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第56夜 参
lll 世界が騒いだ lll




 そうしてガレアノが手を伸ばす。
「さあ。我が主がお待ちかねだ」
「――レイム……?」
 その名に懐かしさを感じているように、その子は、ひとつの名前を口の中で転がした。
 それから、
「……」
 微笑んだ。
 目を奪われるほど優しいそれは、まるで早咲きのアルサックの花のよう――すぐに風に吹かれて散る、儚さを兼ね備えて。透き通った、哀しみもたたえて。
 その子は――

「ガアァァァッ!?」

 瞬時に手のひらで生み出された白い刃は。狙い過たず、ガレアノの肉体を貫いていた。

 ごぷ、と、溢れるにごった血が、ガレアノの着衣を、傷を押さえた手のひらを汚す。
 差し伸べた手をはねつけられた屍人使いは、信じられぬとばかりに目を見開いて、彼女を睨みつけた。
「な……ッ、なにをする……ッ!?」
 彼女は目を閉じる。
 ガレアノの視線から、逃れるためではなく。
「ごめん、ね?」
 再び開かれる双眸。
 そこには、儚さも相変わらず漂っていたけれど――それよりも強く。何かを決めてしまった者の持つ、意志を抱いていた。
 ガレアノに与えた傷がいかほどか――傍目でも判る、あれは致命傷に近い――確認したのだろう、その子は幾ばくかの間をおいて、ネスティたちを振り返る。そして一息にこう云った。
「時間がないわ。まだ、気づかれたくないの。貴方たちの大切な子は必ず返すから、しばらく辛抱していて」
「……君は、いったい……?」
「――……」
 あまりといえばあまりの急展開に戸惑いを隠せぬネスティの問いに、だが、彼女は答えない。
「黙秘権たぁ、穏やかじゃねぇな?」
 油断なくガレアノに目を配りながら、レナードが云った。
「同感です。けど」、
 その横で、パッフェルが、ちょっと白々しく息をつく。
「ここはまずあちらに集中すべき――ですよね。せっかく力を貸してくださるようですし」
「……気に入らないけど、そうするしかないね」
「まずは、彼奴を叩くほうが先決でござる!」
 モーリンとカザミネがつづき。一行が気を取り直して向き直った先には――闇が。現出していた。

 黒くて赤くてどろどろとした淀みのような、悪意の凝りのような、禍々しい気配をまとうモノ。
 仮初の肉体を放り出し、異形と化したガレアノが、そこにいた。

「貴様ァァァッ! 我が主を一度は受け入れておきながらアアァァッ!?」
「この子たちに誤解を招くような云い方、しないでちょうだいッ!!」

 とたんに頬を真っ赤に染めて、彼女は――『』は、白い雷をガレアノに投げつけた。
 ……ちょっと穿ちすぎじゃなかろーか。君。誰か知らないが。
 逆に赤面したネスティとカザミネの表情は、さいわい、女性陣から気づかれることもなかったが。
「がふぁあぁぁッ!?」
 雷には相当の力がこめられていたらしい。まともにそれを受けたガレアノは、ぶつけられた部分を押さえて悶絶している。
 はあ、と、ため息ついてそれを見やる彼女。髪をかきあげる仕草は、しとやかなものだった。――それは、の姿では、ある。
 けれど、やっぱりではないのだ。そう、思い知らされる。
 そうして彼女は、まだ頬に朱を少し残したまま、くるりとネスティたちを振り返った。
「何呆けてるの? ほら、さっさと動く!」
「あ、う、うん!」
 さすが、こどもならではの順応性の勝利と云うか。
 真っ先にユエルが頷いて、地を蹴った。
 そのまま真っ直ぐに、まだ動きの鈍いガレアノへ向かい、一撃叩き込む。相手の反撃が来る前に下がり、別方向から回りこんだモーリンが、同じ場所を狙って連撃を叩き込んだ。
「貴様らアァァァッッ!」
 ガレアノが、吼える。
 そのまま、悪魔は魔力球を生み出し、

 ――消えた。また。

 『』が腕をひとつ振っただけで、それは瞬時に四散させられた。
 瞬時に散った力、その残滓さえ残らぬ腕を凝然と一瞥したガレアノは、彼女を射殺さんとばかりの形相で睨み据える。
「貴様……貴様ァァァッ!!」
「何を怒ってるんですか」
 今さら。と、彼女は、怒号に震えもせず応じた。
「貴方、わたしを相手にしてるのよ。ここがリィンバウムである以上、わたしが幾多の干渉を出来るか判ってたはずでしょう」
 そのことを知っていながら、この世界の魔力を借りて、力を練り上げようとしてる。だから、隙が見え見えなんです。
 ――そう、彼女は、淡々と告げた。
 相手が自覚すれば自分が不利になる事実をあえて告げるのは、告げてもなお、打ち勝つだけの力をその身に持つ自信を表して。

 ……圧倒的だ。この存在は。彼女は。
 これまで散々苦戦させられたガレアノを、まるで子供のようにあしらって、泰然と、その怒りに向き合っている。
 一同が呆然として……それから、これならば、と、生まれかけた期待も淡く見守るなか、――けれど、異変は起こった。

 さわさわ、さわさわ…… 騒ぎ出す。

 騒ぎ出す。世界が。
 呼ぶ声。喚ぶ声。呼びかける、声。
 欲する声。願う声。せがむ声。

 ――来た? 来た。 帰ってきた? 還ってきた

 守護者が、
 ここに、
 還ってきた……!

「な……なんだいこれ……ッ!?」
 静寂に満ちていたはずのデグレア。その一帯が、ざわめき出す。
 屍人たちが出てきたのではない。文字通り、デグレアの地が――世界が騒ぎ出していた。
 気の感知に長けているモーリンが真っ先に影響を受け、片膝をつく。
 カザミネの表情も、険しい。
 そうして、ユエルがおたおたと、そんな彼らを見渡したとき――『』もまた、目を見開いて周囲を見やった。
「早すぎる……っ!!」
 そして彼女は叫び、

 かくん、と、操る糸を失った人形のように身体をぐらつかせた。

「嬢ちゃん!!」

 駆け寄ったレナードが、あわや倒れかけたその身を支える。
 けれど、誰もが懸念したように、彼女が気絶しているようなことはなかった。
「……だいじょうぶ……」
 小さくつぶやいたその子は、レナードの腕を支えにしつつも、自力で立ち上がったから。
「……嬢ちゃんかい?」
「はい」
 そうか、と、レナードが、どこか安堵したように頷いた。
さん、今の方はいったい……?」
 その傍らから、同じく駆け寄ったパッフェルが、常になく真剣な顔で問いかける。どこか焦っているような。希望と入り混じる何かは、不安?
「……ひかりの、みなもとです」
 すでに光の残滓さえない手のひらに、一瞬だけ目をやって、彼女は答えた。


 ……気づけば、世界のざわめきも消え失せていた。
 あんなにうるさく、その存在を求めていたことなど、まるでなかったかのようだ。
 けれども、は覚えている。

 覚えてる。あの感覚。
 覚えてる。その人のことば。
 いつかクレスメントの霊に乗っ取られかけたときの、不快な感覚など全然なかった。
 ――当然だ。
 だって、それは、自分が――
「――」
 手のひらを握り締める。
 レナードに礼を云い、ちゃんと自分の足で立った。
 心配そうにこちらを見ているネスティたちへ、「お待たせ」と、いつものように笑いかけた。
 刹那。
「ガアアァァッ!」
 ――咆哮。
「貴様ら、まとめて始末してくれる!! 死してのちも、永遠に安息などないと思えェェェッ!!」
 激昂しきったガレアノが、動いた。膨張させた赤く黒い雷の制御さえもせず、こちらに向かって投げつける。
 ――たぶん、の変化にも気づかぬまま。
 だがそれは、瞬時にの前に出現した存在によって、殆どを吸収されてしまう。
「……ライザー!」
 たまごのような、一種かわいらしさのあるフォルム。
 短い両手を精一杯広げたライザーが、すさまじい火花を放っている雷の塊を押しとどめる。耐え切れるのかと思ったら、後ろに生えた尻尾のようなそれを地面に刺し、力を逃がしていた。
 いわゆる、一種の、避雷針のようなものなんだろう。すごいぞライザー。
 そうして。
 雷の威力が殆どなくなったところで、役目を果たしたライザーは、くるりと一度、どんなもんだって感じで回転したのち、ロレイラルへの送還の光に包まれた。
 ライザーを喚び出し、そして送還した本人――ネスティはそれを見届けると、すぐさま次のサモナイト石を取り出し、準備に入る。
「させるかぁッ!!」
「それはこちらの言い分でござる!!」
 向かってくるガレアノを、カザミネが真っ向から刀で迎えうつ。
 時折生まれる雷は、パッフェルやレナードの銃弾がその衝撃で四散させ、ユエルとモーリンが横手から撃ちこんで徐々に体力を奪っていった。

「……かつて成された誓約において、ネスティ・バスクが汝に願う」

 それでも包囲をついて彼へ飛んでくる攻撃は、が叩き落とした。

「我が故郷の盟友、雷撃の網持つ機界の六芒――」

 喚びかける、声。
 応える、声。
 そうして、世界の門は開かれる。

「いでよ! ヘキサボルテージ!!」

 ネスティの全魔力を代価に召喚されたそれは、ガレアノのものより遥かに強大な雷を、頭上に掲げていた――――


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