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第55夜 四
lll 炎の夜の、真実 lll




 だけど。

 ヒュッ、

「――ぎゃあッ!?」

 ドス、と、軽い――それでも生々しい音とともに、二方向から飛んできた矢と手裏剣が、ビーニャの肩を貫いていた。それで詠唱は途切れる。
「みんな!!」
「トリス! だいじょうぶ!?」
 第二射をいつでも放てるよう様子を見ているケイナの横から、フォルテと双子、ミニスが走ってくる。
 手裏剣の飛んできた方向からは、シオンに手を引かれて、アメルがやってくるのが見えた。
 ……そうか。
 それを見て、得心する。さっきから守ってくれていた暖かいものは、アメルの力だったんだ。
 ありがとう、と、礼を云おうとしたら、当のアメルは泣き出しそうな顔でトリスとレシィに手をかざした。
「ごめんなさい……!」何故か彼女は謝った。「痛みを長引かせて……ごめんなさい……っ!!」
 癒しの力を使っているのがばれたら、ビーニャが激昂してそのまま魔獣たちを煽って屠りにかかりかねなかった。
 シオンがアメルに指示したのは、それと気づかせない程度にトリスに力を送るということ。
 けれどそれは、トリスの苦痛を長引かせる側面も持っていたのである。
「いえ、アメルさんにそうお願いしたのは私です。彼女を恨まないでやってください」
「ううん。あたしはだいじょうぶ、だいじょうぶだから――」
 だから、シオンさんもアメルも、気にしないで。
「おまえたちは下がってな。あとは俺たちの活躍を見ててくれよ?」
 アメルとトリス、レシィを後方に押し下げながら、フォルテが云った。
 その調子はあくまでもいつものとおりだけれど、黙って危機を見ているしかなかった分、鬱憤が溜まっているらしいのが見てとれた。
「なっ……なによッ!? よってたかってェ!!」
「そりゃテメエだろうがッ!!」
 先ほどまでの光景も記憶に新しいリューグが、勢いに任せて云い返す。
 が、怒りに気をとられたビーニャに、それは届かなかったようだ。
 彼女は中断させていた召喚を完了し、魔獣を喚び――それでも、レシィの一撃が効いているのか、数は遥かに少なかった。


 双方、怒りに任せた戦いになった。
 ビーニャは優勢だったそれを覆されていきりたっているし、こちら側に至ってはそれまで眺めているしかなかった分を、爆発的に発散させている感がある。
 ケイナの矢とシオンの手裏剣、苦無が雨と降り注ぎ、魔獣たちの機動力を奪う。
 そこに突っ込むフォルテと双子が、次々とそれらを絶命させていった。
 それでも息のあるものには、ミニスの喚びだしたシルヴァーナの炎が襲いかかる。
「――くゥッ!!」
 負けじと魔獣を喚び出すも、その端から倒されていくのを見てとって、ビーニャは魔獣召喚をやめた。
 赤い黒い闇をまとい、異形と化し、その身でもって近接組に向かってきたのだ。
 それまでの女性の姿から、体躯が段違いに巨大になったその違和感に、間合いを読み損ねたか。一瞬反応が遅れ、フォルテたちは突き飛ばされる。
 けれど、あまり白兵戦は得意ではないのだろう。
 衝撃はそう強いものではなかったのか、真っ先に飛び起きたリューグが雄叫びとともに斬りかかった。
「オオオォォォッ!!」
「なによ、なによ、なによォッ!!」
 腕の一部を変色させて――いや、変質させて。
 金属同士のこすれるような音とともに斧の刃をその表面で滑らせ。ビーニャは叫ぶ。
「そもそも! アンタがいなきゃ良かったのよ!」
「あァ!? 何云ってやがる!!」
 叫びは、怒声というよりも。
「アンタたちがいなけりゃ、ちゃんは記憶なくさずに済んだのよッ!!」

『!』

 振り下ろしかけた斧が、驚愕ゆえに一瞬止まる。
 そこに突き出されたビーニャの腕が、彼の腹を殴りつけた。
「ぐっ……!?」
 地面をこすりながら後退したリューグと、そこにさらに攻撃を叩きつけようとするビーニャの間に、ロッカが入った。
 槍を大きく薙ぎ、相手の前進をその射程分、阻む。
「勝手なことを云うな!!」
 そうして、叩き伏せるように怒鳴りつけた。
 温厚なはずのロッカの叫びに、それを初めて見るトリスやフォルテ、ケイナ、ミニスは一瞬、ぽかんと呆気にとられる。シオンだけは、あまり表情の変化を見せなかったが。
 何か反論しようとする気配を見せたビーニャよりも先に、ロッカは槍の柄を、ドスッと地面に叩きつけた。
「僕たちがいなければ?」
 ああ、そうだろうさ。強い語調は怒声に近く、だが、自棄のようなものは見てとれない。
「だけどさんはな、それでもよかったって笑ってたんだ!」
 炎の中での凄絶な光景も、その後始まった長い長い、困難な道も。とどめのように味わった、喪失も。
 ――だから、みんなとここにいられる。と。
 それは、越えたからこそ云えることかもしれない。
 だが、越えるまでに何度泣いた? 何度悲嘆に暮れて座り込みそうになった?
 それでも。乗り越えた。
 乗り越えて、今、やっと。
 振り返り、自分の歩いた足跡を見て、笑ってる。
 失った、遠い背中を見るときはまだ、どこか哀しそうに。――それでも彼女は、それに浸って留まったりしないでいる。
 留まれば、止まる。
 それだけはと、云い聞かせてる。姿は切なく、けれども強い。
「……さんの選択を否定するようなことを、おまえが云う資格なんか、ありはしないんだ!!」
「同感だわ」
 ケイナが後押しした。
が今、そう在るのを否定して、何の意味があるの?」
 同じように記憶をなくして、けれど自分は取り戻すこと叶わなかった彼女は、そう、ため息混じりに同意を示す。
 記憶がなくて、過去が真っ白であることに、不安を覚えなかったわけがない。
 それでも、自分は此処に在る。真っ白な先に、此処に、道を刻んで歩いてきた。
 相棒と一緒に。今は傍にいないけれど、妹にだって逢えた。
 選んだのよ。
 此処に、こうして、在ることを。
 自分自身が。
 私が。
 ……も、ね。
 フォルテの視線に気づきながら、それでもそっちは向いてやらないで。ケイナは、口の端を軽く持ち上げた。
 だが、
「……良かった、ねェ?」
 多分に揶揄を……少し自棄にも似た色も込めて、ビーニャは云う。
 その声音に、一同が怪訝な顔になったときだ。

「そのせいで、村が焼かれたって知っても、アンタたちは良かったって云えるワケ?」

「……え……?」

 予想しなかったそのことばに、まず反応したのはアメルだった。
 村が焼かれたのは、自分がレルム村にいたせい。自分が聖女としての力を目覚めさせたせい。
 そう、しこりのように残っていたのだろう気持ちが、むくりと、彼女のなかで鎌首をもたげたようだった。
 ちらりとアメルを侮蔑の目で見やり、ビーニャは、はん、と吐き捨てる。
「ばっかみたい。『アタシのせいで』とか思ってたんでしょ、そこのお優しい聖女サマは?」
 生憎だったわね。

「黒の旅団は最初、神殿に秘密裏に押し入って聖女だけ拉致する手はずでいたのよ? ルヴァイドちゃんたちはアマちゃんだからァ?」

「でもねェ、アタシが見ちゃったのよね。ちゃんがアンタたちのトコロにいるの。楽しそうに笑ってるの」

「ムカついてしょうがなかったからァ、作戦変更して焼き討ちにするように仕向けてやったのよ」

 アンタたちはそれも知らないで、今までずぅっとルヴァイドちゃんたちを憎んでたワケ!

「――――――――」

 思いもしなかった、場所で。
 思いもしなかった、事実を明かされて。
 誰もが微動だにできないなか、
「……なっ……」
 そう、声を漏らしたのは、誰だっただろう。
「キャハハハハハハハッ!」
 反応がおかしくてたまらないのだろう。ビーニャが、甲高い笑い声をあげる。そして、堰をきったように囃したてはじめた。

「バーカバーカバーカ!! ちゃんを拾ったせいなのよ! アンタたちが! アンタたちが自分たちの住む村の末路を決めたのよ!! キャーッハハハハハ!!」
「だまんなさいよッ!!」

 レルム村の3人、そうしてフォルテとケイナまでもが硬直しきったさなか。
 ただ一人、ミニスだけが声を張り上げた。
 同時に、シルヴァーナの炎をビーニャに向けて浴びせかける。それは防がれたが、ミニスのことばは鋭く、魔獣使いに切り込んでいく。
「さっきから聞いてれば、何でもかんでも人のせいにして!」
 なにが、が笑ってたからなのよ。
 なにが、いなければよかったなのよ。
「そういうの見た、あんたが! 村や、に、みんなに! そうさせること――そうすること! 決めたんじゃないのよ!」
 あの夜。レルム村を炎に染め上げることを、決めたのはおまえだろうと。
 厳しいミニスの声に、ビーニャは、けれど、
「――そうよ」
 見下すように、そう云った。
「だから何? 気に入らない行動したのはちゃんだし、ソイツラじゃない」
 ムカついたから、壊すって決めた。アタシが決めた。
「それで壊したのよ。有言実行してるじゃない、それの、いったい何が悪いワケェ?」
「……テメエには、一生、判らねぇよ」
 生じた痛みを受け止めず、跳ね返すことしか出来ないような、テメエには。
「その一生さえ、今終わらせてやるけどな」
 さっきの一撃がまともに鳩尾に入っていたらしく、今まで咳き込んでいたリューグが、ようやっと起き上がった。
 立ち上がる支えにしていた斧を音高く一閃し、

がって云いながらッ! テメエは結局、自分のいいようになる人形が欲しいだけなんじゃねえのかよッ!!」

「――――――――」

 図星だったのか、それともリューグの迫力に気圧されたか。
 大した反応もしないビーニャに向けて、双子が足を踏み出した。
「……第一、黒騎士の件についてはもう、僕は整理をつけられたと思ってたんだ」
 だからこそ、ともに戦うことを受け入れた。
「同じくな。――それを今さら蒸し返しやがって」
 忘れることの出来ない情景があっても、向き合って話をするようになった。
 炎の記憶が脳裏にちらつく。
 赤い風景に、倒れた人々に混じって、ところどころに見え隠れする小さな影――
 それは、小柄な魔獣の影だったのだと、今なら判る。


 眼光鋭く睨みつける双子と相対したビーニャは、小さく、一度だけ身を震わせた。 
「キライ」
 つぶやく。
「アンタたちなんかキライッ!」
 叫ぶ。アンタらなんか、何も知らないクセに!
 あの方の嘆きも、あの子の哀しみも。

 ――ビーニャ
 ――レイムさん

 あの子が。あの子がそうして、呼んでくれていた名前も。
「みんなみんな――」
 もう戻らぬのなら。
 遠い日々も。
 遥かな時も。
 帰ることもう、叶わないなら。

「壊れちゃえば、いいのよ――――ッ!!」

 叫んだ。


 魔力の制御さえも出来なくなっているのか、ビーニャが、赤い黒い雷をその身にまといつかせて双子へと襲いかかる。
 ガギィィィッ!!
 金属同士のこすれる音。
 変質した皮膚に大剣で斬りつけたのは、ロッカでもリューグでもない。横手から接近した、フォルテだった。
「……さっきから聞いてりゃあ、っとによぉ……」
 俺だって、あの夜は未だに重いんだぜ?
 常の飄々とした口調とは正反対の重さで、フォルテはつぶやく。
「……っによ……なによオォォッ!!」
「させません!」
「ギャアアアッ!?」
 魔力を生み出しかけたビーニャの喉に、シオンの手裏剣が命中する。
 追い打ちをかけるように、ケイナの矢が降り注いだ。
 そうして。

 ――ごぷっ、と、めりこむような音がした。

 フォルテの大剣に重ねるように、リューグが振り下ろした斧。
 シオンの抉った喉を狙い、貫いたロッカの槍。
 それらが同時に、ビーニャの身体の奥深くまで達した音だった。
 喉を貫かれたその身には、断末魔さえも、許されず。悪魔は、ただ崩れ落ちる。


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