雪が降っている。
白い結晶が、街を静寂に彩っている。
しんしんと、しんしんと――寒々と。
デグレアの街は、相変わらず静かだった。
住民すべて屍人やら鬼にされて悪魔たちに連れて行かれたのだから、それも当然か。
人っ子一人いない打ち捨てられた街に雪が降り積もり、寂寥感をいや増している。
はあ。
吐き出す息は、白い。
「……すっかりさびれちゃったなぁ……」
そうして周囲を見渡し、はしみじみとつぶやいた。
雪は変わらず振りつづけるのに、その下の光景は、かつての賑やかさの名残さえもない。
露天に並べられていた果物などが、冷気のせいでか当時のまま残っているのが物悲しい。朽ちていくばかりの、うち捨てられた――あれも屍か。
「前より荒れちゃってるね……」
「雪も積もりっぱなしですし、歩くのも一苦労です〜……」
ユエルの同意につづくのは、寒さはともかく、積もった雪に苦労してるらしいパッフェルのことば。
「、何か感じるか?」
一行内随一の厚着であるネスティが、寒さなどものともしてない様子で、の横に並んでそう問うてきた。
が、はそれを聞いて、ちょっと露骨に顔をしかめた。
「無茶なこと訊くなあ」
「……無理か?」
「無理だよ」
相変わらず召喚術苦手な自分に、いったい何させる気だと思いながら、それでも一応、耳を澄ます振りをして――いやいや、やっぱり判らない。
首を振ったの横で、モーリンが、つと眉根を寄せた。
「……城の方の気配が淀んでるのなら、あたいが判るけど……」
「たぶんそれだろうな、今回のボスさんは」
「うむ。拙者も微弱ながら、感じるでござる」
レナードとカザミネがそう云ったあと、「でも」とモーリンはつづける。
「どこにいるかまでは特定できないよ。……この街自体が、変な風な雰囲気に包まれてるしね」
「方向さえわかれば充分だろう。どのみち、戦うために来たんだからな」
いざとなれば、召喚術の一発でも撃ちこんでやれば、気づいてあちらから出てくるさ。
何気に物騒なことを云いつつ、ネスティはさっさと歩き出している。
けれど。
「?」
全員進みだした最後尾。いつの間にやら立ち止まっているに気づいたらしく、彼は振り返り、そう声をかけてきた。
けれどはすぐに応じず、きょろきょろとあたりを見回した――それからやっと、ネスティの声に応えて視線を移す。何の意味もなく、周囲を指差し点検しながら、
「……バルレルがいないんだけど」
あれ? と。
そのことばで、一行も視線をめぐらせる。が、いないと指摘された悪魔の姿は、誰の目にも映らなかった。
「そういや、さっきからいなかったような」
「いつの間にかいなくなってらっしゃいますねぇ」
モーリンとパッフェルが顔を見合わせて云う横で、ユエルがくん、と鼻をならし――やっぱわかんないや、と、顔をしかめた。
「空家ばっかりなのをいいことに、酒でも探してたりしてな」
くくっ、と、レナードが笑う。
それを見ながら、は、「はぁ」と、もう一度息をついた。
「しょーがないなあ。先に行っててくれる? あたし、バルレル探してから追いつくから」
「しかし、単独行動は……」
心配そうな表情のネスティに、軽く笑いかける。
「判ってる。すぐに追いつくって。バルレルのことは、トリスから頼まれてるし」
いや、頼まれる護衛獣ってのもどうかって話ではあるが。
軽く云いながら――
一人残ろうとしたのは、もう少しだけ、別の理由もあったんだけど。
そうしてたぶん、それを察していたからみんな、残らせてくれたんだろうけど。
くれぐれも気をつけるように、と、ありがたいお言葉をくれた、みんなの背中を見送り、しばし。
「……」
改めて見渡した街並みは、記憶にあるものとそのまま同じ。
ただ、人がいないだけ。
雪が積もっていくばかりなだけ。
――変わり果ててしまった。この街は、本当に。
少しぎこちなく、足を踏み出した。さくさくと、雪を踏みしだきながら、見慣れたはずの、けれどまったく違う光景のその場所を進む。
この間は忍び込むことにだけ集中していたから、改めて現状を眺めるのは、これが初めてだ。
移動に比例し、移り変わっていく景色。見覚えのある建物。連鎖のように思い出される人々。たまにお菓子をおまけしてくれた駄菓子屋さん、武器を選ぶときに親身になってくれたおじさんの店、城に仕えてた女官さんの実家。
ごめん ね
「……」
ごめんなさい
「……」
……ごめんね……
繰り返し、繰り返し。――声は、ずっと、深くから。
ただひたすらに謝罪する。赦されるとは思っていない、ただ慙愧の念でのみ、そのことばは繰り返される。
「――ごめんなさい――」
そう口に出し、静まり返った街並みを振り仰いだ。
誰に謝ろうというのだろう。もう、誰もいないのに。
それでも、この空気にこのことばを、溶かさずにはいられなかった。
あたしがここに落ちなかったら。
抱えたものがなかったら。
それよりもずっと前から、彼等の企みは進行していたのだと知っていても。そう思わずには――いられなかった。
優しかった人たち。厳しかった人たち。誰も彼もいなくなった――ただ風の吹きぬける、雪の降り積もる、ここはの、もうひとつの故郷なのだ。
ひゅぅ、と、冷たい風が、すぐ傍らを吹き抜けて、
「つまり――だ。テメエは、このオレにヤツの舎弟になれって云ってんのか?」
「?」
ふとした感傷の渦からを引き上げたのは、どこからとなく聞こえてきたバルレルの声だった。
意識が沈んでいる間も、自然と歩を進めていたらしい。はたと気づけば、城から少し離れたあたりの広場にまで、辿り着いてしまっていた。
そして、声はたぶん、そちらのほうから。
そのまま進むのはためらわれ、は入り口にある柱に身を隠し、こっそりと、こっそりと、覗いてみる。
幾分不機嫌そうに羽と尻尾を上下させている、バルレルの後ろ姿がまず見えた。
それから、
「……げ。」
向かい合うガレアノの姿を認め、は思わずうめいたのである。
――が、対峙するふたりは、覗き見している不埒者など知らぬげに、なにやら話をしているようだ。
「カカカカッ……ワシとて、そこまで命知らずではないわい――狂嵐の魔公子よ」
……きょうらんの、まこうし?
いつかどこかで聞いたようなその単語に、は首を傾げる。
そうしてその間にも、ガレアノとバルレルの会話は進む。
「今でこそ子供の姿にされておるものの、おまえの力はワシの主も買っておるのだ」
――だからこそ、裏切りを勧めているのではないか。悪魔の流儀のとおりにな。
「おまえとて、忌々しい誓約に縛られたままでは、窮屈で仕方なかろう?」
「……で、あのウソつき野郎につけばそれを解除出来る、とかのたまうつもりかよ?」
殆ど信用してなさそうな――顔は見えないが、声音で、バルレルは答えていた。
が、ガレアノにしてみれば、そんなことは気にするものでもないらしい。「うむ」とひとつ大きく頷くと、懐に手を入れる。
「どうだ。そのための品物もちゃんと、ここに用意してあるのだぞ」
取り出されたそれは、の剣と同じほどの長さの持つ短剣だった。
一見ただの剣にしか見えないそれを目にした瞬間、バルレルの背中がかすかに強張る。
「……こいつは……」
「メルギトス様が鍛えた、血識を吸う力を持つ呪いの刃さ」
新しい玩具さ、なんて云うような、いたって気負わぬ口調で、ガレアノはバルレルのつぶやきに応じた。
そうして、そそのかす。
「こいつを使って、あのニンゲンから血識を奪えばいいのだよ」
「――ほう……」
なんか楽しそうだな、バルレル。
思わずツッコミそうになった自分の口を手で押さえつつ、はとりあえず、もう少し成り行きを見守ってみることにした。
バルレルの好反応に気を良くしたらしいガレアノが、にやり、と、笑う。
呪いの刃と呼ぶそれをバルレルに手渡し、
「なァに、簡単なことだ。魔公子よ。このままヤツらの所に戻り、調律者の背中を刺してやればいい」
――そうすれば、誓約の解除方法だけでなく、調律者の魔力さえもおまえのものになるぞ?
……
「ぶはっ!」
バルレルがふきだした。
「アーッハッハッハ!!」それまでの、しんとした、どこか張り詰めた空気が、ここで一気に霧散する。「マヌケか、テメエは!!」
「な、何がおかしい!?」
唐突な大笑いに、さすがのガレアノも驚いたらしい。
が、そんなガレアノのことばには耳を貸さず、バルレルはくるりと振り返った。の方を。
そりゃあもう、楽しそうな表情で。
「オイ、出てこいよ」
「……気づいてたのね」
「気づくだろそりゃ」
あちゃーという気分で移動するに、何をいまさら、という感じの応えが返る。
「テメエの持ってるその気配はな、いやってほど丸判りなんだよ。コイツら以上に年期があるんだぜ、オレは」
自慢げに云うバルレル――から見れば彼の後方に立つガレアノはというと、ひどく驚いた様子だった。
「な……なんだと!? 魔公子よ、まさか――」
「残念だったなァ、ガレアノ?」
オレの召喚主様は、今ごろメトラルのガキつれて、サイジェントへの道まっしぐらだぜ?
「バカな……! 護衛獣を自分の傍から離すなど、そんなバカな話が!!」
「――あるんだなァ、これが」
にんまりと、バルレルは笑う。
さくさくと歩いてきたを、自分の一歩後ろにおいて。
「なんせオレの主は、正真正銘の大バカ野郎なもんでな。手元から離した護衛獣が逃亡するかなんてこと、全ッ然考えてねーんだよ」
……同意。
だって、今バルレルがそう云って初めて気づいたのだから、人のコトは云えないが。
トリスってば終始にこにこして、『がんばろうね』系しか云わなかった気がするし。うむ。思い返してみても、そんな懸念を持っているようには、全然感じられない。
「――それに」
弄んでいた短剣を、一度大きく宙に投げ――とガレアノが、思わずそれに目を向けた瞬間。
自然に任せた落下を待たず、バルレルの手は、稲妻のような速さで短剣を掴みとっていた。
「あんな大ウソ野郎の手下に成り下がるくらいなら、大バカ野郎たちと付き合ってるほうが、ずっとマシってもんなんだよ!!」
ドス、と、響く。
それは、刃が肉に食い込む音。
「ガアアアッァアァァッ!?」
直後――絶叫。
身体ごと体当たりする勢いでもって、バルレルは、呪いの刃をガレアノの肉体に突き立てていた。
どうでもいいが、『たち』って……複数形かい?
そんな、本当にどうでもいい疑問に刹那とらわれたの横を、ぶわぁっ、と、淀んだ風が吹き抜ける。
悪意以上に怒りがこもったガレアノの発する魔力が、物理的な影響までも生じさせている。
「おのれエェェッ! たばかりおったなァ!?」
「ケッ!」
身の毛もよだつ悪魔の怒号に対するは、揶揄も露な悪魔の嘲笑。
「オレはトリスが来てるなんて一言も云ってねぇ! 勘違いしてたのはそっちだろーが!」
「――バルレル!」
楽しげに応じるバルレルへ、は大声で呼びかけた。
緊迫を孕んだ声に、彼は怪訝そうに振り返り、「――チッ」盛大な舌打ちを漏らす。
淀んだ風が、凝る。
周囲の空気は、いつの間にか、濁った悪意に満ちていた。
何かを引きずるような重い音をたて、屍人がひとり、またひとり、そこかしこからわいて出てくる。
そうして、を振り返ったままのバルレルの向こうでは、刃でもって傷つけられた箇所を押さえたガレアノが、ギロリ、と、ふたりを睨みつけていた。
「屍人どもよッ! こいつらを八つ裂きにしてしまえェッ!!」
「な!」そこで初めて、バルレルが動揺した。「オイ待てテメエ! コイツがどうなってもいいのかよ!?」
おいバルレル。キミの方が悪役みたいだぞ。
「カカカ……ッ」
さっきと逆。
悪魔の怒号に悪魔の嘲笑が返る。
「もはや――メルギトス様は選ばれた。崩壊が少しばかり早くなったとて、何の不都合があるか?」
「……っ、そりゃテメエらの理屈だろが! また何もかも無駄にする気か!!」
「魔公子よ。貴様も何故、に入れ込む? かつての存在は眠りつづけるばかり、それはただの器だろうが?」
何故メルギトス様のように、そのひとつだけを手に入れようとしない? 憤るバルレルに、ガレアノは、心底不思議そうにそう訊いた。
「あァ? 決まってんだろ」
鞘に収めた刃をに放り投げ、愛用の槍でもって迫る屍人を牽制しつつ、彼は、その問いに答える。
「こいつが超大バカだからしょうがねぇんだよ」
「どういう意味よそれ!」
さすがに聞き流せず、状況ほったらかしてバルレルにくってかかるへ、ガレアノの視線が向けられた。
「――――」
一瞬だけだった。かつての日々を思わせる、その双眸に宿った色は。
そして、その、遠い眼差しに、睨みあっていたとバルレルは気づかない。そうして気づかぬそのうち――次の瞬間にはもう、消え失せた。
雪を蹴り、ガレアノが、大きく飛び上がる。
「カーッカカカカ! ならばそのまま仲良く、屍人どもの餌食になるがいいわ!」
その声に向き直ったとバルレルへ、ガレアノは声高く、こう続けた。
「安心しろ! すぐに仲間たちも同じ目に合わせてやる! このワシの手で、無残に殺してくれるわッ!!」
安心出来るか、そんな宣言。
「待っ……!」
もすぐ、身を翻したガレアノを追おうとしたが、その間にも増えつづけていた屍人が、行く手を阻んだ。
「ああもう!!」
鈍重な動きで繰り出される攻撃を避けるのは、とバルレルにとって、そう難しいことではない。
問題なのは、この分厚い屍人たちの壁を突き破るだけの総合的な攻撃力がないということだ。
「どどどどっどうしようバルレル!? このままじゃあっちがピンチだよこっちもピンチだけど!!」
「どもんな。落ち着けとにかく」
「だだっ、だってー!」
悠長に会話しているようだが、これはこれで四方八方から繰り出される攻撃を躱しつつやってるやりとりだったりする。
目をぐるぐるまわすを呆れたように見、バルレル、何故だかいたってのんきに「……っつーか」とか、ぼやいている。
「カンペキにイッちまってたなァ、アイツ。いや、アイツら、か」
「しみじみ云うなぁ! 落ち着きすぎだよあんたは!!」
なんでそんなに悠長にしてられんのさ!?
半泣きでそういうを見たバルレル、そこで、にやりと笑った。
「そりゃあ、なんとかする方法がないでもないからな」
「え?」
何それ?
それまでの大混乱もどこへやら。きょとんとしたに向かって、バルレルは、一言。
「オレの【誓約】、解け」