赤紫の髪があらわになる。
兜が外れたときの衝撃か痛みかに、かすかに歪んだ顔が月明かりにさらされる。
には見慣れた――他の皆は初めて目にするであろう、ルヴァイドの素顔。
「おのれ……っ!」
力で競り負けた悔しさか、聖女を奪い返された事実にか、ルヴァイドが吼えた。
そこには激情があった。表情があった。
良かった。そう、思った。
だいじょうぶ。人形なんかじゃない。
あの人は、まだ心を殺していない――それを察して、さきほどの恐怖を覆す安堵を感じ、目頭が熱くなるのに気づく。頬が濡れる。こんなときだというのに。
でも――止まらない。止められなかった。
あの子が笑っているのが見えた。
頬を濡らしながら、それでも、は笑っていた。ルヴァイドを見て。
それを認めた瞬間、駆け寄ってやりたくなった。任務もなにもかも。捨てて。いてやりたくなった、あの子の傍に。
「……」
名前が。意図せずに口から零れた。
「パラ・ダリオよ! 敵を束縛せよ!!」
「チィッ!」
地面から浮き出すように現れた、サプレスの召喚獣がルヴァイドを絡めとろうと鎖にも似た何かを伸ばす。
「ギブソンさん!!」
すんでのところで避けたルヴァイドを視界におさめ、は召喚術を放った当人の名を叫ぶ。
それに含まれた感情の色に気づいた者は、果たして、いたのだろうか。
現に声を向けられたギブソンも、それには気づかない。
「ここは私たちに任せて、君たちは逃げるんだ!」
「でも、それじゃ……」
あなたたちが黒騎士の手にかかることに――そう云おうとしたケイナのことばを遮って、ミモザ。
「心配しなくたって引き際は心得てるわよ。時間を稼ぐだけ! ――いらっしゃい、ローレライ!」
メイトルパから喚び出された人魚が、彼らと黒騎士の一団の間に大きな水壁をつくりだす。
そうしておいて、ギブソンとミモザはたちを促した。
「負けるんじゃないぞ、みんな。本当に大事なものなら、譲らずに守りぬくんだ」
「お土産、期待して待ってるからね!」
ずざぁっ、と、数人が、あらぬ方向に下草を蹴散らした。
……お土産って、おい。
走った。ただひたすらに、走った。わき目も振らずに一心に。
そうして――時間の感覚もなくなり、体力が限界に近づいた頃。
「ゼェ……もう、だいじょうぶ、……ハァ……だろう」
体力には自信のあるフォルテやリューグ、ロッカたちの息さえ、これ以上ないほど乱れていた。
召喚術を主として戦うトリスたちなど、もうことばも話せないでいる。
どさり、と、全員がほぼ同時に、そこに座りこんだ。
息を整えること、数分。
ようやく、落ち着いてあたりを見渡せるほどまでになった一行のしたことは、まず。
「……で、どーすんだよこいつら」
あの騒ぎのなかでも目を覚まさなかった獣人の少年と、何故かついてきた機械兵士についての考察である。
ちなみに少年の方はバルレルが背負い、ハサハが後ろから支えている。ナイスコンビネーション。
ていうかその状態で、全力疾走している一行に遅れをとらなかったあたりが素晴らしい。
その背中の少年を、乱暴にバルレルは地面に放り出す。
「おら、起きろ!!」
びしばしびしばし。情け容赦ない平手炸裂。
あんたそれはひどいだろう。
「うー……ん?」
「あ、目を覚ましたわね」
ミニスが云ったのと同時に、うめいていた少年は目をあけ、きょときょととあたりを見渡して。
彼らを視界にとらえたとたん硬直した。
「うっ!? うああぁぁっ!? たたたた、食べないでください〜〜〜!!!」
食べるか!!! ――以上、一同心の絶叫。
「ソノママノ状態デ食スルト胃腸障害ヲ起コス可能性ガアリマス、ヨッテ今スグニ食ベラレルコトハ……」
すぐでも後でも食わん!!! ――同じく、一同心の大絶叫。
「……トリス」
「はい」
「……マグナ」
「はい」
混乱して泣きだした少年はそっちのけのほうりっぱで、ネスティが兄妹に呼びかけた。いいのかよ、それで。
だが誰も、そのツッコミを形にする者はいなかった。
……だってネスティ、笑顔が怖い。
「自分たちがあの戦闘の最中で何をしたか、当然覚えているんだろうな?」
「う……うん」
びくびくと、ネスティの目を見ないようにしながらマグナが答える。トリスにいたっては、マグナの背中に隠れてしまっている始末。
そしてマグナの視線の先には、泣き喚いている少年を必死になだめているケイナとミニス。
「……まったく」
ため息とともにつぶやかれたネスティのことばに、大仰なほどに反応して振り返る。
「資質がなかったら、これくらいではすまなかったぞ……」
「「え?」」
マグナとトリスの声がきれいに重なった。
状況を理解出来ていない不肖の弟弟子と妹弟子にため息をついて、ネスティは懇切に説明を開始する。
「君たちが手にしたのはなんだ?」
「「サモナイト石……です」」
「何の?」
「メイトルパ」
「ロレイラル」
「それをどうした?」
「魔力を……」「注ぎ込んだと思う」
ここまでくれば、ふたりともさすがに、自分たちのやったことが判りだしたらしい。
笑いたいのか泣きたいのか、実に複雑な表情でマグナとトリスは顔を見合わせた。
「「まさか……」」
「そのまさかだ。君たちは護衛獣をもう一体ずつ召喚してしまったんだよ」
すなわち、ふたりは2属性の召喚術を扱う資質を持っていて、今回の件で、知らずそれを開花させてしまったということになる。
「「えええぇぇぇぇーーー!?」」
疲れきっているはずなのに、いったいどこからそんな絶叫を出すだけの力を持ってきたのか。
マグナはちらりと機械兵士を見た。
トリスは呆然とメトラルの少年を見た。
「俺の?」
「あたしの?」
「「ふたりめの護衛獣!?」」
そんな例外があっていいのか。なんでまた、あの場で護衛獣なぞ喚び出してしまったのか。
だけど、たったひとつだけ、たしかなこと。
守りたかった。あの人を。
現にそのおかげで、ゼルフィルドの放った弾は、を貫かずに済んだのだ。
…………魔力暴発しかけたけど。
「えっと……君の名前は?」
後ろで待機していた機械兵士に問いかけると、さらりと返事が返ってくる。
「れおるど、ト申シマス。主殿」
「ハサハ、おいで」
「……?」
ちょこんと座っていた自分の(最初の)護衛獣を呼び寄せたマグナは、とことこっ、と走ってきた彼女をレオルドの前に立たせる。
不思議そうにレオルドを見上げるハサハに向けて、
「こいつはレオルド。ハサハと同じに、こんどから俺の護衛獣なんだ」
仲良くしてやってくれな。
「……」
こくん。
機械兵士の大仰ないでたちに、怯えるかもしれないと思っていた妖狐の少女は意外にも、笑顔さえ見せてうなずいてみせた。
「ほ、ほんとに食べちゃったりしませんね?」
「うん、そんなことしないよ。だから君の名前を教えてくれる?」
こちらはトリス。泣きむせぶメトラルの少年をなだめてくれたケイナとミニスに礼を云って、自己紹介タイム。
「レシィって云います、えっと、ご主人様!」
「なぁにがご主人様だ! ニンゲンなんかにへりくだる必要ねぇだろうが!!」
げしげしげし!!
「うああぁぁぁん、蹴らないでー!!!」
「こらっ、バルレルーっ!!」
弟弟子はともかく、妹弟子の方を見ていて、思わず頭を抱えたネスティだった。無理もないが。
そうして、くるりと振り返る。
身体は疲れきっていて、そこのフォルテのように眠りに落ちてしまいたいのはやまやまだったのだけど。
もうひとつだけ。
気になるコトが残っていたから。
目を閉じれば、その光景が浮かぶ。
今にも暴発しそうだったサモナイト石を、溢れだす魔力を。押さえ込んだの姿。
――押さえ込んだ? いいや、違う。あれは力ずくなどではない、完全な制御。完璧な魔力のいざない。
……優しく。強く。迎え入れた意志。
そうして微笑んでさえいた、彼女の表情。
召喚術を扱えるようには見えなかったのに、どこにそんな力を持っていたのか。
なくしているという、本来の記憶に何か関係があるのだろうか。
訊きたいことはあった。山ほど。
――だけど。
「しー……」
ロッカは、小さくそう云って、人差し指を口の前に立てるジェスチャーをしてみせる。
「今日はもう寝かせといてやろうぜ」
リューグは、とても穏やかな気持ちでそう告げる。
お互い背を預けて、足を伸ばして座っている双子の、その膝の上。
ロッカの膝にはアメルの頭、リューグの膝にはの頭。
何か楽しい夢でも見ているのだろうか。ふたりは、しっかり手を繋いで、かすかな笑みを浮かべて眠っている。
「……そうだな」
ひとつ息をついて、ふと、気がついた。
ザァァン……ザァァ……
遠く近く、寄せては返す優しい音。
「潮騒だわ……」
ミニスを寝かせてやっていたケイナが、小さくつぶやいた。
ザァァ…………ザァン……
「――ファナンなのか、此処は……」
奇しくもそこは、旅の始めに自分たちが訪れようとしていた場所だった。
そのことに苦笑を洩らしたネスティだったが、彼もまた、もう、そこまでが限界。
賑やかしかったマグナとトリス、それから4人の護衛獣たちもいつの間にか沈没しているのが、最後に見えた。
……ザァン……ザァ……
……ザァァン……
潮騒の音を聞きながら、そこにいた全員が意識を手放すまでに、そう時間はかからなかった。
夢を見る――優しく、懐かしい、それは夢。
遠く近く繰り返す、優しい暖かい夢を見る。
いつか遠いあの場所で、優しい微笑みを見せてくれた、遠い彼女の夢を見る。
――恐れないのですか? 私は貴方を殺してしまおうとしているのですよ?
――そうしたければ、どうぞ? 如何様にもね
微笑。
いつ、いかなるときも微笑んでいた――柔らかく、強い彼女の夢を見る。
「……けれど所詮は夢」
陰鬱に、つぶやいた。
そうして、先ほど感じた大きな魔力を思い出す。その陰に隠れてしまっていた、遠く近く暖かい、ちからを思う。
「今はまだ……」
つぶやいた。
朝陽が昇る。
潮風が、心地よい強さで海を、それから砂浜を薙いでいく。
そんななか、いつものようにトレーニングを兼ねて、彼女は海岸を走っていた。
「……おや?」
ふと、街からそう離れていない、砂浜と草原が接する場所に来て、彼女は不思議そうに首を傾げる。着崩したロングコートが、ばさりと風にあおられて、足元に大きな影を生んだ。
額のゴーグルのあたりに手をかざし、何事かという顔をしてそこを眺める。
そして、そこに転がる幾つもの物体を確認したとたん、呆れたような声をあげた。
「なんだいありゃぁ? 行き倒れかい――――?」