……さて、はて。ここは思案のしどころだ。
どっちに行こうかどちらに行こうか。
右に進めばイオスの部屋、左に進めばルヴァイドの部屋。
そんな廊下の分かれ道にて、は数分の間、そこに立ち止まっていた。
ルヴァイドたちの身柄に関しては、結局、ギブソンたちによる預かりのまま。且つ、ある程度までなら行動も自由にしてくれてよし。
この戦いが終わるまでは、単独で王都を出てはならないという条件つきだが、それなら別に問題もあるまい。
もっとも、マグナたちの勅命任務終了後は、改めて、蒼の派閥なり聖王家なりの裁量を待つことになるだろうが。
以上のことを伝えるべく、ここまでやってきたのはいいけれど――
「どーちーらーにーしーよーぉーかーなー」
別室にいる彼ら、先にどちらから当たろうかと、迷うこと、かれこれ二桁分に達しかねない気もしはじめたとき、
「あ、さん」
たたたっ、と、軽い足音と共に呼びかけられる。
「ボク、今そこでルヴァイドさんに逢いましたから、さっきの件ついでにお話しておきましたー」
なんか黙って頷いて、外に向かってたみたいですよー。
たたたっ、と、洗濯物が大量に入ったカゴかかえて、レシィはそのまま走っていった。
「……」
……転ぶなよー
と、どういった表情と返事をしていいのか判らなくなったは、途方に暮れてみたりしつつ、遠ざかる緑色に手を振った。……お仕事とられて、ちょっと悔しい、というか、なんというか。
この数分が、空しい。
――でも、と、気を取り直す。
そうか。
自分から部屋を出るくらい、とりあえずは回復してるのか。
それじゃあ、まあ。
分かれ道の真ん中で止まっていた足を、くるりと90度方向転換。
目的地決定。
目指すは右手に見えますイオスさんのお部屋でござい。
意外にも、イオスは結構平生にしていた。
見た目が細いし色白だから、繊細なイメージがつきまとうらしいけれど、の視点からすれば、彼は結構図太い神経持ってると思う。実際、あんた神経ナイロンザイルだろ、と、前に何度か思ったことさえある。第三者からすれば、人のコト云えるのか状態だが。
逆に。
どちらかというと、一見豪胆そうなルヴァイドの方が、心配要素はあったりするのだ。
これと決めたら一直線に突き進む分、道が崩れたときに急停止出来ない感が強いし。
特に今回、身内と殺し合いはするは祖国は悪魔に奪われたはゼルフィルドとは今生の別れになるは……
――さっきの分かれ道にしたって、普段なら一直線ルヴァイドのところに走ること大決定だったが迷ってしまったのは、そんな彼と、どう顔を合わせていいのか図りかねてしまったせいもあったのである。
だもので、とりあえず在宅のイオスから先に事情説明して、その後探しに行く予定。その間に、どうにか心の準備を整えよう。
諸々、重いながらノックして、
「……誰だ?」
「あたしー」
誰何に答え、部屋に入る。
ベッドに座っていたイオスが、顔だけを戸口に向けていた。
背にした窓から入る陽光が、色素の薄い金の髪をきらきら、縁取っている。雪降る日の多かったデグレアでは、あまり見られなかった光景だ。
そうして、赤い双眸がを見、うっすら細められた。
「――」
優しく、やわらかく。それは呼びかける声。
「イオス」
応えて、は彼のすぐ目の前にまで、足を進めた。
……どれくらいぶりだろう、間に刃を挟まずに向かい合うのは。
惑いも敵意もない笑顔を、こうして静かに向けられるのは。
数ヶ月前の当たり前が、今はひどく嬉しい。
誘うように伸ばされた手を、両手で包み込む。……あたたかい。生きてる。
「くすぐったいよ、」
「……えへへ」
小さな子供に戻ったみたいだと思いながら、手を包み込んだそのままで、床に座り込んでイオスを見上げた。
イオスが苦笑して、空いた片手を伸ばし、の髪を軽く梳く。
「まさか、人生で2回も捕虜になることがあるとはね」
そのことばで思い出すのは、5年ほど前。帝国軍とデグレア軍の戦い。
あの戦いで、たった一人生き残ったイオスが、デグレアに身を寄せるまでのいざこざを、ふと思い出す。
思い返して――にへ、と笑ってみせた。
「イオスも大人になったよねー」
「……どういう意味だ」
「だって」くふふ、と、笑みこぼれる。「あのとき、11歳そこらの小娘に癇癪起こして怒鳴りつけてた人は誰かなー」
「……」
はいはい。と。赤い双眸、苦笑い。
「僕が悪かったよ」
5年も経てば、人間いろいろと変わるさ。そうごちて、イオスは笑う。
以前と違う陰が仄見えるのは、やはり国のことや、ゼルフィルドを目の前で失ってしまったこともあるんだろう。
それに、イオスは、捕虜が2回目だと云ったけれど、もうひとつ。――属していた軍を壊滅させられるのも、2回目ということになるのだ。このトラウマは、軽く推し測れるものようなものではないはずだった。
「……」
そんなふうに思ったのが、顔に出ていたのか。
つとを見下ろしたイオスが、ふ、と、小さく微笑んだ。
「僕ならだいじょうぶだよ、」
「……」
「第一、それは君も一緒だろ?」
「……」
そう。それは、自分も一緒。回数こそ軽いけど。
けれどこれは、ルヴァイドがきっと、一番辛いのだ。
もイオスも、生粋の、デグレアの民ではない。
ルヴァイドはそんなことでふたりをどうこうはしなかったけれど、今回の件に関してだけは、彼がきっと、一番大きな傷を負った。
だから、
「――うん」
頷くか否定するか。迷いはしたが、は、大きく頷いた。
だから、うん。自分たちがへこんでるわけにいかないのだと。
安堵だろうか、小さく息をついて、イオスが表情を改めた。
「……それで。僕たちの処遇は、決まったのかい?」
あれ? と、最初にそれに気づいたのはトリスだった。
蒼の派閥に行くためではなく、久々に、兄妹で散歩に出かけた先でのこと。
賑やかな場所はなんとなく避けて歩いていたら辿り着いた、再開発区の一角で、彼女はその人影を見つけていた。
「……ルヴァイド?」
額の上に手をかざし、マグナが妹の指差した方を見て、つぶやく。
少し離れた場所にある、彼らに背を向ける形の人影ひとつ。
放り出された鉄材や工事道具のひとつに身体を預けている、黒い上下をまとった男性の姿。
遠目にも判る鍛えられた体躯に、肩より長い赤紫の髪。
それから、腰に佩いた大剣。
ここまで特徴を兼ね備えていて、それでなお別人だったりしたら、それこそお笑い種である。
と、注視していたふたりの視線に気づいたのだろう。ルヴァイドが、ゆっくりと後方――マグナとトリスのほうを振り返る。
「……おまえたちか」
立ち去ることもせず、近づいてきたふたりを見て、ルヴァイドが云う。
「何をしてるの?」
「……」返事までに数秒。間が空いた。「特にはな……」
見上げたトリスの問いには、ただそれだけを返し、あとは沈黙でもって迎えられる。
「……」
口数少なな返答に、トリスもマグナも、自然、口が重くなる。
拒絶はされていないと思うが、人気のないこの区域、ここに漂う静寂は、なんとなしに微妙な居心地で――
「……あ」
ぽん、と、手を打ったトリスを、今度は幾分怪訝な表情になり、ルヴァイドが見下ろした。
「お礼」
「……礼?」
「お礼を云おうと思ってたの。貴方に」
「あ、そうそう!」
トリスのことばの先を察して、マグナも、軽く手を打ち合わせた。
それは、今朝方。が来る前に、ミニスから聞いた話だった。
そのミニスも、ケルマとファミィから聞いたと云っていたけれど、粗方は間違いないだろうと。
「メルギトスがファミィさんを殺そうとしたとき、おまえがそれを止めてくれたんだってな」
「だから、ありがとう」
もしもあの人が止めてくれなかったら、きっと殺されていた――ケルマもファミィもそう云っていたという。
そうして、ふたりのことばに、ルヴァイドは一瞬表情を歪めた。
苦痛のような、それとも――
ただ、ことばに出したのは、まったく趣を異にするものだった。
「感謝する必要などない。俺はただ、本来の命令どおり、あの女を護送しようとしただけだ」
表情を消して告げるルヴァイドに、だが、トリスとマグナは先ほどまでの重い雰囲気も忘れ、自然と笑みをつくって云っていた。
「それでも、結果的にはそれでファミィさんが助かったんだもん」
「そ。理由はいいんだ、ただルヴァイドの行動のおかげでミニスが苦しまずに済んだことに、感謝したいんだよ。俺たち」
自分たちは、親を知らない。
だけど、ラウル師範やネスティがそんなことになったら、きっと、自責がいつまでもつきまとう。
そんな感情、まだ幼いミニスが味わうなんてこと、あってほしくないのだ。
「あ」、
説明不足発見。
「ミニスっていうのは、ファミィさんの娘だよ。ワイバーンに乗って、来ただろ?」
「……そうだったか」
火球を勢いよくぶち込まれたことを思い出したか、それとも別の感情からか、ルヴァイドの表情がやわらいだ。
「……無事に再会出来たなら、それでいい」
それは、小さな小さなつぶやき。
おそらく自覚なしに、口からこぼれたのだろう。
だけどそれはしっかりと、トリスとマグナの耳まで届いていた。
「ルヴァイド……」
「用はそれだけだな?」
けれど、ことばをつむぐより先に、ルヴァイドがそう云ったせいで、ふたりは口をつぐまざるを得なかった。
そう大きな声ではなかったはずなのに、どこか、有無を云わせぬものがあったから。
「え? あ……」
「ならば、これでもう気もすんだろう」
「あっ、ちょ――……」
引きとめようと伸ばした手も、かけた声も、一瞬遅かった。
そのどちらも視界の端にちらりとおさめただけでルヴァイドは踵を返し、開発区の奥に向かって歩き出したのである。
「……」
行き場のなくなった手のひらを、わきわきさせる兄を見た。
「……」
かける相手を失った声を、呼吸に代えて吐き出した妹を見た。
判ってるのか、判ってないのか、判らないふりをしてるのか。
ふたり、思うことはいっしょ。
あのさ、ルヴァイド。
おまえまだ、に逢ってないでしょ。
今度はおまえが、と再会してあげなきゃいけないの、判ってる?
敵将じゃなくて、排除すべき相手じゃなくて。
ルヴァイドが、と逢わなくちゃいけないのに。
なんでおまえ、こんなところにいるんだよ。
――まるで、逃げてるみたいじゃない。
どうやらイオスは、最悪の想定をしていたらしかった。
軍人としては正しいかもしれないけれど、兄さんもう少し状況を読め――というのは、無理な相談だったろうか。
身柄預りだの条件だのあるものの、殆ど無罪放免に近い形になったことに驚きを全面に押し出したイオスは、美人という評価を払拭するくらいかわいらしい。
いや、どっちも二十歳の男性にしては不名誉な誉めことばかもしれない。まあ云わなきゃいいのである。云わなきゃ。
だものでは表面上てきぱきと、伝達事項をつづけていった。
「結局のとこ、今回の件が終わったら、ちゃんとお裁き待ちだけど、それまでは、比較的自由に動いていいんだって」
「……甘すぎやしないか、それは……」
「うーん、あたしもちょっとそう思う」
何せ最低、生きていてくれさえすればいいと思っていた。
牢に放り込まれたらなんとかして逢いにいけばいいし、島流しになったらこの件終わらせてから追っかける覚悟も実はしていた。
だけど現実は、こういう結果になった。
それを嬉しくないなんて云ってしまえば、嘘になる。それどころか、自分で自分に罰当てちゃうよ。
だから、今は素直に喜んでおこう。
そう云ったら、イオスはやっぱり苦笑した。
「ルヴァイド様には話したのか?」
「――あ、ううん」
なんかレシィが話したらしくて、そのあと外に行ったらしいんだけど。
「だから、今から捜しに行こうと思って」
へへ、と。
照れ隠しめいた感じに笑うを見て、イオスは何を思ったのだろう。含むところありげな目を向け、けれど、何も問わずに立ち上がる。
「そうか。なら、僕も手伝おう」
に遅れること一拍、
「なに?」
完全に身を起こしたイオスは、だが、すぐには動かなかった。
どうしたんだろうと見上げるをじっと見下ろし、
「――――」
……小さく、笑った。
「我ながら現金だ」
くしゃり、と、焦げ茶の髪に指を梳き入れ、軽く乱してしあわせそうに、
「君に逢ったら、なんだか外が恋しくなったよ」
そう云うイオスを見て、も笑った。
「……何それ。ほんとに現金」
ていうか、あたしを何だと思ってるのよ。野生児?
軽口めいて問うたら、春早い、ゆるやかな太陽のような金色の髪揺らして、イオスもまた、深く、深く破顔した。
「お日様、かな」
「…………」
せめて茶化してくれればいいものを、至極真摯に云うものだから、はツッコミ不発のまま、絶句してしまったのである。
まあ、やっと回復してきた相手に、過激なリアクションは控えねばと思ったのも、また事実ではあったが。
でも。そんなこと云って笑う気持ち、それは、たぶん。いや、きっと。
歩き出せる意志を持てた証明。――だよね。