戦場を突っ切り、駆け寄ってくる少女の姿が、ただ相手に集中していた彼らの視界にも入る。
「チ」、
舌打ちし、
「アイツが来る前にカタつけようと思ったってのによ……!」
「なんだ、そのつもりだったのか?」
僕はまた、てっきり――
連続して繰り出される突きを払い返しつつバルレルがごちれば、その横から牽制を入れながらロッカが云った。
そうして、ふたりはちらりと、眼前の敵を見る。赤い双眸を揺らがせて、の姿を視界におさめているイオスを。
そこに、届く。
の声。
「ロッカ、バルレル!」
――交代っ!!
そう来るだろうとは思っていた要請だが、そこで素直に従っては悪魔が廃るとばかり、バルレルがケチをつけた。
「今までオレたちに戦わせといて、云うこたそれだけかよっ!」
「帰ったら、お酒でもおごってあげるから!」
「よーし云ったな忘れるなよ極上モン一品きっちし奢ってもらうぜ!!」
「そういう話は後にしてくださいさん! バルレル、君も!」
なんでそう緊張感がないんですかっ!!
そりゃあ勿論、軽口でも叩かないと、イオスと本気で戦うっつー事態に向かいうのが怖いからです。
なんてコトは、あとで、ごめんなさいと一緒にロッカに云えばよし。
「ま、実際体力切れだしな。任せたぜ」
「さん、ご武運を」
男性二人から少女へよこすには、ちょっと勇ましい感のするそのことばに、はありがたく頷いた。
「任された! 祈っててね!」
そうして――はイオスと対峙する。
「こないだみたいに、手ぇ抜いたら、絶対に勝てないよ」
「――判っている」
赤い瞳の奥に動揺を押し込めて、イオスは槍を構えた。
間近でを見て、彼女は本気なのだと判ってしまったから――いや、ゼルフィルドの機能を停止させた時点で、そんなこと、とっくに判っていたけれど。
改めて目にする夜色の双眸。そこには、決意がみなぎっている。
決意。それは自分の望む未来を引き寄せるための、強い、強い意志の焔。
けれど、イオスにとって、それは戦う覚悟を決めた意志、ただそれだけのものとしてしか受け取れなかった。
だが皮肉にも、それが、彼のためらいを吹き飛ばそうとする。
「……いいだろう」
君がそれを望むなら、僕も本気で迎えうつ。
そう宣言して、イオスは、真っ直ぐに、槍をへと突きつけた。
が。
ひく、と、の口が引きつった。
「誰が殺し合いなんて望んでるか! こーの短絡細腰隊長!!」
「……なっ!?」
細腰は関係ないだろう!?
短剣を抜き放ち、全速で、少女はイオス目掛けて突っ込んでくる。
その唐突な行動と戸惑い(あと細腰云われたショック)が、迎え撃つイオスの動きを鈍らせる。
刃の切っ先が届く寸前で弾くことができたのは、けれど、にその意志がないからだった。
勢いをそのまま利用して、ふたりは再び距離をとる。
そこに、ビシッと突きつけられるのは、剣の切っ先――ではなくて、の指。人を指差すなという養い親の教えも忘れ、彼女は高らかに宣言した。
「あたしは決めてるの! 絶対に! イオスもルヴァイド様もゼルフィルドも、もう、ぜぇぇえったいにこっちの道にひきずりこんでやるって決めてるんだから!!」
っつーかそのためのお話し合いの材料を持ってきたのに、聞こうともしないで戦い仕掛けてんのはそっちでしょーが!
「だ……だが! 召喚兵器は実在――」
「うるさいやいっ! 黙って引き下がる気がないんなら、いっぺんおとなしくやられなさい!!」
「……あーあ、あいつ半分キレてねぇか」
「まあ、溜まってたんでしょうしねえ……」
観戦組ふたりから、そんなコメントが出ているけれど、生憎、ごうごうと燃えさかっているの耳にまでは届かなかった。
当然ながら、戸惑いまくりのイオスの耳にも。
故に、その戦いは止まらない。
は再び地を蹴った。
一瞬遅れて、イオスが防御のために槍を構える。
リーチを考えれば、突っ込んでくるを払い、転じて攻撃をしかける方が断然有利だ。
なのに、感じられるそれは、あくまでもただ防御に専心しようとしているようにしかとれない。
そんなことさえも思いつかないくらい、困惑しているのか。
それとも、そもそもに刃を向ける気はないのか。
いや。もうそんなのどっちでもいい。
この力比べはあたしが勝つ!
決意も強く、は短剣で連撃を繰り出した。
イオスにことごとく槍の柄で防がれるが、勢いも、速度も力も留まらない。減じない。それどころか、何かに後押しされているかのように、それらはいや増していく。
「あたしは、決めた」
そのさなか、搾り出すように、こぼれる声。
呼気にも等しいそれを、きれいな金髪乱して攻撃を受けていたイオスは、きっちりと耳にとらえたようだ。
「…………?」
意味の読めないことばに返す、その名は。戸惑い。
敵意もなく嘆きもなく、――本当に懐かしい、遠いあの日の色だった。
そう。
これを、取り戻そうと決めた。
絶対。絶対に、また、この手にあの日々を――そのものでなくても、あの頃の、それ以上の、笑顔とまどろみを。優しい時間を。
そのために、
「あたしは絶対に、みんなで幸せになるって決めたっ!!」
キッ、と。
イオスを見据えて、強く強く。叫ぶ、ことば以上にその意志を伝える、夜色の瞳。
その眼を、イオスは知っている。
笑ったり怒ったり泣いたり。くるくる、感情の色、変えて魅せる彼女の眼。
――。
5年、共にいた。
あの日まで、傍にいた。
これからも、傍にいると信じてた。
……いや。
そうだ。
立つ位置は違いながら、今も、同じ場所にいる。いつもこの子は、同じものを見てる。
――。
君は変わったと思った。
記憶をなくしたときに、僕たちのところへは戻れないと云ったときに。
もう、僕たちの知っている君ではないと。
僕たちは変わったと思った。
君に刃を向けたときに。あのとき、決別を告げたときに。
もう、君と一緒に歩くことは出来ないんだと。
……それでも。君は、手を伸ばす。僕たちへ。君の望む明日へ。
一緒に行こうと。
共に歩こうと。
――何も変わらない。君は。
君の本質は。
君の見ている僕たちも――いや。
変わりようがない。きっとこれは。これだけは。
……。
君が僕たちを好きだと云った、あの気持ちに負けないくらい、思う。
僕は君が好きだ。
今までも、これからも。好きだった。好きでいる。
――。
あの方も、それは同じだ、絶対に。
「……やっぱり、君は強いな」
クス、と笑う、イオスの声が聞こえた。
「!!」
――それまでにない鋭さで、槍が突き出される。に向けて。
けれどそれは、同時に、大きな隙を生み出す動作だった。
真っ直ぐに突き出された腕と槍の下は、充分に、がかがんで突き進めるだけの余裕が、そして間があった。
「……っ!」
咄嗟にかがめた上半身をそのままに。
剣を頭上に水平に構え、左手をその刃に添えた。
伸び上がる。
槍を、真上に押し上げる――全身の、力こめて!
ギィィン! 金属同士のぶつかる音。そうして、はじきとばされた槍は、乾いた音を立てて大地に落ち、転がった。
「……手、抜いた?」
荒い息のまま、が、地面に座り込んだイオスに云う。
抜き身の短剣をぶら下げて。その足で、確りと大地を踏みしめて。
剣を持たない方の手のひらに、薄く赤い筋が走っている。押し上げる際、刃に触れて斬ったのだろう。……それほどまでに、力が入っていたということか。
いいや、と、イオスは応え、首を振る。
それから、ゆっくりと、に笑いかけた。
「……ひとつ訂正させてもらう」
手を抜いたら絶対に勝てない、と、君は云ったけれど。
にこりと――それは数ヶ月前に、あの極寒の地で、そうしていたときの笑顔、そのままに。
「手を抜かなくても、本気でぶつかるその時点で――」、
微笑んで。
「僕は、君にだけは、勝てないよ」
何よりも、大事な。大切な。
そんな相手に本気の意志を叩きつけられては。
「……」
イオスの返答を聞いたは、ちょっと呆気にとられた顔をした。それからすぐに、目を半眼。呆れた表情になってしまった。
「ならなんで、今まで負けなかったのよ」
それが、これまでの――道を分かってからの衝突を指しているのだと察し、イオスは別の意味で苦笑した。
あたしはいつだって本気だったのに、と、ぶーたれているを優しく見やり、
「僕が迷ってて、本気になれなかったからさ」
「――――」瞠目し、「……迷ってたの」
つぶやく、その声には意外の響き。
「ああ」
「今は」
「だからこうしてる」
「――イオス」
感極まった声と表情のに、ひらりと手を振ってみせた。
「ルヴァイド様を頼むよ、」
……信じてみたい。もう一度。
君の持ってきたという、手をとりあえるかもしれない可能性を。
――それがどんな絶望をもたらすか、まだ、彼らは知らないけれど。
今、イオスはただ、久しぶりに訪れた穏やかな気持ちに、身を任せていたかった。
たとえるなら、暗雲の晴れたあと。嵐の直後。
穏やかな、澄みとおった、すっきりとした気持ち。
頼むよ、と。そのことばに、は小さく頷いた。
そうして、ぱっと身を翻す。
向かう先は判っていた――今、自身が委ねた、あの方のところだと。
結局、君が僕たちを救ってくれるんだろうか。期待してもいいんだろうか。
また同じ道を……歩けるだろうか?
――。
ことばにし損ねた想いの代わり、イオスは、口の端をほころばせて、遠ざかる小柄な背に告げた。
「……君の勝ちだ」