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第55夜 弐
lll 勇気の在り処 1 lll




 しばらくの間、トリスとビーニャは無言で睨み合った。
 あくまで追い詰められているはずなのに、なかなか態度を変えないトリスに、業を煮やしたのか。ビーニャは、ふん、と小さく鼻を鳴らす。
「ねェ。どうして、そんな役立たずのメトラルなんかをかばうのさ?」
 持ち上げられた腕に、一瞬身体が強張りかけた。
 けれどすぐに、攻撃の意志は含まれていないのが判る。
 多分に、おそらく百に近い割合、含まれているのは、揶揄の色。
 その腕が――指先が示したのは、レシィの頭部だった。
「魔力の源になる角も、変なカタチに切られてるし?」
「……っ」
 思わず両手で頭をかばうようにしたレシィに、ビーニャはさらに嘲りの目を向けた。
「そもそも、そいつをかばったからアンタ、逃げそこなったワケじゃない」
「あ……」
 さっきの出来事を思い出したんだろう。
 レシィが、無意識にことばを零す。
 トリスもまた、無我夢中だった己の行動を、ふと、手繰っていた。
 煙のなか、真っ直ぐに向かってきていた魔獣。
 反射的に動いて、レシィを突き飛ばしていた自分の身体。――直後に引き裂かれた足。治癒済みではあるが、断ち切られた神経は、すぐに回復するわけじゃない。今も残るかすかな痺れは、十二分に障害となり得た。
 それに、リプシーは傷を癒してはくれるけど、あいにく服まではどうにもならない。
 剥き出しになった足には、まだ、うっすらと赤い筋が走っている。
 ふとそこに向けられたレシィの目を見て、トリスはその頭に手を伸ばした。
 緑色の、ふわふわの髪を、くしゃっとからめて、自分に顔を向けさせる。
「気にしちゃダメ。レシィ。あなたのせいじゃない」
 あんなヤツの云うこと、聞いちゃダメだからね?
 そう云うと――逆効果だっただろうか。
 くりっとした丸い目が、くしゃっとゆがんでしまった。
「で、でも……っ」
 刹那、
「なァに同情ひくような顔してんのよッ! このケモノはッ!!」
 バシィ、と、足元めがけて放たれる力。
 咄嗟にかばったものの、間に合わなかった。飛び散った土くれが、トリスの頬に傷をつくる。
 振り返れば、黒い闇の放電を、名残のようにまといつかせたビーニャの姿が視界に入る。
 ――それ以上の。闇をたたえて彼女は笑んだ。残酷に。壮絶に。
 放つことばも、等しく凄絶。

「あれもこれもどれもなにも――みぃぃぃんな、アンタのせいなんだよッ!!」


 罵倒しながらも、ビーニャの意識は眼前の人獣を通して、いつか己が主とかわした会話へと至っていた。

 ……レイム様は仰った。
 欠片が零れだしたのは、そのときだったって。

「この、――役立たずの弱虫護衛獣ッ!!」

 アンタが怖がって、界の狭間で駄々こねてたりなんかしなけりゃ。
 中途半端にあの子の力は、目覚めたりしなくて。
 ちゃんと、奥のアレをレイム様のお望みどおりに目覚めさせて。
 ……渡して。
 そして。
 あの子はあの子のままで。
 いれたかも、しれないのに。

 ……壊そうだなんて仰ったりしなかったかもしれないのにッ!

「アンタなんかが―― 「うるさいっ!!」


 ビーニャのそれよりも、さらに大きな叫び。
 自分がそんな声を出したことに驚いて、ああ、だけど。
 いつだったか、沈んでたときに。を見て、もっともっととんでもない声で叫んでいたことを、思い出した。
 それで、強張っていた筋肉がほぐれる。悪意だらけのビーニャのことばに震えつづけるレシィを、ぎゅうっと抱きしめた。
「あたしの護衛獣を――レシィをバカにしたら承知しないわよ!」
 だが、ビーニャは、とんと動じた様子もなく。それどころか、さらに揶揄の色を強めて、こう云った。
「……護衛獣、ねェ?」
 ソイツ、ホントにアンタの護衛獣だって云えるワケ?
「……!?」
「知ってンのよ。アンタが暴発させかけた魔力、調整してあげたのはちゃんだってコト」
「それがどうしたのよ!?」
 むっとして怒鳴るトリスを無視し、ビーニャはレシィを睥睨した。
「ねえ。アンタどっちの護衛獣なワケ?」
 喚びだそうとしたトリスちゃん?
 手を引いてくれたちゃん?

「中途半端な召喚師が中途半端に呼び出した、中途半端な存在の癖に、よく護衛獣なんてゴリッパなモノ、名乗れるわねェ?」

 それまで考えもしなかった問いを突きつけられたためか、レシィが、目に見えて血の気を失った。
 目を見開いて、小刻みに震える身体は急速に冷えていく。
 そこに追い打ちをかけるように、ビーニャは云う。
「第一ィ。主に隠し事するようなヤツ、ホントに護衛獣だって云えるのォ?」
 ――先刻の。
 に関することなのだと、すぐに判った。

 だけど。たった今ビーニャの告げたそのことばが、逆に、沸騰していたトリスの頭を冷まさせてくれた。

「そうね」だから頷く。「『護衛獣』じゃないかもしれない」
「!」

 ゆっくりつむいだそのことばに、ビーニャよりもレシィのほうが強い反応を示していた。
 世界がひび割れ壊れていくような、そんな目で、彼は、召喚主を見上げる。
 そんな姿を見て、してやったりと云いたげな笑みを浮かべたビーニャに、けれど、トリスは笑みかけた。
 強く。
 いつかが、そうして笑ってたみたいに。

「――レシィはね。あたしの大切な、相棒よ」

 隠し事して当たり前。
 誰だって、触れられたくないことあるもん。
 あたしだって今、レシィに対して悔しいなんて思ったこと、知られたくないもん。

 レシィがのことで隠し事してても、レシィがを大切に思ってることは知ってるから、不安にはならない。
「呼び方なんてどうでもいいわよ。レシィはここにいて、あたしはここにいて、ちゃんとお互いを守るんだもん」
 護衛獣なんてコトバに拘る必要、ドコにもないよ。
 ……たしかに、あたしは召喚に失敗しかけた。
 がいなかったら、この子はこうしてココにいなかったかもしれない。
 あれは正規の召喚術じゃない。って、派閥の意地悪お偉いさんなら云うかな。だから護衛獣じゃない、とも。
 でも。
 護衛獣なんてことばでくくれなくても、そんなの、なんだっていいのよ。
 傍にいることも、傍にいてくれることも、変わらないんだから。
 立場なんて呼び方なんて。今さらそんなの、どうでもいいよ。
 だって、きっとそう云う。
 そう云って、笑ってくれる。
 どうでもいいじゃない って。
 レシィはトリスの傍にいるんだしあたしの傍にもいるんだし って。
 ふたりの護衛獣ってことにしたら、きっと楽しいんじゃない って。
 ううん。より先に、あたしが云うかもしれないね。

 ……傍にいるでしょ?
 傍にいようよ。

 これまでも、これからも。 きっと。――ずっと。

「……ごしゅじん、さっ……」
「なによッ!? アンタ、ちょっと優しくしてやったらつけあがって開き直ってさァ!?」

 感極まったレシィの嗚咽を遮って、ビーニャの怒声が響いた。
「気色悪い三文芝居やってンじゃないわよッ! あァもォ、ムカつく――ッ!」
 ドスッ、と、打ち込まれた力は強く。
 そして、先のそれよりも、かなり至近だった。
 ……ヤバイかも。
 ちょっと考えて、そっと、レシィの身体に添えていた手を離す。
「……ご主人様……?」 
「みんなを呼んできて、レシィ」
「で、でも……ッ!?」
 そうしたら、ご主人様が。
 レシィが云いかけたとたん、

「もォ、もォ、超めっちゃくちゃに壊してやるゥッ!!」

 視界の端に、凝縮する黒と赤。
 禍々しい淀み。

「行って!!」

 ドン、と、レシィの背中を突き飛ばしたのと、ビーニャの力がこちらに向けて放出されたのは、ほぼ同時で。
 衝撃をまともにくらった視界が、昏くなる刹那。
 走り出したレシィを見て、口の端を持ち上げることが出来たのが。
 そんな余裕があったことが。自分でも、意外だった。



 ――そしてこちらは大困惑。

「ちょっ……!? レシィ全然別の方に走ってるわよ!?」
 緑の髪の護衛獣が走っていく方向を見たミニスが、あわててそれを指差した。
「だああっ、しょうがねぇあっちで合流すんぞ!!」
「で、でもトリスは!?」
 走り出そうとしたフォルテに、こちらもあわてたアメルの声が飛ぶ。
 けれど、
「どうせここにいたって何も出来ねぇよ! あいつを拾って特攻かけるぞ!!」
 指さされたレシィの走っていく位置は、最初に出た門とも、逃げ出した入り口とも違う。
 どうやら訓練場も兼ねていたらしいこの中庭は、改めて見渡してみると、両手の指を合わせたほどの数、出入り口があるようなのだ。
 成り行きをすべて把握したわけではない。
 が、走り出したレシィを追うことさえせず、ビーニャはトリスをいたぶり始めていた。
 彼が、自分たちのいる場所に戻ってはこないと思っているのだろう。
 ならば。
 そのレシィが通る入り口の方に向ける意識は、おそらく、ぐっと低くなる。
 言外に浮かべたリューグの考えを、ロッカも察したのだろう。同じコトをもしかしたら、考えていたのかもしれない。
「――大将、あんたはどうする?」
 振り返ったフォルテの声に、シオンは、小さく首を振ってみせた。
「アメルさん」
「はい?」
 唐突な呼びかけに、聖女は戸惑ったように、腰を起こしかけた体勢のまま振り返る。
「酷なことをさせてしまいますが」、
 そう前置きして、シオンは彼女を手招きする。
 示したのは、ビーニャと魔獣の攻撃を必死でさばきながら――それでも徐々に防御を削られ始めている、トリスの姿。
「皆さんがレシィ君と合流するまでの間、時間稼ぎをお願い出来ませんか」
「……え……?」
 不安げなアメルに、けれどシオンは安心させるように笑ってみせる。
 これさえ乗り切れば。
 そう、その双眸は語っていた。――そうしてそれは、現実となる。


 そして。ただ走る。真っ直ぐに。
 背中を押してくれた手のひらの感覚もそのままに、レシィは中庭の出入口をくぐり、

 ……足を止めた。

 開け放しの扉の向こうからは、ほのかに陽の光が差し込んでくる。
 魔獣たちの楽しげな鳴き声や、ビーニャの甲高い笑い声も聞こえる位置。
 だけど聞こえない。
 トリスの声だけが聞こえない。
 理由はすぐに判った。
 ……心配、させないためにだ。
 苦痛の声を聞いて、自分の足が鈍ったりしないように。トリスはたぶん、声をこらえている。

 ――アンタ、ホントに護衛獣なワケ?

 頭によみがえるのは、ビーニャに投げつけられたコトバ。
 ……ここまで。
 ここまで、トリスに気を遣ってもらわなければならない、自分は、ほんとうに護衛獣なのか。
 相棒だって云ってくれた。
 そのことばにさえ、自分は応えられるのか。

 ――みんなを呼んできて

 トリスはそう云ったけれど。
 その間に――もしも――

「ねェ? もォ観念して、悲鳴出しちゃえばァッ!?」
「っ……誰がッ!!」

 かすかに、聞こえる声。にじむ苦痛。

「……!!」

 そうだ。
 呼びに、行かなくちゃ。助けを。
 ご主人様を、助けて、もらわなくちゃ。

 足を踏み出しかけて――動かない。
 恐怖? ……違う。
 身体の芯が震えてる。
 怯え? ……違う。
 心臓が熱い。
 指先は冷たい。
 足が、進みたがってる。どこに?


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