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第54夜 壱
lll ゼルフィルドの遺産 1 lll




 いつかも調べていたから、その部屋に辿り着くのは難しくなかった。
 屋敷を囲むように配置されている屍兵たちの背後を、一行は、こっそり潜り抜ける。
 予想していたより数が少ないことに、ちょっと安堵して――それから、ちょっと気抜けしながら。
 この、ある意味本拠地ともいうべき場所まで攻めてくるとは、まさか思ってはいないのだろうか。
 油断しているのか、それとも、己が迎え撃つ自信があるのか。

 誰かがふと抱いた疑問。その答えは――後者だったらしい。


 地下室へと下りたマグナたちを、キュラーは、笑みを浮かべて出迎えた。
「ようこそ、と申し上げるべきですかな? まさかこのような場所までおいでになるとは……」
 以前味わった恐怖に、まったく懲りておられないようですなぁ?
 揶揄に、シャムロックの表情が硬くなる。
 祖国を、そして仕えるべき相手を鬼と変えられた、その記憶。
「以前とは違うと思うわよ? 今の貴方は手勢を少々連れてるだけ。数では、ルウたちのほうが有利なんだからね」
 だからこそ、相手が出てくる前に、地下室になだれ込んだのだ。この狭い空間に、外の兵士たちを大量に投入は出来まいと踏んで。
「ククク……」
 けれど、キュラーは不気味に笑うばかり。
「何人こようと同じことですよ。メルギトス様から留守を任された以上、この私も、最初から本気で戦わせていただきますからねェ?」

 ――まァ、彼女がここにきていれば、話は別かもしれませぬが。

 声としては発されなかった、キュラーの思考。
 それをマグナたちが察するより、先に。黒い、赤い闇が淀む。
 いつかも見た、紫色の不気味な水晶柱の発するそれと奇妙に混ざり合って踊る光。目眩さえ起こしかねないほど、強く重く深い闇。悪意。
 それは、見る間にキュラーの身体を包み込んだ。
「――――」
 瞬時にして異形と変わったその姿は、何度見ても慣れやしない。
 それでも。
 グ、と、剣を握る手に力を込めたマグナの後ろで、カイナが声を張り上げる。
「みなさん、気を強くもってください! それさえ忘れなければ、邪鬼に取り憑かれることは防げるはずです!」
 強く望むものがあるから。
 異形なんかに気圧されるわけには、いかないんだ。
 睨みつけた先には、悪魔。
 メルギトスの配下。
 声高に、それは、嗤う。

「クックックック……無駄なことを! 貴公ら、ことごとく死の絶望によって鬼となれィッ!!」

「おまえの思うようになど、させるものかッ!!」


 ズラッ、と、シャムロックは大剣を抜き放つ。
 国を滅ぼされた。
 主君を壊された。
 そんな思いはもう、充分だ。
 これ以上、こんな思いを抱いた人間を増やすわけにはいかない!

 そうしてそれは、

「彼らに貴様がしたことを、もう繰り返させはしない!」
「我らが同胞の痛苦、嘆き。感じぬのなら欠片僅かでも刻んでいけ」

 今、シャムロックの斜め前で剣を抜いたルヴァイドも。傍らのイオスも。
 同じなのだと。思い至った。


 ――もう二度と。これ以上は。


 どこに潜んでいたのか、ざぁっと音もなく、天井から鬼と化した兵が数体降ってわく。
 うちの何体かは、元シノビらしい。
 不意打ちまがいに上空から雨と飛び交う手裏剣やら苦無を、なんとか避けて跳ね返した。

 それに気をとられた隙を狙って、キュラーが何やら呪を唱えだす。
 異形と化したその妖気にまどわされそうだが、あれは間違いなく召喚術。
「レオルド!」
「ハイ!」
 咄嗟に振り返って叫んだマグナの声に忠実に応え、レオルドが機関銃を連射した。
 キュラーの集中がそれで途切れたか、わだかまりかけていた闇が四散する。
 それを確認したマグナは、鬼兵と交戦中のルヴァイドたちを振り返る。
「こっちは俺たちがやる! じいさんたちは、キュラーの方頼む!!」
「――おねがい、きて……!」
 その横で、ハサハがシルターンへの門を開いた。
 巨大な数珠を持つ鬼が、雷を鬼兵たちに浴びせかける。
 召喚術の一閃で出来た空白を縫って、アグラバインを始めとする近接戦組がキュラーに迫った。

「キュラー!!」

 ガキィッ!!!

 金属のこすれるような音を立てて、アグラバインの振り下ろした斧が弾かれる。
「何じゃと……!?」
「クククッ」、
 嗤い声と同時。
「ニンゲンの貧弱な武器で、私が倒せるとお思いですか!」
 再び、キュラーの周りに闇がわだかまる。
「させるか!」
「だめ! 避けてください!!」
「!!」
 それを、先と同じ召喚術とみなしたイオスが、槍を突きこもうと腕を引いた。が、同時に響いたカイナの叫びに、咄嗟に上体を低く落とし――

 ヒュッ

 そのすぐ頭上を、キュラーの繰り出した魔力球が通り過ぎる。
 標的を失ったその塊は、そのまま直線で結ばれた壁で破壊力を証明した。轟音が響き、もともと老朽化していた壁を容易く砕く。
 ガラガラと音を立てて崩れる壁。
 舞い上がる煙やら埃やらから逃れるべく、マグナは身をかがめ――ようとして。

 ずるッ

「うわッ!?」

「おにいちゃん!」
「主殿!!」

 ――足を滑らせた。

「わっ、わっ、わ――――!?」

 支えを求めて手をついた壁も、もうかなり脆くなっていたのだろう。
 バン! と、大きな音をたてた勢いと荷重に耐えかねて、手をついた場所を中心にヒビ割れが走る。
 それを視認して、冷や汗をたらしたのと同時。
 バランスを崩したマグナを狙い易しと定めたか、鬼兵が一体、マグナに向かってきたのである。
 そうして、それはさせじと、カイナが援護しようと――

 してくれるのはいいんだけど! ちょっと待て!

「おいでませ! 鬼神将!」
「だー!? カイナさん待っ……」

 巻き込まれるわけがないのは判っていても、目の前で召喚術が発動しようとすれば、まず驚く。
 その感情の動きに素直に従ったマグナが叫ぶよりも、カイナの術の完成が早かった。
 呼び出された鬼神将は、すでに何度か見た記憶のままに、今回も刃を縦横無尽に揮い、鬼兵を屠る。そうしてすぐ、事が成れば用はもう済んだとばかりに、送還の光とともに消えた。
 が、こちらは済んでない。
 屠られた鬼兵は、当然、慣性の法則にしたがって、真っ直ぐマグナに突っ込んでくる。
 そして、マグナの寄りかかっている壁は、今にも壊れそうにヒビが入っている。
 ――こんなときに、なんで俺ってこんな間抜けなことになってんだー!?
 と、調律者の末裔が嘆いたかどうかは――本人のみぞ知る。

 ドスン!

 まず、鬼兵を避け損ねたマグナは、「うげっ」と苦悶の呻きをもらつつ、屍ともども、壁に身体全体でぶち当たった。
 その衝撃で、壁のひび割れが一気に広がる。
 ピシピシピシ……
 嫌な予感とともに、亀裂の走る音が発され、次の瞬間。

 ガラガラガラガラガラガラ―――――ッ!!

 カイナさんのバカ――――っ!!!

 叫ぶ声さえ、崩壊の音に飲み込まれ、マグナはそのまま、崩れてきた瓦礫に埋まるかと思われた。
 が。
「……?」
 たしかに目の前は暗くなったのだけれど、一向に、瓦礫がぶつかる気配はない。
 時が止まりでもしたかと、埒もない想像に後押しされて目を開けると、見慣れた機体がそこにいた。
「……レオルド!?」
「ゴ無事デスカ?」
 降りしきる瓦礫を一身に引き受けて、レオルドが、マグナを庇うようにして覆い被さっていたのだ。
 そんな命令、誰もしなかったのに。
 自分の意志と判断で、レオルドは動いたのだ。
「マグナ、平気!? プラーマ喚ぶ!?」
 レオルドの機体の向こうから、戦いの音と一緒に、ルウの声がした。
「俺はだいじょうぶ! レオルドは――」
「コノ程度デシタラ、自己修復機能デ事足リマス……ソレヨリ……」
「?」
 ふたりともの無事を、重ねて伝えたそのあと。
 マグナは、レオルドの視線を追って、背後を振り返る。
 ここは屋敷の地下。当然、壁の向こうには岩肌か土があるとばかり思っていたその向こう――隠し部屋にでもなっていたのだろうか。
 ぽっかりと、小さな部屋が存在していたのである。

 そうしてその部屋には、さらに二種のものが存在していた。
 一本は剣。
 灯りもないのに光輝く刃――いや、あれは、光こそが刃なのだろうか。
 小さな、うっすらとした光。だが、けして暗がりに飲まれることなく、その剣は在った。

 ひとつは塊。
 闇の凝縮だとでもいうのか、室内の暗がりと同化した、醜悪な肉塊にも似たそれは剣の周囲にわだかまる。
 まるで血を啜る蛭のように、それは、剣にからみつき、その光を吸いとっていた。


 それまで余裕を保っていたキュラーが、瓦解した先の小部屋が露になったのを見、初めて動揺を示す。
「そちらには進ませませんよ!」
「それは私のセリフだ!!」
 大剣が、紫水晶の光を反射してひるがえる。
 ガヅッ! と、もう何度響いたか判らない、硬質なもの同士がこすれる音。
「傷はつけられぬと申しましたが? 学習能力が足りませんな」
 ぎり、と、押し返そうとしつつキュラー。
「傷はつけられずとも、……足止め程度にはなるだろう」
 ぎぢ、と、詰め寄りつつシャムロック。
「シャムロック殿!」
「アグラバイン殿たちは、マグナたちの所へ!」
 ここは私が食い止めます!!
 加勢しようと向かうアグラバインに、鋭いシャムロックの檄が飛ぶ。
 驚愕も明らかに留まった獅子将軍へと向けて、さらに、彼は叫んだ。
「あの部屋にある剣が、おそらくこいつを倒せる可能性を持つものです!! それを――!!」
 云い終わる、前に。
 横手から、その場を動けぬシャムロックを狙い、鬼兵どもが襲いかかる。
 ルウやカイナが召喚術を発動させようとするが――詠唱は、間に合わない!

 ――ドスッ!

「ギャアアアアァ!?」

 断末魔。ただし、それは襲いかかった鬼兵の発したものだった。
 イオスの突き出した槍に喉元を貫かれたそれは、アグラバインの一閃で、首と胴体がお別れになる。
 こうなっては、いくら痛みを感じぬとは云え動きようがない。
 醜く床でもがくそれを越えて、他の鬼兵たちが次々と向かうが、イオスとアグラバインの善戦で、シャムロックとキュラーのタイマンには割り込めなかった。
「……お二方……」
「何をそんなに意外そうにしておる? ほれ、キュラーの足止めに集中せい!」
 目を見開いたシャムロックに向けて、アグラバインが告げた。
 続いて、イオスも。目を向けようとはしないまま、だったけれど。
「見殺しにするとでも思ったか? ――生憎だったな」
「……イオス殿……」
「グッ……! ならば……!」
 動作もサモナイト石もなしに、再びよどむ、赤い黒い魔力。
 至近距離でぶつけられれば、いかに強靭を誇る騎士とは云え、ただの人。さすがに無傷ではすまないだろう。
 けれど。
「――――」
 ……遠い声。妖狐独特の発音だろうか。
 人間の耳には音としてしか聞こえないそれを、ハサハが発した瞬間、それは起こった。
 キュラーのまわりにわだかまろうとしていた闇が、一気に薄れる。
「ハサハ!? すごい、どうやったの!?」
「……悪魔のちからとシルターンへの魔力が融合してる」、つたないながらも、懸命に、妖狐の少女は云い放つ。「だからハサハが干渉できる……魔力は集めさせない……っ!!」
 そのことばに、ルウの表情が晴れた。
「悪魔の力――サプレスの魔力ね? だったらルウも干渉出来るかも……!」
 改めて魔力を凝らす、アフラーンの少女。
 その傍らで。
 赤と白の衣が舞った。
 しゃん、しゃん、と。手にした鈴を、軽やかに振って。
「――戻りませ、戻りませ。鬼道人道まわり道。戻りませ、戻りませ。人から鬼へと変じたものは、まわって人へと戻りませ。鬼から人へと戻りませい――」
 紡がれる歌と魔力が織りあげられ、数体の鬼兵が、糸の切れた操り人形のように、その場に倒れ、……朽ちた。


 けれど、キュラーを倒さぬ限り、外からいくらでも鬼兵の補充は効く。
 現に、向かってくる敵の数は全然減らないでいた。
 減ったら減った分、キュラーが外から呼び寄せるせいだ。
 このままでは、そのうちに体力切れで戦況を覆されかねなかった。

 決定的なものを与えない限り――


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