そうしてお風呂にも入り終われば、あとは、もはや寝るばかり。
湯冷めの前に部屋に戻ろうかと廊下を歩いていたら、
「あ、! ちょっと手伝ってー」
ホットミルクの入ったマグカップみっつ、抱えたトリスが天の助けとばかりに呼んでくれたため、急遽そちらのお手伝いへゴー。
ついでに自分の分もつくったは、そのまま彼らの部屋になだれ込んでしまった。
護衛獣たちは、の帰宅の報告をしたあと、そのままさっさと眠ってしまったらしい。
レオルドは、例のごとく庭にいるんだろうけど。
「……おいしー」
両手でマグカップを包んで、ほこほことミルクを味わっているトリス。
猫舌なのか、マグナは一生懸命に息を吹きかけている。
それと対照的なのが、熱さをものともせずに実に淡々と飲んでいるネスティの姿。
はというと、マグナほどではないけれど、時折息を吹きかけて冷ましつつ、ご相伴に預かっていた。
しばらくは、そんな穏やかな光景で。
――ふと。
「……なんだか、もう何年も経ったみたいな気がするな」
そう、ぽつりとマグナが云った。
「そうだねー……」
最初に彼らと逢った日。そうして炎にまかれた夜を思い出して、も頷く。
数ヶ月くらいのはずなのに、もう何年も前のような。
あの頃から、ずいぶんと遠い場所に、今の自分たちはいる。
「もう少し、だね」
ぐっと手に力を入れて、トリスが云う。
「……そうだな。メルギトスたちを倒せば……」
「……倒すだけじゃだめ」
「?」
高まろうとしていた士気が、そのことばで、まるで霧のように霧散する。
疑問の入り混じった視線を向けられて、は、ちょっとことばに詰まった。
呼吸を一度、二度。そのくらいの間をおいて、ぽつりとつぶやく。
「……みんなで、幸せにならなくちゃ、終わりって出来ない気がする」
遠い遠い昔から、つむがれつづけている歌に。
手にし損ねた結末を捜して迷う、歌い手に。
終わりを。あげなくちゃいけない。
それはの心の中だけで思うことで――実際ことばにしたのは、結局一言だけだったんだけれど。
「だいじょうぶだよ! 俺、がいるだけで幸せだもん!!」
ぱっとミルクをテーブルの上において、マグナががばっと抱きついてきた。
「兄さん、あたしたちはー?」
とか云いつつ、トリスが反対側からしがみつく。
すでに見慣れた光景と化してしまったのか、ネスティもこれといってツッコもうとせず、ただ苦笑して見守るばかり。
笑みの形に弧を描いていた彼の唇が、そうして、ふと開かれる。
「……いつの間に、自然になったんだろうな」
「ネス?」
「僕にとっての見慣れた光景は、マグナとトリスが何かとじゃれているもののはずだったんだが……」
俺たち犬猫扱い?
むぅっとマグナがむくれるけど、トリスもも援護はしない。
だって、マグナに関してはそのとおりだし。なんて。
そのやりとりが楽しいのか、ネスティは、とうとう、小さく声を立てて笑った。
「本当に、いつの間になんだろう? がいるんだよ」
記憶のいくつかに。それも、マグナとトリスのいる、優しい景色に。ふと、彼女の息遣いを感じる。
それは過去と現在をごちゃ混ぜにしている、自分の感傷なのだと判ってはいる。けれど、それにしては。あまりにも、どこまでも。それは、自然で。違和感が、なさすぎて。
――今も。
たかだか数ヶ月前に知り合ったばかり。
されど数ヶ月は一緒にいて。
が自分たちの傍にいるという、この光景が、こんなに自然に馴染んでしまっている。
心穏やかになれる、この光景を、本当に好きだと思う。
今は何のためらいもなしに。
「……こうしていられる時間が、本当に、幸せだよ」
うん、そうだね。
ネスティの穏やかな表情を見て、それから、トリスとマグナはを見る。
ふたりに抱きつかれているは、息苦しさとか感じてないみたいに、めったにないネスティの表情を、ちょっとぽかんとして見てた。
「――写真撮っときゃ、あとでネタになったかも」
「何のネタだ」
途端しかめっ面に戻ってネスティが返し、は、声をたてて笑う。
ああ、うん。
ネスの気持ちはよく判る。
ネスと一緒の気持ちだから。
腕の中のに頬をすりよせたら、彼女は、「くすぐったいよ」って云ってさらに笑った。
うん、気持ちいい。
この空間が、この空気が。
自分と片割れと兄弟子と――そうしてがいる、この場所が。
「……ありがとう」
つぶやいたら、やっぱりはきょとんとして、自分たちを見上げてきた。
ちょっと悪戯心を起こして、兄妹は顔を見合わせる。
「わぁ!?」
一度腕を放して、次に、がばぁと勢いつけて抱きついた。
さすがにこれには驚いたらしく、じたばた暴れるの手から、ネスティがマグカップを取り上げる。
残ったミルクが零れないようにとの配慮だろう。
さすがネス、と、賞賛して、兄妹は口を開いた。
抱きついてるから、の表情は見えないけど、だって今、自分たちがどんな顔してるか判らないだろうから、おあいこ。
そのままでいいから、聞いてね?
「俺と」
「あたしと」
「「ネスと」」
「「出逢ってくれて、ありがとう」」
本当に。心から、感謝します。
――あなたのことが、大好きです。
大切な大切な人。メルギトスが何を狙っているのか知らないけど、絶対にこの人は渡さない。
自分たちの傍にいてほしい。
束縛なんかではないし、たった一人にはなれなくても、
――ただ、今のこの空気を壊さないで。
守るよ。きっと。
君が自分たちを救ってくれた分、きっときっと、守り抜く。
「……ありがと」
そう云ったら、は、笑って頷いた。
「あたしも、みんなのこと守れるように頑張るね」
笑顔が少し寂しそうだった理由は、まだ、そのときには判らなかったけれど。