カカカッ、と、笑う声。
「おやおや……が、泣いておるぞ?」
「しょうがないじゃなーい。だってちゃんはニンゲンの仲間だもんね?」
キャハハハッ、と、甲高い声。
「解放すれば、このような事態は避けられたかも知れませんなあ……」
ククク、と、含み笑う声。
「およしなさい、3人とも。……まだ、彼女を壊してはなりませんよ?」
泣いている顔もべりーびゅーちほーじゃないですか!!
ドコかでカメラの回る幻聴が聞こえた気がする。(実は幻聴じゃなかったりする)
――そうか。
ふと思った。
変わってないのか。彼らも。
この現実にはおおよそ似つかわしくない、他愛のない会話を聞こえるまま耳にして、思った。
彼らはなんら、変わってはいない。変わったはずがない。
彼らは彼らだ。
その本質をオブラートに包んでいただけで、まったく変わっていないんだ。
……変な盗撮癖とかも変わってないんスねレイムさん。
私の生きがいでしたからッ!
捨てろ。ンな生きがい。
過去の既視感を思わせる会話に、白く霞がかっていた視界が、急激にピントを絞った。
そうして、の目に映ったのは、その本性とも云える姿を明らかにした、3人の悪魔たち。
「あっ……悪魔……っ!?」
先日館に行った数名はともかく、他は全員、初めて目にするその異形に、動きを凍りつかせている。
その様子をしごく楽しそうに見ながら、レイムは宣言した。
「もう、お芝居はここで終わりにしましょう」
どうですか? 初めて目にする悪魔の姿は。
楽しそうな、どこか無邪気な子供めいたその表情が、ルヴァイドを目にして、つと、歪んだ嗤いを浮かべる。
立ち上がり、大剣を握りしめた、黒の旅団の総指揮官――部下の殆どを、鬼と化されてしまった彼を見る、その視線は愉悦と揶揄。
そんなまなざしに気づいてさえいないのか、問われたルヴァイドは、腹の底を絞り上げるような声を、出していた。
「……それが……どうした……っ」
ついさっきまで、力なく膝をついていたとは思えないほどの勢いで、ルヴァイドが地を蹴る。
「悪魔であろうとなんであろうと! 俺は絶対に、貴様らを許すものか――!!」
「ルヴァイドさんっ!?」
アメルの叫びも、止めようと伸ばしたの腕も間に合わず。
たかだか一瞬の間もあるかないか。
ルヴァイドがレイムに肉迫する!
けれど。
「ニンゲンごときが……小賢しいッ!!」
ほとばしる、黒い光。
いつか、がビーニャに見た黒い魔力。けれど、その威力はビーニャの比ではない。
「ぐは……っ!?」
「将!」
弾き飛ばされ、あわや地面に激突かと思われたルヴァイドを、けれど回り込んだゼルフィルドが支えた。
そのまま、余波を受けて地に倒れこみかけたたちの場所まで、地面を削って押し戻されてくる。
「ルヴァイド様っ!」
「しっかりしてくださいっ!? ルヴァイド様っ!!」
「どいて!」
駆け寄ろうとしたとイオスを押しのけて、アメルがルヴァイドの身体に手のひらを押し当てる。
「……アメル……!」
光が、アメルの手のひらからこぼれた。
レイムのものとは対極の、暖かなひかり。
――癒しの力。これなら。
礼を云おうとして、は、ことばを飲み込んだ。
「死なないで……!」
アメルは泣いていた。ぽろぽろと涙を流しながら、彼女はルヴァイドに語りかける。
「このまま、死んでしまったら……が……貴方たちがかわいそうすぎますっ!!」
なんのために、が、ここまで自分の身を削るような戦いをしたのか。
これまでの逡巡も惑いも、貴方とがそれぞれ歩いてきた道も、積み重ねてきたものも。
――すべてが水泡に帰してしまう。
「死んではだめ……絶対に……!」
貴方のためにも、のためにも。どうか、どうか生き延びて……!
……固い、ひんやりとしたものが、の頬に触れた。
いつの間にか頬を濡らしていたものを、それは、ゆっくりとすくいとる。
「……ゼルフィルド……?」
馴染んだ手。大好きな手。
いつか夢に見た、想い出のなか、そのままの手のひらだった。
慰めてくれてる。
自分が泣くと、いつも、そんなふうに。
今みたいに涙ぬぐってくれたり、泣き止むまで黙って傍にいてくれたり。……大切な家族。
思わず、すがりついてしまいたくなったけれど、それより先に、ぽん、ぽん、と。ゆっくりとしたリズムで、数度、頭をやわらかく叩かれた。
「ゼルフィルド」
「……」
ありがとう、と、つづけたかったのことばを遮り、ゼルフィルドが静かにの名を呼んだ。
「……なに?」
首を傾げる。さらり、髪が金属の手のひらを零れていった。
「オマエガでぐれあニ来テ」、その流れを惜しむように、ゼルフィルドの指が、軽く曲げられた。「我ハ、オマエト逢エタ」
「ゼルフィルド」
「……シアワセヲ知ッタ」
6年間ハ、機械兵士デシカナイ自分ニトッテ、カケガエノナイモノダト云ウコトガ出来ル――
「……何。何云ってるの? いきなり――」
不意に、寒気にも似た予感が、の全身を震わせる。
軽く身じろいだの頭をもう一度だけ叩いて、ゼルフィルドは、地面につけていた膝を離した。立ち上がり、歩き出す。
――レイムの立つ場所に向かって。
「ゼルフィルド! 待って!」
「ゼルフィルド……!?」
の声に振り返ったイオスが、正に自分の横を通り過ぎようとしていたゼルフィルドの名を呼ばわった。
だが、黒い機械兵士の歩みは止まらない。振り返りもしない。
ただ前を見つめたまま、
「いおす。将ヲ頼ム」
「何を――」
まるで、
「ノ仲間タチ……後ハ任セタ……」
「ゼルフィルド! 馬鹿なことを云ってないで、こっちに戻れ!」
これが最後なのだとでも云いたげに。
「待ってってば、ゼルフィルド!」
呼びかけに込められた制止の意に、気づかないわけではないだろうに――あえて、無視しているのか。
ルヴァイドの次に命令権を持つ、やイオスのことばなのに。
ずっとずっと共にいた、家族へ。それ以上行かないでと叫んでるのに。
どうして。あなたに届かない。
どうして、
「――本機ハコレヨリ、自爆ぷろぐらむヲ発動スル!!」
「ゼルフィルド!!」
ルヴァイドの声が、響く一瞬前――その刹那。
ガチ、と。
リミッターの外れる音が、たちの耳を打った。
「クタバリヤガレ! 悪魔ドモォォォッ!!」
響き渡る咆哮。
走る閃光。
そうして。震動と爆音が本格的に迫り来る刹那。声が聞こえた。
我ガ将ヨ、オ別レデス
「ゼルフィルド!」
――貴方ト共ニ戦エテヨカッタ
降って来たことばの意味なんか、悠長に考えてられなかった。
「――ゼルフィルド―――!!」
振り切り、駆け出そうとしたの身体を、ロッカが乱暴に引っ張って、大地に押しつけた。
ルヴァイドはフォルテとシャムロックが、イオスはマグナとトリスが、ふたりがかりでそれぞれ押さえつけているのが、視界の端に映る。
それでもなお、重石を弾き飛ばそうと、は足掻く。彼らも足掻く。
だが、今度は、反対側からリューグがを押さえつけ――直後。
一瞬前とは比較にならない閃光がほとばしる。
爆音が耳をつんざいた。
震動が、立ち上がれもしないほど、大地を揺らがした。
……前ヘ 先へ
――そして静寂。
暴れ狂う爆音と、震動と、閃光は、ものの数秒もあったのか。ふと気づけばそれらは、かすかな残滓を残すだけになっていた。
「なんで……」
「……そんな……」
つぶやく声が、そこかしこから、聞こえた。
「なんでこんなことするんですか……っ!!」
レシィの声。泣いてる?
妙に冷静な頭の片隅で、そんなことを思った。
ロッカとリューグの身体の下から、はのそのそと起き上がる。
舞い上がった土煙と、粉塵が、ほんの数メートル先の視界さえ奪っていた。
……こつん。
「……?」
こつ、こつん。
「……!」
座り込んだの目の前に。断続的に降ってくる。
それは、漆黒の欠片。
――漆黒の機械兵士の、破片――
「あ……」
その中に混じって、きらきらと輝くものが。
まるで、の前をその場所と定めたかのように、落ちてくる。それを、反射的に両手を伸ばして受け止める。
……それも機械のはずだった。
けれど、それは、たしかに、ぬくもりを、の手のひらに伝えていた。
「――――っ」
ぎゅう、と。
空気の塊を吐き出して、ことばもなく、ただ胸にかき抱いた。
「俺は……」
ルヴァイドの声は、薄幕一枚隔てた場所から聞こえるような錯覚。
けれど、続けてつむがれたことばに、そんな非現実感は、一瞬にして消え失せた。
「俺はおまえにそんな命令などしておらんぞ、ゼルフィルド――!!!」
――あの日。
がデグレアに落ちたとき。ゼルフィルドは、すでに、ルヴァイドの傍らにいた。
位が上がっても、やイオスといった側近の部下を擁しても。
ゼルフィルドは常に、ルヴァイドの傍らに控えていた。
黒い甲冑。
漆黒の機械兵士。
ふたりが並ぶ姿は、に、イオスに、軍の兵士たちに、例え様のない安心感を与えてくれさえしたものだ。
それほどに長く。それほどの、信頼を。
――それが、たった一瞬で。それら、何もかも。すべて。存在とともに、消え去って――
ルヴァイドの慟哭が響くなか、ゆっくりと、煙が晴れる。
爆発の影響でか、抉り取られて剥き出しになった地面が見え――
「――!」
その向こう、佇む人影も見えたとき。全員が息を飲んだ。
その人物は、一同の視線に気がつくと、ゆぅらりと微笑む。
「……いやはや……おかげですっかり、服が汚れてしまいましたよ?」
舞い散る噴煙のなか、ことさらにゆっくりと、わざとらしく、埃を払う仕草をしてさえみせる。
ことばをなくしたこちらを、まるで、嘲笑うかのように見返した。
「あの野郎……あの爆発をくらって、無傷だってのかよ!?」
「……ゼルフィルド……っ」
フォルテの声に、痛みを感じて、は、無意識に手のひらに抱いた欠片に呼びかけた。
命まで、あなたは賭したのに。
なのに。それは。
これではまるで、あなたの命は。
――どうして。
あなたは機械兵士なのに。いつだって、冷静な分析忘れること、なかったのに。
どうして、今、それを、判らなかったの……!
「――ゼルフィルド――」
ぎゅう、と、握りしめた手のひらを胸に押し当てて。ただ、泣いた。
声は出ない。出したら、喉が割れそうだ。熱い。痛い。苦しい。辛い。哀しい。
――哀しいよ……!
見ていられなかった。
「……許さない……」
つぶやいて、目を逸らす。自分の視線でさえ、今の彼女は受け止めきれず、傷つけてしまいそうな気がした。
そうして、眼光鋭く、睨みつけた先には、たった今何もかも叩き壊したレイムの姿。
「許さないぞメルギトス……っ!!」
知ってるんだ。
がどんなに、彼らのことを大切に思ってるか。
彼らがどんなに、を暖かく包んでいたか。
ルヴァイド。イオス。
たった今、身を賭したゼルフィルド。
ついさっき、傀儡と変えられた黒の旅団の兵士たち。――彼らが、最後に託した思い。
シャムロックが、血の気も失せるほど拳を握り締めていた。
レナードが、煙草を噛み千切っていた。
リューグ、ロッカ、アグラバイン、そしてアメル。居場所を奪われた人たち。
デグレアの民。知らず操られていた人たち――
誰もが何かを失った。
大なり小なり。そんなことは関係なかった。
目の前の、たったひとりのために、いったいいくつの道が捻じ曲げられた!?
「人間の心をもてあそぶなんて……絶対に許さない!」
いったい、何人の人たちが、おまえのせいで慟哭をこぼした!?
トリスとマグナの叫びに、けれど、レイムはやはり、微笑むだけだった。
「……ほう?」
「何がおかしいの!」
「いいえ、別に」
ただ――
「だとすれば、貴方たちがまず怒りをぶつけるべきなのは……私ではなく、同朋ではないのですか、とね……?」
くすくす、くすくす。
あまりの可笑しさに耐え切れないとばかり、レイムは嗤った。
クスクス、ククク、カカカッ……
それが伝播したのか、3悪魔も嗤う。
嘲笑う。彼らはどこまでも。
愚かだと決めつけた、ニンゲンたちを。
何も知らぬ、ニンゲンたちを。
思いもよらないことば、それに一瞬固まったクレスメント家の末裔たちへ、レイムは告げる。
「貴方たちは、知らないだけですよ」
その表情から、微笑みが消えた。
視線はふたりを見ていない。
追った先には――がいた。
胸に何かを握りしめて、じっと、声もなくうつむいて。地面にぽたぽたと水滴を落としている。
レイムは、を見る。
これまでの彼からは信じられないような、ひどく優しい、痛ましい、透明なまなざし。それは、先ほどマグナが懸念した、視線で傷つける心配なんて皆無なほどに。
けれど、それは一瞬だった。
次の瞬間、レイムの双眸に炎が宿る。――怒り。憤り?
巡らされた視線はトリスとマグナを射抜き、周囲の人々を凍りつかせる。
「ニンゲンというものが、自分たちの都合だけでどれほど残酷になれるかということを……!」
それは、これまでの、余裕をたたえた口調ではなかった。
怒り。憤り。烈しい、感情の飽和。
誰もが、それに対して発するべきことばを持たないかに思われた。
けれど。
「……どういうことだ!?」
ネスティが、へ戻そうとしたレイムの視線を阻むように、前に出て、問いを投げつける。
その彼の行動にか、それともそのことばにか、レイムは表情を少ししかめた。
「……いずれ、わかりますよ」
そのことばが、風に溶けるのと、ほぼ同時。
悪魔たちは、一斉に姿を消していた。
今日はここで失礼しましょう。――また、近いうちにお目にかかりますよ。
あまりやりすぎても、さんが限界のようですしね?
そんな不吉かつ不安を煽ることば、ひとつ残して。
そして、その最後のことばに含まれたたったひとつの固有名詞に、全員が一斉に本人を見た。
疑問は大量。
何故、レイムは自分がメルギトスであることを、が知っているなどと云ったのか。ギブソンがくるまで、誰も判らなかったのに。
何故、レイムはひたすらにばかり気にかけるのか。ただのフェチだのマニアだのでは、片付けられない何かがあるような。
何故、レイムは――
「…………」
「知らない……」
だいじょうぶ? そう云おうとしたマグナのことばは、けれど当のの声で遮られる。
ゼルフィルドの欠片を握りしめて、駄々をこねる子供のように、彼女はひたすら、かぶりを振っていた。
「訊かないで……お願い……」
あたしは何も判ってない。
欠片さえ、情報をつかめていない。渦巻くそれらは混沌を呈して、手を突っ込めば呑みこまれそう。
知る必要はない気がしてる。それが、情報をとりだすことを邪魔してる。
だけどそれは、間違ってるとは思えない。
――そのときは、まだ、こない。
「いつか、きっと、話せるときがくると思うから……だから……」
今は何も訊かないで――
そう、続けようとしたんだろうか。
けれどその唇は中途半端に開かれたまま、呼気だけがそこから零れた。
「!!」
手を伸ばす。意識を失った彼女が、地面に伏すのを防ぐために。
だけど、マグナの手も、リューグの手も、ロッカの手も。を抱きとめることはなかった。
誰よりも先に、黒い甲冑をまとった腕が、の身体をすくいあげていた。
「……ルヴァイド……」
虚ろな光はまだ、黒騎士の双眸を覆っていた。
けれど彼は、動いた。そのまま、ゆっくりとを胸に抱き上げる。
その横からイオスが手を伸ばし、の頬に残った涙をぬぐった。
を見つめて動かぬ赤紫の双眸の代わりだとでも云うように、それより少し低い位置にある赤い瞳が、マグナたちを振り返る。
視線の意味を正確に把握したネスティが、視線をギブソンに送った。
「……先輩」
「あ、ああ」
黒騎士たちの優しい仕草に、少しだけ呆気にとられていたギブソンが、軽く頷く。
同時に、ミモザが、腕組みをして云った。
「貴方たちの身柄は、一時私たちが預かるわ……派閥の裁量の結果が出るまで。異存はないわね?」
「ああ」
「――」
イオスが答え、ルヴァイドは無言で頷いた。
――戦いは終わったのである。最悪ではない。ないけれど――おそらくそれに近い形で。