――そうして、半ばケルマから引きずられるようにして去っていったファミィとエクスを見送ってしばらくのち。
眼下に広がる草原と、それを埋め尽くそうとする影たちを視界におさめて待つこと、さらにもうしばし。
黒い影が進むだけだった草原の、そこかしこに、幾つもの気配が出現する。
同時に、そのあちこちで召喚術のものらしい光が閃きだした。
それが消えるか消えないかのうちに、多数の軍馬や人の足が疾駆する音が響き渡り始めた。
迫る影――屍人の軍隊を包囲するべく、騎士たちが召喚術の援護を受け、動き出したのだ。
「どうやら、始まったみたいだね」
手を額にかざして目をすがめたモーリンが、小さくつぶやく。
彼女の横に立って、同じように草原を見ていたケイナも頷いた。
ふたりのような鷹の目的視力は持っていないけれど、たちにもそれは判る。
人馬の轟きや雄叫びが、離れたこの場所にも届きだしたからだ。
遠目に見えるそれは、まるでミニチュア模型のような感じだが、戦いの火蓋はすでに切られていた。
黒い影に、騎士たちが向かっていく。
その正体を聞かされているだろうに、彼らは恐れ気もなく接近する。
そんな様子に、誇らしげなのはシャムロック。
「さすがは、各都市から選抜された聖王都の騎士団です……化け物を相手に、まるで怯まない!」
「まぁ、ダテに税金で養われてるわけじゃねーからな」
茶々を入れつつ、フォルテもなんだか鼻が高そうだ。
……常々思うんだけれど、この人って、やっぱし騎士団とかなんかの関係者だったんじゃないんだろうか。
そのうちでいいから、素性が知りたいぞ。
とか考えてるの横では、イオスが感嘆の息をもらしていた。
「……すごい……」
「どうだ、イオス。これが、我々が雌雄を決しようとしていた者たちだ」
果たして、戦ったならどうなっていたか。
(元)敵の賞賛をするルヴァイドに、イオスがちょっと気分を害したふうになるのと同時。
むっとした顔で、先に口を開いたのはだった。
「うちのみんなだって、劣ってたとは思いませんっ!」
「そうです! デグレアの兵は優秀ですっ!!」
きゃんきゃんと噛み付く部下ふたりに、ルヴァイドは苦笑する。
「……そうだな」
とだけ答え、少し涙目になっている金色の頭と焦げ茶色の頭をそれぞれ、軽く叩いた。
そうして頭を叩かれたふたりは、思いっきり子供扱いされたことに気づき、顔を見合わせ、微妙な表情をつくる。――それは、相手が自分と同じように、彼らを思っていたのだという僅かな切なさも含んでいた。
……でもやっぱ、一番の原因は子ども扱いだ。うん。きっとそうだ。
さて、その表情をつくらせたルヴァイドはというと、なんでもなかったかのように、もう一度、眼下に視線を巡らせている。
「まあ、いずれにせよ優れた兵には違いない」
「ソウデスネ。アットイウ間ニ敵ヲ追イ込ンデイッテイマス」
「そうだな。これなら……」
レオルドのことばに、マグナも頷く。
事実、騎士団は見事としか云いようのない手際でもって、草原を埋める影どもを包囲しようとしていた。
おそらく、そう遠くないうちに陣形は完成するだろう。
そうなれば後は一気に火を放つだけ――その時点で、作戦は半分以上が成功することになる。
勝利感が、少しずつ漂いだした――そのときだ。
ネスティが首を傾げて、いぶかしげにつぶやいたのは。
「……おかしい」
「何が?」
「いくらなんでも、一方的すぎねえか……?」
ぱっとネスティを振り返ったトリスの問いに、タイミング上答える形になったのはリューグだった。
彼は彼で、隣に立つ兄に話しかけていたのだけど。
そうしてロッカも、難しい表情になって、弟のことばに頭を上下させる。
「たしかに。これじゃまるで、戦力を無駄に消耗してるみたいだ」
ネスティと、そして双子の交わすことばに、一同は改めて大平原を見下ろした。
さくさくと進む、騎士たちの包囲。
それは彼らの勇気や手際の良さも誉められてしかるべきかもしれない。いやそれに間違いはないのだ。
だが、それにしても――それにしては。
本来なら全力で抵抗するはずの、屍兵たちの動きが、心なしか鈍っているように見えなくもない。
しかし、完全に無抵抗というわけでもない。
むしろ中途半端な抵抗しかせぬ相手のせいで、包囲する騎士たちも戸惑って、少しばかりの遅延が出ているようだった。
そうして、屍人たちにそんな策を考える頭はないはずだ。指示を与えた者がいる。あの3悪魔たちが滅びた今となっては、おそらく――
だけど。
聖王都、それに自分たちにとってここが踏ん張りどころであるように、レイムにだってここが正念場のはずではないのだろうか。
こんなことをして、いったい、何の得がある?
周囲の面々と同じように、も、顎に軽く曲げた指を添えて考える。
幸いなことに、戦火はここまでは届きやしない。考える場所も時間も、ないわけじゃない。
どうするつもり?
記憶をひっくり返す。
これまで見てきた、レイムという人物を思い出す。
私情を入れないようにして、それまでの彼の行動を思い返す。
……一部の奇行は無視しつつ。
どうするつもり、レイムさん。
貴方は貴方の目的のために、いったい、何をしようとしてる?
……レイムが明かした目的は、あくまで、リィンバウムを手に入れること、もしくは壊すこと。
聖王都をこの戦いで陥とすということよりも、優先されるべきことだ。たぶん――いやきっと、彼にとっては。
彼は、聖王国の支配より、主要三国の制圧より……ましてや世界などよりもっと、望みつづけたものがあるのだから。
そのために。
「……『戦いが長引く方が、我々にとっては都合がいい』……」
思考の隙間を縫って、淡々としたシオンの声が、の耳に届く。
ぱっと顔を上げて振り返ると、その声音とは程遠い、厳しいシオンの顔があった。
「マグナ君、トリスさん、さん。覚えていますか?」
デグレアの城で、たしかキュラーはそう云っていたはずです。
問いかけに。
蒼の派閥の兄妹と、は、顔を見合わせて頷いた。
「……勝つことじゃなくて、戦いを長引かせるのが目的なの?」
「それならば、あの兵たちの煮えきらぬ動きも判らんでもないでござるが……」
ミニスとカザミネが、それぞれ、つぶやいて。
そうして、一同が同じように浮かべる疑問。
それは、何のために?
「――っ……!」
突然、アメルが膝をついた。
「おねえちゃんっ!?」
傍にいたハサハが、咄嗟に小さな手で支えようとしたけれど、さすがに、それには無理がある。
結局ふたりそろって倒れようとしたところに、レシィとバルレル、レオルドが援護に入った。
「おい、オンナ……まさか……」
「あ、アメルさんしっかりしてください〜」
なにやら云いかけたバルレルのことばを遮って、レシィが必死に励まそうと声をかけた。
邪魔されたバルレルは、腹いせとばかり、一発レシィをどついてる。
そうして当のアメルは、だいじょうぶ、と云いながら、なんとか身体を起こした。平衡感覚が失われているらしく、レオルドを支えにしつつだけど。
「……ちょっと目眩がしただけ」
ちょっと、という表現に疑問を感じないでもないのだが、それを追及するいとまもなく、
「それより、聞いて……!」
こめかみをおさえつつ、アメルは強く、そう云った。
「薄れてきてるんです、黒い、うねり――」
戦いが始まる前は、壮絶なほどにうねっていた感情の波が急激に薄れてきているということを。
それはまるで、何かに吸い込まれていっているようだということを。
――やはり、ご同類の勝利だろうか。本人認めたくないかもしれないが。
ベシッ、と、真っ先に反応したバルレルが、自分の横っ面を手で叩く。
「相当ニンゲンボケしてんな、オレ……」
手をそこに添えたまま、自分に対して呆れきった様子で彼はつぶやいた。
それから、不思議そうに見ている、自分の主に目を向ける。目は半眼、口元も微妙にひきつらせ、
「さて問題です」
「バルレル、遊んでる場合じゃ……」
「悪魔が力の源にするものは、なんでしょう? 正解者にはもれなく、あのクソ野郎の居場所が判明します――ってな」
入れかけられたツッコミさえ、遮って、バルレルは云った。クイズ形式の割には、ちっとも楽しくなさそうだ。
そして。ハッ、と、ネスティが目を見張る。
「人間の、感情か……!!」
「そうよ! 悪魔はそれを喰らって、魔力に変えることが出来るんだわ!!」
ルウが叫び、そうして。
「メルギトスの狙いは、それか……!」
周囲のそこかしこから、押し殺したような声が零れる。
「だけど、それならどうして、あいつはその力を使おうとしないの?」
「……当たり前だ……」
ぎり、と、掌を握り締め、マグナ。
「その集めた魔力は、別の目的に使うためのものなんだから――」
「別の目的……?」
首を、こきゅ、と、傾げて、レシィがつぶやいた。
まだ判ってねぇのかと、バルレルが口を開くよりも先、
「ルヴァイドたちを使って、メルギトスは、何を手に入れさせようとしていた?」
その、マグナの問いかけが、一同の耳に届いた。
――答えは、誰もが持っている。
「……召喚兵器!」
アメルが、口を覆ってよろめいた。
感情のうねりが収まったことで、少し顔色は良くなっていたけれど、今度は衝撃が色を失わせている。
「ルウが云ってたよね? あの結界は強い魔力に反応することで、破壊されてしまうかもしれないって!」
「……しかも、俺たちはこれまでにも何度か結界を解いては結びなおしてる……っ」
「そうか……何度もそうして開閉を繰り返していれば、ほころびが出ていてもおかしくない」一拍おいて、告げられる可能性。「……結界は、以前より脆くなっているかもしれない」
トリス、マグナ、ネスティ。
それぞれが、誰に云うでもなく、情報を零し。
一切の余裕がなくなったことを、誰もが察した。
悔し紛れにだろうか、イオスが、槍を足元に叩きつけて地面を軽く抉る。
「僕たちは、完全にメルギトスの術中にはまっていたということか……!」
「悔しがる暇はあるまい。行くぞ! それが本当なら、奴がいる場所は――」
ルヴァイドの、語尾に被せて。
「アルミネスの森!」
誰かが、叫んだ。