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第5夜 四
lll この心が告げるのは lll



 呆れたような声がした。手のかかる身内を見ているような、そんな声だった。
 その声に、たとえようもない安堵を覚えて、振り返る。
「ルヴァイドさ……」
 けれど。
 呼びかけようとした名前は、そこで途切れた。

 ドクン

 思い出す。
 黒の甲冑を着て、顔までも覆う仮面のような兜をかぶって。
 の前にひとりで立つ、黒騎士の向こうに。

 思い出す。
 すべてが赤く染まったあの夜を。
 失われた命を。
 燃えゆくものたちを。

 ドクン

「やっ……」

?」
「やだやだやだっ! それやだ見たくない着けないでっ! 取ってっ!!」
 いきなりパニックを起こしてその場にしゃがみこんだに、ルヴァイドは戸惑いを隠せないようだった。
 けれどもすぐに、の指しているのが、自分の頭を覆う兜だと気がついたらしい。
 パチン
 金属の弾ける音で、恐慌を途絶えさせた。はっ、と我を取り戻したが顔を上げると、ルヴァイドはすでに兜を取り去り、肩より長いその赤紫の髪を、惜しげもなくさらしていた。
「――――」
 あぁ、と、口元が緩むのが判った。
 やっぱりあたしは、この人のこと、大切に思ってたんだ。思ってるんだ。
「――――」
 一瞬。ほんの一瞬。目の前の少女に、記憶が戻ったのではないかと、ルヴァイドは思った。
 やわらかい笑み。優しい表情。
 自分に全幅の信頼を寄せていたあの頃そのままの、笑顔を目の当たりにして。
 けれど、
「……こんにちは、ルヴァイドさん」
 告げられることば。他愛ない挨拶が示す事実は、何よりも重い。
 けれど、それでも。
 変わらない、の笑顔に穏やかな気持ちを覚える。
 ――それでもいいと思った。
 この子の心の在り様が、変わっていないというのなら。であるなら、それでいいと思えた。
 むしろ記憶がないほうが、彼女はこれからの行動に迷わずに済むのではないかと。そう、考えたせいでもあったけれど。

 そしてふと、は考える。目の前にいるのは、ルヴァイド。
 この人は、軍人で。総指揮官で。
 この人がここにいるということは、率いられてきた軍が、どこかにいるはずだと。
「あの」
 思いついたら、急に不安になった。
 だから。
 心休まるこの空気を、壊してしまうのは判っていたけど、口を開いた。
「あなたは、ここへ、何をしに……?」
「……聖女の監視に、な」
 ふ、と自嘲気味な笑みをつくって、ルヴァイドが答える。
「監視? ――監視だけ?」
 攫いにきたわけじゃ、ないの?
「今日のところは」
 の問いに、ルヴァイドが、再度答えて。

 よかった――

 そう思った刹那。


 ガァン、と、響く音。

「――銃声!?」

 ガァンガァンガァン!!

 立て続けに。何度も何度も。

「なっ……何!?」
「莫迦物が!!」
 驚愕するとは反対に、ルヴァイドは何が起こったかを瞬時に察したようだった。
「行くぞ!」
「えっ? わっ!?」
 そのままの腕をつかむと、銃声の聞こえる方向へ走り出す。
 コンパスの差で引きずられかけたものの、なんとかついていくの耳は、進むうち、銃以外の音を拾いはじめた。

 キィン、ガキィン、と金属のぶつかる音。
 ドオォン、と鈍く響く、何かの術が発動したらしい音。

 ――戦ってる。何故!?

 ルヴァイドが嘘をついたとは思えなかった。
 けれど、どうして。ならば、何故。
 そうでなければ、この立て続けに聞こえる音の説明など、つかない。

 ――走って、走った。
 周囲より少し高い丘になった場所に、ふたりは辿り着く。
 ルヴァイドが舌打ちした。
 は呆然とそれを見た。
 真っ先に目に入ったのは、緑の湿原にまるで染みのように点々と散開した黒い鎧の一団。
 そうしてそれらと対峙する、トリスやマグナ、ネスティたち――
「先走りしおって……莫迦者め」
 ぎり、と。歯軋りしているルヴァイドを見上げて。
 それからもう一度、戦っている彼らを見て。
 混戦になっているなかに、明るい金髪の槍使いと、漆黒の機械兵を見つけた。
 イオスとゼルフィルド。
 自分の目で見たそれらの光景と、ルヴァイドのことばを照らし合わせて、は状況をつかみとる。
「監視だけのはずが、チャンスとみてイオスさんたちが先走った?」
「おそらく」
 云いつつも、ルヴァイドの声音は確信を含んでいた。
 もっとも。その次に寄越されたことばに、は思わず自分の耳を疑ったが。
「おまえがいなかったのが災いしたか……」
「は?」
「あいつは……それは俺もだが、おまえとは戦いたくないようだからな」
 兵士たちも、近い気持ちを持っている者は多いはずだ。
「……軍隊が、それでいいんですか?」
 思わずつっこんでしまう、
 だがルヴァイドは、それを訂正する気は更々ないようで。
「信じられんなら、それでもいい」
 あっさりのたまうと向き直り、戦況を冷静に見つめだす。
 としてはもう少しつっこみたかったが、今はのんきにそんなことをしている場合でもない。
 同じように視線を転じ、戦いを眺める。
 何かのときにはすぐに飛び出せるように、じり、と足に力を入れて。

 だから銃撃戦真っ最中のところに、いきなり横から飛び込んでいくっつーのは勇気がいるんですってば。

 誰に云ってる。

 だが幸い、戦況はトリスたちに有利に動いていた。
 相対する人間の数では均衡していたが、ネスティを筆頭として放たれる召喚術が、その差を生んでいた。
 ひとり、またひとりと、黒い兵士が倒されていき、
「――終わるな」
 ルヴァイドが静かにそうつぶやいた。

 キィン!!

 バルレルとロッカを同時に相手していたイオスの槍が、横合いから飛び込んできたフォルテの剣で弾かれる。
 その機を逃さず、マグナがイオスを押さえつけた。
 すかさず腕をねじ上げて、身動きできないようにする。
 奇しくもそれは、先日がイオスに捕われていたのと同じような体勢。
 イオスが、痛みに顔を歪めるのが見える。

 ふっ……あの日の痛み思い知ったかイオスさん!

 思わず勝ち誇ってみるだった。何もしてないが。

 そして不意に、ルヴァイドが動く。
「――行くぞ」
「え?」
「しばらく我慢しろ」
 片手に抱えていた兜を再び着けた彼が、の腕をつかんでいた。
「……ッ」
 蘇る恐怖に足がすくむ。
 けど。
 だいじょうぶ、だいじょうぶ。
 目を閉じて、は自分に云い聞かせる。
 怖くない。怖くない。
 だいじょうぶ、あたしはあたしが持ってる気持ちを大事にするんだ。
 いつか遠い昔の、今のあたしの知らないあたし。あたしはきっと、この人を好きだったでしょう?

 深呼吸。

 ――うん。怖くない。あたしはだいじょうぶ。

 そうして、ルヴァイドのやろうとしていることを察し、もまた、歩き出そうとする。
 ところが。

「構うな! ゼルフィルド、このまま撃てっ!」

 不意に叫んだイオスの声が、たちの立つ場所まで響いてきた。



 あの子に云った。
 自分たちは軍人であり、国に仕える者であり、そうである以上選べる道はこれしかないと。
 そうしてこの道を歩く以上、もう覚悟は決めたのだからと。
 ――そのはずだったのに。
 彼らがのこのこと、王都の外に出かけるのを見た。
 そのときはまだ、ルヴァイドの命令どおりに、監視だけで終わらせるつもりだったのだ。
 しかし、そのうちにがどこかへ行ってしまって。
 そう。気が急いた。
 と戦わずに聖女を確保することが出来るなら――

 ――馬鹿な期待の結果が、これだ。

 けれど、それでも。まだチャンスはある。
 ――はこの場にいない――
 このまま、ゼルフィルドがイオスごと彼らを倒してしまえば、他の兵士たちでも聖女を捕獲できるチャンスはある。

 だから。

「任務の遂行こそ絶対だ。お前さえ生き残れば、あの方に対象を届けることはできる。さあ――」
 僕ごと、こいつらを撃ち殺せ!

 叫んだ。
 沈黙して動きを止めていたゼルフィルドが、イオスの目を捕えた。
 刹那の逡巡。

 それから。

「……了解シタ」

 ゼルフィルドが、云った。


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