呆れたような声がした。手のかかる身内を見ているような、そんな声だった。
その声に、たとえようもない安堵を覚えて、振り返る。
「ルヴァイドさ……」
けれど。
呼びかけようとした名前は、そこで途切れた。
ドクン
思い出す。
黒の甲冑を着て、顔までも覆う仮面のような兜をかぶって。
の前にひとりで立つ、黒騎士の向こうに。
思い出す。
すべてが赤く染まったあの夜を。
失われた命を。
燃えゆくものたちを。
ドクン
「やっ……」
「?」
「やだやだやだっ! それやだ見たくない着けないでっ! 取ってっ!!」
いきなりパニックを起こしてその場にしゃがみこんだに、ルヴァイドは戸惑いを隠せないようだった。
けれどもすぐに、の指しているのが、自分の頭を覆う兜だと気がついたらしい。
パチン
金属の弾ける音で、恐慌を途絶えさせた。はっ、と我を取り戻したが顔を上げると、ルヴァイドはすでに兜を取り去り、肩より長いその赤紫の髪を、惜しげもなくさらしていた。
「――――」
あぁ、と、口元が緩むのが判った。
やっぱりあたしは、この人のこと、大切に思ってたんだ。思ってるんだ。
「――――」
一瞬。ほんの一瞬。目の前の少女に、記憶が戻ったのではないかと、ルヴァイドは思った。
やわらかい笑み。優しい表情。
自分に全幅の信頼を寄せていたあの頃そのままの、笑顔を目の当たりにして。
けれど、
「……こんにちは、ルヴァイドさん」
告げられることば。他愛ない挨拶が示す事実は、何よりも重い。
けれど、それでも。
変わらない、の笑顔に穏やかな気持ちを覚える。
――それでもいいと思った。
この子の心の在り様が、変わっていないというのなら。がであるなら、それでいいと思えた。
むしろ記憶がないほうが、彼女はこれからの行動に迷わずに済むのではないかと。そう、考えたせいでもあったけれど。
そしてふと、は考える。目の前にいるのは、ルヴァイド。
この人は、軍人で。総指揮官で。
この人がここにいるということは、率いられてきた軍が、どこかにいるはずだと。
「あの」
思いついたら、急に不安になった。
だから。
心休まるこの空気を、壊してしまうのは判っていたけど、口を開いた。
「あなたは、ここへ、何をしに……?」
「……聖女の監視に、な」
ふ、と自嘲気味な笑みをつくって、ルヴァイドが答える。
「監視? ――監視だけ?」
攫いにきたわけじゃ、ないの?
「今日のところは」
の問いに、ルヴァイドが、再度答えて。
よかった――
そう思った刹那。
ガァン、と、響く音。
「――銃声!?」
ガァンガァンガァン!!
立て続けに。何度も何度も。
「なっ……何!?」
「莫迦物が!!」
驚愕するとは反対に、ルヴァイドは何が起こったかを瞬時に察したようだった。
「行くぞ!」
「えっ? わっ!?」
そのままの腕をつかむと、銃声の聞こえる方向へ走り出す。
コンパスの差で引きずられかけたものの、なんとかついていくの耳は、進むうち、銃以外の音を拾いはじめた。
キィン、ガキィン、と金属のぶつかる音。
ドオォン、と鈍く響く、何かの術が発動したらしい音。
――戦ってる。何故!?
ルヴァイドが嘘をついたとは思えなかった。
けれど、どうして。ならば、何故。
そうでなければ、この立て続けに聞こえる音の説明など、つかない。
――走って、走った。
周囲より少し高い丘になった場所に、ふたりは辿り着く。
ルヴァイドが舌打ちした。
は呆然とそれを見た。
真っ先に目に入ったのは、緑の湿原にまるで染みのように点々と散開した黒い鎧の一団。
そうしてそれらと対峙する、トリスやマグナ、ネスティたち――
「先走りしおって……莫迦者め」
ぎり、と。歯軋りしているルヴァイドを見上げて。
それからもう一度、戦っている彼らを見て。
混戦になっているなかに、明るい金髪の槍使いと、漆黒の機械兵を見つけた。
イオスとゼルフィルド。
自分の目で見たそれらの光景と、ルヴァイドのことばを照らし合わせて、は状況をつかみとる。
「監視だけのはずが、チャンスとみてイオスさんたちが先走った?」
「おそらく」
云いつつも、ルヴァイドの声音は確信を含んでいた。
もっとも。その次に寄越されたことばに、は思わず自分の耳を疑ったが。
「おまえがいなかったのが災いしたか……」
「は?」
「あいつは……それは俺もだが、おまえとは戦いたくないようだからな」
兵士たちも、近い気持ちを持っている者は多いはずだ。
「……軍隊が、それでいいんですか?」
思わずつっこんでしまう、。
だがルヴァイドは、それを訂正する気は更々ないようで。
「信じられんなら、それでもいい」
あっさりのたまうと向き直り、戦況を冷静に見つめだす。
としてはもう少しつっこみたかったが、今はのんきにそんなことをしている場合でもない。
同じように視線を転じ、戦いを眺める。
何かのときにはすぐに飛び出せるように、じり、と足に力を入れて。
だから銃撃戦真っ最中のところに、いきなり横から飛び込んでいくっつーのは勇気がいるんですってば。
誰に云ってる。
だが幸い、戦況はトリスたちに有利に動いていた。
相対する人間の数では均衡していたが、ネスティを筆頭として放たれる召喚術が、その差を生んでいた。
ひとり、またひとりと、黒い兵士が倒されていき、
「――終わるな」
ルヴァイドが静かにそうつぶやいた。
キィン!!
バルレルとロッカを同時に相手していたイオスの槍が、横合いから飛び込んできたフォルテの剣で弾かれる。
その機を逃さず、マグナがイオスを押さえつけた。
すかさず腕をねじ上げて、身動きできないようにする。
奇しくもそれは、先日がイオスに捕われていたのと同じような体勢。
イオスが、痛みに顔を歪めるのが見える。
ふっ……あの日の痛み思い知ったかイオスさん!
思わず勝ち誇ってみるだった。何もしてないが。
そして不意に、ルヴァイドが動く。
「――行くぞ」
「え?」
「しばらく我慢しろ」
片手に抱えていた兜を再び着けた彼が、の腕をつかんでいた。
「……ッ」
蘇る恐怖に足がすくむ。
けど。
だいじょうぶ、だいじょうぶ。
目を閉じて、は自分に云い聞かせる。
怖くない。怖くない。
だいじょうぶ、あたしはあたしが持ってる気持ちを大事にするんだ。
いつか遠い昔の、今のあたしの知らないあたし。あたしはきっと、この人を好きだったでしょう?
深呼吸。
――うん。怖くない。あたしはだいじょうぶ。
そうして、ルヴァイドのやろうとしていることを察し、もまた、歩き出そうとする。
ところが。
「構うな! ゼルフィルド、このまま撃てっ!」
不意に叫んだイオスの声が、たちの立つ場所まで響いてきた。
あの子に云った。
自分たちは軍人であり、国に仕える者であり、そうである以上選べる道はこれしかないと。
そうしてこの道を歩く以上、もう覚悟は決めたのだからと。
――そのはずだったのに。
彼らがのこのこと、王都の外に出かけるのを見た。
そのときはまだ、ルヴァイドの命令どおりに、監視だけで終わらせるつもりだったのだ。
しかし、そのうちにがどこかへ行ってしまって。
そう。気が急いた。
と戦わずに聖女を確保することが出来るなら――
――馬鹿な期待の結果が、これだ。
けれど、それでも。まだチャンスはある。
――はこの場にいない――
このまま、ゼルフィルドがイオスごと彼らを倒してしまえば、他の兵士たちでも聖女を捕獲できるチャンスはある。
だから。
「任務の遂行こそ絶対だ。お前さえ生き残れば、あの方に対象を届けることはできる。さあ――」
僕ごと、こいつらを撃ち殺せ!
叫んだ。
沈黙して動きを止めていたゼルフィルドが、イオスの目を捕えた。
刹那の逡巡。
それから。
「……了解シタ」
ゼルフィルドが、云った。