先を歩くイオスの背中は、呼びにきたときそのままで、やけに不機嫌そうだった。
「ねぇイオス。置いてきちゃったんだけど、アメルたち」
そう。
が扉を開けるなり、この金髪兄ちゃんは彼女の腕をひっつかむと、何も云わずに部屋を後にし――させ、すたすた歩き始めたのである。
後に残されたレルム村組が、じとっとイオスを睨んでいたのを、だから、途中まで引っ張られる形になったは、知らない。だがそれにしても、イオスの態度はちょっとどころでなく、失礼だったんじゃないかと思ってしまうのが本当。
いろいろあったけど、だからこれから、仲良くしてほしいんだけどなあ……
「……イオス?」
このまま食堂に向かうとばかり思っていたのに、イオスは途中で進む方向を変えた。
階段を下りて曲がり、向かう先に何があったか、はうろ覚えの屋敷見取り図を記憶から引っ張り出した。……たしか、中庭に面している扉があるはずだ。
夜の中庭で何をする気だ。決闘か。
さておき、何を云ってもムダっぽいと諦めたの手を引いたイオスは、やはりそのまま中庭に出――そうしてやっと、足を止めてくれた。
帰る途中はまだ山の端にかかってたお月様が、空に煌々と輝いている。
色素の薄いイオスが月光に照らされている姿は、まるで、絵本の中の精霊さんのようだった。本人に云ったらきっと怒る。
そして、その妖精さんは申し訳なさそうに腕を解放すると、を振り返り、
「……ごめん」
「いや、あたしに謝られても」
どうせならアメルたちに謝ってくれるほうがありがたいよ。
と云いかけたところで、イオスの手が、今度は真っ直ぐに向かって伸ばされた。次には、その腕の中。
いわゆるあれだ。抱擁だ。にとって、イオスとのそれは、身に馴染んだコミュニケーションだったりする。ルヴァイドもまた然り。
だから抵抗なく、イオスがもう少し意図するところを明らかにするまで待とうという気持ちで、抱かれるままにしていたのだが。
「ずるい」
「は?」
ぽつりと耳元で囁かれたイオスのことばには、目が点になった。
「……僕の方が、ずっと、と長くいたのに」
口調には、悔しさがにじみ出ていた。口惜しいというよりは、もう一歩踏み込んでしっくりくる表現が、あったような気はする。
「君はあいつらを判ってるし、あいつらも、君のことをちゃんと判ってるみたいで――」
「それでずるいって?」
「……悔しい」
まるで子供のようなそのことばに、いったいどう反応すれば良いものか、しばし迷ったを誰が責められようか。
だけど、が何か云うより先。まるでこちらの心を読んだように、イオスがぽつりと付け加える。
「子供みたいだと思ってるだろ、」
「うん」
「少しは容赦してくれ」
くすくす、笑う声。少しは、いつもの調子を取り戻してくれたのか。
ややあって、「でも」と、彼は云う。
「……いい仲間だとは思う。君がそういう奴らと出逢えて、こうして僕たちも救ってくれて、そのことは素直に嬉しいよ」
「あ。でしょでしょ?」誉めてくれたことは、単純に嬉しい。「あたしが云うのもなんだけど、みんな自慢の仲間だよ」
気持ちのままに笑って云ったら、ちょっとからかいの混じったイオスのことばが返ってきた。
「僕たちも?」
「いやいや、イオスとルヴァイド様は別。あたしにとっては、こっちの世界の家族だと思ってる」
父にも兄にも等しく。
6年間――もう7年か。一緒に過ごした、大切な人たち。
その家族を取り戻したくて、自分は頑張ったんだから。
その家族と歩きたいから、これから頑張るんだから。
――遠ざかる、漆黒の背中。幾つもの黒い鎧。……もう手の届かない彼らもまた。そのことを、深く思うのはまだ辛いけど。
「……やっぱり、そうきたか」
少しばかり沈みかけたの思考を、イオスの声が引き戻す。
ため息混じりのその声は、なんか、結構――真剣。
「何」、だからだろうか。茶化す色、混ぜてしまったのは。「あたしと家族って、不満?」
「ああ、不満だね」
それにしては、幾分か混じってる笑み――だけど顔を持ち上げて、真っ直ぐにを見る赤い双眸は、真摯。
「どうせ君のことだ。まともに理解してくれそうもないだろうし」、
そうして口調に諦めが入り、そうしてそれを払拭する強い意志が、笑みも諦めも押しのけた。
「とりあえずでいい。これだけ――覚えていてほしい」
ピンポイントなその理解に感謝すべきか、それともさり気にバカにされてるような気がするから、それに対して怒るべきか。
迷ううち。
に比べると、少しひやりとしたイオスの手のひらが、壊れ物でも扱うように、頬に、そっと添えられた。
「僕はメルギトスにも彼らにも、君を渡すつもりはないから」
君が好きだ。と。
淡い金色に縁どられた赤い双眸細めたイオスの表情は、えもいわれぬほど優しかった。