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第5夜 伍
lll 宣戦布告 lll



 まさか自分の命までも犠牲にするとは思っていなかったマグナたちの間に、動揺が走る。
「ボケッとしてんじゃねえ、テメエら! 連中は本気だッ!!」
 バルレルが叫んだ。
 そのことばに、はっと全員が我に返る。
 目の前の黒い機械兵士は、本気でイオスの命令を実行する気だった。
 ガチリ、嫌な金属音が響く。
「みんな、逃げろっ!」
 叫んだのは誰だったのか。

 瞬間。


「いーかげんに……っ、」
 まったく予想しなかった方向から、声が響いた。それから、駆けてくる足音。

「しろ――――――――――っっ!!!!!」

 げしぃぃぃぃぃぃっっ!!!

!!」
 誰かが叫んだ。


 かなりの助走をつけたジャンプスクリューキックは、その勢いだけで機械兵士であるゼルフィルドを傾がせた。
 それがの力だったのか、はたしてゼルフィルドが故意にそうしたのか、それは判らない。
 けれど、の行動で危機が回避されたことは、誰から見ても明らかだった。

 そしてそれを見て、これまでに仲間内で唯一、のパンチを受けたことのあるリューグは思ったという。
 あいつ、キックでもイケるんだな……
 勿論、そんなことを当人に向かって云うような状況でもなかったため、それは長いこと、彼の胸に秘められることになる。

「――うわたたたっ!?」

 さすがにゼルフィルドの身体を傾がせるだけの勢いのあるキックをして、に何の反動もこないわけがない。
 予想外の衝撃に、受身もとれずには頭から地面に落ちる――
!」
 ように、思われたが。

 ぼよーん。

 ふわふわの、もこもこ。加えて、弾力性抜群。
 かわいいでっかいピンクのカバがの下の地面に出現して、彼女を受け止めるクッションになっていた。

「……なっ!?」
「召喚術……、メイトルパのだっ!?」
 あっけにとられた一同のなか、突然のカバの出現の理由を察したミニス。
 そうして、
「ちょっと、君たち。そう簡単に命を粗末にしちゃダメよー?」
 の走ってきた反対方向から、ミモザが姿を現す。
「ダイジョウブカ?」
「あ、ありがと」
 皆がミモザの出現に注目しているうちに、ゼルフィルドがさりげなく、跳ね返って地面に転がったを立たせた。
 草や土くれがぼろぼろ落ちるが、身体に異常はないのを、まず確認。
 次にゼルフィルドに礼を云って、視線を転じる。
 イオスとミモザの睨み合いが、その先に展開していた。
「おのれ……、余計な邪魔をっ!」
「なに云ってんの? ほっといたら貴方、蜂の巣だったじゃない」
 激昂を見せるイオスを、軽くミモザはあしらっている。

「それに文句を云う前に、その震えてる身体をなんとかなさい。カッコ悪いわよぉ?」
「だ……黙れっ!」

 ごめんイオスさん。あたしもちょっとそう思いマス。

 心のなかで合掌するから離れた場所では、マグナが静かな声で云っていた。
「イオス――俺たちは殺し合いを望んじゃいない」
「ただ、これ以上アメルを狙うのをやめてほしいだけなの」
 トリスが、後を続けた。
 それに対し、イオスがことばをつむごうとした、とき。

「……だとすれば、貴様らの望みは永遠にかなうまいな」

 声とともに。
 が走ってきた方向から、ゆっくりと、こちらに歩を進め。黒の騎士が、姿を見せた。
「なぜなら我らの任務は、そこの聖女を確保して初めて達成されるものだからだ」
 ざわり。
 それまで静寂に満ちていた空気が、とたんに動き出すような感覚。
「な……!」
「やはり、こいつらは仲間だったか」
「やっぱり、ねぇ」
 ネスティとミモザ以外は、その場に現れた黒騎士に対する、驚きの表情を隠せずにいる。
 たしかに、予想していなかったわけではない。イオスたちと黒騎士のつながりを。
 けれど。
 1足す1は2であり、結局、その状況になんの変わりもない。
 むしろバラバラにアメルを狙っているのなら、彼らがぶつかりあって自滅してくれる可能性もあった分――はっきり云って、更なる事態の悪化を認識せずにはいられなかった。

「イオス、そしてゼルフィルド。俺は貴様らに、監視を継続することのみを命じたはずだが?」
 再び黒騎士が告げる。今度は、己の部下に対して。
「ですがっ……!」
「命令違反の挙句に、これ以上の醜態を俺に見せるつもりか!」
 怒号。
 それが自分に向けられたものではないと判っていても、は身体が震えるのを止められなかった。
 向けられた対象であるイオスなど、以上に畏れを感じたに違いない。
「もっ、申し訳ございません!!」
 びくりと一度身を震わせ、ルヴァイドに謝罪する。
「……我々ノ先走リデシタ」
 ゼルフィルドの無機質なことばも、妙に神妙に聞こえる。

 そこに、
「なあ、黒騎士の旦那」
 余裕なのか、飄々と――少し皮肉を交えた笑みを浮かべ、フォルテが水をさす。
「部下への説教もいいが、状況を考えちゃどうだ。あとから出張ってきても、この場の主導権は俺たちにあるんだぜ?」
 そのフォルテのことばを疑う者はいなかった。
 イオスの率いていた一団は、先ほどの戦闘で壊滅。
 この場に立っているのは黒騎士、ゼルフィルド、イオスしかいない。
 自分たちがその気になれば、いつでも黒騎士たちを追い詰められるのだと――だが。
「それは先刻までの話だろう」
 動揺もせず、どこまでも冷静な声で黒騎士は応じ。そして。特に張り上げたわけでもなかろうに、とおりの良い声が発される。

「出ろ!」

 そこかしこから――マグナたちを囲むように。初めから計算されていたかのように。
 黒い鎧の兵士たちが、姿を現した。

「……いつの間に……つーか、なんて手回しのいい……」
 考えが口に出るのも気づかないまま、は呆然とつぶやく。
 あらかじめ手はずを整えていなければ、とても出来ることではない。
 ルヴァイドは、もしかせずとも、こうした事態まで予測していたのだろうか。
 改めて、彼の指揮官としての思慮と度量に感心する。
 もっとも今、皆の置かれている状況を鑑みれば、のんびりとそんなことを考えている暇などなかったが。
「わざわざ姿を見せずとも、その気であれば貴様らをまとめて始末することなど、いくらでも出来た」
「じゃあ、何故姿を見せたの?」
 ケイナの問いに、黒騎士はある方向を指した。
 その先にいるのは、先ほどゼルフィルドに蹴りをかましたの姿。
「あの娘に、結果として部下の愚行を止めてもらったわけだからな。借りを返すためだ」
「……そういう礼儀は守ってくれるわけか」
「余裕のつもりか? ふざけやがって……」
 ロッカとリューグは、苦々しい表情を隠せないでいる。
 特にリューグのほうは、今すぐにでも黒騎士に斬りかかりたそうな様子を見せていたが、先ほどとは状況が反転している。分が悪かった。
 囲まれているだけでも厳しいというのに、が。
 だけは、ひとり離れた場所――黒い機械兵士の傍らであるその位置は、彼らよりもよほど、黒騎士の一団に近い。

「それから、もうひとつ」

 舞い下りた沈黙を、黒騎士が打ち破る。

「崖城都市デグレア特務部隊『黒の旅団』の総司令官として、貴様らに宣戦布告を下す」

「デグレア!?」
「デグレアってたしか、旧王国最大の軍事都市……!!」

 その名を耳にした一同が、一気にざわめいた。

 だがしかし、やっぱりここでも何も理解していない人間がひとり。は、傍のゼルフィルドに聞こえる程度の声でぼそりとつぶやいた。
「何、デグレアって」
 なにしろ記憶喪失中ですから。
「……」
 おそらくゼルフィルドの沈黙は、どう答えたものか迷った故のものに違いない。
 それが彼らに聞こえなかったのは、ある意味、幸い。

「理解したようだな。自分たちが敵に回そうとしているものの大きさを。それでもなお、わが軍勢と敵対するつもりか?」

 約一名理解してないが、それは当然、蚊帳の外。

 ……まあ、それは仕方ないとして。

 理解している全員に、しん、と。再び沈黙が訪れる。
 その彼らの様子から、にも、ルヴァイドの云うことがどれだけ自分たちにとって不利な状況か察することが出来た。

 ――それでも。

「それでも……」
 はつぶやく。
 静寂の訪れた湿原に、その声はやけに大きく響いた。
「それでも、あたしは決めた。絶対にアメルをあなたたちには渡さないって、決めたもの!」

 それは決意だった。本人も覚えていない、旅立ちの前の決意。
 本来なら聖女を捕らえる側にいたはずだのに、それでも尚、云いようのない予感にしたがって、決めたこと。
 でも今はそれだけじゃない。
 拾ってくれたコトとか、笑いかけてくれたコトとか。
 そんないろいろの、積み重なったこれまでのコトが。の気持ちをそう在らせる。
 心のままに――いちばん、望むことを。
 根拠のないそれに従うのは、無謀かもしれない。けれど、それは勇気でもある。

 ――決意。

 強い決意は人を動かす。心を鼓舞する。
 じわりと、胸が熱くなるのを感じる。
……」
 うれしかった。
 一生懸命なのことばが、とてもとてもうれしかった。

 強くなりたいと思った。
 この人の気持ち。あたしを想ってくれる気持ちに負けないくらいに強くなりたい。
 あなたがあたしを想ってくれるのと同じくらい、あたしもあなたを守れるように。

 涙をにじませたアメルを、ロッカが気遣わしげに見て。理由を察して、微笑んだ。
 そうして、全員がうなずく。のことばに呼応するように。
 ミモザがそれを見て、口の端を緩めた。すぐに表情を引き締め、黒騎士に向かい合う。
「ひとつ訊くわ。判ってる? ここは聖王国の領土で、貴方たちのやっていることは、軍事侵攻なんだけれどね?」
「承知している」
「ふぅん」
 虚勢ではない、確信する。
 国境を侵すという危険を判っていて尚、彼らはこのアメルに何の価値を見出しているのだろう――根本的な疑問だ。
 けれど、それは後で考えればいいこと。
「なら、覚えておいて」
 今やるべきは、この状況を打開すること。ミモザはさらに、黒騎士に向けて告げる。
「派閥の同胞を傷つけ……まして、無用の戦乱で世界の調和を乱そうとする者たちには、蒼の派閥は容赦なくその力を持って介入するって、ね」
 驚いて、ミモザの後輩である、ネスティ、マグナ、トリスが彼女を見た。
 その視線をさらりと流し、くるり、黒騎士に背を向けるミモザ。

「さ、みんな帰るわよ」

「帰るって……はどうする気だ!?」
 あわててリューグが指さすが、
「借りのある相手を無体に扱うような真似はしないでしょ。ねぇ黒騎士さん?」
「……行くがいい。今は追わん」
 振り返りもせずにミモザが答え、黒騎士が応じる。
 事実そのとおり、はゼルフィルドに促され、彼らの方へ歩き出していた。
 その途中、地面に膝をついたままのイオスの横を通り過ぎる。
 しめあげられていた腕の痛みがまだ引いていない様子の彼の頭を、他に判らないように軽くはたいた。
……?」
「今度、今日みたいなことしたら」
 じとり、イオスを一瞥して。
「ぜっっったいに、許さないんだから」
 自分を撃てとイオスが云ったとき、身体の芯が凍るかと思った。
 今度また、あんなことをされたらきっと、心がもたない。
 たしかにイオスたちとは敵の立場にいるけれど、自分の気持ちに嘘はつけないから。

「――すまない」

 小さく謝るイオスに、一度だけ微笑んで。自分を待っていてくれる、皆のところへ向かって走るの背に、ルヴァイドがことばを投げかける。
 それは彼ら全員に向けてのものだったのだろうけれど、の心にはひときわ大きく響くものだった。

「だが、次に逢うときにはこのルヴァイド、もはや容赦せん。それを忘れるな――」



 ゼラムの屋敷に帰ると、ギブソンが驚いた顔で出迎えてくれた。
 何があったんだとの問いには、ミモザとネスティが説明役。
 他一同は何とか気力で夕食・入浴を終えると、殆どが例外なく部屋に直行。そしてベッドに倒れこんだ。
 戦闘で傷を負った者たちの治療のために聖女としての精神力を使い果たしたアメルと、霊属性の回復術を使えたおかげでやっぱり精神力全滅させたバルレルとトリスなぞ、食事もとらずに部屋に戻っていたくらいだ。
 体力的にも精神的にも、皆、疲れ果てていた。

 ――はず、なのに。

 眠れない。
 いつかのレルム村の夜のように、云い知れぬ不安があるわけではないのだけれど。
 昼間のルヴァイドのことばが、ずっと頭にこびりついて離れない。

 容赦しないと彼は云った。
 それは、完全に自分たちを――を、敵だとみなすと云うことなんだろうか。

 いや、もともと敵なんだろうけどさ――

 だけど。
 あんなふうにはっきりと、宣戦布告されたというのに、まだ。
 まだ、この心は彼らを慕ってる。

 敵。そのことばの意味を考える。
 命のやり取り。奪い合い。殺し合い?
 ――寒気が走る。

 血に塗れて倒れ伏す、彼らの姿を想像しただけで、こんなに自分は辛い。

「……だめだ」
 つぶやいて、は寝転んでいたベッドから起き上がった。

 じっとしてると、考えがどんどん嫌な方向へ向かっていくのを止められない。
 ふと、外を見る。まだ、月が昇ってそんなに時間は経っていなかった。
 それなのに妙に静かなのは、きっと、みんなもう眠ってしまったからなのだろう。起きているのはだけかもしれなかった。
 だから。
 その思いつきを実行しようと思ったのは、そのせいだったのかもしれない。

「散歩でも行こ……」

 とはいえ、さすがに玄関を通るのはためらわれる。
 しばし考えた末、はこっそりと替えの靴を出すと、部屋の窓から飛び降りた。
 2階だったらどうするつもりだったんだという質問には、結果オーライで答えにしつつ、庭を通って、道に出る。
 どこへ行こうかと考えながら見上げた月は、とてもとてもきれいだった。
「月に呼ばれて外に出た、なんてのだったら、ちょっといい感じかもね」
 なんとなく云って、自分で赤面。
「――似合わないなー」
 それでも、青白い月の光が、今日の疲れを洗い落としてくれるような気がする。
 はさっきよりも晴れ晴れした顔で、とりあえず気の向く方向に足を踏み出した。


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