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第6夜 壱
lll 今、望むことを lll



 今日の天気をことばにするなら、快晴と云うべきかもしれない。
 空は青々と澄み、雲ひとつなく。
 太陽は燦々と世界を照らし出して。

「――えーと」

 ベッドに仰向けに大の字になって、寝ぼけ声ではつぶやいた。寝ぼけ眼のオプション付。
 おまけに頭も寝ぼけている。
 昨夜、遅くまでうろついていたのだから当然だろう。
 ……ゆうべ。
 そうだ、たしか散歩に出たらイオスさんに逢って――

「……」

 …………
 ぼふ。まず一発。

 …………………
 ぼふぼふ。次に二発。

 ……………………………………………
 ぼふぼふぼふぼふぼふぼふっっ!!! 連打連打連打――――


「……何顔真っ赤にして枕叩きしてんだよ、おまえ……」
「ほっといてぷりーず……え?」
 即答。相手をたしかめもせずに答えて、はがばっと振り向いた。
「リューグ!?」
「あんまり遅いから起こしに来たんだよ! 他意はねえんだからそこの棚から手を離せ!!」
 切羽詰ったリューグの叫びに、不承不承手を離す

 棚をどうするつもりだったんだとかいう類の質問は、しないが華というやつだ。


 とりあえずリューグを部屋からたたき出したのち、はまず服を着替える。
 黒の旅団の陣営にいたときに彼らから貰った服ではなくて、ミモザたちが買ってくれた服。
 シルターンの『着物』をモチーフにしたらしい、白の布地に蒼い縁どりの入った上着に、膝下までのズボン。
 あと、はしょっちゅうパンチだのぶちかましそうだから手の保護用に、とついでにくれた手袋。
 これはさすがにはめないでおいて、居間へ向かう。


「おはようございまー…………どうしたんです?」

 ばたーん、と元気に扉を開けて元気な挨拶をしたはいいものの、居間の空気は重かった。
「……おはよう。元気だな」
「一部ふっきれた部分がありまして」
 昨夜のイオスとのやりとりを(一部どかして)思い出しながら、ネスティに答える。
 そうか、とネスティは頷いてくれたものの、すぐに視線を落としてため息をついていた。
 他の人々も大小の差はあれど、似たようなもので。
 いったい何があったんだろうといぶかしがりつつ、とりあえず、席につく。
 遅れてきたの分の朝食だけがきっちりそこにあるところを見ると、アメルかミモザあたりが気を利かせてくれたのだろう。

 だが、この居間の空気はどう見ても、のんきに食事するとゆーものではない。

「……さて、ちゃんもそろったことだし、話の続きをしましょうか」

 きょとんとしているを見て、笑いながらミモザが云った。
 そのあと告げられた内容は、とても笑えるものではなかったけれど。



 黒の旅団の名乗ったデグレアとは、今彼らの住んでいる聖王国に対立する旧王国の軍事都市。
 そして何故か、領土侵犯を犯してまで、アメルの身柄を欲しているということ。
 おそらくそのためには、レルム村のときのように強硬手段に出る可能性があるということ。
 回避の手段として騎士団や派閥に保護を求めることも出来るが、逆に人間ひとりの身柄で戦争が回避されるというなら、国家としては彼女を差し出してしまいかねないこと――

「アメルを差し出して戦争回避なんて…………」

 それだけはイヤだ。そんなの、はっきりしている。
 ひととおり状況の確認が終わった後、ギブソンは云った。「君たちひとりひとりがほんとうに望んでいることを、よく考えてみるんだ」と。
 だからというわけではないけれど、はミニスの部屋に転がり込んでクッションを抱えている。
「でも、国という大きなものを預かる側としては正しい判断だわ。私のお母様でもそうすると思う」
「ミニスちゃんのお母さん?」
「お母様は、ファナンの議長をしているの。国じゃないけど、それでもいざとなれば、大勢の人たちが暮らす場所を守る務めがあるから――」
 大多数対、個。
 施政者としてどちらを選ぶと云うのなら、それは確かに正しいと。
 妙に大人びた調子でミニスは告げる。
「ミニスちゃんは偉いね……お母さんのコト判ってるんだ」
 あたしは、何も判らない。
 国のやりとりも、かけひきも。
 ただ、持ってる気持ちだけ。それだけが、炎に包まれたときからただひとつ、自分を動かす。
 ううん、と、横でミニスが首を振った。
「でも――私は、そんなのイヤ」
「アメルを渡したくない」
 ミニスのことばじりを取って続けると、彼女はきょとんとを見る。
 ついで、笑う。
「そうだね」
「そうだよね」
 自分たちは国家を預かっているわけでもない。大勢の人間に責任があるわけでもない。

 それは、自分の気持ちに対して正直に動こうとしたときには、最大の利点だ。

「無責任だな」
 勇んでネスティに報告に行くと、彼は苦笑してそう云った。
「……うー」
 出鼻をくじかれて、はふてくされる。
 まぁまぁ、と、ネスティと一緒にいたロッカがの頭を優しくなでる。
「でも、僕もそう思いますよ。たしかに国家という大きな力があればアメルを守れるかもしれませんが、逆に制約も大きくなるでしょう。ギブソンさんのことばは正しい」
 人間ひとりを渡しただけで戦争を回避できるなら。
 自分たちがその立場なら、そうしていたかもしれない。
 大勢の暮らしを守るために犠牲になったひとりに感謝と少しの慙愧を覚えながら、きっと賛成したかもしれない。
 けれど。
 その差し出される人を、自分たちはとても大切に思っている。
 そうである以上、たとえそれが、国家の争いを引き起こすことだとしても。
 気持ちを裏切れないから。
「僕は、決めました――いえ、もう決めていたんですけどね」

 アメルを守りたい。自分たちの出来る限りの力で。

「…………ネスティさんは?」
 黙ったままのネスティに、不安になってそう問うと。
「もともと、僕はトリスとマグナの見聞の旅の付き添いだからな。彼らが決めることに従うよ」
「主体性ないじゃない、それ」
 思わずつっこんでしまったのも無理はない、と、云えるのだろうか。
 だけど、ネスティはかすかに笑う。
「ただし。どうにも賛成できないことであれば、意見はきっちり云わせてもらうつもりだがな」
 と、いうことは。
 今この時点で、別に反対の様子を見せていないと云うことは。
 あまりにまわりくどいネスティのことばに、は、ミニスとロッカと顔を見合わせた。それから。
「って、そのマグナとトリスは?」
「アメルと話してみるそうです。さっきまでココにいたんですが」


 2階のテラス。
 街を一望できるそこは、こんな天気のいい日には最高の景色を見せてくれる。
 立ち並ぶ家々、賑やかな街並み。
 目をこらしてみれば、もしかしたら立ち動く人々さえも見えそうなくらいに。
「……を教えてほしい」
 階段を上って、テラスへ抜ける場所に差しかかったとき、マグナの声が聞こえてきた。
 なんとなく声をかけるのがはばかられて、は物陰に隠れる。
 ひょっこりと頭を覗かせて見れば、テラスに立つアメル、それに向かい合って並んでいるマグナとトリス。
「あたしも、知りたい……あなたたちの望んでることを」
 自信のなさげな声で、アメルが応じている。
 それとは対照的に、トリスのはっきりした声が響く。
「あたしは、あなたを守りたいよ。アメル」
「どうして?」
「理由訊かれると困るけど……ただ、そう思うんだ。守りたいって、そう思う。うまく云えないんだけど……」
「あたしも兄さんと一緒。なんだか、アメルといるとあったかいの。同情とか、かわいそうとかそう云うのじゃなくて、ただその暖かいものや安心できるものを大事にしたくて、だから、あたしたちはそう決めたんだ」
 兄妹のことばに、も物陰から同意する。
 そう、最初に逢ったときから感じていた、懐かしい気持ち暖かい気持ち。
 遠い昔に置いてきた、優しい何かを感じさせてくれるアメル。

 そういえば、あの朝――なんだかやさしい夢を見たのも、アメルが傍にいたからなのかな……

 などと思いを馳せているうち、静かな嗚咽が聞こえてきた。
 それまでの鬱屈を晴らすように、アメルが泣いている。
 彼女を優しくなだめる、マグナとトリス。
 そんな彼らに気づかれないように背を向けて、はその場を離れた。
 もうだいじょうぶ。
 何故か不思議と、そう思えた。


 そんな傍観者に気づかぬまま、しばらくの時間が過ぎて、
「……暖かいって云えば、も、そうだよな」
 ぽつりとマグナがつぶやいた。
 ひとしきり泣いて、さっきよりは晴れた顔のアメルも、それを聞いて微笑んだ。
「おふたりも、そう思います?」
 実はあたし、が湿原で、強くそう思ってくれたのがわかったから、今、自分の気持ちを云う勇気が出たんです。
 強い気持ち。勇気をくれるの気持ち。
 それを思い出したから。
 アメルはアメルとしての気持ちを云っていいのだと、思えた。
「うん」
 いつか自分を抱きしめてくれた、年下の少女を思い出して、トリスが笑いながら頷いた。
 がまだそこにいたら、「なんで!?」と苦悩していたのだろうけれど、幸い彼女はもういなかった。
 故に。
 3人は、さきほどまでの雰囲気もどこへやら、妙にほのぼのと微笑みあったのである。


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