TOP


第50夜 伍
lll 還ろうよ lll




 繁華街から再開発区までは、ゼラムを真横に横断するような形になる。
 全力疾走したおかげで、ちょっと息をきらしつつ――それでもおそらく自己最高タイムでもって、一行、そこへ辿り着いたのではないだろうか。

「あ、ほらほら。まだいたみたいだよ」

 入り口からは随分と離れているものの、まだ目で確認出来る位置に、遠く見える赤紫の髪。
 それを指差して、トリスが云った。
 妹の横で、マグナが怪訝な顔になる。
「あれ……? あそこにいるの、イオスじゃないか?」
「ホント。なんだ、イオスが先に見つけてたんだ」
 だったら走らなくてもだいじょうぶだったかなあ。
 そう云って、3人で顔を見合わせて、ちょっと笑うのと同時。
 視界の端で、きらりと何かが陽光を反射して輝いた。
 それが、金属の――刃の輝きなのだと気づき、目を丸くしたたちの前で。

 ドス……!

 鈍い音を立てて、イオスがルヴァイドの背目掛けて突き出した槍は、地面へと突き刺さっていたのである。

「――――」

 その光景に、一瞬思考停止。
 した後。
「ちょ、ちょっと!!」
 叫んだそれに、金髪側の背中が少し揺れた。
「イオス!! 何してるの!!」
 その名を叫びながら、は走り出す。
 そりゃあ約束してるけど、なんで今ごろこういうときにそうしようとするかな!
 だけど。
 駆け寄ったを、イオスは、軽く肩に手をおくことで制した。
 仕草はあくまで静かだけれど、その双眸にある感情には、見覚えがあった――イオスが、デグレアに捕えられたとき、まだ、帝国兵として在ったときの。
「……無様ですね、ルヴァイド様」
 そうして、振り返ったルヴァイドに向き直り、彼は云った。
 声に応えて、いや、それとも今ごろ槍の攻撃に反応したのか。じりじりするくらいのゆるやかさで、紫色の髪が翻る。
「……おまえたち……」
 呆然と。
 そんな形容も相応しいルヴァイドの表情は、が初めて見るものだった。
 気が抜けている、と、云うのだろうか。
 自失している、と、云うのだろうか。
 イオスがそう思ったように、も思う。
 覇気が感じられない、今のこの人は――だけど、それほどに。……それほどに重かったのかと、また、思うのも事実だ。
 がそれを痛みに転換したのなら、イオスはそれを怒りに換えただけで。
「今の貴方は、本当に隙だらけだ」
 突き立ったままの槍、その柄を握る手と同じほど、イオスの声には力が――怒りがこもっていた。
「……その気になれば、僕でも殺せる。ましてなら――先日貴方に勝ったなら、そうと感じさせずに出来るのでしょうね……!」
 揶揄なんてものじゃない、ただの罵倒だ。傍らで聞くは、そう感じた。
 普段のルヴァイドなら、けして、そんなこと云われてそのままにはしない。身内には甘い人だけれど、騎士として己の実力を否定され、黙っているような性格じゃないのだ。
 ――なのに、
「……そうだな」彼は頷く。「は強くなった」
 認めないで。頼むから。
 ゆっくりと頷くルヴァイドの頬を、ひっぱたきたい衝動にかられる。
 けれど。今、何より誰よりそうしたいのは、たぶん、を制しているイオスのほうだ。

 だって、イオスは。
 イオスがデグレアに身を置くと決めたのは。

 ――ぎり、と、歯をかみしめる音がした。
「忘れたなどとは云わせないぞ、ルヴァイド……!」
 搾り出されるように、つむがれることば。
 やっと追いついてきたマグナとトリスが、上官を呼び捨てにしているイオスを見て、固まっている。
 だけど是非もない。
 だって、結構、似たり寄ったりな心境なのだから。
 そりゃあ――そりゃあ、あたしたちなんかより、ずっとずっと重くて痛くて、辛くて。
 だけど。
 ……だけどっ!
 そんな、の分までもとばかり――イオスが怒鳴った。

「あのとき、捕虜になった僕に、貴様は云っただろう!」

 このまま死んでいいのかと。
 仲間の仇をとりたくば、生きつづけろと。
 もしもつけいる隙があれば、いつでもその槍で貫けと!

「たしかに」
 だが、ルヴァイドはただ、淡々と首肯するだけ。
「おまえは、その約束の為に俺の部下になったのだからな」

 次々飛び出す爆弾発言に、トリスとマグナが完全に目を回しているのが見えた。……愛嬌のある、いつもの彼らの仕草。ふたりには申し訳ないけれど、不思議と気が落ち着くのを感じる。
 そんな彼らを、こっそりと手招いた。
「あとで話すけど……イオスはね、元々帝国の軍人で……デグレアの敵だったんだ」
 戦いに負けて、捕虜になって、そうして、今の約束をして黒の旅団に入ったの。
 その一言に、ふたりはとうとう目を点にした。
 が、目の前で繰り広げられている上司と部下の修羅場に、横槍を入れるつもりはないのだろう。――そも、入れたりしたら刺されそうだ。
 小さく頷いて、彼らは、たちから少し距離をおく。外周から、見守る方向に決めたらしい。

 そうしてイオスの方は、観客などどうでもいいらしい。がトリスたちとやりとりをしている間も、ただただ視線に敵意と怒りと他ごちゃまぜの感情を乗せて、ルヴァイドを睨みつけていた。
 時間にすればたかだか数秒、でも気が遠くなるほど重い数秒だった。
 ルヴァイドが、ほんのかすかに、怪訝な色を浮かべて口を開く。
「ならば、何故、わざと躱せる突きを繰り出した?」
「そんなことも判らないのか貴方はッ!!」
 『何故』――その時点で、すでに、イオスは吼えていた。
「僕は、そんな貴方を殺すために祖国を裏切ったんじゃない!」
 そんな負け犬のような、気の抜けた人間を目標にしていたわけじゃない!!
 そのまま臨界を超えるかとさえ思われた激昂は、だが、急激に失速する。

「……まして……」
 一転し、搾り出すように、イオスはつづけた。

「まして、形だけ、貴方に仕えてきたわけじゃない……ッ!」

「……っ」

 の肩に置かれたままだったイオスの手に、力がこもる。まるで支えを求めるよう。掴まれた箇所に発生した痛みは、非常に強い。あげそうになったうめき声を、どうにかこうにか堪えた。
 そこからかすかに伝わる、彼の細かな震えを、果たしてルヴァイドは見抜いているのだろうか。
 そのまま、
「……目を覚ましてください」
 俯いて。
 イオスは告げる。
「僕が忠誠を誓ったのは。が慕っていたのは」
 …………
 空白、数秒。
 思うは漆黒の機械兵士。
「……そんな、貴方じゃない」
 大事な子と道を違えてまで、付き従った相手は。
 取り戻すために、命を賭す覚悟で刃を交えた相手は。
 そんな男ではないはずだ。

「僕に殺意を忘れさせるほどに、貴方は立派な騎士だった。それは幻だったのか?」
「……イオス……」
「そうではないだろう!?」
 投げた問いを、イオスはすぐさま否定した。
「僕たちはずっと貴方を見てきた! たかだか5年6年だけれど、貴方と共に戦ってきたんだ!」

 も、イオスも。
 目の前の人から分けてもらって、強く在ろうと礎を築いた。
 この世界で生きていこうと、この国で新しく踏み出そうと。

 ――なのに。何をしているんだ、その貴方は。

 いつまでも喪失の虚脱から抜けられず、そのまま朽ちようとでもいうのか。

 許さない。許せない。
 ただ、自分の目指した人間が弱いままでいるのを許容出来ない、それはエゴかもしれないけれど。
 だけど。
 だけど、ただ、それよりも強く、思ってる。
 無駄になると。
 貴方はそれを受け入れるつもりかもしれなくても、それでは何もかもが無駄になる。

 僕の痛みも、の傷も、喪われた多くの同胞も。何より貴方の慟哭も。

 ――ゼルフィルドの賭した命も。

 だから、叫ばずにはいられない。
「戦ってください! 貴方の本来の姿に戻って下さい!! まだ何も終わっていないんです!」

 不安は、心の端に鈍く響く。
 レイムが最後にに向けていた、ひどく優しい、透明なまなざし。
 思わせぶりな最後のことば。

 ――予想は、不安。

 もう、これ以上、大切な存在を奪われたくなどない。
 それは貴方も同じはずだろう。

 傷口を抉りかねないことばの代わりに、まだ果たしきれぬ誓いを叫ぶ。
「貴方を殺すのは僕だ。だけどまだ、そのときじゃない。今戦う相手は、奴らなんだ!!」

 のためにゼルフィルドのために。
 何より、自分たちが歩んできた、間違った道を見つめなおすために。
 そうして、また歩き出すために。

「戦え! 誇りを見失ったなら、そこでまた、見つければいいだろう……!!」


「――――」

 たたきつけられる強い感情が、意識を揺さぶった。
 霞のように認識していた世界が、急激に輪郭を取り戻し始める。
 充血した目で、尚もこちらを睨みつけているイオス、彼からぶつけられることばと感情の渦。
 そうして。
 じっと、見上げてくるのは、夜色の双眸。
 何も云わずに。その子は、黙ってルヴァイドを見ていた。
 ――そんなふうに。視線だけでなく、手を。いつも差し伸べてくれていたのだと。気づいた――今ごろ。

 ……傍にいた。傍にいる。
 雪降りしきるかの国で、ことばにせずとも確と願って誓った思い。
 なのに――自分たちとその子は、刃を交えた。
 ……傷ついた。傷つけた。

 あの、銀糸の操り手、ただひとりのために。

 非道を行った。
 女も子供も、誰も彼もを斬り、そして焼き捨てた。
 部下たちを救われぬ道に引き込んだ。
 あの銀糸の操り手の思うままに――いや、それは間違いなく自分の犯した罪。
 周りの見えていなかった、盲目的に国を信じるしかしなかった、自分自身が招いた結果。

 ……朽ちても良い、と、思っていたのは本当だった。

「ルヴァイド様!」

 たたきつけられる感情。

「……」

 静かに自分を見る双眸。

 朽ちてしまっても良いと思っていた。
 それで、あの生き残った少年たちの心が安らぐのなら。
 それで、何も声をかけてやれなかった、漆黒の機械兵士と部下たちに、この慙愧の念が届くなら。

 だのに。それでも、まだ、おまえたちは――


 きゅ、と、肩を握るイオスの手に、自分のそれを添えた。
 いつの間にか濡れていた赤い瞳が、少し驚いたように自分を見るのを、ちらりと視界に入る。
 それを一瞥し、真っ直ぐに目を向けた先には、沈黙を保っている赤紫の髪の男性。その双眸に渦巻く感情に、……なんというか。とどめを刺された。
 ああ――もう。
 すいません。
 頑張ったんだけど、限界です。
 女と子供の涙は最強武器なの判ってるんです。ちょっと卑怯なのも知ってます。

 だけどごめんなさい。
 ……限界。

 ぽろ、と、水滴が頬を伝った。
 ぬぐう間も惜しく――手を伸ばした。

「……還りましょう」

 もう、あの頃には帰れない。
 もう、ゼルフィルドもいない。
 貴方が仕えていた国もない。
 貴方に仕えてくれていた兵士たちもいない。
 だけど。
 まだ、あたしたちはここにいます。
 貴方もここにいるんです。

 ……本当に、自分勝手な、願いだけれど、

 もうこれ以上、喪わせないで。お願いだから。
 全力で、叶えてみせる。頑張るから――お願いだから。

 もう、これからは。


 ――ぽん、

 と。頭に置かれたおっきな手のひらの感覚に、
「……」
 一瞬、知覚が追いつかなかった。
 続いて、その人の腕が自分を抱きしめてくれたときにも、
「……」
 まだ、ぽかんとしていた。

 だけど最後に。
。イオス」
 耳元でその人の声が聞こえたとき、やっと、感覚が戻ってきた。

 後戻り出来ぬ者の声。
「俺の行ってきた非道は、けっして償えぬ」
 否。
 後戻りなどせぬ者の声。
 それは、
「いかなることをしても、俺が生きる限り、それが消えることはあるまい」
 それは――強い声だった。
「それを認めよう」
 この手が血に染まっていることも、犯してきた過ちの深さも。
 過去は取り返せない。
 歩んだ道は戻れない。
 けれど。
「俺は戦おう」
 散らせた命の重みを持ち、喪った者たちの思いを抱え。そうして初めて、犯した罪を越えられる。
 そして――また、歩き出すことが出来たなら。

「それが、俺の償いの形だ――」

 そう結んで、ルヴァイドは、苦笑したようだった。
「……よく、思い出させてくれた」
 軍人ならば。
 武器持ち、力を率い、戦いの道に身を投じるなら。
 ひとならば。
 何かを食べ、そのために命を奪い、そうして生を紡ぐなら。

「――俺たちは、そうして生きていくものだと」


 今、思い出す。今なら、思い出せる。
 黙して去った漆黒の背中、その云わんとしたところ。
 笑って滅した数多の部下、彼らの叫んだ最後の咆哮。

  まえへ
  さきへ

  笑っていて

  ――持っていけ!

 託されたのだ。
 彼らの思いを、そしてここに残った自分たちの命を。
 血に塗れたこの両手に、彼らは、彼らのありったけを、託して先を望んだのだ――

「進むぞ。。イオス」

 確、ルヴァイドは告げる。
 いつしか呆然としている赤い双眸と、今にも堰をきって溢れそうな涙をたたえる夜色の双眸に。
「黒の旅団の誇りにかけて」
 赤紫の双眸は、
「預かったこの命、限りに力尽きるまで、先へ」
 確。
 強く。

 ――誓った。


 その瞬間、悟った。

「――……っ……」

 戻ってきたと。
 還ってきてくれたと。
 大好きな手のひら。あたたかい腕の中。
「ルヴァイドさま……!!」
 どれだけの間、この手の持ち主から離れていたんだろう。
 もう随分と長い間。それとも全然短い時間?
 躊躇も逡巡も、戸惑いも。間になにものも挟むことなく、抱きついた。
 ざしゃ、と、背後で膝をつく音。
 を抱いたまま、ルヴァイドは片手を開けて、力の抜けたイオスの肩に手を添える。

「――ルヴァイド様……」
「……すまなかったな、イオス」
「―――そ、……そのような……こと……!」
。先日の傷はひどくしていないか」
「……だいじょぶですっ……!」


 そのまま泣き崩れたイオスと。それを気遣うルヴァイド。
 少し離れた場所からそれを見て、トリスとマグナは、顔を見合わせる。
 だいじょうぶだな。
 だいじょうぶだね。
 もう、敵じゃないよ。
 もう、傷つけあわなくていいんだよ。

 ……頑張ったね。

「……良かったね」
「ああ」

 ――やっと、また、君たちは、君たちに逢えたね――


←第50夜 四  - TOP -  第50夜 六→