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第50夜 七
lll 敵は誰だ lll




 その家族の一員とみなされるトリスとマグナ、護衛獣のハサハとレシィ。それから追いついてきたネスティは、兄妹の部屋でルヴァイドたちと向かい合っていた。
 何かと云えば脱線しかける兄妹の話を、ネスティが横から何度も軌道修正しつつ、粗方の話を終えたところだ。
 そうしてやはりと云うか、ルヴァイドとイオスは、なんとも云えない表情でもって、青の派閥組を見やっていた。
「……正直、あまりにも話が大きすぎるな」
 しばらくの沈黙の後、やっと、ルヴァイドがそうつぶやいた。
 かつて求めた召喚兵器。
 それはただ、強大な力を秘めた絶対の勝利をもたらすものなのだとして、彼らには伝えられていた。他の何もは――今明かされたどれもは、彼らにとって初耳だったのだ。
 また、この世界の在り様を変えた一端が、それにかかわっていたとあっては、今ルヴァイドのこぼした感想は、しごく、当然のものだと云えるのだろう。
「つまり……」
 聞いた話をまとめるかのように、彼は少し思案の素振りをし、
「おまえたちの先祖が召喚兵器を生み出し、禁忌の森をつくりだした。そういうことか」
「うん、そうだよ」
「メルギトスは、そのアルミネに封印された大悪魔だ。おそらく禁忌の森の封印を解き、本来の力を取り戻すために、デグレアに潜り込んだのだろうな」
「……そうか」
 頷くルヴァイドへ、傍らのイオスが小さくつぶやく。
「もしや、最初にに下された、レルム村偵察の命令も……」
「アルミネの力が目覚めたのを、知ったからこそだろう」応えたのはネスティ。「……しかし」、
 いまいち腑に落ちない表情で、兄弟子はつづける。
「彼女にも、いったい何があったんだろうか。それまでは、まったく普通の娘として暮らしていたらしいんだが」
 もしここにサイジェント組がいたら、思わず遠い目になって明後日の方向を見たに違いない。
 季節ひとめぐり昔、聖王国のはるか西の果てで起こった一連の事件は、まだ当事者にとっては新しい記憶だから。
 いつか、その物語を、ここにいる彼らも知ることになるのだろう。
 もっともそれは、今自分たちの紡ぐ物語に決着をつけてからのことになるけれど。
「だが、妙だな」
 ふと落ちた沈黙をやぶり、ルヴァイドがつぶやく。
「何が?」
 答えられる質問にしてくれ、と、半ば祈るようにトリスとマグナ。
 そんな主にひそかにエールを送るレシィとハサハ。送りどころを間違ってないか。
 まあそれもこれも、今お隣にいる兄弟子さんが、間違った答えなぞ云ったが最後、厳しいツッコミを入れてくれるコト確定済みだからなんだけど。
 ルヴァイドの腹心たるイオスも、さすがに今のそれは、何に対してのものなのか察知できなかったらしく、疑問の視線を向けている。
「今の話を聞くと、召喚兵器を得るのに重要となるのはおまえたち、そして聖女の存在であるのだろう」
「そうだね。実際かかわりがあるって云ったら、あたしたちぐらいだし」
 こくりと頷いたトリスを一瞥し、ルヴァイドはことばをつむいだ。

「……ならば、奴は何故、あそこまでに執着する?」

 まだ正体を隠していたころから、レイムのへの拘り様は、そりゃーもーなんつーか尋常ではなかった。
 そんな当時の奇行の一端を聞かされて、その突っ走りっぷりに、トリスたちは思わず遠い目になったけれど、問題はそこではない。
 ルヴァイドやイオス、デグレアの民を使い捨ての駒としか思っていなかったくせに、どうして、たったひとりに対してだけはそうなのか。異常なまでの執着。偏愛。かと思えば、血識を奪おうなんてしていたり……その行動原理が、まったく判らない。
 考え込んだ一行のなか、「そういえば」と、ネスティがつぶやいた。
「……あいつ、おかしなことを云っていたな」
「ネス?」
「覚えていないか?」
 先日の戦いの折のことだ。
「メルギトスの正体について、君が問うたとき、あいつは『なら知っている』と云っていただろう」
「……あ……」
 自失していたルヴァイドとイオスはともかくとして、マグナたちには、記憶にひっかかる部分があったらしい。
「で! でもさん、首振ってましたよ……!?」
 あれは知らないって意味ですよね?
 かぶりを振っていた彼女を思い出してか、妙に力んだ様子でレシィが反論する。
 その隣で、ハサハも、こくこくと頷いた。
 よーくこの護衛獣たちを見ていれば、ちょっぴり目が泳いでいることに気づいたかもしれない。
 けれど、幸か不幸か、それを目に留める人間はここにはいなかった。

 そしてやっぱり、答えは出ない。ふと舞い下りた沈黙のなか、一同は顔を見合わせた。
 それまでの立場の違いも、敵対していたという戸惑いも、今この瞬間だけは消え失せる。

「……はさ」ぽつりと。「……誰なんだろう……?」

 つぶやかれたのは、おそらく、誰もが大なり小なり心のうちに抱いている疑問だった。

 調律者の血をひく、トリスとマグナ。
 融機人の末裔である、ネスティ。
 豊饒の天使の欠片として在る、アメル。

  ――調律者は己の血を、融機人は己の記憶を、天使は己の魂をその手に抱いて

 そして、君は誰?


 全員が思考に沈んだせいでか、沈黙が、だんだんと重くなる。
 暗い雰囲気ではないのだけれど、口を開きにくい空気が漂いだした。
「……だろう」
 そんななか。
 なんでもないことのように、淡々と、ルヴァイドが云った。
 はっとして、全員が顔を上げる。
が何を知っているのか、俺は知らんが……それでもがそう在ろうとするなら、俺はその意志をこそ尊重しよう」
 他の誰でもない。
 6年前デグレアに喚び出されて大泣きしたのは。
 5年前イオスに手を差し伸べたのは。
 数ヶ月前まで、彼らと共にデグレアに在ったのは。
 そうして今、久々の休息で羽を伸ばしているんだろう子は。

 しかいない。

 自分たちが知っている彼女は、だ。――他の誰でもなくて。

 目を丸くしていたマグナが、にっ、と表情をほころばせた。
「……そうだな」
 座りっぱなしで真面目な話を続けていたのが疲れたのか、腕をまわして大きく伸び。
「俺たちが逢ったのは、だもんな」
「傍にいてほしいって思うのは、にだもんね」
 ネスもそう思うでしょ?
「……何故僕に振る?」
「あれ、ネス、もしかして忘れちゃったー?」
 不意に話を振られて怪訝な顔をしていたネスティは、けれど、次の瞬間盛大に固まるコトになる。

「云ったじゃない。ネスって、といるときすっごく落ち着いてるって、随分前に」

「なっ……!?」
 当人も記憶の底に片付けていたそれは、咄嗟に引っ張り出せるものではない。混乱したネスティが、
「いつの話だそれは!」
 と叫ぶと、ふたりは見事に声を揃え、

「「ルウと逢った頃ー」」

 こういうことばかり即答か、クレスメント兄妹。

 いつものように後輩弟子ふたりを怒鳴りつけようとしたネスティだったが、ふと。横から発される殺気に気づき、少し口元をひきつらせつつ振り返る。
 そうしたら、まあ、予想通りというか。
 表情にこそ出していないものの、実に判り易い不機嫌オーラ全開の、デグレア組ふたりがいるわけで。
 ああ、レシィとハサハが何気に怯えてる。
「でもでも、俺だってと一緒にいるのすごい好きだしさー」
 そんな真っ黒い空気に気づかないマグナが、ぽーんと爆弾発言をかました。
 しかも。
「ルヴァイドはどう思う?」
「……何がだ」
 よりによって、話を振ろうと選ぶ相手が相手だし。
 同じように気づいてないトリスはトリスで、にっこにこ笑顔でルヴァイドに向き直る。
「もしもね、をお嫁にやるんだったら、兄さんトコとネスのトコどっちが良い?」
「どっちもダメだっ!」
 ずい、と。
 ルヴァイドが何か答えるより先に、イオスが身を乗り出してそう告げる。どこか子供じみた怒鳴り声と反して殺気混じりに据わりまくった目が怖いです、お兄さん。
 その勢いに、トリスとマグナは思わずたじろいだ。
 が、そのイオスの発言が気に障ったらしいネスティが、眉を寄せて口を開く。
「そういうものは、の自由意志だろう。君が口出しすることではないはずだ」
 それともなにか、君は、をずっと手元に縛りつけておく気か。
「そのようなつもりはない」
 だが、貴様たちのところになどやらんぞ。

 手元に置いとくと断言してるよーなもんだろうがそりゃ。

 何気に一触即発の空気が生まれたなか、ぽん、と。またしても、マグナが手を打った。
「なあ、そしたらさ」
「……おにいちゃん……?」
 きょとんと見上げるハサハの頭を軽く撫でて、
「もし俺がと結婚したらさ」
「させん」
「いや、例えばだって! カップ投げつけようとするなよ!!」
 剣呑なオーラまとったイオスを、マグナは、両手ぶんぶん振り回しておしとどめた。
 だが、すぐに、何やら先刻思いついたらしいことを口にしたいらしく、人差し指立てて真顔になって、

「そしたらさ、俺、ルヴァイドのこと『お義父さん』って呼ぶべきかな?」

 ……………………

 ……………………………………

「……君はバカか。いや、バカだな」

 気の遠くなるよーな沈黙のあと、ネスティがぽつりとそう云った。
 が、レシィとハサハは、
「ルヴァイドさんがお義父さんかあ……」
「……やさしい、おとうさん……かも……」
 そりゃ一部の人間に対してだろう、というツッコミが全員の胸中に生まれたことは生まれたが、護衛獣の無邪気なやりとりにツッコミを入れきれる者はいなかった。


 結局ネスティが加わったところで、話は最終的に脱線してしまうのである。
 と、そんな結論に誰もが至ろうとしたときだった。
「……ふ」
 トゲトゲしていた空気をあっさり振り払い、ルヴァイドが表情を和らげる。
がおまえたちを好く理由が判るな」
「え」
「どうしたの、急に」
 不意の賞賛で驚いたのか、マグナとトリスはうろたえる。
「ルヴァイド様――」
 どこか恨みがましい目になったイオスをへ、ルヴァイドは「そういう意味ではない」と、苦笑してなだめる。
 さすが上官、部下のあしらいはよく判ってるというか。
「……そのだがな」
 思わず失笑しかけた一行を見、そうして、ルヴァイドは改まった様子で切り出した。

「おまえたちも、負担でなければ、気をつけてやってほしい」

「……え?」

 唐突に転換された話の方向性に一瞬ついていけず、ぽかんとしたゼラム側を見て、イオスがかすかに眉をしかめた。
「覚悟と」苦い口調で、彼は云う。「現実は、別物だ」
「……それって、が、進めなくなるかもしれないって、こと?」
 ゼルフィルドのことだって、今日はもう、元気になってたのに――呼気めいた小さなつぶやきに、
「そんなわけがあるか」
 吐き捨てるように、イオスは応じた。
 それだけではことばが足りないと気づいたか、険をおさめて付け加える。
「たった一晩で割り切ってしまえるようなら、あの子はここまで足掻いたりなんかしなかった」
 身内とはいえ、敵方という位置にいる相手へ、いつまでも手を差し伸べたりはしなかった。
「……喪失の整理には、時が要る」
 同じく。なくしたルヴァイドが、静かに告げる。
「嘆き哀しもうが、沈めて風化するのを待とうが――それには必ず、時間が必要だ」
「ルヴァイド様も、僕も、これが初めてというわけじゃない」
 それまで歩んだ生の重みを感じさせ、イオス。

 ただ。
 と、どちらかが云った。

 ただ。
 ゼルフィルドは。黒の旅団は。そこに在ったすべては自分たちのすべてだった。
 ――そう、ふたりは云った。

 それはたとえば遠い北の街。
 兄と妹と転げまわった、懐かしい道端。
 それはたとえば優しい師範。
 害する相手から守ろうとしてくれた深い優しさ。
 ――礎。
 名をつけるなら、それが一番相応しい。
「……あれは、なかなか、そういう部分を外に出さん娘でな」
「ルヴァイドに似たんだね」
「かもしれん」
「…………」
 この親バカめ。と、云いたげな視線が複数、しれっとぬかしたルヴァイドに刺さる。いや、跳ね返される。
「今は、眼前の問題に集中していられるが」、
 その自覚があるからこそ、養い子の心中を――おそらく彼女自身も気づいてはない、奥深い感情を、察して彼は云うんだろう。
「いつか――どうしようもなくなる瞬間は、来るものだ」
「…………」
「防げというのでも、止めろというのでもない。ただ、万が一にも踏み外しかけたなら、手を伸ばしてやってほしい」
「……万が一って」
 結局は越えるだろうと云っているも同然の、この信頼っぷりはどうなのかと。云いかけた、誰かのそれを遮って。
「なーんだ」
 と、マグナが破顔した。
 どん! と威勢よく胸を叩き、「そういうことなら任せといてくれ」と太鼓判。
 それから、
「だいじょうぶ!」
 ――いつも彼女がそうしてたように、力いっぱい、宣言した。

 だって、それは、いつもがしてくれてたこと。
 だから、これは、きっと自分たちがしてやれること。

 胸を張るマグナを見て、ハサハとレシィはぱちぱち小さな手を叩き、トリスはそれより大きな拍手をし、ネスティは、やわらかく微笑んだ。
「……」
 で、イオスだけが、むっと不機嫌そうな表情で、腕組みしていたのだった。
 そんな部下を見て、ルヴァイドが少しだけおかしそうにしていたのを、周囲の誰も知らない。――黒騎士は、わりと、身内にはこんな感じなのだと。誰もが知るのは、もう少しばかり、先の話。



 さて。翌朝である。
 まだ影が地面に長く伸びている、そんな時間。
 空気は少し冷たくて、寝ぼけ眼をすっきりさせてくれるのにちょうどいい。
「ほらほら、起きて起きて」
 ギブソン邸の各部屋では、最初に起きた人間が窓を開けて空気を入れ替える。
 で、入ってきた朝の空気に刺激されて、その他の人間が目を覚ます。――たいていは。
 この一室でも同じように、真っ先に起きたモーリンが窓を開け、まだ惰眠をむさぼっている一同の毛布をはぎとってまわっていた。
「ほらほら」、
 はぎとるだけでは足りず、揺さぶる相手は鉄壁のお寝坊さん。
「トリス、起きな」
「う〜ん……もう少し〜……」
「しょうがないねえ、まったく」
 相も変わらぬトリスの寝起きの悪さに、モーリンは、ひとまず他のメンバーから起こすことにしたらしい。
 多少の文句も何のその、ばっさばっさと毛布をはぎとっていく。
 少々荒っぽい気がしないでもない。
 そうして、ほぼ全員が目を覚ましたのと同時、モーリンは最後の毛布をひっぺがし――

「……ありゃ?」

 そのベッドがすっからかんであることに、怪訝な顔になった。
「どしたの?」
 ちょっと寝癖のついた髪をとりあえず手でなでつけながら、ミニスが覗き込んで。
 やっぱり、ぎょっとした顔になった。

「ちょっ、ちょっと!? またいないの!?」

「え!?」

 そのセリフに反応して、全員がばばっとモーリンとミニスの傍のベッドを振り返る。
!?」
 ひっぺがされたはずの毛布を器用にたぐりよせ、ミノムシのようになっていたトリスまでもが、目を見開いて飛び出してきた。
 一種過剰な反応かもしれないが、なにせ先日さらわれた前科(?)持ちがまたしてもいないとなれば、焦る気持ちもわこうというものである。
 が。

 トントン――
「すまない。騒いでいるようだから、断っておくが――」
 軽く扉を叩く音がし、そちらから続いた声により、謎は一気に氷解したのだった。



! 何してるんですか!」
「……はえ?」
「『はえ?』じゃありませんっ! もう! お嫁入り前の女の子が何してるんです!」
 とまあ、今の会話でお判りのように、は、何故か普段とは別室のベッドにて、健やかにお眠りあそばされていた。
 トリスやモーリンたちの寝ていた部屋から、少し離れた場所にこの部屋はある。逆に云うなら、少ししか離れていないということだ。
 つまり、昨夜たしかに向こうの部屋でベッドに入ったはずのが、ここまで移動しているのもあながち納得できないわけではない。
 ない、が――
「……どしたの?」
「どうしたの、は、こっちのセリフですっ!」
 珍しいアメルの怒鳴り声に目を丸くして、はもそもそと手を離し、起き上がる。
 それまで腰にしがみつかれていたルヴァイドが、呆れた顔で自分を見下ろしているのを見て、えへへ、と愛想笑い。
「……僕も、見たときは我が目を疑ったよ……」
 顔を洗いに行く途中、トリスたちの部屋から聞こえる騒ぎを耳にして、の居場所を伝えたイオスが、朝から疲れた顔でそう云った。
 証言によれば、なんでも、夜中近い時間帯、半ば近く寝ぼけたまま、はルヴァイドたちの部屋にやってきたらしい。
 どうしたものかと迷うふたりを尻目に、そのままルヴァイドにしがみついて寝てしまったんだそうだ。
 ……迷う前に、目を覚まさせて部屋に返せよ。
「おはようございます、ルヴァイド様」
「……ああ」
「イオスも、アメルもトリスもミニスもモーリンもレシィもバルレルも、おはよー」
『……おはよう……』
 ところが本人、いったい何が問題なのか、さーっぱり判っていないらしい。
 すた、と手をあげて、元気に朝のご挨拶。

「で、何みんなそんなに騒いでるの?」
『……』

(……最大の敵は父親か)

 一同、それを深く深く心に刻んだ瞬間だった。


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