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第60夜【朔】 四
lll 西の果てに響く音 lll




 いらいらいらいらいらいらいらいらいらいらいらいらいら。
「…………バノッサさん」
「なんだ!」
 二本の剣を物凄い勢いで振り回している兄貴分に、カノンは疲れきった様子で声をかけた。めくらめっぽうになぎ払っているようだが、その実、バノッサが剣を振るたびに、悪魔たちは絶命していく。
 が、その防御を顧みない――それだけの実力があると知ってはいても――猛攻は、傍で見ているカノンとしては、ひやひやものなのだ。

 そんな会話の交わされているここは、サイジェントから少し離れた荒野の一角。
 出血大サービスとばかりに、出るわ出るわのはぐれ悪魔たちの討伐に、彼等もまた、引っ張り出されていたのである。
 騎士団からだけの要請だったら、バノッサは、たぶん、けんもほろろに断っただろうが、生憎、事情が事情だった。
 出現する悪魔の数、それらが万一街に入ったら北スラムにまで危険が及びかねないとカノンが説得して、バノッサも重い腰をあげたのだ。
 上げたのだけど……

 そんなに気になるんだったら、あっちに行ってもいいんですよー。

 と、カノンは云いたい。
 云いたいのだが、どう云ったものだろうかと迷っている。
 だってこの兄貴分は絶対に、そんなこと云われたからって、素直にそうするわけがないからだ。
 そんな気難しい性分に、彼は、いつも手を焼かされてきたのだから、予想するのは容易い。それでもって、予想を打破する手段を考えるのが難しいのも、いつもどおり。

 ――だが今日ばかりは、その悩みも、長続きはしなかった。

 解決手段は、荒野の、遥か向こうからやってきた。
 かなり地平線に近い場所に目をやって、カノンはぱちくりと目を見開く。
 勿論、その間に襲いかかってくる悪魔たちはなぎ倒しつつ。
 なんか最近忘れられているようだけど、カノンはシルターンの鬼人の血を引いている。故に、街一番の怪力と云われるエドスとだって力比べが出来るくらいだ。
 現にカノンが一発殴るだけで、たいていの悪魔は怯みを見せていた。
 この区域に出現した悪魔の、おそらく殆どを片付けたろうときだった。カノンがそうして目を見開いたのは。
 遥か向こうに見える街道に、実に目立ちまくりの通行人(人じゃないが)が通りかかったのは。

 それは、赤いボディが陽光に眩しい、ロレイラルのエルゴの守護者。
 ――『あっち』こと、ゼラムにいたはずの、エルジンたちだった。



 協力要請しにきたんだ。
 バノッサとカノンをその場から拉致して、誓約者たちが悪魔の相手をしている場所に案内させたエルジンとエスガルドの、最初の一言はそれだった。
「なるほど……召喚の門の大量開閉が、不調の原因だったのか」
 無線の修理に苦戦したことでも思い出しているのか、トウヤがため息をついて、そうつぶやく。
 道理で、何度調整してみても無駄だったはずだ、とも。
 そうして、ことのあらましを大雑把に聞かされた誓約者たちの表情は厳しい。

 破壊したはずの召喚兵器。
 砕け散ったはずの機械遺跡。
 それらが無傷で残っていた、ということを聞かされては無理もない。

「……一度壊れたものが、丸々復活なんてするわけがない」
「つまり、あのさらっぴんになった景色は、幻だったってこと?」
「砂漠で蜃気楼でも見た気分だな……」
 砂漠? と、数人がハヤトのぼやきに視線を集めるけれど、今は、砂漠だとか蜃気楼だとか、説明してる暇もないだろう。
 あとでな。ハヤトのことばに、問うた彼らは頷いた。
「つまり……レイムさんと仰る吟遊詩人さんが、実は悪魔で、召喚兵器を狙っていて、ちゃんや皆さんに迷惑をかけているということですね?」
「かいつまみすぎればそうなるな」
 蜃気楼などどうでもいい、と考え込んでいたアヤがそう云って、キールがそれを肯定する。

「判りました。行きましょう!」
「って、こっちは?」

 勢いよく立ち上がったアヤの横で、ぽつりとソルがつぶやいた。
「あ」
 そうなのである。
 悪魔の大量出現はいまだに続いている。というか、ひどくなっているような気もする。
 だからこそ、表には出まいと誓った彼らでさえ、ここのところ数日おきにこうやって、送還するなりなんなりで、引っ張り出されつづけているのだから。
 そんな、一歩間違えば大混乱になるだろうサイジェントをほっぽりだして、全員が行くわけにもいくまい。
 固まったアヤの肩を、けれど、明るい表情でナツミがぽんと叩いた。
「行っておいでよ、アヤ。あたしたちだけでも、こっちは大丈夫だから」
「……ナツミちゃん」
「そうそうっ! エルジンたちの話のとおりだったら、そのメルなんとかをやっつければ悪魔の発生だって止まるわけでしょ?」
 両手を広げて、カシスが云う。
「大事な幼馴染みなんでしょう? 行ってあげなくちゃ。ね?」
 その横で、迷っている様子のハヤトを、クラレットが優しく諭していた。
「うん、僕たちもこっちに残るから」
「いいんですか? エルジン君」
「我々ヨリモ、貴方タチガ向カッタ方ガ助ケニナルダロウ。コチラハハグレ悪魔、アチラハ悪魔王ナノダカラ」
「エスガルド……」
 では、と、アヤとハヤトは頷き――

 そのときだった。

 ぱぁん、

 何かが砕け散るような、そんな音が一同の耳を叩いたのは。

「――――」
「何、いまの」

 あまりにも呆気ない感じのする、音だった。
 けれどその直後、まるで嵐のように襲いかかってきたのは、いつかの耳鳴りにも似た音。いや、悲鳴。
 リィンリィンと、鳴いている。泣いている?

 これは誰の声。これは何の泣き声。

 天使が泣いている。世界が泣いている。――銀の泣き声が、する。

 それまで黙って様子を見守っていたバノッサが、「チッ!」と大きな舌打ちをして、口早に、カノンへ何事か云いつけた。
「はい! 頑張ってください!!」
 そのことばを聞いたカノンは、何故だかひどく嬉しそうに、大きく頷く。
 実際、彼は嬉しいのである。
 なんだかんだ云っても気にしていたあの人のところに、ようやっと向かう決心をしてくれたのだから。
 それを見ていたアヤたちも、顔を見合わせ、今度こそ大きく頷いた。


 彼らのいた場所に召喚の光が満ち溢れ、レヴァティーンが喚ばれるのは、その数分後のことになる。
 つづいて、満ち溢れた光が消える暇も惜しいとばかり、強い風が大地を叩いた。

 ――東へ一路、彼らは向かう。

 誰かが泣いてるその声に、心を急かされながら。


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