、あたしはたぶん、ここに来たんだと思うから」
 誰が喚んだわけでもなく。
 誰の声に、応えたわけでもなく。
 ただ、彼女を呼んで彼女が応えた。

 この世界の魂を、この世界に還すために、たぶん――いや、だから、あたしは、リィンバウムに落っこちた。

 遠い昔に悪魔と出逢った、守護者を。彼女を、彼に返すために。

 ふと。
 レイムの表情が、たゆたえる色を変える。
 それは、デグレアで共にいた頃、ずっと見せてくれていた顔だった。
 まだ自分が小さかったせいもあるのかもしれない。
 だけど、そうして見守ってくれていたような、その人の表情を覚えてる。
 ビーニャやガレアノや、キュラー。彼らの表情も覚えてる。

 きっとそれは、紛れなく。嘘も虚構もなかったのだと。今、レイムを見て思った。
 その彼らはもういない。
 そう思うと、たしかに胸は痛む。
 ただの感傷かもしれなくても、たとえそれが、彼らにとって嘘や虚構と同義だったのだとしても。
 その頃があったから、今、はこうしてここにいる。

 自分がここに立つための道標は、彼らも担ってくれていた。
 そしてこれから、歩くための礎としても。

 ゆっくりと。そんなレイムの手が、に向かって伸ばされる。
「……良い子ですね、さんは。本当に……」
 彼女を除けば唯一、腐れたニンゲンたちのなかでは輝く宝石のようですよ。
 レイムの表情は、ひどく優しい。
 だから。
「いくら人間嫌いだからって、そこまで云いますか?」
 これで幕を下ろせるのだと、安堵とともに、も受け答えして――

 キュォン、

 ――何かが。空間が。軋む、音がした。


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