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第50夜 四
lll 捜索開始 lll




 とりあえず、あとで何度か思い返してみたけれど、やっぱりここで二手に分かれたのが、痛恨の一撃だったのかもしれない。
 ただ単にそのときは、そうした方が早く目的の人が見つかるからだと判断したからだったんだけど。


 高級住宅街を抜けたところで、イオスとは、それぞれの方向に分かれて歩き出した。
 小走りに去っていくの背中を見送って、イオスも踵を返す。
 照りつける太陽が、足元に濃い影を作っていた。
 風が、道の端々に植えられた木々の葉を揺らし、ささやかな音楽を心地好さげに奏でていく。
 足音軽やかにすぐ傍を走り抜けていく、おそらく王都の住民だろう子供たち。
 ――まるで何年も、そんな光景から遠ざかっていたような気がする。
「……」
 昔は自分たちも、こんなふうに過ごした時があったのだ。
 極寒の地であるデグレアにさえ、太陽が顔を見せる日はそれなりにあった。
 時間があればの話だったけれど、そんなときは決まって、ゼルフィルドが日光浴をしている傍で訓練をしたりもしていた。

 ……続いて浮かんだのは、霞がかった記憶。
 心が傷つかないための自衛だろうか。ぼんやりとした光景。
 ――爆風に乗って落ちてきた、漆黒のいくつもの欠片。

「……ゼルフィルド……」

 漆黒の機械兵士。砕けた欠片。
 遠ざかる、幾つもの幾つもの、黒い鎧。兜をとっても、そこには、見慣れた笑顔を見ることが出来ない。
 彼は。彼らは。もう――いない。
 デグレアという国は壊された。
 ――もう、自分に帰る場所はないのだ。
 帝国に戻るつもりはなく、だが、デグレアも、すでにその姿を保ってはいない。

 ――帰る場所は、もう、ない。

 なのにどうして、自分はここにこうして生きているのだろう?

 あの子は云った。
  還るためです
 強く。
  還ってきてもらうためです
 決めたのだと、意志強く――全身で。全霊で。

  欲しい明日に辿り着くため

  あたしは絶対に、みんなで幸せになるって決めた!

 ……叫んでた。
 はっきりとしているのは、そのことば。
 ルヴァイドと戦う前に、がつむいだことば。
 剣と槍を交えながら、強く宣言された譲れぬ願い。
 ――さっき、に云ったとおりだった。
 あの子に逢ったら、それまで、目覚めてはいてもどこか呆けていた自分の心が、急にはっきりしたのだ。
 ……思い出す。
 昔も今も、はっきりと覚えているの表情。

 そう。
 昔も今も。
 あの子が、自分たちを動かした。

 それは操られているとかいう不快な感情ではなく、ただ心地好い発見。
 ……ただ、それだけが、今の自分を支えている自覚。
 優しくしあわせな心地だけれど、少しばかり、不甲斐ない。
「今までの分、返さないとな……」
 そのためにも、早く、確りしてやらなければいけないと思う。出来ればもう少し、このままでいたい気もするけれど。
 イオスだけでなく、ルヴァイドも。

 ――あの子が最後まで手を伸ばしつづけてくれていたから、自分たちは、こうしてここに生きているのだ――


 ……だから、その後ろ姿を見つけたとき。
 覚えたのは、心底の、本気の、まったき嫌悪。


 ……考え事をしているうちに、イオスは、再開発区と呼ばれるあたりの奥に入り込んでしまったらしかった。
 さっきまであれだけ耳を打っていた喧騒も賑やかしさも、時折かすかに聞こえるばかり。
 果たして、こんなところにあの人はいるのだろうかと思いながら、自分が少し静かな場所に行きたいという気持ちも、ちょうど生まれたところだった。これまで行き交った人の多さに、少し辟易していたらしい。
 だから、とりあえず、もう少しだけ進んでみようかと思った。

 ――そして、彼の赤い眼は、その背中をとらえたのだ。

「……」

 その後ろ姿は、見覚えていたものよりも随分と小さく感じられた。
 何を見ているのだろう、こちらに背を向けたその人の視線の先は、イオスには判らない。
 風に吹かれる赤紫の髪と、黒の上下と。腰に佩いた大剣と。
 間違いもなくその人のはずなのに、まるで別人のようだった。
 見知っていた、覇気も。
 羨望していた、剛さも。
 どこかへ置き忘れてきてしまったかのように、ただ、その人は立っている。――立っているだけ。
 歩き方も、戦い方さえも、忘れたように。
 消しているわけでもないイオスの気配にさえ、本気で気づいていないのだろうか。
 ただ、何もない前方を、その背中は、微動だにせずに眺めているばかり。

 ……なにを、
 つむごうとして――声は出なかった。衝撃のせいだ。

 ……何をしている。貴方は。

 呆然とする時間が過ぎた後、沸々と沸き起こったのは、怒りのような感情だった。いや、もっともっと、それは強く奥深い。

 ……何をしている。貴様は。

 ゼルフィルドが命を賭したのは。
 が血を流して戦ったのは。
 そんな姿を、見せ付けられるためではない。
 戦士でもない騎士でもない、そんな力ない背中を、見せられるためではない。
 ――それは、忘れかけていた感情。
 嫌悪と同時に沸き起こった、いや思い出したのは、意識の隅で眠っていたはずの憎悪。それを覆させた源が、源たりえなくなったのだから……噴出してくるのは、理の当然。

 僕が忠誠を誓ったのは。
 が慕っていたのは。
 ゼルフィルドが、命を賭けるだけの価値を見出したのは。

 ……貴様などでは、ないはずだろう……!

 携えていた槍を力込めて握り、イオスは、固まっていた足を、一歩、その背へ向けて踏み出した。



 繁華街、ボツ。高級住宅街、ボツ。王城前――
「あ、フォルテ! シャムロックさん!」
「よぉ、
さん、こんにちは」
 すちゃっと手を上げてフォルテ、ぺこりと頭を下げてシャムロック。
「ふたりで散歩?」
「んー? いやあ、ちょっとな」
 見かけたのも何かの縁だ。
 足を速めて近寄って、は彼らの隣に並んだ。
 ふたりが見ていたのは、なんとなれば当の王城らしい。――ざわざわとした熱気があふれている。それは、戦争前特有の空気。
 ……それを知っている。少し懐かしいとも思う。
 彼らと並び、しばしその空気を堪能したあと、は「そういえば」と口にした。
「シャムロックさんて、騎士なんですし、聖王家の騎士団に加わったりとかしないんですか?」
 トライドラは聖王家の盾。
 当然、聖王家に縁のある騎士団だった。
 ならば、その騎士団が崩されたあと、生き残った騎士はどうするかというと――当然、大元である聖王家の騎士団に加わるという選択もあるわけだ。
 デグレアの軍でも何度か、解体した軍隊をまだ無事な軍に取り込んで増強するコトがあったのを、は覚えている。
 けれど、その問いに、シャムロックは小さく笑ってかぶりを振った。
「いいんですよ。騎士団には騎士団ごとのしきたりがあります。部外者である私が加わっても、その和を乱すだけでしょう」
「……まあ、それは――たしかに」
 間を置きはしたものの、反論することもなく、は頷く。
 新しく入った兵と古くからいた兵が馴染むには、それなりの時間を要するのだ。
 そして戦いがすぐそこに迫っている今、そんな時間と手間をかけている暇はないのだろう。
 でも。たしかに、それは正論だが、騎士である彼にとっては、少々勿体無くないだろうか。
 こんなバラエティご一行の面倒見るのなんかほっぽりだして、こういう大きな戦で手柄を立てておけば、騎士団再建のときに、援助とか受けられるかもしれないのに。
「いや、心配すんなって、
 ぽんぽん、と、フォルテがの頭をたたく。
「こいつはな、おまえと一緒に戦いたいんだとさ」
「フォルテ様! 何をいきなり!!」
「いいじゃねーか間違ってねーんだろー? なんたってこの間――」
「フォルテ様ッ!!」
 途端に真っ赤になって、シャムロックはフォルテに食ってかかった。
 が、満面の笑顔になったを見て、今にも取っ組み合おうとしていた同門の徒は、目を丸くして動きを止めたのである。
「うん。頑張りましょう!」
 止まったままのふたりの手をとって、はそれをぶんぶん上下に振り回す。
 え、とか、あ、とか意味不明のことを云いつつされるがままになっていたふたりだったが、フォルテがはっと我に返る。
「おい、おい。、おまえ今の――」
「え、だからみんなで一緒に頑張ろう、って」
 今までも一緒に来たもんね。
 最後まで頑張ろうね。
 そう云って、そりゃあ晴れやかに笑うを見て。
 シャムロックは握られたままの手を振り解けず硬直し、フォルテはなんとも云えない微妙な笑顔になったものだった。
 それでも尚、フォルテの方は何か云おうと口を開きかけたけれど、
「あー! いたー!!」
 どうやらを捜していたらしいトリスとマグナが、殆どタックルのようにして捜し人を奪い去ったせいで、それもかなわなかったのだった。


 唐突にふたりもの人間に飛びつかれ、不意をつかれた形になったは、当然地面にへたりこんだ。
「ななななな、なに?」
 すでに随分と馴染んでしまった兄妹の腕の感覚を、気持ちいいなとも思いながら、それでも、やるべきことは忘れない。何をそんなにばたばたしてるんだろうと、疑問を解消するべく声をかけた。
 ……少しどもったけど。
 そうして、自分たちのタックルで地べたに座り込ませたことにバツの悪い顔をしながら、ふたりがから手を放す。
「えーとね……」
 トリスがそう云いかけ、座り込んだままそれを聞こうとしたを、シャムロックが抱えるようにして立たせてくれた。
「土、ついてますよ」
 云いつつ、自分の手が汚れるのもかまわず、身体をはたいてまでくれる。
 ありがとうございますと一礼し、はトリスたちに向き直る。
「で、えっと?」
「あ! そうそう! 、ルヴァイドに逢った?」
「ルヴァイド様?」
 逢ってない、っていうか、今正に捜してる途中なんだけど。
 答えると、再び、マグナとトリスが、の腕をひっつかむ。
「な、なに!?」
 今度こそなんだ、唐突に。
 目を丸くしたに、ふたりは、半ば叱り付けるようにこう叫んだ。
、全然捜す方向が違うー!」
「さっき、再開発区にいたから! ほら早く、行こう!」
 ――なんですと!
「行く!!」
 渡りに船とばかりにふたりに並んで、も走り出した。
 ――際に、一度振り返る。呆気にとられているフォルテとシャムロックへ、目礼だけはしっかりと。退去の挨拶、忘れずに。


 そうして。
 やってきた嵐に風のように連れてかれたを、ふたりはしばらくことばもなく見送っていた。
 どれほどそうしているかと思われた矢先、ふと。
 フォルテが、にんやりと笑ってシャムロックを振り返る。
「シャムロックちゃーん」
「な……なんですか」
 その笑顔に危険を感じ、ずずずと数歩下がるトライドラの騎士。
「さわり心地はどうだったよ?」
「……は……?」
「とぼけんなよ、さっきはたいたときに〜」
 お年頃の女の子の手触りは、
「いかほどデシタ?」
「…………!!!!!」
「だっははははははははははは!! わっかりやすいなオマエは――!!」
 どふっ、と擬音つきで本日最高に顔に血を上らせた後輩を見て、先輩ことフォルテは爆発するように笑い出したのだった。おまえそんなんで、あいつに逢ったときちゃんと会話出来るのか、とかなんとか、その笑い声には混じっていたようだった。が、それを聞き取れる人間が、果たしていたものかどうか、怪しい。
 ともあれ、フォルテはひたっすらに笑い転げていた。
「フォルテ様! あ、あなたという人は――――!!」
 激昂したシャムロックに、数秒後斬りかかられるとはつゆ知らず。……いや、予想はしてたかもしれない。



「……何してるのよ。フォルテはともかくシャムロックまで……」

 しばらく後、王城前から少し離れた、人どおりの少ない一角で倒れこんでいるふたりを見て、ケイナは呆れ返ったため息をこぼしたのであった。
「ふっ……漢(オトコ)として、後輩の遅い春の訪れを祝ってやってたのさ」
 へばっていたはずのシャムロックが、聞き捨てならないとばかりに、素晴らしい勢いで身を起こした。
「何を、フォルテさ―――」
 が。
 反論しようと開きかけた口は、そのままぽかんと開けられたままになったのである。
「バカなコト云ってないの!!」
「ほぶォッ!!」
 久々に炸裂したケイナの裏拳(しかも仰向けになっている腹に、上方から勢いをつけての一撃である)に、呆気にとられたせいだった。
 彼は、撃沈したフォルテを見、まったく……とこぼしつつ手を振っているケイナを見。
 もしも将来、祝いを持っていくなら、キッカの実一箱とかどうだろう、とか。
 ことここに至って考えたあたり、シャムロックもなかなか染まってきたということなのかもしれなかった。


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