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第51夜 四
lll 選択肢 lll




 別に、どこへ逃げようとは決めていなかった。
 ただ――あれだ。人間追い詰められると、無駄に高いところへ逃げたがるものなのだろーか。
 目の前にあった階段を駆け上り、ガラス張りの戸を音高く開け放ち、辿り着いた先は、
! ネス!? どうしたの!?」
 ――テラス、だったりしたのである。

 目を丸くしてこちらを見ているアメルたちに向かって、はぜぇはぁ云いつつも、それ以上に息を切らしてるネスティに無理はさせられぬと、レイムの出現を告げようとした。
「あっ……あのね、レイ――」
「おやおや、わざわざ皆さんの所に案内してくださったのですね。ありがとうございます」
「わー出たー!」
 だが、口を開きかけたの背後にすかさず現れたレイムが、首筋撫でつつ猫なで声でぬかしてくれた。
 勿論、即行ではトリスたちのほうに逃走し、難を逃れたわけだけど。
「……メルギトス!」
 逃げてきたふたり、それから妹たちをかばってか、マグナが前に出る。
 レイムを見る目は厳しい。――無理もないけれど。
「またやアメルをさらいに来たのか!?」
 が、返答は予想外。
「いえいえ」と、レイムはかぶりを振った。少し曖昧に。「……そうですね、聖女は鍵として必要ですが、さんには手出しいたしませんよ」
 今の所はね?

「してたじゃないか今思いっきり!!」
「些細なコミュニケーションですよ。柔肌のふれあいです」

 ……この瞬間、約一名除く全員の柔肌が鳥肌と化した。

 それよりも、と、レイムは一同の反応などそっちのけで、ネスティとアメルに視線を向ける。
「ネスティさん、アメルさん」
 ひどく優しげな、だけど底の知れない不吉さを漂わせた笑みだった。
「貴方たちの憎しみと怒りは、正当なものなのですよ」
 何故それをしかるべき相手に叩きつけず、あまつさえ包み込み、押し込めてしまおうとするのです?
「――!?」
「黙れ、悪魔め!」
 唐突なそのことばに、アメルは硬直して、ネスティは語気荒く叫ぶ。
 だが、彼は黙らない。
「ニンゲンに裏切られ召喚兵器とされ――」
「……」
「共に戦ったニンゲンに、永い苦痛を与えられ――」
「……」
 考えてもごらんなさい?
 貴方たちが過去に受けてきた仕打ちを。
 悪意しか感じ取れないレイムのことばがつむがれるたび、四肢の先から神経が麻痺していくようだった。
 凍り付いてしまったたちに、レイムはなおも語りつづける。
「我が身かわいさのために巧みにウソを織り上げて、平気で他者を貶め欺き、利用してのける」
 それがニンゲンたちでしょう?
「そんな彼らのために貴方たちが戦う必要が、どこにあるのです?」
「黙れと云っている!」
 理性でもって感覚を制御し、冷気を振り切ってネスティが叫ぶ。
 けれどもやはり、レイムの微笑は揺るがない。
「……おやおや」口調こそ残念そうにしながらも、口元はつりあがり、目は細められたまま。「……理解できないご様子ですね?」
「当たり前でしょう! そんな……ッ」
「まあ、無理のないことでしょうね」
 ニンゲンの論理は所詮、ニンゲンのものなのですから。
 叫ぼうとして、それ以上ことばにならないアメルに、彼は、ちらりと目を向ける。

「ニンゲンでない貴方たちに、それが理解できるはずなんてないんですよ」

「……っ!」
「そんなこと……!」

「あっはははははは!!」


 反論――しようとはしたのだ。
 だが、
 ――『ニンゲンでない』
 その部分に、ネスティとアメルの口はふさがれる。
 そのとおり。自分たちは人間じゃない。
 だから理解出来ない? だから許せないのだと?
 だけど。それは。


 レイムは高らかに笑う。黙り込んだ二人の様子が、そんなにおかしいのだろうか。
 傍観しているしかないたちとしては、ただ、はらはらと見守るしかなかった。
 だが、こちらも当然捨てておくはずがないとばかり、レイムは視線をめぐらせる。
「さて……前置きはこのへんにしておいて、本題に入りましょうか」
 私がここに来た理由はね、貴方がたをお誘いするためなのですよ。
「……なんですって?」
 予想外のことばに、たちは別の意味で目を見開く。
「私と共に、この世界を思うままに弄んでみたくはありませんか?」
 調律者の末裔。
 融機人最後の一人。
 豊饒の天使の欠片。
 他一名。
 順番に視線を巡らせて、レイムは、のところで視線を留める。
「……ニンゲンなんかに味方するのは、もう、おやめなさい……?」

  ――ニンゲンなどに入れ込むのは、もう、やめにしてはいかがです?

 記憶。過去。
 レイムのことばはいちいち、奥にある何かをつついて刺激する。
 今は無理矢理フタして押し込めているはずの、膨大な情報の海のなかの、けれど重要な欠片ばかりを選び出して。
 だけど、今回はそれだけではなかった。

 真っ直ぐにを見る、レイムの目は。
 ひどく静かで、優しくて。――哀しくて。
 以前からのちょっと行き過ぎた彼とも、悪魔として現れてからの彼とも、違う。
 その目が、に云う。
 ……奥の欠片を、刺激する。

  私を選んでいただけませんか?
  ――今度こそは。

「……仲間になれってことか?」

 レイムの視線をどうとったのか、彼との間に身体を動かしつつ、マグナが問うた。
「ええ、そういうことです」
 さして気分を害した様子もなく、笑みを含んだ声でレイムは答えた。
 貴方がたの才能は、このまま消し去るには勿体無いと思うのです、と付け加えて。
「ふざけるなっ!!」
 その語尾が消えるのとほぼ同時、マグナは叫ぶ。
 そうしてそれはきっと、トリスやアメルやネスティ、の気持ちそのものだったのだ。
 マグナの叫びを最後に、しん、とした静寂が落ちる。
 しばらく誰もが黙っていたけれど、それを破ったのは、他ならぬレイムだった。
「……やれやれ……問答無用で拒否なさいますか」
「当たり前よ! 誰が貴方の仲間になんか!!」
「……仕方ありませんねぇ」
 すわ、諦めたかと思いきや――
「では」、
 レイムがにぃっと笑うのが、マグナの背中越しでも見えた――気がした。

「この場はあちらの方で我慢することにしましょうか……質はかなり落ちるんですけど、ね」

 そのことばが、発されると同時。
 爆音が、遠く、一同の耳を突き抜けていく。
「なっ……!?」
「今の音、派閥の方から……っ!?」
 レイムが目の前にいるのも忘れて走り出したたちを、けれど、彼は追おうともしなかった。
 代わりにこの背を追ってきたのは、実に楽しげな彼の声。
「ここにお邪魔する前に、ちょっと面会に行きましてね……フリップ・グレイメンという方でしたか? 彼を励ましてあげたんですよ」
 貴方は、このまま終わるには惜しいです……とね?

 そうして最後に聞こえたのは、楽しくてしょうがないと云いたげな、彼の笑い声。気の狂うような。いや、もう、とうに狂っているのか。
 高く高く――それは、狂気の域に達してしまった、笑い声。


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