戦いの繰り広げられた一角から、少し離れた死角。
そこから、さらりと零れ出たのは銀の髪。
「いかがでしたか? ニンゲンの本性を見たご感想は」
「メルギトス!?」
いったいいつからそこにいたのか。少なくとも、戦いの最中は気配など感じなかったのだけれど。
だが、彼を相手ににそんな疑問を抱くのは、もはや無意味なのかもしれなかった。
もう意味不明のことばだけをつぶやきつづけるカラウスを、レイムはゆっくりと腕を持ち上げ、示してみせる。
「貴方たちが守ろうとしているのは、こんなあさましい生き物なのですよ」
自分を守るためならば、平気で他人を犠牲にしてのける。
与えられたものだけに満足出来ず、奪うことでしか満たせない。
「……」
見せつけられたその姿――カラウス、そしてフリップ。
「おまえの云うとおりだな、メルギトス」
人間ほど身勝手で、自己中心的な生き物は、いないんだろう。
「ネスティ……?」
沈黙を打ち破りつぶやかれたそれは、まるでレイムのことばを肯定するようにとられたのだろう。声の主であるネスティに、不安と驚愕の混じった視線が集まる。
けれど印象的なのは、マグナとトリスに関しては、そんな感情があまりないこと。
少し強張った表情だけれど、――でも。
その兄妹の方にちらりと目を向けて、ネスティは、かすかに笑ってみせた。
そうして、彼は再び、レイムを見る。
「だが」、
そう切り出す口調は強く、視線は真っ直ぐ、彼を射抜いた。
「メルギトス。僕はおまえに手を貸したりなどしない。……僕は、人間を守るためにおまえと戦うわけじゃないんだ」
世界のため? 人間たちのため?
いいや。
そんな大それたことは考えもしない。しようとも思わない。
この両手は、そんな大きなものを抱え込めるほど、広くない。
そしてこの身体に流れる融機人の血と記憶は、けっして人間を許さない。それは事実。
――それでも。
人間という種を許せなくとも、自分が大切にしたい存在は、たしかに今、この傍らに、この心に。――在るのだから。
「トリスやマグナ、義父さん、先輩。……これまで旅を続けてきた皆を、を、大切だと思う。その人たちの哀しむ姿を見たくないと思う」
望むのは。大切な人たちと、笑って在れる、明日。
そのための道を、この自分で選び取る。
「だから、僕はおまえと戦うんだ!」
よっしゃネスティ偉い!
そんな誇らしげな顔で、さきほど感情の捌け口になってくれた少女が頷いているのを見て、ネスティは口の端にかすかな苦笑を浮かべた。
……判ってないな、本当に。
そうしてふと視線を戻せば、同じ人物を見ていたらしいレイムが、気づいてこちらを見返して――
微笑った。
「やれやれ。つまり、貴方は他の人間はどうなっても良いと云うのですね?」
「そのとおりだ」
頷く動作に、ためらいはない。
戦う理由は、それだけで充分。これが自分の真実だ。
「ふふふ……素敵な答えですよ。これでは、納得せざるを得ませんね」
含み笑いを零して、レイムは――アメルをちらりと見、マグナとトリスを見、そうしてを見た。
「さんはいかがです?」
ゆるりとした動作で動かされた腕は、未だ狂態を続けるカラウスらを示していた。
「これでもなお、拒否しますか?」
貴女の奥にあるものを目覚めさせることを。
愚かニンゲンでありつづることを、受け容れますか。
選ぶのは。
どちら――と。つむごうとした、レイムのことばを遮って、
「……あのね、レイムさん」
緊迫しきった一行のなか、ほんの少し生まれた余裕でもって、は表情を改め、レイムに語りかけた。
「貴方につくとかニンゲンにつくとか、そういう選択だけじゃないですよね?」
それは、攻撃の意志が相手にないせいか、それとも、自身でさえ預り知らぬ、別の所以からか。
えらべなかったの
響く、遠い嘆き。
――そうだね。もしかしたら、あたしは、それを示したいから、こんなに拘っちゃうのかもしれない。
そしてそれ以上に、
「あたしはみんなで幸せになるって決めてますから。それだけです」
聞いていたんでしょう。
さっきネスティと話していたときの。
好きだと思った人のことは、きっとずっと好きでいるんです。あたしは。
……あたしは、みんなを、好きです。
「――――」
――レイムの表情が、奇妙に歪んだ。
「みんな」、
ですか。と、こぼれる声は、自分でも驚くほどに、揺れていた。
そんなに、それは、大切なモノ?
世界。ニンゲン。くだらないモノたち。不愉快なモノたち。
「貴女はどうして、そう……」
いや、貴女ではないはずなのに。
既視感。
この世界が好きだと微笑んでいた、彼女の姿とその子が重なる。
欲するのは、その奥に眠りつづけるものだけだというのに。姿が重なる。同一に錯覚する。
そんなはずはないというのに。
彼女は彼女の17年分しか、その手に抱いていないというのに。
既視感。
――それでも、わたしは……
この手で壊した彼女。
目の前にいる彼女。
同一に見える。そんなはず、けして、ないというのに。
それとも。
すでに、魂は?
リィン、と、レイムの手首に巻かれた銀細工が、風もないのにかすかに揺れた。
けれどその音は届かない――身に付けているレイムにだけ、一番間近の相手にだけ、届かない。
「ふふふふふ……」
「レイムさん?」
名を呼ばれた。己の名を。
彼女だけが、今は呼ぶ。この名を。
「はは」、
――滑稽。
「あっははははははははは!!」
唐突に発されたレイムの笑い声に、は身を強張らせた。
――届いたんだろうか。あたしの声は。レイムさん、あなたに。
肝心要はまだだけど。それを口にしたら最後、何かが壊れそうで。まだ、最奥に触れられないでいる、あたしの勇気のなさが悪いんだけど。
でも一生懸命考えたんだ。届いて欲しくて。気づいてほしくて。
「レイムさん!」
銀の髪、振り乱して笑う悪魔に向けて、一歩を踏み出した。
が、
――リィン、
哀しげに揺れる銀の音。何故か、そちらに気をとられた。
――リィン、
同じことを 選ぼうとしてる
リィン、
銀の細工が儚く鳴る。
「……泣いてやがる……」
ぽつりとつぶやいたリューグの声が聞こえたのか、ロッカが不思議そうに弟を見た。
それから、銀の鳴る音に耳を傾け、
「――――」
得心がいったように、小さく頷いた。
――そう。彼らでさえ、気づいたのに。
「……忘れるなって云ったじゃないのよ」
占い師が、頭抱えてつぶやいた。
笑いつづけるレイムに対して、最初に浮かんだのは困惑。そのあと、沸々と湧き上がったのは怒り。というかむかっ腹。
「ちょっとレイムさん! 人の話聞いてます!?」
怒鳴って足を踏み出したら、ぴたりとレイムは笑いを止めた。
――そこまで極端な感情の沈静も、ある意味ちょっと怖いものがある。
リィン、
腕を飾る銀を鳴らし、レイムはにこやかに頷いた。
「聞いていますよ? さん?」
「じゃあ……」
リィン、
――ああ、またこの音。
銀細工の鳴る音。泣く音。聞こえてる?
「……よく判りましたとも」
のことばを遮って、レイムはゆっくりと微笑んだ。
ひどく優しい儚げな笑みに、けれど、足元から一気に寒気が駆け上がる。
「貴女が結局、何も判っていないことが」
眠りつづけたまま、結局また、どちらを選ぼうともせずに在ることが。
リィン――リィン――
「ですから私が壊して差し上げるのだということを……」
大切なものをすべて壊してしまえば、貴女はもう片方をしか、選びようがないでしょう。
「――レイムさん!!」
リィン、と。
音。
くりかえさないで
の叫びも、銀細工の嘆きも。
もう届かない?
「私は力を取り戻します」
まるで神聖な儀式に挑むように、レイムは厳かに宣言した。
「そうして、世界を支配下におさめましょう。いっそ壊してしまいましょうか? ――どちらにしても鎖は断たれる。貴女は――」
「いい加減にして!!」
それを遮り、
「――レイム!!」
が叫んだ。
リィン、
銀細工が泣いた。
「真実の歌を、完成させましょう。すべての死をもって……ね?」
――そのどれも、レイムには届かない。
「……っ」
これ以上の問答を交わしても、消耗するだけだ。
そう判断し、ことばをなくしたをかばう位置へと、ルヴァイドとイオスは移動した。
「そう簡単にやられるものか。人間を見くびるな!」
未だに、レイムが何を思って、にそこまでの執着を見せるのか判らない。
それでも判るのは、悪魔が彼女を手に入れるために、周りの何もかもをも壊そうとしていることだけ。
理由など、それで充分だ。
そんなことを、実現などさせたくない。その気持ちだけで充分、動く理由にはなる。
第一、やっと傍を歩けるようになった子を、むざと渡す気など毛頭ない。
「デグレアの惨劇を、二度と繰り返させはせん。我が剣にかけて」
「そちらがそうこられるのでしたら、相応の返礼をさせていただきます」
シオンが、つと。笑みの中に凄絶な意図をたたえて、告げた。
「俺たちは、自分が歩くって決めた道のこと、絶対に諦めない」
の肩を優しく叩いて、マグナが云った。
視線はレイムに向けているけれど、どうしてだろう。どうしてか、自分に告げられたような。錯覚ではなくて?
錯覚じゃないよ。それは、声にはしない意思。
がいてくれたから、俺たちは、みんなはここにいる。
立ち上がれないほど傷ついたときも、君がいてくれたから立ち上がれた。
諦めないで手を伸ばしてくれていたから、また歩き出すことが出来た。
強く。
望みつづける道を歩くことを、教えてもらった。
他の誰でもなく。君に。
選び貫く困難も、それを越えることが出来る強さも。
「それを邪魔する貴方の思い通りになんか、なったりしない!」
トリスのことばに、レイムは、可笑しそうに肩をすくめる。
「ええ、せいぜい抵抗なさい? 貴方がたの断末魔は、最後に歌を彩る、最高の演奏になりそうですからね?」
あーっはっはっはっはっはっは!!
どこまでも見下した視線、侮蔑しきったことばを投げつけて、悪魔の姿は空にかき消えた。
……残されたのは、静寂に満たされた場。
ことばもなく立ち尽くすエクスら幹部たちと、倒れたままのフリップ、正気を失ったようなカラウス。
そうして――
たった今まで悪魔のいた場所を凝視しつづける、調律者たちだけだった。