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第51夜 伍
lll 欲しいものは、ただ lll




 まだ戻ったばかりで、誰も各々の用事に出かけていなかったのが幸いした、と云おうか。
 緊急に全員かき集め、舞い戻った先の蒼の派閥の一角は、文字通り修羅場と化していた。
 倒れていた召喚師のひとりに事情を訊けば、やはり予想どおり。捕えられていたはずの、フリップとカラウスが脱獄したとのことだった。
 鍵つき見張りつき牢に入れられたはずなのに、いったいどうやって抜け出したのか。
 だが、フリップとカラウスが脱獄したのは紛れもなく事実。秩序も加減もなしに召喚術を放ちまくったらしいおかげで、きれいに整えられていた中庭は、ほぼ壊滅状態。
「こっち!」
 騒ぎが大きいほうへと、トリスたちの案内で走り、そうして辿り着いた先では、エクスとグラムス、そしてラウルが、フリップらと対峙していたのである。


 半ば呆然とした声と表情で、グラムスがうめいていた。
「馬鹿な……召喚術に必要な道具は取り上げて、牢に入れてあったはず……」
 それは、当然の処断だ。
 サモナイト石も杖も、持たせたままでは投獄する意味がない。
 (性格はともかく)幹部召喚師になるほどの実力者なら、なおさらに。
 そんなグラムスの驚愕が楽しいのだろう、先刻、散々人様の不快感をかきたててくれた当のフリップが、朗々と宣言した。
「云いたいことはそれだけか、グラムス? 議長の地位をかさに、選ぶリやがって……こうしてやる日をずっと待っておったわ!」
 フハハハハハハ! と、勝ち誇った――というか、もはや正気じゃなさげな笑い声。
「靴底、口の中、隠そうと思えば、いくらでも隠す場所はありますしね……」
「身体検査が甘かったんだろうな……今さら云ってもしょうがねぇが」
 シオンが淡々と云い、それにレナードが同意している。も同感。
「しかし、どうします?」
 下手に刺激して、強力な召喚術でも放たれたら、このあたりが壊滅するのでは?
 シャムロックの意見も当然だが、すでに彼らの興奮は最高潮に達しているように見受けられる。
 ならやっぱし、召喚術使われる前に取り押さえる方が、早いんじゃなかろうか。
 出て行くかどうするか。
 一行がそうして迷う間にも、エクスたちは、フリップとの対話を試みていた。
 ラウルが、温厚な人柄をかなぐりすて、フリップに叫ぶ。
「馬鹿な真似はやめろ、フリップ!」
 ここで騒ぎを起こしても、罪が重くなるだけじゃ!!
 ――けれど、そのことばの百分の一さえも、きっとフリップには通じていない。
 ぎろり、フリップはラウルを睨みつける。
 それはことばが聞こえたというより、ただ、ラウルの声に反応したにすぎないような、どこか動物的な仕草だった。
「貴様もそうだッ!!」
 唾を飛ばし、彼はがなる。
「ラウル――師範の分際のおまえが、どうして私よりも総帥に信頼される!?」
 唾を飛ばして、腕を振り回し。
 それを見るラウルの目には、怒りとは違う別の感情が浮かんでいた。
「フリップ……おまえ……」
「どうして……誰も、私を、認めてはくれんのだ……」
 かと思えば、フリップは力なく両腕を落とし、ぼそぼそと、恨み言を垂れ流す。
「私が……私が『成り上がり』の分際だからですか……――総帥ッ!!」
「そうではない! おまえの持つ劣等感が、間違った方向にさえ向かなければ、私は……」
 『成り上がり』
 聞こえたそのことばに、マグナとトリスが、顔を見合わせた。見開いた目に宿るのは、驚愕。それはネスティも、ギブソンもミモザも同じこと。
 成り上がりを嫌悪していたはずのフリップが、その成り上がりなのだと、初めて知った故のものだった。
 ……そうか。
 成り上がりという自分への劣等感を、他への攻撃に転換していただけなのか。
 だけど、それなら、どうして?
 それを他者を貶める労力に使わず、自己を高めることに……成り上がりだからなんだと云えるくらいに、邁進しようと――どうして、しなかったの?

 ……他人を貶めるだけ、自分も貶めてしまうことに、気づかなかったの?

 なんとも云えない感情が、胸中に去来して、は服の上から心臓を押さえた。
 ――『ニンゲンなど』
 レイムの残したことばが、不意に頭をよぎる。
 ……彼がニンゲンを軽蔑しているという気持ちが、少しだけ――だけどそれは、決して頷けない気持ちだった。

「――フリップ様!」

 我慢の限界がきたのか、マグナが怒鳴る。
 こちら側には気づいていなかったらしいフリップたちが、ぎょっとした顔で振り返るのを、妙に覚めた頭の隅で、滑稽だなあと考えてしまった。
「マグナ、トリス!?」
 グラムスたちもこちらに気づき、いつの間に、との驚きを隠さぬままにそう叫ぶ。
 が、その問いに答えるより先に、
「メルギトスのことばに耳を貸したりしないでください! あいつは、貴方を利用しているだけなんです!」
 トリスが、そう、声を張り上げた。
 ――だが、

「黙れエェェィッ!」

 閃光。爆音。衝撃。

 とっさに姿勢を低くして構えたおかげで、半分以上を、なんとかやりすごすことに成功する。
 狙いを正確に定めていなかったのだろう、フリップの発した召喚術は、たちの立つすぐ傍の地面をごっそり抉っていっただけだった。
 立つ場所のせいでか、一番その場に近かったレシィが腰を抜かしかけているけど、それはバルレルが叩き起こしている。
「……ムダだ……」
「ネスティさん?」
 ぽつりとつぶやかれたネスティのことばに、アメルが視線を彼へと向けた。
 その彼女をちらりと見て、ネスティは、フリップに目を戻す。
 ――哀れみにも似た感情をたたえて、
「……僕たちの声では、あの人には届かない」
 そう告げた。
 メルギトスによって増幅された劣等感の爆発、感情の荒ぶりに、意識を飲み込まれてしまっている。
 そうして、そのネスティのことばを裏付けるように、一同に向けて足を踏み出し――フリップは、云ったのだ。

「利用されていようが、構うものかよ!」
「な……っ」

「おまえらのように特別な運命に選ばれて、特別な力を持った者を、それだけで周りから大切にされている者を殺せるのなら」、
 奇妙に歪んだ双眸は、深く澱む、泥の沼。
「私は――悪魔にだって、魂を売ってやる!!」

 ――それは、身をよじるような叫びだった。
 そして間違いなく、フリップの本心なのだろう。

 ……だけど、

 だけど、おまえ。
 そんなものがほしいというのか。

 ほしいのか、そんなものが。

 特別な運命? 遠い血の呪縛や大切な家族との戦いを?
 特別な力? 呪いに等しい怨嗟、絶望の記憶を伴なっても?
 そんなものが――ほしいのか。
 おまえは、そんなものがほしいと云うのか……?

 静寂が舞い下りる。フリップの荒い息だけが、しばしその場に木霊した。
 そうして。
 ギリ、と、歯を噛みしめる音がした。
 拳を握りしめるのが見えた。
 総毛立つような怒りが、そこかしこからほとばしる。
 それはも同じだったのかもしれない。

「……誰が……」

 紡がれる声。誰?
 誰でもない――この声は、自分たちの、叫びだ。

「誰が、好きで、こんな運命や力、欲しがったりするもんか!!」

 欲しいのは、運命でも力でもない。
 欲しいのは、ただみんなで笑って過ごせる明日。
 大切な人たちと、手を取り合って歩いていける道。
 手にしたいと。続いてほしいと。
 願ったそれを失い、壊され、再びこの手にするために、幾度傷を追ったか。血を流してきたか。
 何度その場にうずくまりそうになったか。くじけそうになったか。
 血を流し、傷つけあい、地を這って。
 安らぎを失い辛酸の中を歩きつづけるのが、運命なら。
 大切な友人を食い尽くして得られるのが、力なら。
 ――――そんなもの、要らない。
 それでも望む道に、そうしなければ辿り着けないから。欲しい欲しくないを決める以前に手にあるそれを、受け容れなければ進めないから。
 だから歩いた。歩いていく。
 ただ――ただ、それだけだ。

 ただ欲しいのは、
 ずっとずっと願うのは、
 ――大切な人たちと笑っていられる場所だけだ!

 叩きつけた感情は、わずかに、フリップを居竦ませた。
「……パッフェル」
「はい」
 まるで叫びをそのまま受け止めようと目を閉じていたエクスが、次の刹那、開いた双眸にパッフェルを映し、呼び寄せる。
 彼女の接近を確認し、そうして、蒼の派閥の総帥は、後方に位置する一行を見渡した。
 覚悟がその身に宿っているのが、たちからも、よく見える。
「マグナ、トリス。ネスティ」派閥の子たちを、彼は順に呼ばわった。そして、「……。すまない」
 ……なんであたしが含まれるんですか総帥。
 その問いの解は、だが、この場ではもらえない。
 何にも優先されるべき命令が、足を止めたパッフェルに下される。
「蒼の派閥の総帥として命じる。フリップを止めるんだ。どんな方法を使っても構わない!」
 なにしろ、命令を受ける対象である彼女は、自分たちの仲間だ。
 そしてそれ以上に、派閥の徒であるマグナとトリスが、自分たちを集わせここまでやってきた。
「エクス様……」
 どんな方法を使っても。そんな苛烈な命令を彼が出すとは思わなかったのか、パッフェルは、少し驚いたようだった。
 そうして、彼女を前に、エクスは深く、頭を下げる。
「すまない、本当に……。――頼む……っ」
 あとで、ルヴァイドとイオスがに語ってくれた。
 ファミィはケルマが人質にとられたとき、身を呈して助けようとした理由を問われ、こう答えたんだそうだ。
 派閥の召喚師たちは、自分のこどものようなものなのだと。
 それはもしかして、エクスも、そうだったのではないだろうか。――きっと、そうなのだろう。それがたとえ、闇に身を堕してしまった者であっても。
 変わらないのだ。親にとって、子という存在は。


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