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第60夜【朔】 壱
lll 大平原にて lll




 先に出発したギブソンたちに遅れること数刻。
 巻き添えをくらわないように、と、昨日のうちに教えられた場所に、たちはやってきた。
 その、ギブソンとミモザ。彼らの姿は、ここにない。火攻めのために、より、軍隊に近い場所にいるのだろう。
 大平原をあらかた見渡せるその場所に立って、まず一行の口からこぼれたのは感嘆のため息だった。
 そして一部はのんきに云った。

「うっひゃー、すごい数ー」

 なんでおまえはそんなにノンキなんだ、と、無言のツッコミの気配を背中に感じ、だってそう思ったんだからしょうがないじゃないか。
 と、一部であるところのは、後ろ姿でそう語る。届いているかは別として。
「あれが、メルギトスの軍隊か……」
 真っ直ぐに聖王国への進路を進む、黒く淀んだ大量の兵士たち。
 の隣に並んでそれを見ているマグナが、いつになく厳しい顔でつぶやいた。
「なんて数……」
「こちらの戦力の、優に数倍はあるだろうな」
 半ば呆気にとられた感じのトリスのことばに付け加えて、ネスティが注釈。
「まるで、黒い影が草原を呑み込んでくみたい……」
 いやな感じ、と、ミニスが身体を震わせた。
 少し顔色が悪いけれど、だいじょうぶだろうか。禁忌の森でも真っ先にダメージ受けてた彼女の様子をふと思い出すが、今はまだ、そうでもなさそうだ。
 しかし、顔色が悪いと云えば。
「アメル?」
 気遣いの意図込めたその呼びかけに、は視線をそちらに向けた。
「しっかりしな、てのも難しいけど……辛いなら云うんだよ」
 モーリンが、ストラついでに、彼女の背中を軽くなでてやっている。
 ――アメル。
 元々色白なほうではあったと思うけれど、今の様相は、まさに蒼白と云って相応しかった。
 己の腕で肩を抱き、目を心なし見開いて。
 小刻みに震え、ぽつぽつ、つぶやいている。
「……泣いている」
 感じてる何かの、おそらく欠片でしかないそれを、だけど零さずにはおれないのだろう。敏感な彼女には、離れた位置のこの空気でさえ、かなり堪えるはずだ。
「鬼に変じた人たちが――生ける屍人にされた人たちが……泣いている」
「……かわいそう……」
「立派に悪魔の軍勢だな……」
 泣き出しそうなハサハはともかくとして、バルレルの表情も、これまた意外に苦々しい。
「……だからって、退くわけにはいかねぇけどな」
 強い口調で、リューグが云った。
 隣で、ロッカが頷く。
 ふと。
「あ」
 大きな手を肩に感じて振り返れば、ルヴァイドが、いつの間にかの横に立っていた。
 彼は何も云わないけれど、気遣ってくれてるのはすぐに判った。
 もしかしてあたし、やっぱりそれなりに顔色悪くなってるのかな?
 そう自問するけれど、それは、ここにいる全員がきっとそうなんではなかろうか。
「風向きには気をつけてくださいね? 毒気にあてられてしまいますから……」
 時折、風向きを見ていたカイナがそう告げる。
 そのことばに、今自分たちが風上にいることを、あわてて確認した。
 ただでさえアメルの具合が悪いのに、そしてそういうことに鋭くないはずの他の人間さえ、ぞっとしているのに。これ以上、要らんダメージを受けてはたまったもんではない。
「――まあ、なんにせよ、あとはぶつかるだけですね」
「おう! 気合い入れていくぜ!」
「あんたが仕切るんじゃないわよ!」
 がふぅ、と、あまり人間の声っぽくないうめきが聞こえたが、すでにそんなの日常茶飯事状態だ。
 シャムロックでさえ、『またか』と云いたげな顔をしている。
 ルヴァイドとイオスが、心なし目を丸くしているだけ。
 ……そういえば、このふたり、ケイナとフォルテの漫才を間近で見るのは初めてだっけ?
 そのやりとりに、ほんの少し、空気が和んだときだ。
 余計に和ませてくれそうな女性の声が、ちょっと離れた場所から聞こえたのは。

「あらあら――皆さん、ますます頼もしさが増したみたいですわね」

「おっ、お母様っ!?」
 驚きも露に叫ぶミニスから、少し離れた場所で、もうひとり、驚嘆混じりに口を開いた人がいた。
 パッフェルである。
「ひゃあっ、エクス様まで――!?」

 うん、本当に。そう云って、傍らのファミィに頷いてみせていたエクスが、その悲鳴に応えて、にこりとパッフェルに笑みかけた。
 紛れもない。
 蒼の派閥の総帥と、金の派閥の議長。
 今回の作戦のお偉方が、戦いから離れたこんな場所に、そろいもそろってお出ましになったのである。
「お二人とも、こんなところに来てていいんですか?」
 さすがに現場が心配になったらしいトリスが云うけれど、
「心配なさらなくても、戦いが始まったらちゃんと動きますから。ねぇエクスさん?」
「ええ、ファミィさん。それに、うるさいお偉方なんていないほうが、現場の人間たちもやりやすいものでしょうし」
 まったく問題ありません――と。二人揃って顔を見合わせ、にっこり微笑むその仕草は、年齢も性別も違うのに、ひどくよく似ていた。
 食えない人たちである。相変わらず。
 余裕満載のその態度に、ほっとしたような苦笑混じりの空気が生まれる。
 ただ、唯一、ネスティの表情は硬かった。
「ネスティ?」
「いや、だいじょうぶだ」
 見上げれば、ぽん、と頭をたたかれる。
 いつかのときのように、ひどく焦燥した感じはない。エクスをどつきにかかる様子もない。それは、安心していいことだ。
 ただ、どう接していいのか図りかねているような、ちょっと複雑な表情。
 種類は違うけれど、こちらも複雑な表情で、レナードが一人ごちた。
「これが、召喚師たちのボスとはなぁ……」
 いいのかよ。ひょいひょい、部下ほっぽってこんな場所にお出ましして。
「あらあら、本気にしないでくださいましね? ほんのおちゃめですから」
 耳ざとく聞きつけたファミィが、くるっとレナードを振り返り、微笑む。
 っていうか、ふたりの距離は結構離れてるんですが。
 しかもレナードの声って、独り言だけあってそれなりに小さかったんですが。
 ……おそるべし地獄耳。
 とか思ったにも、ちらりとファミィが顔を向け、にっこりにっこり微笑んだ。

 ゴメンナサイ。

 怯えた様子で後ろに隠れたを、ネスティが何事かと見下ろしていたりする近くで、脱力したらしく肩を落としたミニスが、
「……お母様……」
 と、やるせない様子でつぶやいた。
 それを皮切りにしたのか、単にタイミングが一緒だったのか。
 つと、ファミィが、それまでの笑みを消して真顔になる。

「――本当はね、貴方たちに、内緒で伝えておきたいことがあったの」

 疑問符を浮かべたたちの前で、こくり、と、エクスも頷いた。

 そして切り出される内緒話。
「敵の軍団には、未だ指揮官らしき者が目撃されていないんだ」
 何度か小競り合いを繰り返し、そうしてここまで近づいた今になっても、まだ。
 そう、エクスは云った。
 つまり、メルギトスは、この戦いに参加していない可能性があるということなのだと。

 たちは、その場で顔を見合わせる。
 ……てっきり、彼もまた、とっくに姿を見せているものだと思っていたから。
 驚きと、不安。
 そのなかから、シオンが一歩前に出た。
「どこかに潜んで、様子をうかがっているという可能性はどうです?」
 けれど、問いを受けたファミィは、かぶりを振る。
「私とエクスさんが、それぞれ気配を探ってみたんだけど、それらしい反応が感じられないの」
「アメルさんは、どうですか?」
 エクスの問いに、今度はアメルが首を横に振る番だった。
 さっきよりも、また幾分か血の気が引いている。
 いっそこの場から離し、安全な所にいてもらいたい気持ちがなくもないけど、それじゃあんまりだろう。
 この場の誰だって、決着をつけたい気持ちに例外はないはずなんだから。
 少し弱々しい声で、だけど、アメルははっきりと云った。
「よく、判らないんです。この場所では今、たくさんの魔力と感情が入り乱れ過ぎているから……」
 屍人たちの嘆き。
 鬼兵たちの悲鳴。
 侵蝕される大地の慄き。
 それ以外の、たくさんの、たくさんのものが、大平原に集まっている。
 抱えた水晶の光は、それを表しているんだろうか。ハサハが、こくこく、と何度か頷いた。
 レシィも、身体を小さく震わせっぱなし。
 唯一バルレルが微妙に元気そうだけれど、気分的にはあまり歓迎はしていないらしい。
 レオルドの動きが少しばかり鈍いのも、そのせい――なのかも。刻一刻と高まるこの一帯の空気がかもし出す重圧は、あらゆるものを対象としてるようだった。
「無理しないでね、アメル」
 ルウのことばに、だけど、アメルは哀しそうに首を振る。
「でも……」
「だいじょーぶ」とりあえずも、ルウの援護。「いざとなればあたしが餌になっておびき出してみせるから」
「……、それは自殺行為だぞ……」
 するなするなと手を立ててぱたぱた振りつつ、イオスが云った。
 一部なんとなく微笑ましい、というか、阿呆なやりとりがあったものの、さて、それはそれとして。
「しかし、だとすると、メルギトスはどこへ行ったんじゃ?」
 立派な顎鬚を落ち着かなげにしごきつつ、アグラバインが、視線をめぐらせた。

 この決戦の地に姿を見せないだけのどんな理由を、あの大悪魔は持っているのだというのか。

 考えられる展開を探るため、沈黙が舞い降りようとしたとき、「そういえば」と、何か思い出したらしいマグナが、派閥のお偉方を振り返る。
「先輩たちが云ってたと思うんですが、行方の知れない一団っていうのは、見つかったんですか?」
「……いや、まだなんだ」
 またもかぶりを振るエクス。
 そう。
 叩き潰したメルギトスの手駒は、みっつ。
 ひとつは、帝国領に向かおうとしていたガレアノの部隊。
 ひとつは、サイジェントに向かおうとしていたビーニャの部隊。
 ひとつは、……岬の館で、留守を任されていたらしい、キュラー。

 けれど、もう一部隊。
 はきとした意図を見せぬまま、何がしかのために動こうとしていた部隊があったはずなのだ。

 当初はそれこそが、メルギトスの率いるものと思っていた。
 こうして全面的な戦力投入をしてきた以上、この大軍の指揮をしていると、誰もが考えた。
 だけど、それは落とし穴だったのかもしれない。
 さんざ謀略めぐらせてきたあの悪魔が、いまさら、こちらに易々と悟られるような策を出してくるだろうか?
「……気になりますね、それは……」
 難しい顔で、シャムロックが視線を落とす。
 戦争を経験したことのある数人が、一様に表情を改めた。
「ルヴァイド様。やはり、陽動では?」
 進軍を続ける黒い津波を示してイオスが云うが、ルヴァイドの顔は煮え切らない。
「……だが、そうする理由が見えてこん」
 これだけの数の兵を捨て石にして、奴に何の得がある?
 このことばには、イオスも頷かざるを得ない。
「それは――たしかに」
 けれど、そう云いながらもまだどこか、納得は出来ていない様子。
 だけどその何かを説明できるような根拠を持たない、もどかしさのようなものも感じられる。

 いずれにせよ、と、エクスが口を開いた。
 重苦しい沈黙を吹き飛ばすように、心なし強めの声で。
「我々は目の前の敵を退け、聖王都を守らなければならない。だけど、マグナ、トリス。君たちは別だ」
 僕たちの指揮に従って動く必要は、ない。
「もとより、自分はそのつもりです」
 そのことばに、意外にもネスティが真っ先に反応した。
 ただし、それはあんまり好意的とは云えないもので。
 厳しい感情を視線に乗せて、ネスティは、己の属する派閥の総帥を見据える。
「僕は、貴方たちに協力するつもりで来たわけではありませんから」
 常なら不敬罪で牢に放り込まれそうな発言だが、総帥は軽く苦笑しただけだった。
 それから、至極当たり前のことばを聞いたときのように、
「そうだね」
 と、ひとつ頷いて、続けた。
「――こうして、ここに来てくれただけでも、僕は感謝しているよ」
「……」
 何か云いたそうに、ネスティは少しだけ口を開きかけ――けれど結局、何もつむぐことなく唇を引き結ぶ。代わりに、心配そうに兄弟子を見ているマグナとトリスに苦笑してみせた。
 気にするなと。心配するなと。
 突き放すものではなく、安心させるような、笑みだった。
 その前でエクスがふと、視線をめぐらせる。
 誰かを捜すように行き来した視線は、

 名を呼んだ相手の頭上、で止まった。
「はい?」
 呼ばれたがきょとんと見返せば、そこにあるのはエクスの真剣な表情。
 なんだろう、と、視線を合わせたまま待機していると、来い来いと手招きされた。
 別に拒否する理由もなく、素直に応じて彼の前へと移動。
「なんですか?」
 そのまま、相手のことばも待たずに問いかけた。うむ、こちらもこちらで失礼千万。派閥の召喚師さんたちがいたらば、きっとどつかれたろう。 だがそこはさすが大物の貫禄か、エクスはさして気にした様子もなく、切り出した。
「……メイメイから、伝言を預かったんだ」
「メイメイさんから?」
 予想しなかった名前に、の目が丸くなる。
 うん、とひとつ頷いて、エクスはの手をとった。
 身体つきに応じた、まだかわいらしい手のひらは、けれど、何故だろう。
 大きななにかに包まれたような、そんな安堵をにもたらす。

「『貴女が貴女であるように』」
 その体勢のまま、エクスが告げた。遠く聖王都にいる、占い師の伝言を。
「……僕も、そう願っている」
 そして彼自身の願いともして。
「……」
 が沈黙したのは、判じ物めいたその意味が判らなかったからじゃない。その逆だ。
 驚いて問うと、返るはやはり、肯定だった。
「エクスさん、もしかして?」
「うん。知っているよ。伊達にメイメイと付き合いが長いわけじゃないからね」

 いつかカイナが云っていた、『時を――』どうのの発言が、の脳裏をよぎる。
 そうして、そのことを、が重ねて問おうとしたとき。

「見つけましたわよっ! ファミィ・マーン!」

 ばかでかいガントレットをつけているわりに、結構身軽に走ってこちらにやってくる人影。今しがた怒鳴ったのは、誰かと問うまでもない。
 ケルマ・ウォーデンだった。
 例のごとく、胸を強調した服もそのまま。あなたこれから戦争でしょうに。
 こらカザミネさん、わざとらしく視線をそらすんじゃない。
 だが、ふと気づけば、ケルマの服の所々には、見たことのない宝石のようなものが煌いていた。
「あれ、宝石の護符だわ。たしか、自分に向けての攻撃を緩和するはず」
 なんだろうと首を傾げたを見て、ルウが解説してくれる。
「うわ、ケルマさん……」
 その周囲で、条件反射なんだろう、思わず後ずさっているのが何人かいた。気分的には、だって例に漏れずだ。
 一連の事件を知らない数人は、逆に、そんな彼らを不思議そうに見ているだけで、ちょっとうらやましい。
 そして知っていて尚、動じない人もいたりする。
「あらあら、ケルマちゃん」
 その代表たるファミィが、にこやかに、彼女へ声をかけた。
 ところがケルマはというと、見事にファミィと対照的。金の派閥議長と、蒼の派閥総帥へと向き直るやいなや、語気を荒げて彼らを怒鳴りつけた。
「ファミィ・マーン! エクス様もです、ふたりとも、こんなところで何をやってらっしゃるんですの!」
 ……今日はお偉方への不敬罪が大発生だ。
「ふふ、ちょっと内緒話なのよ」
「迎えにきてくれたんだね、ありがとう」
 云われる当人らは、ちーともそんなこと思っちゃいなさそーだが。
「まったく……!! あなたがた、指揮官としての自覚が足りませんわッ!!」
 これはどう見ても、ケルマの方に分があるか。

 いや、というか、妙にほのぼのしい女性と、一見良いとこの少年に指揮される召喚師たちって一体。その時点で士気下がったりしないんだろうか。
 実力知ってるからいいのかな。……いいんだろうな。

 指揮官と呼ばれるに当然のふたりではあるのだけれど、一瞬そんなことを思ってしまっただった。
 何より、ルヴァイドを間近で見ていたから、なおさらに。
 そんなこと考えてるの目の前では、ケルマにそんなこと云われつつも、まだにこやかなエクスとファミィが、
「ごめん、ごめん」
「そうね。それじゃ、そろそろ私たちは戻るわね」
 ミニスちゃん、皆さんにご迷惑かけないようにね?
「判ってますっ!」
 お母様は心配しすぎなんだから!
 ぷぅっと頬をふくらませて、ミニスが答える。
 くすくすと笑いながら、歩き出そうとして――ふと、ファミィがルヴァイドに視線を合わせた。
 にっこりと、彼女は微笑む。
「……親って、そういうものですもの」
 視線はとルヴァイド、それに間近に立つイオスに、均等に振り分けて。
「ね?」

 たおやかに、首を傾げたファミィと目が合ったとき。

 よかったわね。

 そう、云われたような気がして。はこくりと頷いた。
 だけど、ミニスはそれが、ファミィのことばを肯定したように見えたらしい。
「もうっ! までお母様の味方するの?」
 と、ちょっぴり不機嫌そうに云って、ユエルになだめられていたりする。
 そうして、同じくファミィのことばを聞いたルヴァイドはというと――唐突に話を向けられたことに、少しだけ目を見張っていた。
 それからややあって、とイオスを交互に見、

「……かもしれんな」

 と、首を上下させてくれた。

 それを見て、なんだか楽しそうなのがアグラバイン。
「うむ、ルヴァイドならいい父親になるじゃろうな」
 なんて、つぶやいている。
 その横で、きょとん、とモーリンが首を傾げた。
「っていうかもう、父親じゃないのかい?」
「うん。親莫迦だよね、すでに」
「やっぱしあれだなー。何を攻略するにしても馬、てか父親からなんだよな。……シャムロック、おまえも気張れよ?」
「だからなんでそこで私に話が振られるんですか」
 そんな一部の会話は幸い、ルヴァイドやには届かなかったのだけれど。


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