――ぱらぱら、と、報告書をめくる音が、静まり返った居間に響く。
両手でも足りないほどの人数が集まっているはずなのに、ひどく、しんとした空間。
ただ、ギブソンのことばを待って、誰も彼もが黙っていた。
「メルギトスの軍勢は、トライドラを出発して大平原を横切る進路をとりながら、聖王都に向け一気に攻めあがる構えを見せているようだ」
「しかも」、
報告書の写しに、同じように目を通していたミモザが、ため息混じりに付け加える。
「その数はね、私たちが予想していたよりも、はるかに多いらしいの」
「鬼や屍人に帰られた、トライドラやデグレアの兵士が加わったせいなのですか……?」
ためらいつつのカイナのことばに、シャムロックとルヴァイド、イオス、それには微妙な表情になる。
無理もない。
かつての仲間だ。かつての同僚だ。
悪魔に変容させられたとはいえ、その姿を改めて目の当たりにして、平然と出来るかどうかというのは、また別の問題なのだから。
押し黙った彼らを見て、ミモザもまた、負けず劣らず複雑な顔になった。
まだ何かあるのだろうか?
予想に違わず、一拍ほどの間を置いて、彼女は再び口を開く。
「……しかも、それだけじゃないのよ」
「え?」
「敵と交戦した部隊の生き残りの証言によれば、倒された味方までもがその場で屍人となり、新たな敵になってしまうらしい」
告げたのはギブソン。
あんまりといえばあんまりすぎる追加内容に、全員が絶句した。
「それじゃ、戦うほどに敵の兵士が増えちゃうってコト!?」
悲鳴のようなミニスのことばに、心なし青ざめた様子でルウが「そ、そうなるわよね」相槌を打つ。
「死体を動かしてる霊をなんとかしない限りは……」
「――スルゼン砦のときと、同じってことか。胸くそ悪ィな」
「まったくですよ。あんな光景、一度で充分です」
レナードとパッフェルのぼやきに、マグナのため息が重なった。
「……メルギトスのあの自信は、これを見越してたってことか……」
「自分が何もしなくても、操り人形にされた兵士たちが、勝手に仲間を増やしてくんだもんね」
「いかにも、あの悪魔が好みそうなやり方だな」
トリスとネスティが彼に続けて、再び、重い空気がそこに漂った。
とは云え、それに浸っていても事態がなんら変わるわけはない。それどころか悪くなるばかり。
今このときも、聖王家の軍隊とメルギトスの軍は、戦いを繰り広げているのだ。
で? と。半ば無理矢理重圧を散らし、話を再開させたのは、フォルテだった。
「どうすんだ? このままじゃ、連中のお仲間を増やしちまうだけになるぜ」
「そうだよ、なんかいい方法はないのかいっ!?」
がばっと身を乗り出したモーリンを、どうどうとミモザが諌める。
その様子に、幾ばくかの余裕が見受けられて、たちは疑問符の乗った視線を彼女に送った。
それに気づいたミモザは、うん、と、ひとつ頷いて、
「慌てないで。ちゃんと対策は出来てるから」
期待のとおり? 太鼓判。
「対策?」
「ああ。とり憑く依り代がなくなれば、霊たちは自然に消滅してしまう。そこで、我々は大平原を包囲する形で陣を組み上げ、召喚術と火によって、一気に敵軍を焼き払ってしまう作戦を決定したんだ」
「なるほど……」
頷いたのはシャムロック。
「たしかにまあ、火攻めには問題ない……でしょーけど……」
地形を思い出して、も頷く。
だだっぴろいあの平原は、周囲に街や村などない。
街道と、それに付随する幾つかの休憩所があるばかりだが、現在は封鎖されている。
すなわち、火の広がりにさえ気をつけていれば、狙った一部分だけを燃やし尽くすことも不可能ではないだろう。
「まとめて火葬にしちまうってわけか……」
それでもぞっとしない表情で、リューグがつぶやいた。
だけど、それよりももっと勢い込んだ調子で、アメルが身を乗り出す。
「待ってください! それって、あの草原を燃やしてしまうってことですよね?」
「ええ、そうなるわね」
「そんなことしたら、あそこに暮らしている生き物はどうなってしまうんですか!?」
「そりゃ死ぬだろ。当然。」
ぼそりとバルレルがつぶやいた。
が、
「バルレルくんっ!」
その横から、レシィががばっと彼の口を押さえ――いや、間に合ってないけど。
しかもお返しとばかりにげしげしされてるけど……
そうか、レシィもそこまで出来るようになったのか。
だけどバルレルのことばもレシィの制止も聞こえてないらしく、アメルは「それに」と、ことばを続けた。
「……カイナさんが前に云ってましたよね? 魂が食べられてしまう前なら、鬼になった人も助けられる、って」
助かる可能性がある人たちまで犠牲にしてしまおうなんて、そんなの変です……!
云いながら、泣き出しそうな様子でアメルが見るのは、シャムロックやルヴァイドやイオス、たちの方だった。
その表情に、むしろの方が苦笑してしまう。
だいじょうぶだよ。
――遠ざかる、幾つもの背中。一番大きな漆黒の影。よぎったそれらから、どうにか意識を逸らし、そう云おうとするより先に、
「……仕方ないんだよ、アメル。そうするより他に、奴の軍勢に勝つ方法がないのなら、仕方ないことなんだ」
告げるロッカの表情は、少し重い。
かつて自分たちの村を焼き討ちにした一派が、奇しくも同じ炎によって滅ぼされる。
それを皮肉なものと考えているのか、それとも哀れに思っているのか。
「……でも……!」
「仮に他の方法をとろうとしても、また別の形で犠牲は出るだろう」
淡々とつぶやいたのはネスティだった。
「何かを失わずには、勝つことなど出来ない。――僕たちがこれから向かうのは、そういう戦いなんだ」
「…………」
「おねえちゃん……」
そ、と、ハサハが気遣うようにアメルの肩をなでる。
なでられた彼女は、ありがとう、と口の動きだけでつぶやいて、再び腰かけた。
納得していない様子なのはありありと判るけれど、たちにはアメルを説得できるだけの手札がない。
だから、結果的に何も云えない。
だって、自分たちだって、本当なら――
だけどそれは奇麗事。戦いの現実は、ネスティが口にしたことば、そのもの。
だから。何も云えない。
アメルのその純粋な気持ちを嬉しいと思うけれど、今の現状を知ってなお、それに同意することは、戦いに身を置くことを選んだ者として出来ないのだ。
「しかし……」
再び舞い下りた沈黙を打ち破ったのは、顎に手を当ててなにやら考える素振りをしていたカザミネだった。
「こちらの思うとおりに相手が動いてくれるかどうか、という問題がござらんか?」
「そうですね。向こうにはメルギトス、それに3匹の悪魔がついているのですし」
何せこれまで何度も、こちらの裏をかかれてきたこともありますから。
シオンのことばに、以前の戦いを思い出した人間数名。
プラス、過去の彼の奇行を思い出したデグレア組、3名。
そうして三度沈黙が舞い下りるよりも先に、ミモザが、それなんだけどね、と口を開く。
「敵が狙っているのは、どうやら聖王都だけじゃないみたいなの」
トライドラから出た軍勢とはまた別の勢力がみっつ、異なる方向に向けて移動を開始しているのよ。
――ほら。さっそく予想外の出来事。
緊迫感を増した空気のなか、続けるのはギブソン。
「そのうちのひとつの動きは不明だが、残りふたつの勢力は西を目指している」
デグレア本国と山脈を隔てて接する、帝国領へ向かうものがひとつ。
ギエン砦から街道を使い、サイジェント方面を目指しているものがひとつ。
そこまで告げられた時点で、それと判るほどイオスとの表情が硬くなる。
帝国は、背を向けたとはいえイオスの故郷で。
サイジェントは、の大事な幼馴染みがいて。
……いや、まあ。
少なくとも、サイジェントは――誓約者さんたちなら、笑いながらそんなん蹴散らしそうだけど。
約束したのだ。禁忌の森で別れるときに。
自分たちがなんとかしてみせる、と。
あのときからはかなり状況も変わってしまっているけれど。
――出来るなら。
その気持ちは変わらない。
第一、サイジェントより先にエルジンとエスガルドに遭遇されてしまいかねない。
いくら彼らでも、軍隊レベルの数の悪魔や鬼が襲いかかってきた日には……あんまり考えたくない結末が待っていそうだ。
そしてそれ以上に問題なのが、帝国だ。
向こう様からしてみれば、屍人軍たちの侵攻は、あからさまな越境行為。戦争行為。仕掛け人は聖王国。そうとられても仕方ない。
聖王国の悪評が広がるならまだしも、てか、それもそれで大概に迷惑だが――もっと最悪なのが、帝国陥落、そしてそれに伴なう屍兵の増加。帝国軍の強力は音に聞こえて名高いが、人間相手の話である。
……断言しよう。
帝国侵攻が実現したら、旧王国と聖王国は、転じて彼らに潰される。
フォルテが、いつになく真面目な顔で腕を組んだ。
「一気に、リィンバウムそのものを手にしようってハラかよ……?」
聖王国、旧王国、そして帝国。
リィンバウムで力を持つ三つの国を押さえたとなれば、組織だっての大きな抵抗は見込めまい。
そうなれば、残りの各集団は、それこそ各個撃破すればよいだけだ。
――それにしても。
「完全に私たち、なめられてませんか?」
と同じようなことを考えたらしく、パッフェルがちょっと物騒な表情して、そう云った。
軍勢を三つ。
状況から考えて、おそらく、それらを指揮しているのは3悪魔たちだろう。
三つの軍勢が一様にこちらに背を向け、それぞれの侵攻先へ向かっている――これが現状。つまり、後ろから襲いかかられることを考えていないか、もしくは。
襲いかかられても、返り討ちにするだけの、自信があるということだ。
「……なめられてますよねえ」
不機嫌な顔で同意したの横、マグナが、がたっと立ち上がる。
「そっちのほうは、放っておいてもいいんですか!?」
聖王都に向かう軍隊を滅ぼしても、サイジェント、そして帝国でそれぞれ戦火が上がれば、必然的に再び戦いが起こる。
戦いの終わりが遠くなる。
まして、先ほどのような最悪の事態とまではいかないとしても、他国までも巻き込む羽目になれば――被害が大したものにならずとも、外交における聖王国の立場というものが揺らぎかねない。
「そういうわけではない。だが、そこまで我々の手がまわらないというのが現実なんだ」
苦い表情で、ギブソンが首を振った。
どちらにせよ、聖王国に向かっている軍隊を包囲し、火攻めにするのならば、相手以上の数が必要になる。
3方向へ向かう軍にまで、手勢を割いている余裕はないということだ。
――それなら。
そう誰かが思ったとき、アグラバインが、ぽつりとつぶやいた。
「あの悪魔のやることだ。それすらも、何かの策略なのかもしれんが……しかし……」
今いち意図を掴みかねる。
そんなつぶやきにかぶせて、ルヴァイドが告げる。
「陽動なのかもしれんな」
「え?」
「……僕たちはこれまで、あいつのやり口を嫌と云うほど目にしている」
あいつは、じわじわと相手を嬲っていき、その過程を楽しむことを得意としていた。
イオスのことばに、も、ぽん、と手を叩く。
「そういえば、レイムさんが関わった戦争って、数任せで攻めてたことは一度もないね」
「……じゃあ……?」
トリスのことばに、ルヴァイドはひとつ頷いて。
「聖王国に向かう軍団は囮で、奴の狙いはまた別にあるのかもしれぬ、ということだ」
もっとも、確証は何もないがな。
付け加えられたことばは、けれど、生まれた予感を払拭してはくれない。
確証はなくとも、可能性はあるのだ。
――戸惑う雰囲気が、そこかしこに生まれる。
「……いったい、どうしたらいいんだろう……?」
その空気をことばにすれば、今のトリスのセリフになるのだろう。
「まあ、君たちに関しては、そんなに悩むコトないと思うけどね?」
そんな彼女の背を軽く叩き、ミモザが云った。
「貴方たちはあくまで自由な立場のまま、この戦いに参加すればいいんだもの」
私たちのように、蒼の派閥の体面だとか騎士団との何がだとか、そんなしがらみ一切なしに。
ギブソンが、ゆっくりと口の端を持ち上げた。
「君たちは、君たちの信じる方法で戦っていけばいい。――私たちは、私たちのやり方で、あくまでも聖王国に向かう軍に集中することにするから」
それは遠まわしに、3悪魔たちの軍勢を止めて来い、と云われてるよーなもんですが?
けれど実際、やることはそれだけだ。
メルギトスの軍が聖王国を目指し、聖王国がそれを迎え撃つというのなら。
聖王都や派閥の手のまわらない、背後の憂いを断ち切ることが、今の自分たちに出来ること。最善の手段。
ならば、もう。
選ぶ道は決まってる。
『――はいっ!』
トリスとマグナが、声を揃えて頷いた。
ミモザが、それを見て満足そうに笑う。
「よーし。いい返事ね」
「君たちの無事を、祈っているよ」
ネスティがふたりを見、小さく首を上下させた。
「先輩たちも。どうか、お気をつけて……」
「ギブソンさん、ミモザさん」
「ん? なぁにちゃん?」
もまた、席を立ち、近づいて、ふたりの手を握る。
共に旅をしてはいないけれど、これまでもこれからも、力になってくれた人たち。
傍らではなくとも、共に、戦う人たち。
「また、ここで、絶対に逢いましょうね」
――ふたりは、にこりと笑って頷いた。確りと。