それを感じたのは突然。
クラレットと一緒に、リプレの繕い物を手伝っていたアヤは、ふっと手を止めて顔を上げた。不思議そうに彼女を見たクラレットも、間をおかず、表情をひきしめる。
「どうしたの? ふたりとも」
リプレが問うて、首を傾げる。
そこに、ばたばたとハヤトたちが駆け込んできて、
「アヤ、クラレット!!」
「静かにしなさい、こどもたちが起きちゃうでしょ!」
リプレに怒鳴られてちぢこまるものの、すぐに表情を改めて口を開く。
「感じたか?」
「ええ」
問いはそれだけ。答えもそれだけ。
けれどそれだけで充分。それだけで、彼らの間に伝わる。
そう、それは召喚術の発動。
強い強い、誰かのちから。
今この場ではない、どこか遠くで、膨大な魔力が暴れ狂っている――アヤとクラレットが感じたのは、それ。
ハヤトやソルたちが駆け込んできたのも、それを感じたせい。
強い強い、大きな力。
強い強い、果てもない力。
――それは、運命さえも自在につむぐことができそうなほど、おおきな。
大きな大きな――旧い時代に紡がれた、ちから。
そうして。
「…………おさまった…………?」
ぽつりと、ナツミがつぶやいた。
急激に彼らの感覚に襲いかかってきた魔力の波動は、起こったときと同じように急激に、気配を薄れさせて行く。
「なんだったんだ、今のは?」
「どうしたの、みんなして。何か感じたの?」
彼らが誓約者と護界召喚師の称号を持っていることを知っているリプレが、何事かと問いかける。
けれど、さしもの彼らも、答えることは出来なかった。
ただ、何か大きなちからが発動したことしか、判らなかった。――今は、まだ。
ちからを感じる。
大きな力。出たい、怖いと、まるで我侭なこどものように暴れている、ちから。
「どういうことだ……?」
信じられない、といったネスティのことばが耳に届くが、それはまるで膜を隔てた場所から聞こえるような、遠い感覚。
知っている?
うん、知ってるね。
あたしは、この感覚を知ってるよ――
現実と、薄皮一枚隔てた場所に在る、魔力の存在を流れを、身体の隅々まで感じることの出来る場所。
身体は現実に置き、けれどの意識は、その場所に在った。
「だいじょうぶだよ」
語りかける。若草色の光を放ち、泣き喚いているサモナイト石。それに連なる魔力。
だいじょうぶ。
怖がることなんてない。
ここはリィンバウム――マナに溢れたいとしい世界。いつかすべての魂が辿り着く場所。
だいじょうぶ。この世界は君を傷つけない。
「君は君になれる。怖がらなくていい――出ておいで…………!」
音もなく――振動もなく。
その瞬間、ただひかりだけがどこまでも、夜の闇を貫いた。
「!!」
不意に。アメルの声が現実感を伴って、の耳に突き刺さる。
「え?」
ぱちぱち、と、目をまたたいて。
「うわたたたぁっ!!??」
それまでの、雲の上にいるような浮遊感から、いつものように大地に足をつけた感覚が戻ってきた。
同時にバランスを崩し、はその場に腰を落とす。
そのとたん、
「むぎゅ。」
人間がおしつぶされたときに出す声そのものが、自分の身体の下から響いて、はひくりと顔をひきつらせた。
あわてて飛びのき、自分が敷いてしまった人を見て――そして。
「……だれ?」
声を聞いたときも思ったが、初めて見る顔だった。
緑色のくせのある髪、同じく緑色が基調の服。目をまわして気絶しているけれど、瞳もきっと同じ色だろう。
背丈は、ハサハやバルレルと同じくらいだろうか。
頭に、先の折れた角がある。
「……メイトルパの、メトラル族だわ」
その世界の召喚術を得意にしているミニスが、ぽつりとつぶやいた。
「それに……ロレイラルの機械兵士……」
いつの間にか彼らの傍にきていた、先刻を窮状から救った彼を指し、ロッカ。
「……どうなってんだよ!?」
リューグの叫びは、その場にいる全員の心を代弁したものだった。
若草の光も鋼の光も、名残すら残さず消えうせていて。再びあたりを夜の闇が侵食する。
魔力の暴走と、壮絶な光に目を焼かれていた敵たちがまた、動き出したのを感じた。
「チッ、状況把握もさせてくれねぇか!」
剣を構えて迫る敵を、払いのけながらフォルテがうめく。
「しょうがないわよ! 今まで固まっててくれたのがよほど奇跡なんだから!!」
距離を置いた場所で呪文を唱えようとしていた召喚師の肩を射抜いて、ケイナ。
「バルレル、ハサハ! そこの気絶してる子を守ってくれ!」
「……!!(こくん)」
「げっ、こいつのお守りかよ!?」
が下敷きにした、ミニスが云うにはメイトルパの獣人である少年の左右に展開し、護衛獣たちが奮闘する。
そしてそれをカバーするように、先ほどの機械兵士も、黒鎧の兵士たちに向かって銃を立て続けに乱射した。
ミニスとネスティが、タイミングを合わせて召喚術を発動させる。
続けざまの攻撃に、敵の何人かが倒れる。
――おかしい、と不意に感じた。
向かってくる敵の数。
先刻見た限りでは、自分たちと同じか、2〜3人多い程度でしかなかった。
なのに。
かなりの時間戦って、倒れている敵の数も、それに比例して増えているのに。
「――!!」
敵が近くにいないのを幸い、動きを止めて周囲を見渡し。は、声にならない悲鳴をあげる。
「敵が増えてる……!?」
「しまった……増援を呼ばれたか……ッ!!」
そのことばに、先ほど結果として逃がしてしまった伝令を思い出し、ぎりっと唇を噛みしめた。
「読み負けたと云うことだ……」
どこか力の抜けた声で、ネスティが云う。
「……もう、僕らに打つ手はない」
先ほどに増して、赤々と輝く松明。
それらが、ぐるりと、たちの一行を囲むように展開されていた。
「だいじょうぶ! あたしたちはまだ、捕らえられたわけじゃない!!」
鼓舞するように叫ぶ。それはむしろ、自分へ云い聞かせるように。
だけど。
「残念だが、そうなるのもすぐのことだ」
「おしまいの時間だよ」
声が聞こえた。感情を消し去った、ただ任務の遂行だけを旨とする、彼らの声が。
「ルヴァイド、イオス……!!」
誰かが彼らの名前を呼んだ。
それは、もしかしたら自分だったのかもしれない。
誰もが絶望を予感したそのとき。
「……え……?」
ざぁぁ、と、風が吹く。
「なんだこれは……?」
「くそっ、目がくらむ!?」
黒い霧が場を覆う。
まるで、黒騎士たちから、たちを包み隠すように。
――さあ、今のうちにお逃げなさい
霧にまぎれて、男性の声がした。
たちにだけ聞こえるように、うまく声の反射を調整した――隠密活動に慣れた者の。
――目くらましの霧があなたたちを守っているうちに、急いで……
「みんな! こっちだ!!」
今度の声は、聞き覚えのあるものだった。
「先輩たち!! どうして!?」
真っ先に声の主を察したトリスが、驚いて声をあげる。
駆け寄る一同を出迎えてくれたミモザが、茶目っ気たっぷりに微笑んだ。
「あら、まさか本気でバレてなかったと思ったワケ?」
「君たちの考えそうなことぐらいお見通しだ。まったく、みずくさい後輩どもめ!」
彼らが無事であることに安堵しているのか、ギブソンも笑って告げる。
変わらないその笑顔に大きな安心を覚えて、の身体から力が抜けた。
「おっ、と」
「だいじょうぶ? 」
後ろにいたロッカがを支え、アメルが気遣わしげに問う。
「う……うん、ごめん。ありがとう、だいじょうぶ」
「悪いけど、安心するのは早いわよ。あんまり時間がないの。とにかく急いで包囲網から抜け出さないと!」
「この霧は先輩たちが?」
「いや、ちょっと知り合いに頼んでね。とにかく急ごう!」
走り出す一同。
ふらつく足に渇をいれ、もまた、ロッカに手をひかれながら走り出した。
けれど。
「そうはさせんぞ!!」
数歩も走らないうちに、目の前に人影が立ちふさがる。
「ルヴァイド!?」
「嘘でしょっ!? ただの霧じゃないのよ、これ!」
ていうかいつの間に、先行したこっちを追い越したんですかルヴァイドさん。そんな重そうな甲冑着て。
はその疑問をことばにしなかったので、誰も気にしなかったようだが。
「他の者は惑わせても、この俺にまやかしなど通じぬわ! デグレアの勝利のため、絶対に聖女はこの手に捕らえてみせる!」
「きゃああぁっ!?」
いきなり眼前に出現した黒騎士に、驚いて足が止まっていたのが致命的だった。
逃げる間も与えず接近したルヴァイドの手が、アメルの腕をつかむ。
「ルヴァイド! やめて!!」
叫ぶ。もしかしたら、と希望を捨て切れずに。
けれど、黒騎士は、故意にのことばを聞こえないものと定めたらしく、なんの反応も見せない。
黒い仮面が彼の表情を隠し、一瞬、ルヴァイドが動く人形に見えた。
国のために、ただ唯々諾々と従うだけの――
――ちがう!!
「ちがうでしょうルヴァイドッ!!」
激情が叫びになった。
手をつないでいたロッカが、驚いてを振り返る。
「ルヴァイドぉぉぉぉっ!!」
「!!」
ガキィィッ! 剣と斧のぶつかる音。
渾身の力を込めたリューグの一撃が、不意をついたとはいえ、ルヴァイドを圧していた。
そのことに自分自身驚きながらも、リューグはなお、斧を持つ手に力を加える。
ここで自分が力負けしたら最後だと、判ったから。
「もう……これ以上!」
目の前の黒騎士に、消えぬ憎悪を叩きつける。燃えた村への悲しみも、それを引き起こした奴らへの憎しみも怒りも。
「テメエには何も奪わせねえ!」
薄れない。消えることはない。
腕に力を込める。今出せるすべての力を振り絞る。
「もう何一つ! 奪わせはしねえぇッ!!!」
忘れない。俺はけっして!
――ガキィィィィン……!
黒騎士の剣が飛んだ。そして、その勢いのまま振り上げられた斧は、その兜さえも弾き飛ばしていた。