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第54夜 参
lll 闇が蠢く lll




「――チッ」
 小さな舌打ち。
「虫唾が走りますな……!」
 キュオォ……
 赤と黒が混ざり合う。
「!!」
 察したハサハが、今度こそは中和しようと口を開く。
 が、
「小賢しいッ!!」
「――きゃぅッ!!」
「危ない!」
 弾かれた妖狐の少女を、すんでのところでアグラバインが支えた。
「自爆なぞ待たずとも、今ここで、引導を渡して差し上げましょう!」
 皆共々に、塵と成り果てるが良いわ!
「――待て……ッ!!」
 無駄だと察していても、動かずにはいられなかったのだろう。
 シャムロックが、大剣を携えてキュラーに向かい――

 それは、ほんの一瞬の間の出来事だった。
 おそらく目にもとまらぬほどの速さだっただろうそれは、どうしてか。
 見ていた者にとっては、ひどく遅い、まるで銀幕のコマ送りのような。

 光が翻る。
 先ほどまで、闇に食い尽くされようとしていた光。ジェネレイター。
 その剣を抜き放ったルヴァイドが、キュラーの生み出そうとしていた魔力球を叩き斬っていた。
 四散した魔力に打たれ、ルヴァイドはそのまま数歩後退する。
 不意の出来事だったが、キュラーの判断は早かった。狙いをそこに定め、再び呪を紡ごうとして――

「……ガァッ!?」


 魔力を斬った際に、ジェネレイターの光の一部が、キュラーの表皮をこそぎとっていた。
 突っ込んできたシャムロックが、そこに大剣を突き立てたのだ。
 常識の及ばぬ硬度を誇っていたのは、どうやら、その表皮の部分だけだったらしい。
「なん、と……ッ!? 私ともあろう者が……ッ!?」
 その光景を一番認められないのは、キュラー当人だったろう。
 驚愕一色に染め上げられたその叫びを聞きながら、シャムロックは、なおも、剣を突き立てる腕に力をこめる。

「……邪鬼使いキュラー……おまえは、云ったな」

 人間の心が鬼を生み、育むのだと。

「だが、それは」、

 グ、と。力をこめる。
 渾身の力を、こめる。

 怒りなさいと。強く怒鳴った声がよみがえる。
 それが出来るのは、それをしていいのは。あなただけだと叫んだ声。
 ――絶望を突き抜けた夜色の双眸。
 ちからある、眼差しとことば。

 そう。
 これは怒りだ。
 時を経て、やっと。

「それだけの力が、人のなかには秘められているということだッ!!」

 ――やっと。リゴール様。皆。
 貴方たちの無念を。強さを。怒りをここに……!


 耳をつんざく悪魔の絶叫とともに、深々と突き立てられた大剣が、一気に上に薙がれた。
 そうしてそのときには、ルヴァイドが、レオルドの身体にまとわりついていた肉塊を葬り去っていたのである。


 キュラーが地に伏すと同時、鬼兵たちが、次々とその場に崩れ落ちる。
 その場に息を荒げて座り込んだシャムロックの手当てにはルウが走り、カイナは鬼兵たちの魂を送り還すためだろうか、静かに鈴を鳴らして小さな舞いを展開する。
 少し離れた位置で、イオスがルヴァイドを呼ばわった。
 応えて進んだルヴァイドが、折り重なって倒れる、3人の鬼兵の姿を改め、そこに膝をつく。
 ……薄汚れてしまった漆黒の鎧。
 室内にある、おおよそシノビのみと思われた鬼兵たちのなか、その3人のいでたちだけが、いささか風貌をたがえていた。うちのひとりの鎧には、何か大きな武器でつけられたような傷もある。が、今回の戦いにおいてついた新しい傷の方が、大きく、そして多い。それは3人に共通していた。
 内訳は、おそらく槍。そして大剣。
 傷の様子をたしかめれば、攻撃に躊躇などなかったことが、すぐに読み取れるだろう。
 ――には?
 ――折を見て告げよう。
 どこから入り込んでくるのだろう。わずかにそよぐ風に乗り、ふたりの囁きが流れた。誰も、そんな彼らに声をかけようとはしない。
 ―― ―― ――
 つぶやかれる、3人分の名前。
 ―― ―― ――
 一拍遅れて別の声がもう一度。
 ――輪廻のどこかでまた逢おう。
 努めて聞かないように苦心している一行の耳に、だけど、その声はすんなりと届いてしまったのだった。

 そうして。
「バカレオルド!!」
 ――がいん。
「……いてて……」
「主殿……」
 我を忘れてレオルドを殴りつけたマグナは、当然、涙目になった。
 だが、そんな痛みはすぐに放り出す。少し赤くなった手を振って、キッ、と、戸惑いがちなレオルドと、真っ直ぐに視線を合わせる。
「機械だからって無茶ばかり……っ!」
 本当に。あいつも、こいつも。機械だから? だから何が違うんだ。生きてるんだ。ここに。この意志は、この心は!
「レオルド! 命令が絶対だって云うんなら、これが最優先命令だ!! 自爆なんて二度と使うなッ!!」
 違うというならきっと、安易にそうするってところだ。そう、マグナは思う。
 だってさ。おまえは、それで満足だったかもしれないけど。おまえだって、あのとき、を見てただろ?
 あのとき。あの戦いで。
 声を出すことさえ忘れて、泣いてたあの子を。
 見ていたんだから、判るだろ?
「……残された方は、ずっと哀しむことになるんだぞ」
 託されたんだろ。
 ゼルフィルドの記憶。経験。

  まえへ

 ――その気持ち。
「……だから」
 お願いだから。
「……ワカリマシタ……まぐな」
 ことばを探して、レオルドは少し沈黙した。それから。

「……ゴメンナサイ……」
「うん!」


 仲直りの握手をするマグナたちを見ていたアグラバインが、ふう、と息をついてルヴァイドに話しかけた。
「それにしても、おまえさんの機転のおかげじゃな。ようやった」
 かつて師事した相手に満足そうにそう云われ、ルヴァイドは、少し戸惑ったような顔になる。
 嬉しくないわけはないのだろうが、素直にそれを出すには、少々年を重ねすぎたんだろう。
「いや……ただ、この刃に斬れぬものがないというのなら、と……それに」、
「……ルヴァイド様?」
「ゼルフィルドと同じ真似を、奴にさせるわけにはいかぬと思ったからな……」
 気遣うように見上げるイオスに、だいじょうぶだと頷いてみせて。
 ルヴァイドは、レオルドに視線を転じ、足を踏み出す。
 近づいてきた彼に気づいたマグナとレオルドが、同時に顔をあげた。
「……ゼルフィルドがを通じておまえに託したのは、この剣だけではない」
 手にした剣を、目の前に掲げて。
「これを託すことで、おまえには、自分と同じ道を進まぬようにと戒めたのだろう」

 ――俺は、そう信じる。

「……ハイ……」


 プラーマの光が、シャムロックの負った傷を見る間に癒していく。
 キュラーとぶつかったときに、魔力を浴びたのだろうか。
 ところどころに焼け爛れたような痕が残っているけれど、それも徐々に薄くなっていきつつあった。
「……まったく、なんで生きてるのかが不思議だわ」
 ため息混じりのルウに、シャムロックは返すことばもなく苦笑いするばかり。
 そこに、送魂が終わったのか、カイナがくすくす笑いながらやってきた。
「それにしても、初めて知りました。シャムロックさんがあんなに激する方だったなんて」
「……いつも静かだから、ばくはつしたら、……どーんっていくのかな……?」
「ハサハさん、それは……」
「あははっ、意外と適切な意見かもね」
 ハサハのつぶやきに、ルウとカイナが一緒になって笑い出すものだから、シャムロックとしてはもうどうすればいいのやら。
 少し離れた場所では、レオルドがマグナにやり込められている。
 ルヴァイドまでもが諭しに行く始末で、レオルドはその大きな身体を縮こまらせているようだった。
 それを見たこちら側でもまた、今度はシャムロックも交えた各々が、笑みを浮かべる。
 そして、

「ダメェッ!!」

 一気に、それは崩れ去った。

 ハサハの叫びと同時に、シャムロックのすぐ横を、黒い風が薙いだ。
 まだ塞がれきっていなかった傷口が、それに当てられたのかじくりと疼く。
 彼らを素通りした風は――いや、黒い塊は、真っ直ぐに進む。
 マグナへと向かって。
 止める間もなく。
 避ける間もなく。

 どふっ、と、鈍い音がした。


「ぐっ……、が、アッ……!?」

 塊が寸前に迫った時点で、気づいて顔を上げたマグナの双眸に、映し出されるより早く。
 それは、鈍い衝撃とともに身体のなかに潜り込んできた。
 目の前が、あっという間に真っ暗になる。
 みんなの呼びかける声が、だんだんと遠ざかる。
 代わりに少しずつ大きくなってくるのは、自分の鼓動の音。それに重ねて、
 どろり――じくり――
 こじ開けようとする音。
 じわり――じわり――
 にじみ出てくる音。何が?

 何が。
 これは、

 ……闇以上に黒い、淀み。


 それがぶつかった瞬間、これまで聞いたことのない奇声を発して、マグナがその場にくずおれる。
「マグナ!?」
「不用意に触れないでッ!!」
 驚いて支えようとしたイオスの手を止めたのは、カイナの鋭い声。
 同時に、マグナはその場に伏した。
「――っ、ぐ、ぐるる……ッ、が……ッ」
 めき、と、その身体から、異様な――骨の軋みにも似た音があがる。
「……あれは……!?」
 シャムロックにとって、それは一度見た光景だった。
 かつての自分の主が、異形となったその瞬間が脳裏によみがえる。
 既視感。
 人間が鬼と化す、瞬間の。それは、かつて見た光景。
「クククッ……」
「キュラー!?」
「このまま……おめおめと敗北してなるものか……」
 その声を聞くだけで、呪いの淵に足をかけたような不快感を漂わせ、すでに絶命したと思われていたキュラーが、ことばを発していた。


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