これまでの旅で、自分たちが腕を上げたという自信はあった。
少なくとも、最初に黒騎士と相対したときとは比ぶるべくもないほどには、経験を積み重ねて自分のものにしてきた自信はあったはずだ。
けれど。
「――っ、くう……!」
リューグとアグラバイン、それにシャムロック、マグナを同時に相手取ってなお、勢いの衰えぬルヴァイドは、自分たち以上に技量を上げているのが判った。
そうしてそれに加えて、追い詰められた獣のような印象が、彼からは見受けられた。
それが、黒騎士の攻勢に拍車をかけている。
だが、こちらとて、ここより先に進ませるわけにはいかないのだ。
自分たちが質を相手にしているのなら、他の仲間たちはそれこそ大量の数を相手にしているのだから。
気迫で負けてなどいられない。
技術も力も及ばないのなら、せめて、気圧されることだけはあってはならいのだ。
……進ませられない。
その一念でもって、彼らは黒騎士とぶつかっていた。
一進一退のその戦いに、他の仲間も手を出しあぐねている。
下手に割って入る危険は冒せず、かと云って召喚術など打ち込めば、巻き添えが出るかもしれない。
そのうち、自然、彼らの周りに人が集まる。
粗方の黒の旅団勢を無力化した仲間たちと、もはや武器も奪われ、抵抗する気力も残っていないらしい、黒い鎧の兵士たち。
「ルヴァイド!」
その状況を見て取って、アグラバインが吼える。
「大勢は喫したぞ! いい加減にせんか!!」
それはまるで、意地になっている子供を叱るような……けれど、本気の怒りも感じさせる口調。
けれど。ギィン、と、そのアグラバインの斧を、ルヴァイドが弾き飛ばす。
「……ッ」
手が痺れたのだろう、けれど続いて繰り出された斬劇から、その老体に似合わぬ素早さで身体をそらし、アグラバインは戦線から一歩下がった。
「騎士というのなら! 敗北を認めるのもまた、度量ではないのか!?」
「黙れ!!」
シャムロックの詰問にも、返ってくるのは怒声と斬劇。
――コイツは本当に、あの黒騎士か?
リューグは、そう思わずにはいられない。
炎の燃え盛るなかで剣をぶつけた。
夜の闇で刃を交えた。
だが、今の黒騎士は、彼の記憶にある、そのどれとも違う。――誰かに似ている。
ふとそう思い、それがいつかの自分であることに気づくと、リューグは顔をしかめた。
そうだ。これはいつかの俺だ。
黒い感情に何もかも飲み込まれて、に武器を振るったときの、俺自身。
「ルヴァイドぉっ!!」
吼えて、斧を繰り出しながらも、リューグは迷っていた。
このまま力任せにこの男に勝って、果たして、黒騎士は救われるのか。
それ以上に、このままルヴァイドが戦いの負けを――己の敗北ではなくとも、旅団の敗北を――認めなければ、それは、命をもって証明しなければならない状態になりはしないか。
……がもっとも恐れている結果を、引き寄せはしないか。
ロッカは思う。
戦いを眺め、弟と同じような印象を、ルヴァイドに抱きながら。
あのとき、リューグを飲み込んでいた黒いものを断ち切ってくれた、何かの存在を思い出していた。
――のひかり。
あのときのように、彼女なら?
いや。そうでなくても。彼は、彼女にしか――
振り返ろうと――その人を呼ぼうと、したのと同時。
キィン、と、金の髪の青年の槍が弾き飛ばされる光景が、視線をめぐらせたロッカの目に映った。
そちらを見ていた数人もまた、それを、目にしたのである。
そうして。
何言かことばを交わし、それからイオスに頷いてみせた少女は、すぐさま身体を反転させて、未だ戦端の開かれているこの場に向かって走り来る。
抜き身のままの剣を、その手に携え。
「お待たせしました」
――は、ここへ来た。
「……」
剣戟が止まる。訪れる静寂。
動作を止めたリューグたちの間をすり抜けて、がルヴァイドの前に立った。
背丈も体格も力も違う。
それなのに。
は、ルヴァイドの前に立つ。
お互い、荒い息のまま、相手を見る。
――とうとうここまで来た。
感慨にも似たそれも、また、お互いのものだった。
予感していた。
恐れていた。
いつかこのときが来ることを。
いつも見えなかったこの先を。
それでも、ここを通過せざるを得ないことを、もう、誰もが知っている。
その先に何が待ち受けているのだとしても、今、ひとつの決着をつけなければならないことを、知っている。
……ああ、そうか。
妙に穏やかな気持ちになって、リューグは斧を地面に立て、柄が歪まぬ程度に体重を預けた。
「……待ってやがったのか……あんなになっても」
アグラバインが頷くのを視界の端にちらりと入れて、ふと、傍へやってきた双子の兄を見る。
「きっと、気づいてはいないんだろうけど、な」
目を細めて、ロッカはリューグのつぶやきに応じた。
すべてを棄てたつもりなんだろう? 棄てる覚悟なんだろう?
――黒騎士。だけどおまえ、を待ってたんだろう。
相対するために、ここに来たんだろう。
気づけよ。それに。
何を棄てたつもりでも、最後に残ってる、ただそのひとつに。
その解が、おまえたちの戦いの果てにしかないのなら――見ていてやるから。
……それは奇妙な確信だった。
大人と子供の勝負なら、子供が負けるだろうと誰もが思う。
体格も、力も、技量も。
けれど。
それは――奇妙な確信だった。
既視感。それは、いつかどこかで見た光景。
思い出す。いつか、ローウェン砦でシャムロックとルヴァイドが見せた、騎士の一騎打ち。
がルヴァイドを知っているのと同様に、ルヴァイドもを知っている。
互いが互いの間合いを把握し、力も、スピードも把握している。
総合力で見れば、明らかにルヴァイドが上だった。
唯一が勝てるものといえば、その身の軽さ。あと、意外性。いや悪い意味でなく。
「……もう一度訊きます」
戦いの回避を願うのは、敗北の可能性を忌避するからではない。
「あたしたちの話、聞いてくれませんか?」
「繰言はいい」そして、鋭く、遮られる。「召喚兵器は実在する。俺はおまえたちを排除し、デグレアはそれを手に入れる。ただそれだけが事実だ!」
響く怒声が、身体の芯まで揺るがした。
だけど、もう心は震えない。
……確認したかったのかもしれない。いや、きっとそうだろう。
迷ってるんですね。そう感じた。
ルヴァイド様。あなたは。あなたたちは。
ずっと、迷ってくれていたんですね――
ならば、選ぶ道は決まってる。
「――あたしが勝たなきゃ、話、聞いてくれそうにないですね」
「……おまえが、俺に勝つつもりでいるのか?」
それこそ、絶対的な事実を告げているようなの口調に、ここにきて初めて、ルヴァイドの声音が感情を含む。怪訝な色。
けれどそれも一瞬。
ルヴァイドの双眸が、ひどく自嘲的な感情に歪む。
「おまえが俺を殺すか……」
「いいえ」
きっぱりと。
は、彼のことばを否定した。
強い意志。強い願い。
たったひとつ、なによりも。望む道を、皆で選び取るために。
「殺すためじゃない、勝ち負けがどうのじゃない」
戦おう。
目の前の相手を倒すためではなく、この舞台を操る糸を叩き壊すために。
真実を告げるために。彼らの迷いを断ち切るために。
「貴方たちのところに還るためです」
そして、
「貴方たちに還ってきてもらうためです」
そして。
望む明日を手に入れる。
「そのために、貴方と戦うんです」
この道、これまでの道、その先にほのみえる光こそ、そうなのだと信じてる。
そうして、ことばはこれで終わる。
剣戟の音高らかに、戦いは始まった。