TOP


第52夜 六
lll 出逢ってくれてありがとう lll




 そうしてお風呂にも入り終われば、あとは、もはや寝るばかり。
 湯冷めの前に部屋に戻ろうかと廊下を歩いていたら、
「あ、! ちょっと手伝ってー」
 ホットミルクの入ったマグカップみっつ、抱えたトリスが天の助けとばかりに呼んでくれたため、急遽そちらのお手伝いへゴー。
 ついでに自分の分もつくったは、そのまま彼らの部屋になだれ込んでしまった。
 護衛獣たちは、の帰宅の報告をしたあと、そのままさっさと眠ってしまったらしい。
 レオルドは、例のごとく庭にいるんだろうけど。
「……おいしー」
 両手でマグカップを包んで、ほこほことミルクを味わっているトリス。
 猫舌なのか、マグナは一生懸命に息を吹きかけている。
 それと対照的なのが、熱さをものともせずに実に淡々と飲んでいるネスティの姿。
 はというと、マグナほどではないけれど、時折息を吹きかけて冷ましつつ、ご相伴に預かっていた。
 しばらくは、そんな穏やかな光景で。
 ――ふと。
「……なんだか、もう何年も経ったみたいな気がするな」
 そう、ぽつりとマグナが云った。
「そうだねー……」
 最初に彼らと逢った日。そうして炎にまかれた夜を思い出して、も頷く。
 数ヶ月くらいのはずなのに、もう何年も前のような。
 あの頃から、ずいぶんと遠い場所に、今の自分たちはいる。
「もう少し、だね」
 ぐっと手に力を入れて、トリスが云う。
「……そうだな。メルギトスたちを倒せば……」
「……倒すだけじゃだめ」
?」
 高まろうとしていた士気が、そのことばで、まるで霧のように霧散する。
 疑問の入り混じった視線を向けられて、は、ちょっとことばに詰まった。
 呼吸を一度、二度。そのくらいの間をおいて、ぽつりとつぶやく。

「……みんなで、幸せにならなくちゃ、終わりって出来ない気がする」

 遠い遠い昔から、つむがれつづけている歌に。
 手にし損ねた結末を捜して迷う、歌い手に。
 終わりを。あげなくちゃいけない。

 それはの心の中だけで思うことで――実際ことばにしたのは、結局一言だけだったんだけれど。
「だいじょうぶだよ! 俺、がいるだけで幸せだもん!!」
 ぱっとミルクをテーブルの上において、マグナががばっと抱きついてきた。
「兄さん、あたしたちはー?」
 とか云いつつ、トリスが反対側からしがみつく。
 すでに見慣れた光景と化してしまったのか、ネスティもこれといってツッコもうとせず、ただ苦笑して見守るばかり。
 笑みの形に弧を描いていた彼の唇が、そうして、ふと開かれる。
「……いつの間に、自然になったんだろうな」
「ネス?」
「僕にとっての見慣れた光景は、マグナとトリスが何かとじゃれているもののはずだったんだが……」
 俺たち犬猫扱い?
 むぅっとマグナがむくれるけど、トリスもも援護はしない。
 だって、マグナに関してはそのとおりだし。なんて。
 そのやりとりが楽しいのか、ネスティは、とうとう、小さく声を立てて笑った。

「本当に、いつの間になんだろう? がいるんだよ」


 記憶のいくつかに。それも、マグナとトリスのいる、優しい景色に。ふと、彼女の息遣いを感じる。
 それは過去と現在をごちゃ混ぜにしている、自分の感傷なのだと判ってはいる。けれど、それにしては。あまりにも、どこまでも。それは、自然で。違和感が、なさすぎて。
 ――今も。
 たかだか数ヶ月前に知り合ったばかり。
 されど数ヶ月は一緒にいて。

 が自分たちの傍にいるという、この光景が、こんなに自然に馴染んでしまっている。

 心穏やかになれる、この光景を、本当に好きだと思う。
 今は何のためらいもなしに。

「……こうしていられる時間が、本当に、幸せだよ」


 うん、そうだね。
 ネスティの穏やかな表情を見て、それから、トリスとマグナはを見る。
 ふたりに抱きつかれているは、息苦しさとか感じてないみたいに、めったにないネスティの表情を、ちょっとぽかんとして見てた。
「――写真撮っときゃ、あとでネタになったかも」
「何のネタだ」
 途端しかめっ面に戻ってネスティが返し、は、声をたてて笑う。
 ああ、うん。
 ネスの気持ちはよく判る。
 ネスと一緒の気持ちだから。
 腕の中のに頬をすりよせたら、彼女は、「くすぐったいよ」って云ってさらに笑った。
 うん、気持ちいい。
 この空間が、この空気が。
 自分と片割れと兄弟子と――そうしてがいる、この場所が。

「……ありがとう」

 つぶやいたら、やっぱりはきょとんとして、自分たちを見上げてきた。
 ちょっと悪戯心を起こして、兄妹は顔を見合わせる。
「わぁ!?」
 一度腕を放して、次に、がばぁと勢いつけて抱きついた。
 さすがにこれには驚いたらしく、じたばた暴れるの手から、ネスティがマグカップを取り上げる。
 残ったミルクが零れないようにとの配慮だろう。
 さすがネス、と、賞賛して、兄妹は口を開いた。
 抱きついてるから、の表情は見えないけど、だって今、自分たちがどんな顔してるか判らないだろうから、おあいこ。
 そのままでいいから、聞いてね?

「俺と」
「あたしと」
「「ネスと」」

「「出逢ってくれて、ありがとう」」

 本当に。心から、感謝します。
 ――あなたのことが、大好きです。

 大切な大切な人。メルギトスが何を狙っているのか知らないけど、絶対にこの人は渡さない。
 自分たちの傍にいてほしい。
 束縛なんかではないし、たった一人にはなれなくても、
 ――ただ、今のこの空気を壊さないで。

 守るよ。きっと。
 君が自分たちを救ってくれた分、きっときっと、守り抜く。
「……ありがと」
 そう云ったら、は、笑って頷いた。
「あたしも、みんなのこと守れるように頑張るね」
 笑顔が少し寂しそうだった理由は、まだ、そのときには判らなかったけれど。


←第52夜 伍  - TOP -  第52夜 七→