いつかも調べていたから、その部屋に辿り着くのは難しくなかった。
屋敷を囲むように配置されている屍兵たちの背後を、一行は、こっそり潜り抜ける。
予想していたより数が少ないことに、ちょっと安堵して――それから、ちょっと気抜けしながら。
この、ある意味本拠地ともいうべき場所まで攻めてくるとは、まさか思ってはいないのだろうか。
油断しているのか、それとも、己が迎え撃つ自信があるのか。
誰かがふと抱いた疑問。その答えは――後者だったらしい。
地下室へと下りたマグナたちを、キュラーは、笑みを浮かべて出迎えた。
「ようこそ、と申し上げるべきですかな? まさかこのような場所までおいでになるとは……」
以前味わった恐怖に、まったく懲りておられないようですなぁ?
揶揄に、シャムロックの表情が硬くなる。
祖国を、そして仕えるべき相手を鬼と変えられた、その記憶。
「以前とは違うと思うわよ? 今の貴方は手勢を少々連れてるだけ。数では、ルウたちのほうが有利なんだからね」
だからこそ、相手が出てくる前に、地下室になだれ込んだのだ。この狭い空間に、外の兵士たちを大量に投入は出来まいと踏んで。
「ククク……」
けれど、キュラーは不気味に笑うばかり。
「何人こようと同じことですよ。メルギトス様から留守を任された以上、この私も、最初から本気で戦わせていただきますからねェ?」
――まァ、彼女がここにきていれば、話は別かもしれませぬが。
声としては発されなかった、キュラーの思考。
それをマグナたちが察するより、先に。黒い、赤い闇が淀む。
いつかも見た、紫色の不気味な水晶柱の発するそれと奇妙に混ざり合って踊る光。目眩さえ起こしかねないほど、強く重く深い闇。悪意。
それは、見る間にキュラーの身体を包み込んだ。
「――――」
瞬時にして異形と変わったその姿は、何度見ても慣れやしない。
それでも。
グ、と、剣を握る手に力を込めたマグナの後ろで、カイナが声を張り上げる。
「みなさん、気を強くもってください! それさえ忘れなければ、邪鬼に取り憑かれることは防げるはずです!」
強く望むものがあるから。
異形なんかに気圧されるわけには、いかないんだ。
睨みつけた先には、悪魔。
メルギトスの配下。
声高に、それは、嗤う。
「クックックック……無駄なことを! 貴公ら、ことごとく死の絶望によって鬼となれィッ!!」
「おまえの思うようになど、させるものかッ!!」
ズラッ、と、シャムロックは大剣を抜き放つ。
国を滅ぼされた。
主君を壊された。
そんな思いはもう、充分だ。
これ以上、こんな思いを抱いた人間を増やすわけにはいかない!
そうしてそれは、
「彼らに貴様がしたことを、もう繰り返させはしない!」
「我らが同胞の痛苦、嘆き。感じぬのなら欠片僅かでも刻んでいけ」
今、シャムロックの斜め前で剣を抜いたルヴァイドも。傍らのイオスも。
同じなのだと。思い至った。
――もう二度と。これ以上は。
どこに潜んでいたのか、ざぁっと音もなく、天井から鬼と化した兵が数体降ってわく。
うちの何体かは、元シノビらしい。
不意打ちまがいに上空から雨と飛び交う手裏剣やら苦無を、なんとか避けて跳ね返した。
それに気をとられた隙を狙って、キュラーが何やら呪を唱えだす。
異形と化したその妖気にまどわされそうだが、あれは間違いなく召喚術。
「レオルド!」
「ハイ!」
咄嗟に振り返って叫んだマグナの声に忠実に応え、レオルドが機関銃を連射した。
キュラーの集中がそれで途切れたか、わだかまりかけていた闇が四散する。
それを確認したマグナは、鬼兵と交戦中のルヴァイドたちを振り返る。
「こっちは俺たちがやる! じいさんたちは、キュラーの方頼む!!」
「――おねがい、きて……!」
その横で、ハサハがシルターンへの門を開いた。
巨大な数珠を持つ鬼が、雷を鬼兵たちに浴びせかける。
召喚術の一閃で出来た空白を縫って、アグラバインを始めとする近接戦組がキュラーに迫った。
「キュラー!!」
ガキィッ!!!
金属のこすれるような音を立てて、アグラバインの振り下ろした斧が弾かれる。
「何じゃと……!?」
「クククッ」、
嗤い声と同時。
「ニンゲンの貧弱な武器で、私が倒せるとお思いですか!」
再び、キュラーの周りに闇がわだかまる。
「させるか!」
「だめ! 避けてください!!」
「!!」
それを、先と同じ召喚術とみなしたイオスが、槍を突きこもうと腕を引いた。が、同時に響いたカイナの叫びに、咄嗟に上体を低く落とし――
ヒュッ
そのすぐ頭上を、キュラーの繰り出した魔力球が通り過ぎる。
標的を失ったその塊は、そのまま直線で結ばれた壁で破壊力を証明した。轟音が響き、もともと老朽化していた壁を容易く砕く。
ガラガラと音を立てて崩れる壁。
舞い上がる煙やら埃やらから逃れるべく、マグナは身をかがめ――ようとして。
ずるッ
「うわッ!?」
「おにいちゃん!」
「主殿!!」
――足を滑らせた。
「わっ、わっ、わ――――!?」
支えを求めて手をついた壁も、もうかなり脆くなっていたのだろう。
バン! と、大きな音をたてた勢いと荷重に耐えかねて、手をついた場所を中心にヒビ割れが走る。
それを視認して、冷や汗をたらしたのと同時。
バランスを崩したマグナを狙い易しと定めたか、鬼兵が一体、マグナに向かってきたのである。
そうして、それはさせじと、カイナが援護しようと――
してくれるのはいいんだけど! ちょっと待て!
「おいでませ! 鬼神将!」
「だー!? カイナさん待っ……」
巻き込まれるわけがないのは判っていても、目の前で召喚術が発動しようとすれば、まず驚く。
その感情の動きに素直に従ったマグナが叫ぶよりも、カイナの術の完成が早かった。
呼び出された鬼神将は、すでに何度か見た記憶のままに、今回も刃を縦横無尽に揮い、鬼兵を屠る。そうしてすぐ、事が成れば用はもう済んだとばかりに、送還の光とともに消えた。
が、こちらは済んでない。
屠られた鬼兵は、当然、慣性の法則にしたがって、真っ直ぐマグナに突っ込んでくる。
そして、マグナの寄りかかっている壁は、今にも壊れそうにヒビが入っている。
――こんなときに、なんで俺ってこんな間抜けなことになってんだー!?
と、調律者の末裔が嘆いたかどうかは――本人のみぞ知る。
ドスン!
まず、鬼兵を避け損ねたマグナは、「うげっ」と苦悶の呻きをもらつつ、屍ともども、壁に身体全体でぶち当たった。
その衝撃で、壁のひび割れが一気に広がる。
ピシピシピシ……
嫌な予感とともに、亀裂の走る音が発され、次の瞬間。
ガラガラガラガラガラガラ―――――ッ!!
カイナさんのバカ――――っ!!!
叫ぶ声さえ、崩壊の音に飲み込まれ、マグナはそのまま、崩れてきた瓦礫に埋まるかと思われた。
が。
「……?」
たしかに目の前は暗くなったのだけれど、一向に、瓦礫がぶつかる気配はない。
時が止まりでもしたかと、埒もない想像に後押しされて目を開けると、見慣れた機体がそこにいた。
「……レオルド!?」
「ゴ無事デスカ?」
降りしきる瓦礫を一身に引き受けて、レオルドが、マグナを庇うようにして覆い被さっていたのだ。
そんな命令、誰もしなかったのに。
自分の意志と判断で、レオルドは動いたのだ。
「マグナ、平気!? プラーマ喚ぶ!?」
レオルドの機体の向こうから、戦いの音と一緒に、ルウの声がした。
「俺はだいじょうぶ! レオルドは――」
「コノ程度デシタラ、自己修復機能デ事足リマス……ソレヨリ……」
「?」
ふたりともの無事を、重ねて伝えたそのあと。
マグナは、レオルドの視線を追って、背後を振り返る。
ここは屋敷の地下。当然、壁の向こうには岩肌か土があるとばかり思っていたその向こう――隠し部屋にでもなっていたのだろうか。
ぽっかりと、小さな部屋が存在していたのである。
そうしてその部屋には、さらに二種のものが存在していた。
一本は剣。
灯りもないのに光輝く刃――いや、あれは、光こそが刃なのだろうか。
小さな、うっすらとした光。だが、けして暗がりに飲まれることなく、その剣は在った。
ひとつは塊。
闇の凝縮だとでもいうのか、室内の暗がりと同化した、醜悪な肉塊にも似たそれは剣の周囲にわだかまる。
まるで血を啜る蛭のように、それは、剣にからみつき、その光を吸いとっていた。
それまで余裕を保っていたキュラーが、瓦解した先の小部屋が露になったのを見、初めて動揺を示す。
「そちらには進ませませんよ!」
「それは私のセリフだ!!」
大剣が、紫水晶の光を反射してひるがえる。
ガヅッ! と、もう何度響いたか判らない、硬質なもの同士がこすれる音。
「傷はつけられぬと申しましたが? 学習能力が足りませんな」
ぎり、と、押し返そうとしつつキュラー。
「傷はつけられずとも、……足止め程度にはなるだろう」
ぎぢ、と、詰め寄りつつシャムロック。
「シャムロック殿!」
「アグラバイン殿たちは、マグナたちの所へ!」
ここは私が食い止めます!!
加勢しようと向かうアグラバインに、鋭いシャムロックの檄が飛ぶ。
驚愕も明らかに留まった獅子将軍へと向けて、さらに、彼は叫んだ。
「あの部屋にある剣が、おそらくこいつを倒せる可能性を持つものです!! それを――!!」
云い終わる、前に。
横手から、その場を動けぬシャムロックを狙い、鬼兵どもが襲いかかる。
ルウやカイナが召喚術を発動させようとするが――詠唱は、間に合わない!
――ドスッ!
「ギャアアアアァ!?」
断末魔。ただし、それは襲いかかった鬼兵の発したものだった。
イオスの突き出した槍に喉元を貫かれたそれは、アグラバインの一閃で、首と胴体がお別れになる。
こうなっては、いくら痛みを感じぬとは云え動きようがない。
醜く床でもがくそれを越えて、他の鬼兵たちが次々と向かうが、イオスとアグラバインの善戦で、シャムロックとキュラーのタイマンには割り込めなかった。
「……お二方……」
「何をそんなに意外そうにしておる? ほれ、キュラーの足止めに集中せい!」
目を見開いたシャムロックに向けて、アグラバインが告げた。
続いて、イオスも。目を向けようとはしないまま、だったけれど。
「見殺しにするとでも思ったか? ――生憎だったな」
「……イオス殿……」
「グッ……! ならば……!」
動作もサモナイト石もなしに、再びよどむ、赤い黒い魔力。
至近距離でぶつけられれば、いかに強靭を誇る騎士とは云え、ただの人。さすがに無傷ではすまないだろう。
けれど。
「――――」
……遠い声。妖狐独特の発音だろうか。
人間の耳には音としてしか聞こえないそれを、ハサハが発した瞬間、それは起こった。
キュラーのまわりにわだかまろうとしていた闇が、一気に薄れる。
「ハサハ!? すごい、どうやったの!?」
「……悪魔のちからとシルターンへの魔力が融合してる」、つたないながらも、懸命に、妖狐の少女は云い放つ。「だからハサハが干渉できる……魔力は集めさせない……っ!!」
そのことばに、ルウの表情が晴れた。
「悪魔の力――サプレスの魔力ね? だったらルウも干渉出来るかも……!」
改めて魔力を凝らす、アフラーンの少女。
その傍らで。
赤と白の衣が舞った。
しゃん、しゃん、と。手にした鈴を、軽やかに振って。
「――戻りませ、戻りませ。鬼道人道まわり道。戻りませ、戻りませ。人から鬼へと変じたものは、まわって人へと戻りませ。鬼から人へと戻りませい――」
紡がれる歌と魔力が織りあげられ、数体の鬼兵が、糸の切れた操り人形のように、その場に倒れ、……朽ちた。
けれど、キュラーを倒さぬ限り、外からいくらでも鬼兵の補充は効く。
現に、向かってくる敵の数は全然減らないでいた。
減ったら減った分、キュラーが外から呼び寄せるせいだ。
このままでは、そのうちに体力切れで戦況を覆されかねなかった。
決定的なものを与えない限り――