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第56夜 弐
lll 顕現するは魔公子、そして白い陽炎 lll




 もまた、一言。

「無理!」

 悪魔の額に青筋が浮いた。
「即答すんなテメエ!」
「出来るわけないでしょうがぁぁぁぁぁッ!!」

 ここにたむろする屍人たちに知性が残っていたら、緊張感のかけらもないそのやりとりに遠い目になってたかもしれない。それは、実に間抜けな叫びあいだった。
 だが生憎、彼らは自らの思考を持たない。ただ命令のままに、目の前の敵を攻撃しているだけだ。
 故に。
「こい!」
 の腕を掴んだバルレルが、半ば引っ張り上げるようにして飛び上がる。広場の塀に飛び移り、それまでいた場所から、少し離れた処に着地。
 故に、だ。
 たった今までたちがいた場所を向いていた屍人たちは、急な対象の移動を把握しきれずに、滅法に攻撃しだしていた。
 まあ、気づかれるのも時間の問題ではあるのだが。
 そうしてひと時の余裕を得たバルレルは、に向かってまた怒鳴る。
「四の五の云わずに解け! 本来の力さえ使えりゃ、ゴミどもなんざオレだけで充分なんだよ!!」
「だーかーらー! そもそも誓約したのはトリスとでしょうが、無茶云うなー!」
 召喚したのはトリス。
 解除出来るのもトリス。
 ――誓約した魔力を解くことが出来るのは、召喚した本人だけ。
 それは召喚術における、リィンバウムの法則だ。
 だけど、そう反論するを一瞥したバルレルは、かなり、いや、すっげえバカにした様子で、鼻を鳴らしたのである。

「召喚術の法則は、そうだろうなァ?」
「――……」

 多分に含みのあるそのことばに、もようやっと、彼が何を云いたいのか察した。
 使え、と、云っているのだ。あれを。
 世界に満ちるものを。それが魔力になる前に、引き込めと。取り込めと。
 だけど。
 そんなことをしたら、奥のそれに刺激が行くかもしれない。目が覚めるかもしれない。
 そうしたら、自分が自分でなくなっちゃうかも、しれない。
 ……正直、それは――ひどく、怖い。
「……バーカ」
 考えが表情に出てしまったのだろうか。沈黙したを見たバルレルが、ばしっ、と、背中をどついてきた。なんだか、優しい表情で。
「守るって云っただろ?」宥めるような声も、また。「……信じな。これでもオレは、オマエのコト気に入ってるんだぜ?」
「……ウソつくのが悪魔の流儀ってさっきガレアノさん云った」
「要らねぇコトばっか覚えんな」
 とたんに眼光鋭くするバルレルに、「いや一応ツッコミは人としての義務で」と、目をお魚にして云い逃れ。
 白い目でこちらを見る彼から、ため息ひとつとともに、、
「じゃあオマエ、他に、この屍人の大軍をどうにかする策はあるのかよ?」
 なんて問われては――かぶりを振るしかない。
 それから。
 ……石のようだと思いながら、唾を飲みこんだ。
「でも……あたし、違うから。なぞって、集めるまでは出来ても、ちゃんとした使い方、判らないよ?」
「それなら心配要らねぇよ。オレがどうにかしてやる」
「こないだみたいに?」
 ンな悠長なコトしてられっか。
 いつかサイジェントにすっ飛ばされたときのことを思い出して訊けば、そのときも一緒にいた少年悪魔は、にやりと笑って首を横に振った。
「いいから集めろ」
 他の何もなく、ただそう告げられて、
「……」
 覚悟を決める。
 とりあえず――深呼吸。
 もう何度目か。出来れば、これが最後から二番目くらいならいいんだけど。そう思いながら。

 おいで?
 呼びかける声。
 ちからを貸して?
 願いと祈り。

 ……リィンバウム
 遠い誰かが 今生きる誰もが 愛して 愛する 世界の力

 あたしがこの魂を抱いている間だけでいい、あたしの声に応えてください
 ――今まで何度か、そうしてくれたみたいに

「、」
 意識の一部が、どこかと繋がった。そんな感覚。
 今までは昂ぶった感情のままにそうしていたから判らなかったけれど、それはとても暖かくて、優しくて。けれど清冽な、哀しさも併せ持っているのだと知れた。
 真っ直ぐ。地面と水平に伸ばした手のひらから、身体のそこかしこから、それらは、入り込んでくる。
 それは、白い輝き。白い、陽炎。
 光に反応した屍人たちが、今ごろになってようやく刃をこちらへとたてつづけにくりだすけれど、ことごとくバルレルの槍で牽制されていた。
「……よし」
 攻防の合間に彼はちらりとこちらを見、満足そうにうなずいた。
 それから、ちょいちょい、と手招き。
 応えて上半身をかがめれば、つと、頬に彼の手が添えられる。
 そして。
「……!?」
 唇をかすめたぬくもりに、けれど驚く暇もなかった。
「バルレル……っ!?」
 わきあがりかけた驚愕の感情は、対象を、別のものへと強制移行。

 顕現していた陽炎は、一気に。今しがた触れたバルレルへと移動して、その身体を包み込んでいた。

「――――」

 せめぎあっているのが判る。
 トリスの施した誓約、から奪った陽炎。
 無理矢理にバルレルの中に移動させられ、押し込まれた陽炎が、外に出ようと暴れてる。
 けれど、そのためには、彼の外側を覆うようにある誓約の力を砕かねばならない。他の――道、と仮に称するものは、バルレル自身が閉ざしているから。
 せめぎあう、力は、おそらく拮抗。
 では決め手は?

「オオォォォォオオォォォォォォッ!!」

 ――叫んだ、

  バルレル

 彼の意志。

  ――――――――

 それに共鳴するように、のなかに残っていた白もまた、その輝きを増して――


 白い光が、爆発するように辺りを貫く。そのついでに、周囲の屍人たちも一掃されてしまった。
 召喚の誓約を砕き、白い輝きがほとばしったその場所を――源を。彼女は、呆然と凝視する。
「……バルレル……?」
 彼女より小さかった背丈は、いまや……そう、マグナ、彼と同じほど。
 一部でホウキ頭と有名だった赤い髪も、少し乱れ気味に伸びていた。
 どちらかというと小憎らしいと可愛らしいを足して2で割ったようだった顔つきは、凛々しい青年のものになっている。
 そうして――その額。
 バンドで覆われていたはずの場所は、いま、何も遮るものがない。露になったそこには、三つ目の眼が存在していた。
「おう」
 だけど、答える声の調子や、仕草は。

  バルレル。

 彼がただ立っているだけでも伝わる、それは壮絶な魔力。怯えているのだろうか。周囲にうごめく屍人たちは、今、一定距離以上彼らに近づこうとしない。
 それらを見渡したバルレルは、とん、とこちらの背を叩いてきた。
「ほら、とっとと行きな」
「……バルレル……」
 その姿。その声。――その魔力。
 呼びかける少女のニュアンス。
 それらの。微妙な違いを、ちゃんと聞き取ったんだろう。バルレルは、少し目を丸くした。それから、口の端を軽く持ち上げてみせる。
「『狂嵐の魔公子』。……知ってただろ?」
「……ええ」
「ほら、行け。――行ってアッチを助けて来い」
「……ええ……」
「……ボロは出すなよ」
「ええ」
 頷いた少女は、つづいて、腕を一度だけ振った。
 四散していたはずの白い光が、再び、そこにまといつく。かつて何度かそうしたときの比ではないほど、強い強い輝きとともに。
 そのまま、身を翻し。
 走り出す直前、バルレルの方を、振り返る。
「……無事で!」
「おう」
「今はあの人の護衛獣だってことを、忘れないで!」
 そのことばに、バルレルは肩をすくめて答えに代えた。


 飛べば早かろうに、律儀にも地面を蹴って駆け出した背中を見送ったバルレルの手が、自身の後頭部に伸びる。
 そのまま無造作に髪をかき乱して、
「どっちにしてもバカか……」
 『狂嵐の魔公子』をなんだと思ってやがるんだか。
「ったく」
 けれど。そうつぶやく表情は、ことばとは裏腹に、ひどく満足そうだった。
 ――が、すぐにその表情は改められる。一瞬だけやわらかく細められた眼差しは、眼光も鋭く屍人たちを睨みつけた。

「さァて! 薄汚ねェモノをまとめて一掃してやるぜッ!!」



 かつて3悪魔がいたというデグレアの城。その中庭に、一同が辿り着いたと、それは同時だった。
「――チィ!」
「カーカッカッカ! そのような攻撃が当たるものかよ!」
 レナードとパッフェルの連射から軽々と身を躱し、彼らを嘲笑うガレアノが、襲いかかってきたのは。

 屍人使いが着地したところに、ユエルが飛びかかる。
「フゥッ!!」
 その反対側から、モーリン。
 僅差でそれを躱しきった先に――腰の刀に手をかけた、カザミネが待つ!
「キエエェェェエェッ!!」
 気合い一閃、目にも止まらぬ速さでくりだされた刀は、けれど、ガレアノの着衣を掠めるだけに終わった。
 召喚術を行使すべく、鋼色の光を手にしたサモナイト石から発させていたネスティは、急遽動作を止める。
 追い打ちのつもりで用意していた術だったが、敵の動きを見るだに、容易に躱されてしまいそうな予感がしたためだ。
 雪が積もって不安定な足場ながら、攻撃を外したモーリンとユエルが悔しそうに間合いをとりなおし、着地する。
 それから一瞬遅れて、こちらとかなり間合いをとったガレアノが、地に足をつける音。
「カッカッカ……おとなしく穴倉で震えておれば、まっとうに死ねたものを」
 そうまでして、ワシの操り人形になりたいか?
 揶揄も露に、ガレアノが問う。
「ふざけんじゃないよ!」
 語気荒く反論するのは、モーリン。
「これ以上、アンタに命をもてあそばせてたまるもんかい!!」
 殆ど不意打ちのようにして強襲をかけられたため、今はじめて、ことばを交わしていることになる。
 揶揄に怒りを返された聞いたガレアノの表情は、だが、実に――実に楽しげに、歪められた。
「吠えたければ吠えるがいい。……どのみち貴様らは死ぬ運命だ」

 魂の漂着点で、も首を長くして待っているだろうさ――

 さらり、告げられた。そのことばは。
 ガレアノの術中に嵌ってしまうと頭のどこかで思っていても、隠し切れぬ衝撃を、一行に与えていた。
「な……!?」
 背筋の寒くなる予想とともに硬直した面々を見るガレアノは、眼に浮かべた愉悦の色を強くする。
「聞いてのとおりだ。おそらく今ごろ、屍人どもの餌になっているだろうよ」
「うそだ……がそんなに簡単に、死ぬわけないよ!」
に何をした、ガレアノ!!」
 ユエルに重ねてネスティも叫ぶ。
 否定と問いかけ。共通しているのは、ガレアノが発したセリフへの、強い拒絶。
 パッフェルとレナードが、顔を見合わせ、小さくかぶりを振った。
 死んだ? が?
 ……ウソだ。そんなの。そんなこと。
 信じたくない。
 だけど、あの子はまだ、来ない。――バルレルを捜して、すぐに追いつくって云ったのに。
 その現実が、重く重くのしかかる。
 そうして、その重圧をさらに増させんと、ガレアノがことばを重ねた。

「カカカッ、信じたくなければそうすればいいさ。どの道、次は貴様らが死ぬ番なのだからなァッ!!」

 その宣言、すべてが完全に音となる前。
 黒い、赤い、にごった闇が、ガレアノの両手に凝縮される。
 悪意に満ちた、淀みの凝り。
 咄嗟に構えた一同を見やり、ガレアノはその顔に勝利を確信した笑みを浮かべ――
 直後。

「なにッ!?」

 音もなく。
 衝撃もなく。

 ただ静かに、淀みは消滅する。

 ――宙を裂いて飛来した白い雷光が、魔力球を破砕していた。
 その場の誰もが――ガレアノもまた例外でなく、そちらを振り返る。
 光の飛んできた方向を。彼らとの位置を直線で結ぶその先、中庭を囲っている、城壁の一角。
 そこに、その子はいた。
 目の覚めるような、白い光をまとって。

「…………?」

 いや、違う?
 呆然と問いかけたユエルに、その子はにこりと笑いかける。
 変わらぬ姿。でも、違う笑顔。
 先ほどまでの緊迫と変わって、戸惑いが場を支配していた。
「たった二人であの数の屍人を……?」
 屍人使いの口調もまた、その色が濃い。だが。
「――いや、目覚めたのなら無理もない」
 にいぃ、と、笑みを浮かべたガレアノは、すでに困惑を脱したようだ。口の端持ち上げたまま、そう、何かに気づいたように云った。
 応えて、その子は首を傾げる。
 微笑。憐憫。哀切。幽かに希望。繻子のようにそれらが混じる、儚い表情。ならしない。そんな顔。
「少し、違います。バルレルが、わたしをここに来させてくれたの」
 その話し方さえも、彼らの耳にはなじみがない。
 ――誰かが無意識に押さえた心臓は、やけに激しく波打っていた。

 じゃない。あれは。
 自分たちの知っている、彼女じゃない。

 あれは。別の。――別の、誰かだ。

「……目覚め、た……?」
 かすれた声でつぶやいたのは、自分たちのうちの、誰だったろうか。

「どういう、こと?」

 『目覚めた』?

 それはどういう意味。
 それはもう――が、いないということ?

 ……あの子は。本当に、いなくなってしまったの?


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